2010年10月31日日曜日

2010年10月30日

NAIST学長通信にもあるように、NAISTでは三つの研究科を一つにするという案も出ている。そこで、三つの研究科を一つにするという事に関して、自分なりに少し考えてみまた。僕は、一つにするより、「先端科学研究科」と「先端技術研究科」の二つにした方がよいと思う。

「先端科学研究科」は物事がいかにはたらいているか、またどうしてそのようにはたらいているか、を明らかにし、新しい現象を発見するサイエンスを中心に研究・教育をする研究科。

「先端技術研究科」はメソッドや技術づくり、新しいものづくりをするテクノロジーを中心に研究・教育をおこなう研究科。

もちろん、新しいメソッドやテクノロジーはメカニズムを明らかにしたり、新しい現象を発見するのに必要なツールで、上記の二つはお互い一緒にサイエンスをする必要があります。しかし、ラボの運営方法、研究の進め方、研究者また学生の体質、研究室の物理的つくり、ターゲットとなる研究者また学生のパーソナリティ-など、この二つはかなり違うなという印象を僕はもっています。

これらの理由から、僕はこの二つを研究科としては分けたほうが運営がスムーズにいくのではと考える次第です。

でも、これきっと無理でしょう。なぜかというと、日本人研究者の多くはテクノロジーを明らかにやっているのに、俺は(私は)科学をやっていると言い張るからです。日本では科学とテクノロジーの違いがわからない研究者が多いと思います。それは、これまで多くの人たちが学校で科学と称してテクノロジーばかり教わってきたからです。もともと、自国の哲学が発達しなかった国民に科学とテクノロジー(技術)の違いをわかれということ自体無理なのかも知れません。

2010年10月30日土曜日

2010年10月29日

僕の世代は生まれてから大人になるまで夢を語りながら育って来た(来れた)世代。多くの夢を僕より上の世代から受け継いだ。その夢に向かって自分で道を切り開いて来た(来れた)世代。将来は頑張れば何でも出来る、と思いながら育った世代。

現在大学生、大学院生の世代の若い人達と話しをしていると、生まれてこのかたずっとこの世の中暗いことばかりで、夢を語って、将来は何でも出来るなんて思いながら育っては来てない(来れなかった)という若い人達が多いこと見えてきた。これはとても残念。でも、この多くの責任は今この世の中を動かしている僕たち、あるいは僕より上の世代の責任だと思う。自分の夢を追うばかりで、次の世代に夢を語り継いでいったり、新しい夢を与えることを怠ったつけがたまってきたのだと思う。

今からでは遅いのかも知れないけど、僕は次の世代に夢を語り継いで、新しい夢を与えていきたいと思う。世界はすぐ手が届くほど小さくなって来ている。日本の中だけで夢をもち、その夢を追うには、僕は今の日本では限界があるし、すでに限界に来ているを思う。もっと、世界全体を見て、自分の夢をつくって、その夢の実現に向かって自分の力で自分の道を切り開いていってほしい。そうすれば、影でその手助けをしてくれる人達は必ずいます。僕はしますよ。

2010年10月29日金曜日

2010年10月28日

また仕分けが始まった。僕は、結構興味があるのでTVで毎日観ている。観てて二つ思うことがある。
一つ。
自分の奥さんがレンホウみたいな人じゃなくて良かったです。でも、この世の中の多くの主婦の方々はレンホウみたいな人が多いと思う。だから、レンホウの主 婦の間での人気はかなり高い。僕がレンホウ嫌いな理由は、とにかく物事の次元が全て低い 。一見物事を的確に捕らえて、ビシバシと筋道たてて話している様に見えるけど、彼女の頭のなかはかなり低次元。そして、それ自体に彼女自身が気づいて無い し、気づこうという努力も皆無。僕はああいう人とは付きあいたく無い。でも、世の中の主婦の多くはレンホウのような人なので、政治をやるには、ああいう人 間をうまい事だまして丸め込むスキルが必要になのだと思う。
二つめ。
各事業団体の代表、各省庁の代表の人たちのプレゼンが酷い。あれでは、仕分け人の人達や国民を納得させられない。ぼそぼそ、モゴモゴ、要旨が不明なことを 気が向くままに言わないで、ちゃんと筋道をたてて、戦略を明確に、スッキリと、でも力強く、プレゼンしないと駄目。あの世代の人達は若い頃からそのような 訓練なしに歳をとってしまったので、いまさら如何しようも無いのかも知れない。

2010年10月28日木曜日

2010年10月27日

僕は毎日、体重、体脂肪、体筋肉量、体水分量を量っている。最近、体重はほとんど変わらない。でも、体水分量が少し減ってきた。数ヶ月前は 60%くらいを常にキープしていた。たまに、59.5%くらいに落ちることもあった。でも、59%以下になった事はなかった。でも、最近60%に届かなく なって、たまに59%をきって58.8%とかになることもなる様になった。歳をとると、からだの水分が減るといわれているが、僕も歳をとってきたせいだろ うか。。。。きちんと、水分をとって、フルーツを沢山食べないと。。。。

2010年10月27日水曜日

2010年10月26日

ようやく、研究費申請書が完成しました。直せば直すほど良くなりますが、いつかやめないときりがないので、最後の最後まで粘って、締め切りまで やりました。ベストを尽くしたので、あとは祈って待つだけです。多くの学生さんたち、スタッフの方々、多くの友人に読んでもらって、何回も直して出来上が りました。ホントに皆さんありがとう。友人のひとりには締め切り直前まで、読んでもらって意見を貰いました。感謝です。 9月最初からはじめて約二ヶ月かけて完成させました。とおることを祈ります。

2010年10月20日水曜日

2010年10月19日

研究費申請も大詰め。昨日全部読んでて、わかり難いところが、結構まだあるので、もっとクリアーにする為に、今日は一日かけて、全体をシャッフルして、穴のないようにする予定。もう少し、いくつかの図をわかり易いものに変えたほうがいいかも。


2010年10月20日

昨日、研究費の申請書を色々いじくったけど、まだいまいち、どっしりしたインパクトに欠ける。今日は、朝走りながら、これを調整する案が浮かんだので、その辺を盛り込む為に、申請書の後半の部分をかなり、大幅に変更する予定。


2010年10月22日

研究費の申請書。まだ、納得いきません。もう少し、もがきます。


2010年10月25日

研究費申請書まだあがいてます。この週末、さらに大幅に変更しました。大幅にかえる度に良くはなってるような気がする。もうひと踏ん張りです。

2010年10月19日火曜日

2010年10月18日

科研費申請の時期。アメリカにいたときは、NIHのRO1などの研究費申請に関しては、最初のプラーニング時期、準備時期などをいれるとだいたい3ヶ月ぐらいかけて申請書を作成していた。僕は、これをアメリカでラボを運営していた間、約20年間やってきた。 僕は、去年日本に来て、日本ではじめて研究費の申請書を書き始めた。日本の研究費申請書はアメリカのNIHなどのそれに比べると、全然短いのだ けど、僕は最低2ヶ月かけて申請書を作成する。やはり、国民の税金から研究費がくるわけだから、身も心も削って立派な研究費申請書をきちんとつくらない と、そう簡単にお金はこない。数週間チョコチョコと書いた研究費申請書には中々お金はこないと、僕は思う。
僕の場合は、プラーニング時期、準備時期のあと、原稿を書いて、それを何人もの人(最低5人以上)に見て貰い、そのひとたちのコメントや意見に したがって、何回も書き直して、最終版を仕上げる。ヒアリングなどは、ホントに身も心も削って、3~4週間かけてみっちり準備する。それでも、ほとんどの 場合、研究費がもらえないわけだけど、このようなことをその都度やっていると、それらが積み重なって、申請書の書き方、ヒアリングでのプレゼン、質疑応答 の仕方が上達する。これは、研究費が取れる、取れないに関わらず、研究者としての修行として、とても役に立つし、それらが、研究費申請以外の色々なところ で役立ってくる。
なので、僕は今、全身全霊をこめて、申請書を書いている真っ最中。

2010年10月15日金曜日

2010年10月14日

チリのレスキューうまくいってます。70日間も地下の狭い空間に閉じ込められるという経験はかなりLife altering experience だと思います。閉じ込められていた方々、地上で待ち続けた人達、レスキューに直接関わった方々、この事件を傍観してきた人達、この70日間色んな思いを抱 えてこられたと思います。でも、ホントニ皆助かるみたいてよかったです。 僕はこの一連の事件を見聞きしながら、昔見た、僕のとても大好きな映画のひとつである、「The Game」を思い出しました。マイケル・ダグラス主演の映画です。
人間一生に一度Life altering experienceを経験した人と、そうでないヒトでは、人生の深みが全然違うと思います。

2010年10月14日木曜日

2010年10月13日

僕は去年日本に24年ぶりにかえって来て、NAISTで多くの大学院生さんたちに接した。それまでは、アメリカの大学院生さんしか知らなくて、 日本の大学院生さんたちは、なんと素直で物分かりのいい「子供」なんだろうと思った。その為に、日本の大学院生さんたちに接する時に、ついつい、「教師- 生徒」として接していた。つまり、大学院生さんたちを「子供」として扱っていた。 数ヶ月くらい前に、あるきっかけで、これはおかしい、間違っていると思うようになった。僕がアメリカにいるときは、大学院生さんたちは立派な 「大人」で研究者の卵である、という認識で、ほとんど「対等な立場」で「研究のディスカッション」をしていた。大学院生さんたちは、大学を卒業した立派な 大人であるはず、大学でキチンと基礎学力を身につけて大学院に入って来ているはず、という認識である。
数ヶ月くらい前から、僕はこれらの前提でNAISTの大学院生さんたちと、「大人と大人」の付き合い、「研究者と研究者」の付き合い、をする様にした。
人によっては、最近の大学院生さんたちは子供だし、大学でちゃんと基礎学力を養って来ていない。だから、大学院では、先ず手取り足取りケアーしてあげて、基礎学力を先ず丁寧に教えてあげないといけない、という先生方も少なくない。 というか、多くの先生方はそう言う。
僕は、逆にこのような扱いをするから、大学院生さんたちはいつまでたっても子供から大人に移行出来ないでいるのだと思う。大人だと認められて、 そのように扱われて、はじめて各々が責任感をもった大人としての行動ができるようになるのだと、僕は思う。大切なのは、学生さんたちと、「大人と大人」、 「研究者と研究者」の付き合いをしながら、影でこっそりサポートするといったことだと思う。

2010年10月13日水曜日

2010年10月12日

今回ノーベル平和賞の事態どうなるんでしょう。もし同じような状況で、僕が受賞者で牢獄にいたとしたらどうするでしょう?もし、僕が中国政府だとしたらどうするでしょう?もし、僕がノルウエーの立場だったらどうするでしょう?これはとても難しい問題です。 ひとつ言えるのは、僕が受賞者の立場なら、ノーベル平和賞を自分にして欲しくなかったな、と思うと思います。別の人にあげて欲しかった、と思う ことは確実だと思います。もし、僕が彼の立場なら、ノーベル平和賞に関わってもらいたくない、と思うのです。賞とは無縁のものにしておいて欲しいと、僕な ら思います。

2010年10月12日火曜日

2010年10月11日

アメリカにいる時、僕のラボにEmery Kalinov (ご両親がブルガリアからの移民)という学部生さんが夏休みに3ヶ月研究しに来ていた。彼は、とても優秀で、しかも研究熱心だった。将来は医学部に進学 (アメリカでは学部4年を卒業したあと医学部に進学する)を夢見て、医学研究をしたいと言っていた。でも、夏休みが終わって大学に戻ってしばらくして白血 病だということがわかった。2年くらい、白血病と闘ったけど、最後は家族にかこまれて、安らかに眠りについた。僕もEmeryの最後をご家族と一緒に看 取った。そのあと、葬式に彼の大学の友達が大勢来ていて、皆が僕にひとりひとり挨拶に来てくれて、Emeryは最後の最後まで、彼の友人、家族に、僕がど んな研究をしていて、凄いサイエンティストなんだよ、と僕のことを皆に自慢していたらしい。そして、そんな僕のところで研究出来て、色んなことを学べて、 自分が将来、医学研究者としてやって行く決心がついた、と言っていたそうである。僕みたいな研究者になりたいといっていたらしい。ほんとうに僕のことをま わりに自慢していたらしい。 僕はそれを聞いたとき、とてもうれしかった。このようなことは、学生さんを育てていると、時々ある。このような経験は僕自身にも、大きなエネル ギーを与えてくれる。また、研究者になってほんとうに良かったと思うことのひとつだ。残念なのは、Emeryがもうこの世の中に居ないという事実だ。

2010年10月10日日曜日

2010年10月9日

オランダ滞在中、多くのヨーロッパの研究者と話しをする機会が多々あった。その多くの研究者の人たちは、細胞の基本プロセス、物質の基本的性 質、化学反応のKinetics、細胞内での分子の物理化学的性質などを明らかにすることを目的に研究している。その人たちは、明らかにそれらの研究がど のように工学、医学、社会に応用可能かはあまりしっかり考えていないようだ。それでも、ただMatterの根本的性質、挙動を明らかにする、というだけで かなりの大きな研究経費が国から出ている。例えば、ある研究者は、ある水生動物をモデルに個々の細胞の挙動を詳細に調べ、その実験データーから生命プロセ スの根本原理を明らかにするというプロジェクトで、これに対して、国から毎年、日本円で7000万円、その人個人の研究グループに出ているそうである。オ ランダという日本から比べると、とっても小さな国(ちなみに、オランダ1の大都市アムステルダムでも人口は80万人弱である)の研究費ということを考える と、これはかなりの基礎研究推進を国をあげて行っているということになる。 やはり、ヨーロッパは基礎研究という意味では、かなりサポーティブな文化環境にあるのだな、と思った。

2010年10月9日土曜日

2010年10月8日

オランダから帰って来て三日経つけど、まだ少し時差ぼけ。一般に言われているのは、一時間の時差で時差ぼけが直るのに一日かかるといわれている の。オランダは日本と7時間の時差だから、時差ぼけが直るのに7日間くらいかかるということになる。あと、数日かかるということだ。。。。 以前のアメリカンパンダの訂正:
Polderの直訳 は 開拓地ではなく「干拓地」みたい。 まあ、開拓地ととるのも悪くない。NAISTを先端科学の町ちゃなくて、「サイエンス開拓村」みたいにして貰いたい。
ニールスボーアは77才のときHeart Failure でなくなったみたい。自殺じゃないらしい。誰か有名な量子力学の人がサイエンスを考え突き詰めて、神の領域に入って、自殺したはず。だれだった け。。。。。思いだせない。。。。。メチャ、有名な物理学者なんだけど。。。。。
最近、物忘れが多すぎ。色んなことを考え過ぎているのかも知れない。もっと、自分の生活を単純にしないといけない。

2010年10月8日金曜日

2010年10月7日

アムステルダムに滞在中、ゴッホ美術館に時間があったので行ってきた。思ったよりかなり小さくて少しガッカリ。でも、ゴッホの歴史をしっかり勉 強してきました。10月より東京の六本木にある国立新美術館でゴッホ展を12月までやっているらしいので、今度、時間があったら、東京まで足をのばしてこ ようと思います。僕がアムステルダムのゴッホ美術館にいったときには、そこからすでに何点かは東京に作品が貸し出されていたらしい。。。。。 今回のオランダ滞在中には、アムステルダムとライデンしか行けなかったけど、次回チャンスがあったら、ハーグとロッテルダムにも行ってみたいです。
オランダは色々なところに電車で行けるし、どこに行っても英語が通じるので、とても便利です。また、多国籍国家なので、ほかのヨーロッパの国とは違って、自分が外国人だということをあまり感じさせないところで、結構気が楽です。
是非、また行きたい国のひとつです。

2010年10月7日木曜日

2010年10月6日

オランダ滞在中、夜寝る前に浅田次郎の「終わらざる夏」の上・下を読んでて、完読した。下巻になってからは一気に読み上げた。久しぶりの浅田節 に酔わせて頂いた。絶品でした。浅田次郎凄いですね。読者の想像力を書き立てるテクニック凄いです。「終わらざる夏」おすすめです。

2010年10月6日水曜日

2010年10月5日

今、日本に帰る飛行機の中。オランダに9月23日から12日滞在した。今回はアムステルダムに10日間、ライデンに2日間の滞在。知的活動満載 の12日間だった。やはり英語だと楽。物事が本等に論理的に話しやすい。筋の通った話しがオープンに色んな国の人たちとできる。今回話しをしたほとんどの 人達が物理、数学、物理化学、コンピューターサイエンスの人達で、とても勉強になった。 ぼくのラボのメンバーには来週のラボミーティングの時に、僕が勉強したこと、集めた情報、これらのサイエンティストの人達と話して思いついたア イデアを報告しようと思う。なにも、ぼくのラボだけに秘密にするようなことではないので、もしこのアメリカンパンダを読んで、このぼくの報告会(英語で す)に興味のある人たち(NAIST内外OKです)は大歓迎なので連絡して下さい。
それにしてもライデンにあった、「ニールスボーア通り」ってカッコイイ。もちろん、あの超有名な物理のニールスボーアのことです。彼は最後はサ イエンスをとことん突き詰めて、考えに考え貫いて、神の領域に入らざる終えなくなって、最後は自殺しちゃった物理学者だったと思います(もしかしたら、ぼ くの思い違いかも知れませんが。。。。)。
また、僕がアムステルダムにいた時に滞在したサイエンスパークには「Polder」と言ってアムステルダム大学自然科学専攻の学生によって運営 されてるカフェがある。Polderとは開拓地という意味らしいとある人から教えて貰った。メチャカッコイイ。ここのサイエンスパークにはアムステルダム 大学(Univ. Van Amsterdam) の自然科学系学部・研究科、CWI (Center of Mathematics and Information Science)やAMOLF(Foundation of Fundamental Studies of Matter) といった研究所が集まっている。そこの唯一のカフェがPolder、開拓地、カッコイイ。 
NAISTなんか「先端」なんて超軽薄で表面的(Superficial)で無機質 な名前をつけちゃって。大失敗。やっぱり、「開拓」のほうが人間身がある。筑波も僕がいた頃は「桜村・さくらむら」だったのに、今は軽薄なつくば市になっ ちゃた。。。。現代の日本人は無機質なものが好きなのかな。。。。
NAISTにはカフェがないので、誰かプレハブ建ての、超原始的な建築のカフェを学生運営(または卒業生運営、またはNAISTの幽霊学生たち)でつくってくれればいいのにと思う。名前もなんか原始的で人間身のあるものをつけてくれるといい。
NAISTはあまりにも無機質なキャンパス。もっと有機的で人間くさいキャンパスをつくってほしい。そこで、提言。もっとキャンパスの外へ皆出 よう。天気が良ければ、実験の合間、勉強の合間、仕事の合間に、外のベンチとか芝生に寝そべったりして、本や論文を読んだり、コーヒー飲んだり、おしゃべ りしたりしよう。ワイヤレスがあるわけだから、外でも仕事できるし。
もひとつ。NAISTの研究棟の一階の暗さ、なんとかしてほしい。メチャ、気分が沈む暗さ。あれは、何なんでしょう。。。。バイオの場合はある 先生のおかげで、素晴らしい絵がある画家の人により寄贈されて、正面玄関に飾られてから、少しましになったけど。また、ライトも新しくなって少し明るく なった。でも、まだくらい。なんか壁の色を変えるとか、アートを壁にはりめぐらせるとか、もっと太陽光の入るような構造につくり変えるとか、なんか良いア イデアないかな。。。。。

2010年10月5日火曜日

2010年10月4日

昨日、アムステルダムからライデンというオランダの町に移りました。ライデンはオランダいちの学問の町です。医学の中心でもあり、ライデン大学 医学部はオランダでもトップらしい。大学も凄く大きく町の中心にある。 ライデンはこじんまりとしたとてもかわいい町で、運河(Canal)に囲まれている。BioScience Park なるものもある。 町の雰囲気が凄く学問の町。ニールスボーア通りってのもある。僕はとても気に入りました。

2010年10月3日日曜日

2010年10月2日

オランダでは歳よりから若い人まで、どこに行っても誰でも英語が普通に通じる。昨日、昼食を食べながら、オランダ人の大学院生さんたちと喋って いた時に聞いたら、オランダでは英語のテレビ番組が沢山で、オランダ語の字幕が出るそうだ。だから、子供の頃から普通に英語に接しているらしい。また、学 校での英語の授業は11才から始まるそうだ。でも、テレビとかで普通に英語に接しているので、11才で学校で英語を習い始める頃には、すでにかなりのこと を英語で聞いたり喋ったりすることができるらしい。大学での授業の教科書のほとんどが英語だそうだ。なので、こちらの学生さんたちとは、アメリカ人と英語 でデスカッションするのと同じ感じでサイエンスに関して意見交換できる。やはり、英語ができると得られる情報量も100倍以上になるし、新しいことも英語 ができると吸収できるソース(Source) が全然大きい。なので、英語ができると出来ないとでは、得られる情報量が全然違ってくるし、英語サイエンスができると、勉強できることの量が100倍以上 増えると思う。なので、少し大げさに言うと、英語はやはり、足し算掛け算ができると同じくらい大切なことだと思う。

2010年10月2日土曜日

2010年10月1日

今日はアムステルダム寒いけど、晴れてます。昨夜は、学会にアメリカから来ている物理の教授とオランダ人のシステムズバイオロジーの研究者と三 人で夕食をとった。2人とも、日本で2年ほどポスドクで研究したことがあるらしい。物理の人は仙台で、もうひとりは東京。面白いことに、2人とも結構日本 が気に入っていたらしい。物理の人は、アメリカでもその分野ではかなりの大御所だけど、もし日本にポスドクの後外国人としてもとってくれるFaculty のポジションがあったら日本に残っていたそうだ。 そう考えると、僕もアメリカの大学院にいった時は、研究が一流なら、Ph.D. をとった後もアメリカにポジションがある、という確信のもとにアメリカに行ったように覚えている。多くの人がそんな感じでアメリカに研究をしにくると思う (もちろん、そうじゃない人たちもいるけど)。
今、日本に海外から博士をとりにくる留学生が結構いる。でも、博士をとった後、自国に戻るしかないというのと、研究が一流なら、自国に戻るとい うオプション以外にも日本でポジションをとって日本で研究を続けることもできるというもうひとつのオプションもあるという場合では、日本で博士号をとろう という気になる意欲のレベルが全然違ってくると思う。
この辺なんとかならないだろうか?日本人の税金を使う場合、色々な異論も出てくるとは思うけど、なんか良い方法が見つけられると良いのにと思う。

2010年10月1日金曜日

2010年9月30日

アムステルダムの町にはSexや大麻関連のお店が堂々と普通にある。そうゆう店の前とかで、普通に観光客たちが騒いでる。こんなに、SEXとか 大麻が合法でオープンなのに、それ関連の犯罪は全然少ないらしい。大麻依存症になる人も少ないらしいし、依存症の人をトリートするクリニックなどはかなり 整備されているらしい。 やっぱり、これらのことは、法律で厳しく取り締まると、余計犯罪になるのかもしれない。
それにしてもここはよく雨が降る。昨日は晴れてたのに、今日はまた寒くて一日中小雨。大雨はあまり降らないけど、ほぼ毎日小雨が降る。小雨なので傘はいらないけど。。。。アメリカのシアトルの天気に似ている感じ。
明日は少し晴れるらしい。