2019年11月10日日曜日

20191111日【知識】
歳をとると当然のことながら知識や経験も若い頃より増えてくるので、若い頃は見えなかったことやものが歳をとると見えてくる。見えてくると考えるので、意見や感想も歳とともに増えてしまう。ただ、知識は厄介で、当然、間違った知識も吸収しているし、昔は正しいと思われていた知識も学問の進展と共に変化してくる。それで、生涯学習が重要なのだけど、言うは易しで、生涯学習はかなりの努力と自分を律しないとできない、続かない。プロの世界でも生涯学習・生涯前進は非常に困難。ただ、辞めてしまうと、過去の膨大な知識や経験といった遺産にのみ込まれてしまって、それらの感情との融合が始まる。そうすると、非常に厄介でいろんな複雑な現象が起こり始めて収拾が付かなくなる。要するに、歳をとるということはなかなか大変なのだけど、個人的にはこれらの現象をしっかりと学術的に捉えて、客観的な手法で研究するのもチャレンジングではあると思っている。

2019年10月3日木曜日

2019103日【ペットボトル】
もう10月になりました。そして、年齢のせいかいろんなことをシニカルにとらえる傾向が強くなっています。物事を斜めから見てしまうというか、、、。良くないですね。


とはいえ、やはり50年後に今の時代を振り返ると、おそらく「失われたスパン」として日本史に残ることは確実だと思っています。

「今をとりあえず楽しく生きる、将来への布石を考えず」というのが今の時代みたいです、、、。

その辺の川に浮いている「ペットボトル」。

川の流れ、雨や風や気温といったお天気の状態、川に生息しているいろんな生きる力を持った動植物や微生物。

ペットボトルの運命や行く末は、こういった周り次第。どこかの河岸、あるいは海に流されてどこかの海岸に打ち寄せられて、そこで鄙びて踏んづけられて潰されて変形したり破れて誰にも拾われないでそのまま放置されているペットボトル。

50年後には、おそらくこういったペットボトルのような人たちが山積みになっている国になっているでしょう。

2019年9月17日火曜日

2019917日【人生推移】
8月は色々と目まぐるしい日々が続いた。暑さのせいもあって、早朝のトレーニングもいまいちの日が続いた。それでも研究は続くし、事業の方も続くし、人生も続く。そういうわけで:

誕生〜20歳台:自分の人生vs.他人の人生
30歳台〜40歳台:自分の人生と他人の人生の調和
50歳台〜:個や群や人間を超越した人生

ということですかね。

2019年8月23日金曜日

2019823日【悔いは残るもの】
なんでもそうだけど、悔いは残るもの。

いくら一生懸命書いた文章でも(論文とかも)、1年くらい経って読み直して見ると「こりゃ、ひどい文章だ」って思ってしまう。これが嫌なので、僕の場合、基本、自分の書いたもの(論文、研究費の申請書、などなど)は後で読むことは一生しない。

研究だって、あの時ああしておけばもっと良かったなんてことばかり。トレーニングも、時々サボったりすると、そういう日に限って、次の日から忙しくなったり、諸事情でトレーニングしたくてもできない日が続いて、昨日トレーニングしておけば良かった、と後で後悔する。

人生悔いは残るもの。なので、「悔いの質を高める」ことが重要なのかなとは思う。

2019年8月20日火曜日

2019820日【人生】
以前、FBに書いたのを少しリバイズしてこちらにも:

幼年期:生きる
少年・少女期〜若年期:目指す
壮年期:広げる
中年期:貢献
老年期:待つ

さて。

2019年7月13日土曜日

2019713日【残りの人生をそろそろ】
アメリカに約25年間住んだ後、日本に住み始めて10年経った。正確には20094月〜8月はトランジションでまだNYCと日本をまだ行ったりきたりしていたので、日本に落ち着いたのは20098月で、もう一ヶ月くらいで丁度10年間日本に住んだことになる。

正直言うと、日本に住み始める前に持っていた日本での夢や野望は客観的にみるとほとんどが停滞状態。主観的(つまりひいき目に見て)に考えると、少しは(数歩)前進したくらいかなと言う程度。

日本に住んでよくわかったのは、「建前」文化。子供の頃から知ってはいたつもりだけど、今はそれが実感として身に染みるほど分かる。よくよく考えると、僕はこの「建前」と言うのが大嫌いで22歳で日本を飛び出して海外へ(逃亡?)行ったのだから、そりゃそうだよね、ということ。

でも、もう56歳なので(あと数ヶ月で57歳)、余生をどう過ごしたいか、つまりハッピーに幸せに余生を送りたいか、あるいは死ぬまでWarriorとして戦い続けて戦場で死ぬのか、ということ。

2019年6月2日日曜日

201962日【夢】
10代の頃は夢みてればよかったけど、20代前半くらいになると、かなり具体的にその夢を実現するにはどうしたら良いかを行動に移し、20代後半からは、ひたすらその夢を膨らますために前に前にっていう感じであっという間に今に至っている。短かったようでもあるし、長かったようでもある。と言っても、振り返ると相変わらず進歩ないな、としか思えない。

まだまだ、学ばないといけないことが沢山山積み。

僕の一番の問題は、全部自分自身が学びたい、自分自身を高めたい、という欲求が強すぎることかもしれない。

今、空港のラウンジでこれから米国。

2019年4月25日木曜日

2019425日【長く深い付き合い】
長く生きていれば、信用・信頼できる方々に出会える。一方、この人は信用できない、信頼できないな、という人たちにも出会う。

前者の人々とはいき長く付き合いたいと思うし、そのための努力もする。

後者の場合、いろいろなケースがある。よくあるのは、最初は対応もいいしフットワークも軽やかで、色々と相談にも乗れる。しかし、しばらく付き合ってみると、それが単なる機械的な反射行動であったり、本心ではなく相手への単なる忖度(この言葉が適切かどうかは不明)であったり相手に自分をよく見せるためだったりする。こういう人との付き合いはやはり長続きしないし、できるだけ関わらない方が良いし、早いとこ縁を切った方が良い、とこれまでの経験から思っている。

まぁ、広く浅く人脈を広げられる人たちは、これら両方のタイプの人たちとうまく付き合って人生軽やかに送れるのだろうけど、僕の場合は、狭く深く付き合うタイプなので、そんな器用なことは出来ないことは重々承知でこれまで50数年間の人生を送ってきたので、きっとこれからも変わらないとは思う。

それにしても、昨日は良い方と巡り会えた。長く深く付き合うことで、自分も磨けるだろうと思っている。相思相愛であって欲しい。

2019年3月19日火曜日

2019319日【病と奮闘中】
V-iCliniXでは「知・もの・人づくり」が趣旨で、研究だけではなく、「人づくり」も重要な要素として寄付を頂いている。そこで、日本の若手研究者あるいはもっと若い世代(小中高生・大学生)の現状を自分なりに調査して、V-iCliniXでの今後5年半の計画を策定中。

そこで、分かったこと(今頃気づいたのか!と叱られそうですが、、、)は、長続きしないのが今の若い世代の現状。線香花火みたいに、一瞬キラッと光るような研究成果をあげる人たちは結構いる。でも、そういう人たちが、その後いつの間にか消えていったり、あるいは「きらびやかだけと趣味の悪い」研究に変貌したり、ってことが多い。


これは継続的なファンディングの希少さが問題なのかと最初は思ったけど、それは表面的なことで、本質的な問題ではなさそうだということが、調査をして行くうちに分かってきた。

本質的には、社会全体としてのメンタルな問題かと思う。社会全体として「ズル賢い」メンタルが蔓延していることが問題なのだと思う。正直言って、今のファンディングが劇的に増えたとしてもおそらく現状は変わらないだろうと思う。

社会のメンタル的な問題は厄介で、ある意味、国民性や文化とも直結しているので、これを変えるのはなかなか難しい、というか変わらないかもしれない。

ズル賢さにはズル賢さで対抗するという現状。悪循環。ズル賢いことが当たり前の社会だと、ズル賢さは遺伝する(継承される)。

という訳で、現在、この病を打破する「知・もの・人づくり」計画の作成に奮闘中。

2019年3月18日月曜日

2019318日【勘違い】
大きな組織や大勢のチームの上に立つような身分になると、自分が「偉くなった」と勘違いする人が多い。これはなんなんだろうといつも思う。人間の本能なのか、なんなんだろうか。社会性を持った動物の本能だろうか。

これは「偉くなった」のではなくて、単純に、組織やチームの中であるひとつの役割を持たされただけなのだけど。リーダーシップとかいうと聞こえは良いけど、数多くある役割の単なるひとつ。

個人的にはリーダーシップって言葉、あんまり好きじゃない、、、。

2019年3月8日金曜日

201938日【バブルと多様性】
日本では1990年代に金融バブルが起こって弾けたのだけど、今の日本でも金融以外のいくつかでバブルに向かってまっしぐら、そしてそれが弾けた後の長〜い暗黒の世界が待ち受けてることは誰もが薄々感づいているけど、何も変わらない(きっと、みんなどうしていいか分からないのだろう)。

何事も多様性が必要で、多様性がないとバブって、それが弾けた後は長〜い暗黒の世界に突入。日本には、どんなに言い訳をしようが、多様性は無きに等しい。

世間一般的には「多様性」とか「個性」とか流行っているけど、日本の社会構造や文化がそうなっていないので無理。面積だって多様性が自然発生するには小さすぎる。

じゃあ、どうしたらいいの、ってことになるけど、世界っていう大きなネットワークの一部になるのが唯一の方法じゃないだろうか。結構難しいと思うけど。時間が解決するしかないかも。こういうのは、大きな出来事が起こって無理やり変わるか、あるいは長〜い年月をかけて自然発生的に変わるかしかない。

まぁ、そうでもなければ、日本はレジャーランド化して、「おとぎの国」に徹底して、その道で生き残りをかけるか、、、。

どうなるでしょうか?

2019年2月11日月曜日

2019211日【過去・現在・未来】
現在とは過去のこと。未来は現在。過去は気づかなかった現在。

2019年1月27日日曜日

2019127日【人間化と組織化】
大昔から日本が村社会であることは認識してたが、今「日本村」に住んで思うことは、一旦村に住み始めると知らず知らずのうちに自分も「村人」になってしまうということ。これが今の最大の危機感(似たようなことを以前もここに書きましたが)。

まぁ、村人になってしまえば、居心地も良いので、それで良い人は良いけど、僕には僕の人生観というか価値観があるので、、、。

ただ、僕の人生観というか価値観を貫き通すには、基本的にどこの組織にも属さないで一匹狼というかゲリラ戦を一生貫かねばならず、それはメンタルにもフィジカルにも非常にきついことはきつい。まぁ、これを一生続けられるように、日々の孤独なトレーニングを何十年も続けているのだけれど。

敢えてしんどい人生を何故選ぶ?と人はいうが、それが僕の不器用なところというか、脳の回路がそうなっているというか、そもそも僕は、組織の一員である前に、「ひとりの人間」でありたいと思っている。組織を作る人間でありたいとは思うけど、組織に参加する人間でありたいとは思わない。

とはいえ、「ひとりの人間」として組織を作るとその組織の構成員となり、責任や役割みたいなものが自然と発生してくる。それが組織なのでそうなる。

そして、責任や役割やそれらの実行が「組織化」してくると村社会になっていくのかなと思っている。そうなると、僕みたいな人間は、居心地が悪くなり「人間化」を求めて放浪の旅に出るのだろうと思う。

2019年1月17日木曜日

2019117日【サイエンスに関するくだらない話】
「最近はこじんまりと上手にまとまったサイエンスばっかりで大きなスケールのが激減している」というご意見をいたるところでよく耳にする。僕個人的には、この意見には特に賛成も反対もしていないというか、そもそもこの発言の根拠に問題があると思っている。

1.そもそも今の国内の研究費(大型研究費も含む)の審査、採択後のモニタリング(不必要に過度で過多な報告会や中間評価会)、事後評価のやり方がこじんまりと上手にまとまった研究にアドバンテージがあるようになっている。Fit-for-Survialの原理。

2.そもそも、そういう意見をおっしゃる方々の頭にあるスケールの大きいサイエンスは、よくよく聞いてみると、今時流行りの「見かけ上カッコいい」一般ウケしやすい壮大な(巷では「夢のある研究」ともよばれている)研究のことを念頭においていらっしゃる場合が多い。

3.あえてここでは抽象的な表現にしておくが、サイエンスという学問におけるスケールはそんなに簡単に議論したり理解できるものではないので、「大きなスケール」という言葉を使うこと自体危ない。

まぁ、僕個人的には、自分がFitSurviveできる時空間でやっていくだけの話なので、ある意味くだらない話ではある。

2019年1月3日木曜日

201913日【New Year’s Resolution
今年は、「身体に鞭を打つ」です。これくらいの年齢(50代半ば過ぎ)になると、無理やり自分に鞭を打たないと身体を動かさないな、と実感としてあります。昨年は忙しさにカマかけて自分に言い訳して早朝トレーニングがかなりおろそかになっていたことがこの年末年始に反省してみてとてもよくわかりました。

この「言い訳」が仕事やプライベートにも悪影響を及ぼす可能性が大なので、心を入れ替えます。