2018年9月11日火曜日

2018911日【詐欺】
サイエンスを長年やっているとわかるけど、「見ようと思えばなんでも見える」し、見えたものベースにある、ある意味での因果関係も「紐付け」くらいはできてしまう場合がある。

要は、それが、どれだけドミナントなのかということ。この「どれだけドミナントか」という問いに回答しないで、一生なんだかんだと研究し続けるのはある意味「詐欺」。

2018年9月9日日曜日

201899日【孤独で多くの場合不毛な研究】
世の中溢れるほどの論文がある。そして、自分の研究分野がポピュラーであればあるほど、自分の研究に関連する論文も毎日沢山発表されるので、それなりに目を通しておいたほうが良いことが多い。そういう場合、いい加減で再現性が低い(再現性が全く無いわけではなく、論文が主張するほどRobustじゃないという意味)論文があると、それに振り回されて時間を無駄にされてしまうことがある。

そういう点でいうと、僕の場合、自分のラボを持って以来(1991年1月からだから約28年間)、そんなに過去の多数の論文を分析した上でのプロジェクトというよりは、遠い昔に忘れ去られた(あるいは、忘れ去れそうになっている)仮説や(自分のラボで最初に開始したプロジェクトはドイツ語で書かれた100年近く昔の分厚い論文が元になっていた)、そんなことありえないから誰もそもそもやろうとしていない、あるいは日々の実験で偶然に見つけた観察でとてもあり得そうの無い現象、これらが元になっている場合が多いので、そもそもそんなに論文を日々注意してフォローしている必要がない。

そして、そのようなプロジェクトを論文化して、だんだん周りが盛り上がってきて多くの研究者が同じような研究をやり始めると、僕の場合は、一瞬にして興味を失ってしまう(これが、実は僕の良くないところでもある)ので、別の研究テーマを求めて「孤独で、多くの場合不毛な旅」に出る。

こんなパターンを僕は30年近く繰り返しているので、結構精神的には辛いけど、まぁ、そういうやり方しかできないのが自分でもある。

2018年9月3日月曜日

201893日【失わないと得られない】
五十数年生きてきて本当にそうだなと思うことのひとつ。何か大きなものを得るためには、何か大きなものを失わないと得られない、ということ。これは本当にそうで、大きなものを失わないで大きなものを得たケースはあまり知らない。表に出るのは、得たものばかりなので、失われたものは表に出てこない場合が多いので、外から見ると大きなものを得る人は順風満帆に見えるけど実は非常に大きなものを失っている場合が多い。また、一見いろんなものを沢山得ているように見える人は、実は何も得てなかったりする。