2011年8月31日水曜日

2011年8月31日

ある事がきっかけで、何人かの方々から「郷に入れば郷に従え」みたいなことを言われた。

前にもここに書いたが、僕は子供の頃から「郷に入れば郷に従え」を完全否定して生きてきた典型的「あまのじゃく」なので、そんなことをしたら、自分自身の根本にあるものを失うことになるので、これはありえない。

しかも、サイエンスは「郷に入れば郷に従え」を否定することによって成り立っている学問なので、サイエンティストとしても無理。

僕は「朱に染まらない天邪鬼(あまのじゃく)」なのでよろしく。1000人が赤と言えば、僕は赤とだけは絶対に言わない人間。

ピース。

2011年8月30日火曜日

2011年8月30日

ラボ運営に関して三つ目。

いろいろなところに、結構な割合で「非効率性」を盛り込んだほうがよい。効率性と非効率性の混在がとても大切。これを上手くやるには、「知的な遊び」が必要。難しいが、いったん上手くいくと感覚として解るようになる。

2011年8月29日月曜日

2011年8月29日

もうひとつラボの運営に関して。

「知の心」を最優先する。「知」は頭脳由来だが、その「知」を感じる、憧れる、尊ぶ「心」を大切にするラボ環境をつくり、維持する。

これはとても難しい。この世の中「知」を感じることのできる人はとても少ない。先ずはラボのPIが「知」を感じ、尊ぶ「心」を持たなければならない。

そうすれば、まわりは自然と「知」を感じることができるようになる。

2011年8月28日日曜日

2011年8月28日

僕のアメリカでの20年以上にわたるラボ運営の経験から、ラボ運営に関して。

世界のトップレベルを長期にわたり持続的に維持できるラボの運営をするには、サイエンスのクオリティ-に関して妥協しない強い態度をPI自身、またラボのメンバー全員に徹底させることが必要不可欠。

自分(PI)を含めたラボメンバー“全員”というところが重要。“自分(PI)を含めてひとり残らず全てのラボメンバー”にクオリティ-の高いサイエンス・仕事を要求する。

大変なことだが、世界のトップレベルを長期にわたり維持することは大変なことなので、それなりの代償を払わなければならない。

2011年8月27日土曜日

2011年8月27日

前にここに書いたように、この夏(7月、8月)週末を北海道・札幌で過ごしている。札幌では、朝5時くらいに起きて山・川を走って、日中は仕事をしている。もちろん、朝、昼、夜と美味しいものも食べている。

しかし、一部の人たちが、僕は北海道にこの夏頻繁に来ているのは、夜ススキノで夜遊びするためでは、と勝手な想像をしているらしい。

でも、それは全く無い。僕は札幌滞在中、毎晩9時過ぎには寝て、朝5時くらいに起きてトレーニングしている。

勝手な想像は止めましょう。

2011年8月26日金曜日

2011年8月26日

英語の勉強に関して。

英語を上手くなる方法のひとつとして、映画やTVの中のセリフの一節、本の一節など(1ページくらいの長さ)を丸暗記するという方法はかなり有効。

毎日、1ページくらいの長さの別の箇所を丸暗記して(正しい発音、アクセント、抑揚で)、大きな声で暗唱する。

これを毎日1年間やるとかなり英語は上達する。

2011年8月24日水曜日

2011年8月24日

今日は久しぶりに海が見えるところに来ている。最近は山が多かったので、広い海をみるのはなんだか久しぶり。10kmくらいのんびりと遠泳をしたい気分になった。

100m2分くらいののんびりペースで泳ぐとすると、10km3時間30分弱くらいで泳ぎきれることになる。アメリカにいた頃、5kmくらいはIronman のトレーニングで頻繁に湖や海で泳いでいたが、10kmOpen Water Swim はまだやったことがない。

何時かトライしてみようと思う。

2011年8月23日火曜日

2011年8月23日

僕の20年以上にわたるアメリカでの経験からすると、大学院3年生(日本だとD1)が終わる頃に、ポスドクと同じレベルで論文が読め、自立して研究ができないと、研究者としての将来はかなり暗い。

基本的に、大学院の最初の2年間で、研究者として自立するための様々なスキルを身に付け、残りの2年~3年でひとつのクオリティ-の高い研究プロジェクトを自力で成し遂げる。

博士号をとった後は、即戦力のポスドクとして2年~4年(あるいはもう少し長く)研究を行い、クオリティ-の高い論文を発表し、同時に、PIとして独立するために、経営者として必要なスキル(ラボの運営方法、Grantsmanship など)を身に付ける。

僕のNAISTでのラボでも以上が基本。

2011年8月22日月曜日

2011年8月22日

「....をやってはいけない」「....は禁止」といった類の規則、決まりが多すぎ。

「....はこうしなければいけない」「....は必修」「....は全員やらないといけない」といった類のルール、決まりごとも多すぎ。

このような社会や組織で育ったり、教育を受けた若者は、「誰かからなにか言われないとなにもできない」「誰かから枠組みを与えて貰わないと不安になる」といった人間にしか育たないだろうなと思う。

最近は、僕にもこのようなことが多く強制されはじめてきた。

僕は、自分の信念をまげてまで、このような規則やルールに従う気はないので、無視することにしている。実際、いろいろ無視している。もしそれで、職場を離れなければならないのなら、それはそれで仕方が無いと思っている。自分の信念をまげてまでしがみつかなければならないほどのポジションではないと思っている。

ピース。

2011年8月21日日曜日

2011年8月21日

昨日は、広島学院の時の同級生と三宮で夕食を一緒にした。高校卒業以来はじめて会うので30年ぶりの再会。最初は、僕のほうが少し照れちゃって上手く話せなかったけど、時間が経つにつれて、30年前にタイムスリップ出来た。

改めて友達の有難さを実感しました。

2011年8月20日土曜日

2011年8月20日

日本ではロジックでバッサリきられることよりも、「ロジックでは説明できない神秘的なもの」がロジックで説明できるものより崇高だという考えが古代からある。日本の多くの科学者も、ロジックより、「自然の神秘を感じる」ことに重きをおく。

サイエンスはアリストテレス(あるいはもっと前)から現代にいたるまで、ロジックの学問なので、「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」ことを崇拝する日本の文化は、残念ながらサイエンスには適さない。

サイエンスは最終的にロジックで説明できないと、駄目な学問である。それが不得意な日本人はサイエンスをやるのにかなりのハンデがある。

もちろん、日本人が西洋ではじまったサイエンスとは別の、「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」というものを「日本的サイエンス」とよぶなら、それは日本人の得意とするところである。欧米の人達に「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」ことはほぼ不可能である。

もし、日本が西洋ではじまったサイエンスを推進していきたいなら、子供たちにロジックを教えないといけない。現段階では、欧米の子供たちに比べて、日本の子供たちはロジックにかなり弱い。

もし、日本が西洋ではじまったサイエンスではなく、「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」というものを「擬似サイエンス」といった学問として日本で成り立てることを目的としているなら、ロジックは邪魔になる。

この辺を、結構混同している日本人が多いように僕は思う。

2011年8月19日金曜日

2011年8月19日

最近、自分がどんどん年老いていっているように感じる。高校生や学部生さんたちと直接接する機会が多いからかな。。。。融通の聞かない言動をすぐに発してしまう傾向にある。これはやはり自分が爺になりつつある証拠かも。。。。

2011年8月18日木曜日

2011年8月18日

以前、ここにも書いたような記憶があるが、また書いておく。

僕は生まれてから小学校の高学年まで、ずっと、人見知りが尋常でないくらい激しく、親はとても心配したそうである。確かに、僕は小学生の頃、クラスの中で班変え、あるいは学年が変わる時にクラス変えがあった時などは、もう、どうしていいかわからなくなり、学校に行くのがいやでいやでたまらなかった覚えがある。

僕の両親は、僕のこの人見知りのひどさはとても心配したらしく、毎年夏休みとかは積極的にYMCAなどのキャンプに送ったり、新しい友達を頻繁に家によんで泊めたりしていたらしい。しかし、そのおかげで、僕は他人とつき合う術を少しは学んで、今はなんとか社会に適応出来ている。

しかし、今でも、人見知りは結構ある。これは、僕の大きな弱点であると思う。

2011年8月17日水曜日

2011年8月17日

僕は日本に来てこの2年間、色々と自分なりに新しい試みを始めて、いくつかは上手くいったと思っている。これも、まわりの方々に助けられてきたおかげだと思う。

しかし、去年の新しい試みは、すでに古いもので、次々と新しい戦略を考え、実行に移していかないと、あっという間に、古狸になってしまう。これは、経営の基本。

そこで、今、僕は、さらに新しいアイデアを練っている。ここでは未だ詳しく書けないが、これまでの日本の(また世界中の)大学の教育・研究システムとはかなりかけ離れたシステムをつくり、将来、世界で活躍できるエリート集団をつくるというもの。同時に、この新しいシステムにより、我々が現在直面している研究環境の閉塞性をぶち壊すという試みである。

上手くいくかどうかわからないが、プランを練っている段階。このプラン、日本で実現させたいが、もし、日本で実現不可能なら、海外のどこかで実現させようと思っている。

2011年8月13日土曜日

2011年8月13日

自分でいうのもなんだが、僕は勉強が大好きである。したがって、勉強できないと、それがとてもストレスになる。

勉強が苦だと思ったことは、生まれてこのかた一度もない。今でも、基本的には午前中の数時間は自分の勉強時間であり、よほどのことが無い限り、予定を入れないようにラボのAdministrative managerの方に頼んである。

朝、きちんと5時くらいに起きて(週末も)、運動し、シャワーを浴びて、しっかりと栄養のバランスを考えた朝食をとり、数時間ほど勉強をする。これができると、僕はとても幸せな気持ちになり、午後からの時間を過ごすのも意欲的になれる。

この朝の勉強時間には、その時々で色々な勉強をしている。大きく分けて二種類の勉強をする。ひとつはとても古い歴史的な論文をしっかり読む。もうひとつは教科書の勉強。

現在は1900年前後にPublish されたCell Biology分野の幾つかの論文をしっかり読んでいる。教科書の方は、Statistical Mechanics Thermodynamics の教科書を勉強している。

余談だが、今、暇な時にA. Frova & M. Marenzanaの「Thus Spoke Galileo」を読んでいる。とてもよく書かれた本で、とてもためになる。学生さんたちには是非読んで貰いたい。

2011年8月10日水曜日

2011年8月10日

ここ数日貧血気味なので、今日は夕食にヘレステーキを料理して食べました。

明日から元気になって復活します。

2011年8月7日日曜日

2011年8月7日

今日の朝、フジテレビのある番組で、石原慎太郎と藤原正彦の2人を招いて、日本の技術、サイエンス、政治その他について対談をしていた。

そこで、ふたりが「日本の科学技術は世界トップレベルで、中国、朝鮮、アメリカが日本の技術を盗んで国を発展させている。盗まれないようになんとかしなければいけない。」と言っていた。

僕からすると、日本だって古代の時代から中国、朝鮮、ヨーロッパから科学技術をずっと盗んできたし、戦後は多くの研究者をアメリカ・ヨーロッパに数年送って(ポスドク、研究員、などというポジションで)科学技術を盗んできて、その盗んだ人達を日本のトップ大学の教授・企業の研究者にし、そのひとたちの「盗んできた」科学技術を発展させ、そのおかげで日本は発展し、今の日本があるわけである。

日本では、これを「盗んだ」とは言わないで「学んだ」と言っているが、盗んだのである。

僕は科学技術の発展において、自由な「交流」が絶対に必要だと考える。オランダの医学は15世紀~16世紀には世界で断トツトップでずば抜けていた。しかし、あまりに医学研究者、医者の数が増え、競争が激しくなり、医学研究者・医者同士がお互い新しい発見・知見などを秘密にするようになり、それぞれが自分のものだけにしようとした。そのせいで、オランダの医学はいっきに衰退してしまった。

したがって、科学技術では誰が誰のを盗んだというのは無い。他人に(他国に)に盗まれる頃には、もっと素晴らしい次世代の科学技術を発展させていれば良いのである。また、常にベター・新しいものを発見・発明して行く貪欲さが科学技術の発展には必要である。

盗まれる、常に盗まれる危機にさらせれていることで、この貪欲さを維持することができる。

これは、科学技術に限らず、なんでもそうである。常に自分の座が脅かされる環境にいないと、人(国)は、のほほんとしてしまい、一気に衰退する。日本の社会・大学が滅びつつある要因のひとつである。

2011年8月6日土曜日

2011年8月6日

今日はヒロシマ原爆記念日。

昨日からある研究会で御殿場に来ている。朝5時過ぎに起きて、1時間ばかり走り、その後、長い時間シャワーにうたれながら目を瞑って、66年前のヒロシマのこの日のことをしばらく思った。

シャワーから出て、記念式展をテレビでみながら、815分に1分間の黙祷をした。

2011年8月4日木曜日

2011年8月4日

大阪マラソンまであと3ケ月をきった。これからは、距離を稼いで持久力をつけるだけでなく、すこしづつスピードも入れていく予定。

昔は3時間をきるくらいのための練習をしていたが、今は練習量も半分以下なので、3時間20分で走れたら上出来だと思う。それでも、やはり少しスピードトレーニングをやっておかないとレースでつぶれてしまう。

これからは、週末のロングランで3時間弱走る時も、最後の半分くらいはレースペース(キロ445秒~5分くらい)のスピードで走るようにしていくつもり。かなり集中力の要求される残り3ケ月になりそうだが、まあエントリーして抽選に当たったし、お金も払ったので、仕方がない。

というわけで、10月終わりまでは、研究第一、トレーニング第二でいく。

2011年8月3日水曜日

2011年8月3日

日本は人権、差別という観点からすると、未だに世界の後進国である。

例えば、年齢による差別。
未だに、履歴書に年齢(つまり生年月日)を書くことが普通に行われている。
大学でも、研究・教育がどれだけできるかといった実力より、年齢でいろいろなことが差別される。国立大学だと、給料の額はそのポジション(例えば教授)に何年携わっているか(つまり年齢と相関)ということで決まる(僕みたいに若い時からアメリカで長年教授をやっていたのに、日本で教授をやっていた年限はゼロなので不利になる)。また、実力に関わらず、定年がある。つまり、いくら仕事が出来ても、ある一定の年齢になると定年退職しなければならない。定年退職の5年前になると、まわりの教員たちが、後何年であの先生は定年退職と、年数を数え始める。

これらは全て年齢による差別であると僕は確信している。もし、これが変わらないのなら、一度友人の弁護士に話しを聞いて、訴えてやろうかとさえ思う。一度、このことが裁判沙汰になると、世論も動いて良い方向に変わるのではないかと思う。

年齢以外にも、日本ではいろいろな差別が暗黙のうちに行われている。酷い国である。僕は日本が大好きで、自分が日本人である事を誇りに思っているが、「差別」という点では、恥ずかしい限りだ。これも、日本という国がまだ子供で大人として成熟していないということの現れだと思う。

2011年8月2日火曜日

2011年8月2日

僕は「数学的な考え方」は分野に関わらず(サイエンス、文系なんでも)非常に大切だと信じている。研究者に限らず、なんの職業でも「数学的な考え方」は大切だと考える。

しかし、学校では「数学的な考え方」を教えないで算術しか教えない。

例えば、円周率の意味や、どのような思考の歴史を経て円周率という概念が生まれてきたかを学校では教えないで、円周率=3.14 (ゆとり世代は3)として教え、それを使う算術しか教えない。

小・中・高でこのように数学を教えてしまうと、「数学的考え方」は養え無いし、子供たちが数学なんてどうでもいいと思ってしまう。

もっと、数学の概念の根本にある考え方や思想の流れを教えて、それらがこの世の中の様々な現象、成り立ち、政治の問題、社会問題を考え、また解決するのに、どのように役立つか、といったことを学校では教えてほしい。

しかし、問題は、このような教え方のできない人達が学校で教えているということなのだと思うが。。。。

2011年8月1日月曜日

2011年8月1日

以前ここに書いたように、今、歴史を少し勉強し直している。神代から始めて、鎌倉幕府が滅びるところまで勉強した。今回勉強して、なぜ現代の日本がこのような状況になっているのか、とてもよく理解出来たし、納得した。なるべくしてこうなったと納得できた。また、これからどうして行けばよいのかという点に関しても、一筋の光が見えてきたように思う。

もう少し現代まで勉強して、僕の意見・提言などを少しづつここに書いていこうと思う。

今週は出張もあり、色々忙しいですが、午前中の勉強の時間だけは確保出来そうです。