2022年9月13日火曜日

2022年9月13日【基礎研究から臨床】 #基礎研究 #臨床 #理想系 #非理想系

 2022913日【基礎研究から臨床】 #基礎研究 #臨床

 

僕は人間の身体機能や健康や病気を出口にした基礎の基礎の基礎の研究を(学生の頃を含めて)40年以上している。その中でイヤというほど分からさられたこと:

 

基礎研究でメカニズムが分かっているのに、病気には治せない場合が無数にある

 

ということ。

 

もっと踏み込むと、メカニズムの詳細が分かっていて、そのメカニズムに基づいた薬も存在し、臨床試験(治験)で安全性が確認され、効果も確認されていても、その病気が治せない場合が数多くある。

 

もちろん、治ることも数多くあるのだけど、同じ病気で同じ治療を受けても、治る場合もあれば治らない場合もある。

 

単に個人差だけでもない。

 

理由:

僕ら基礎の研究者は、システムをできるだけ綺麗にして理想的なシステムの中だけでストーリーを作る(つまり、メカニズムの説明をする)。

 

でも、実際(リアルワールド)には、そのような理想的なシステムはほとんど存在しない。個人差はもちろん、とても複雑な環境や生活様式の違い、患者さんの気分の違い、過去やその時の生活の違い、などなどが掛け算以上に影響してくる。そもそも、「環境」とか「生活様式」とか「気分」とか、具体的に「何?」ということすら、無数にあり、あやふやなことも数えきれないくらいある。

 

サイエンスで解明するには、定義ができないと解明できないのだけど、理想的で綺麗なシステム内でのみの定義しか現状できないので、理想系で解明されたことが、リアルワールドでは一挙にことごとく崩れてしまう。

 

個人的には、理想系ではなく、従来のサイエンスでは定義しにくい(できない)リアルワールドの系でも通用する科学的体系や科学的アプローチができないか、と日々苦悩している。

 

2022年9月7日水曜日

2022年9月7日【何のための発信?】 #何のための発信

 202297日【何のための発信?】 #何のための発信

 

SNS時代で発信は重要なのだけど、「何のための発信」かが重要。僕は、発信は相手ありきで、相手(聞き手、読み手、視聴者、など)に「理解してもらうため」だと認識している。なので、相手が理解できない発信は意味もないし、ある意味、「暴力」だと思っている。

 

だけど、SNS時代になって、「自己アピールのための発信」が多くなっていると感じている。相手に理解してもらうための自己アピールなら理解できるのだけど、どうも、自己が中心になっていて、相手が理解しようがしまいが関係なく、「自己主張」としてのアピールが多いと感じる。これはある意味「暴力」でもある。

 

僕はサイエンティストなので、発信の機会は沢山ある。論文、研究費申請、プレゼン、プレスリリース(PR)など。

 

§  論文は、読み手に理解してもらう、というスタンスで書く。

§  研究費申請書は、審査員に理解してもらうために書く。

§  プレゼンは聴衆に理解してもらうために発表する。

§  PRは研究の成果を研究とは無縁の一般市民の方々に理解してもらうために作成しリリースする。

 

これらをブレないようにしないと、単なる自己中の自己アピール(目立ちたがり)でしかない。

 

とても重要なことのはず。