2010年12月31日金曜日

2010年12月30日

28日(火)から風邪をひいてしまった。熱も少しでた。インフルエンザではないと思ったけど、念のために大阪の家の近くの町医者にいって検査してもらった。インフルエンザではなくて、ホットした。しかし、「ただの風邪」なのに、7種類も薬を処方された。抗生物質2種類、抗炎症剤2種類、抗アレルギー剤2種類、胃薬1種類の計7種類。これって、「なんか分らんけど、これだけ処方しておけばどれかは効くだろう」という態度。信じられない。僕的には痛み止め(抗炎症剤)1つで十分。医者に行かなきゃよかったと後悔した(インフルエンザのテストも加えて3000円以上払わされたし)。日本人は薬が好きなのだろうか?

薬に関してもうひとこと。日本の健康ドリンクの異常な人気はおかしい。特に、一般に「オヤジドリンク」といわれている、オロナミンCRed Bull、アリナミンV、リポビタンD、ユンケル、ゼナといった、元気の出るドリンクの異常な数と人気。これらは、ただ単にカフェインが大量に入っていて、その他にタウリンが入っているだけで、とにかくカフェイン、タウリンでシャキッとさせるというだけのもの。徹夜で勉強したり、実験したりする時に、このようなものを飲んでいる学生さんたちがいるが、ただ単にカフェイン中毒になっているだけである。

サイエンスを志す者なら、その効用とかを科学的に理解してから使用したらどうだろう。

2010年12月25日土曜日

2010年12年24日

今日はクリスマスイブ。でも大学は通常通り。僕も26日までは気が抜けない。

20101225

今日はクリスマス。ひとつ思ったこと。
僕は新しいことをはじめるとき、先ずそれをやる事によって、「どのような良いことがもたらされるか」ということを考える。しかし、大学には、それをやる事によって、「どのような不都合、不具合が生じるか」ということを先ず考える人達がいる。後ろ向きの姿勢。可哀想な人達だと僕は思う。

20101226

今日、今年最後のプロジェクトが終わった。ベストは尽くした。あとは神のみぞ知るです。感じとしては、美味しい料理であることは認めて貰えたと思うけど、向こうは美味しいタイ料理が食べたかったのに、僕が出したのは美味しいインドネシア料理だったかもしれない。「まあ、インドネシアも美味しかったからいいか」といってもらえればいいのだけれど。

2010年12月24日金曜日

2010年12月23日

今日も朝のニュースで海外に留学する学生が激減しているといっていた。その統計をみたけど、僕がアメリカの大学院に行った1985年に比べるとまだ数倍多い。今、海外に留学といっても半分くらい(あるいはそれ以上)は語学留学と称して遊びにいってる学生だから、あまり意味のない統計かもしれない。

2010年12月22日水曜日

2010年12月21日

NAIST全体での今年の年末赤い羽根募金1万円弱しか集まらなかったらしい。信じられない。僕は、募金が始まってからずっと売店でのおつりをその度にほぼ全て募金箱にいれていたので、多分2000円近く募金したと思う。

この世の中どうなっちゃたんだろう。。。。

別の話しだが、小澤征爾が無事NYでの公演を終えたらしい。公演後のインタビューを見て、メチャ元気だなと思った。とてもバイタリティ-がある報道陣に対する応答、さすがだと思った。彼が、復帰一番を日本ではなく、アメリカでしかもNYでのJAPAN Week におこなった理由が僕にはとてもよくわかる。海外に長く住んだ人なら、きっとこの小澤さんの気持ちがとてもよくわかるはずだと思う。

2010年12月21日火曜日

2010年12月20日

今年最後のプロジェクトも大詰め。週末返上で仕事詰め。現在、精神的に全く余裕なし。今週いっぱいを乗りきれば、来週月曜から少しリラックスできる。それまで、200%で頑張るしかない。

2010年12月18日土曜日

2010年12月17日


昨日・今日と東京へ出張。相変わらず東京は人が多い。よくもこんなに多くの人々が同じところに住んでいられると思う。どこに行っても人、人、人。どの電車もどの時間帯も混んでいる。

出張中も、時間の許す限り今年最後の重要プロジェクトの仕事をしている。まだまだ改良の余地多いにあり。最後の最後まで粘ってベストのものを提供するつもり。

2010年12月17日金曜日

2010年12月16日

小澤征爾が復活した。復活第一弾をNew York のカーネギーホールで指揮したそうだ。僕のNew Yorkの家(7月に売ったので、もう僕の家ではないけど)から歩いて5分のところにあるカーネギーホール。もしNew York に今でも住んでいたらコンサートに絶対行っていたのに。とても残念。小澤さんの気持ちも全開だったろうにと思う。その気持ちをシェアしたかった。

大塚ホールディングが創業80年以上を経てついに東京株式市場に上場した。これは、食品、製薬分野にとってはビッグニュース。ジャイアント企業の市場への参入。僕は、大塚の企業体質、将来性をかなり有望視している。これからの動向がとても楽しみ。

2010年12月16日木曜日

2010年12月15日

大学院、特に博士後期課程(つまりドクター)に進む学生が激減している。その一つの理由にドクターまでいくに値する出口が見えないというのがあるらしい。つまり、ドクターをとった後の就職口がない(少ない)という現実があるらしい。どうも最近の学生さんたちは就職口は用意されているものだと思っているらしい。

ドクターを修得したということは、高度な専門知識・能力・技術を習得したというライセンスみたいなものであるから、出口は自分でつくるものだと僕は思う。基本的にドクターのレベルは用意されている出口を頂くのではなく、自分の持つハイレベルの専門知識・能力・技術を最大限利用して新しいジョブを自分でつくっていくくらいの意気込みで望むのがいいのではないかと僕は思う。少なくとも、僕はそのような意気込みでドクターをとった。

2010年12月14日火曜日

2010年12月13日

現在関わってる今年最後の最大のプロジェクトが中々のくせ者。まだ、どのように料理するのが一番美味しく出来上がるか思考錯誤している。美味しく食べて貰うにはもうひと工夫必要な気がする。スパイスをもうひと工夫する必要があるのだけど、入れ過ぎると不味くなるので、その辺の微妙な加減をパーフェクトにする必要がある。もうひとがんばり。

2010年12月12日日曜日

2010年12月11日

今日も当面のプロジェクトを片付けるべく午前中仕事をして、その後少し休憩し、夕方からまた仕事の続きをした。夜は夕食後、仕事関係のルーチンなことをやり、今から音楽を聞きながら少し仕事とは関係ない本を読んで寝る予定。

2010年12月11日土曜日

2010年12月10日

まだ少しコペンハーゲンへの出張からの疲れが残っているが、今はそれどころでは無いので、集中して仕事をこなしました。明日は土曜日。朝ジムで筋トレ、水泳をして、そのあとは一日中仕事の予定。明日と明後日の週末で今関わっているプロジェクトをある程度きりのいいところまでもって行きたい。

2010年12月10日金曜日

2010年12月9日

今年も残り一ヶ月をきった。今年の12月はとても忙しい月になりそう。研究関係でこれから年末にかけて真剣勝負。気合をいれて、全身全霊をこめて望みます。

2010年12月8日水曜日

2010年12月7日

デンマークのコペンハーゲンに仕事で一日滞在しました。今、帰りの飛行機を待つべくコペンハーゲン空港にいます。短い滞在でしたが、仕事という観点からすると有意義な一日を過ごしました。こちらは氷点下の気温で雪も10cmくらい積もってました。クリスマスが近いこともあり、飾り付けが町の至る所にあり、フェスティブな感じでよかったです。コペンハーゲンの建物はどれもシンプルですが、窓の大きいガラス張りの建物が多く、建物のなかはスペーシャスです。どの建物もシンプルですがとてもしっかりした造りのように見えました。コペンハーゲンの人口は70万人ということですから、アムステルダムの77万人とだいたい同じ規模ということになります。しかし、雰囲気はコペンハーゲンのほうが町全体が落ちついていてひっそりした感じがしました。今回は丸一日仕事だったので、次回はのんびりとバケーションで来てみようと思います。

2010年12月6日月曜日

2010年12月5日

研究費申請に関する話しに戻る。
 僕はアメリカにいた時、主にNIHNational Institute of Health) という国の機関から研究費を貰っていた。今は日本に来て科研費という研究費を国から頂いている。NIHの研究費申請書と科研費とでは申請書の長さ、形式など違うが、僕がアメリカで学んだ研究費の申請書の書き方に関する多くのレッスン、鉄則はとても役に経っている。

問題は僕は未だに研究のことを考えるときは頭の中が英語なので、研究費を書くときも英語で考えてしまう。したがって英語での文章はスイスイと出てくるが、科研費の申請書を書くときは日本語で書くので、英語で考えている微妙なニュワンスを日本語で伝えるのがとても難しい。

そもそも、英語的な考え方と日本語的な考え方はかなり違うので、英語で考えているサイエンスの微妙なニュワンスを日本語で伝えようとすること自体が難しいというか、不可能なのかもしれない。

そこで、最近は日本語で最初から考えて日本語で申請書を書くようにしているが、日本語で書いた文章は僕がイメージしていることがはっきりと明確に伝わっていないように感じる。ここのところを克服することが僕の今一番の課題だ。

ここに僕がアメリカで学んだ研究費申請に関してのもうひとつのレッスンを挙げておく。

·       書いた原稿を出来るだけ多くの違う分野の人たちに読んで貰って、締め切りの最後の最後まで諦めないで何回も納得いくまで書き直す。また、原稿は男と女の人たち両方に必ず読んで貰い意見を乞う。審査員には男も女もいる。だから当然原稿も両方の性別の研究者に各々読んで貰う。

今日はこれからコペンハーゲンに向かって出発。寒いだろうな。ヨーロッパは大寒波に見舞われているらしい。

2010年12月5日日曜日

2010年12月4日

また少し寄り道。

日本に来て未だに信じられないというか、飽きれるというか、よくわからないことが一つある。それは、会議中に寝る(あるいは寝ていないが目を瞑っている)人がいるということ。教授会、各種委員会、会社での会議、国会、あらゆるところでそうだ。

アメリカ、ヨーロッパでこれをやるとかなり失礼。会議では基本的に全員参加が基本。寝るなどもってのほか。会議で寝るくらいだったら、出席するべきでないと僕は思う。

僕のラボでは Lab Meeting(研究データーのプレゼン)を一ヶ月に一回やる。授業と違ってこれは強制ではないので、出席したい連中で集まってお互いの研究進展を聞いて、お互い意見を言い合って自分の研究に役立てる。という訳だから出席したくなければ出なくていい。だから、ラボのメンバーは出るならDiscussionに積極的に参加する。しないなら出席しないでその他のことを自分でやればいい。だからLab Meeting で寝るなどもってのほか。

僕は教授会、委員会に出るときは積極的に参加するために出るので、そうでなければ出席しない。だから、教授会も出席しないといけないから出席している訳ではない。出席して、僕の意見を積極的に発言する為に出席している。もし、そうでないなら、いくら強制されても僕は出席しない。

明日からデンマークのコペンハーゲンに出張。二泊なのでトンボ帰りの出張。向こうは0℃以下で雪が降っているらしい。寒さ対策をして行かないといけない。

2010年12月4日土曜日

2010年12月3日

ちょっと休憩。

今この世の中たくさんの問題がある。何が問題なのか僕なりに色々と考えてみた。僕は今の世の中「本気」が無くなったことが一番の問題じゃないかなと思う。

「本気で勉強する」「本気で愛する」「本気で喧嘩する」「本気で政治をする」「本気で議論する」など「ダサイから」「面倒くさい」という風潮がはびこっているように思う。「本気」とはどういうことかすらわからない人達が沢山。これが社会(特に日本)の問題なのではないかと思う。

「本気」で身体と身体のぶつかり合い、心と心のぶつかり合い、物事にのめりこむ、そのようなことを子供の頃からやらないと人間は駄目になっていくのではないかと思う。

こういうことを日本で言うと「体育系」とか「熱血」とかいってはやしたてられるのが常。こんなことを言われるのは世界中で日本だけです。その他の国に「体育系」とかいう用語はないです。。。。

2010年12月3日金曜日

2010年12月2日

ラボのバネージメントはもちろんのこと、研究費獲得でも僕はアメリカで最初の頃かなり苦労した。アメリカでの研究費申請、獲得(プラス多くの却下)から学んだ鉄則みたいなものをここに記しておく。

·         研究費申請書は却下されても挫けずしつこく何回でもだす。却下されればされるほど、それから多くのことを学び次回に生かす。これを多く繰り返すことによって、必ず申請書の書き方は上達する。

·         一つの研究費申請書につき伝えたいメッセージを一つにする。あれもこれも大事でやらなければいけないというようなことを書くと、焦点がぼけて読んでるほうは、申請者がいったい何をやりたいのか全く解らなくなる。これは、研究費申請に限らず、論文、講演、全てに通じる。論文一つにメッセージは一つ。講演一つにメッセージは一つに絞るべき。色々沢山のことをいいたいのはわかるが、多くを語ると焦点がボケるだけ。

·         研究費申請書は「見せる」もので読ませるものではない。申請書を読む側は読まない。申請書を見て評価する。

(続く)

2010年12月2日木曜日

2010年12月1日

ラボのマネージメントの続き。

絶対必要なのが有能な秘書(Administrative Assistant)。ラボのPI(この場合は僕)は基本的に研究プロジェクトの計画・遂行、ラボ運営のためのお金(すなわち研究費)をとってくること、このふたつに専念できるようにする。日々のラボの運営はラボマネージャー、それ以外は全て(スケジューリング、ラボの予算の管理、研究費申請書またその他の書類の作成、会議の設定・フォローアップ、研究以外のPIの仕事を実質的に行う、など)秘書さんに責任をもって遂行してもらう。アメリカのラボで、ある程度以上の大きさ(ラボ構成員10人以上)になると優秀なラボマネージャーと秘書がいるかどうかがラボの生命線になる。

日本ではこの辺が違う。多くのラボでは教授が助教をラボマネージャーや雑用係のように使っているし、秘書さんはいても簡単な書類を作ったり、コピーをしたりといったコマ使い的な仕事だけをして、責任のある仕事をさせてもらっていない。他のラボのことは他人事なので僕がとやかく言うことはないし、僕には関係のないことだ。

NAISTでも僕はアメリカにいた時と同じやり方でラボを運営している。優秀なラボマネージャーと秘書さんにキャリアジョブとして責任を持ってやりがいのある仕事をして貰い、僕は研究プロジェクトの計画・遂行、研究費をとってくること、このふたつに専念すると割り切って仕事をしている。唯一アメリカと違うのは、自分のラボの学生さんたちの教育にアメリカにいた時よりはかなり多くの時間と労力をかけている。これは僕が将来トップレベルの日本人サイエンティストを僕の日本のラボから多く輩出したいという願望(夢)があるからだ。また、アメリカのラボではポスドク研究者がほとんどで各ラボの大学院生の数は数人なので自然と大学院生の教育に費やす時間と労力は少なくなる。

(明日に続く)

2010年12月1日水曜日

2010年11月30日

僕はポスドクを終えたあと、1991年1月から独立しPIとしてラボの運営をおこなっている。当時28才になったばっかりだ。最初は僕とテクニシャン2人でラボを始めた。以来20年ほどラボを運営している。その間で一番苦労したのが、ラボのマネージメントと研究費獲得だ。研究能力はあって当然なのでそんなに苦労はしなかった。しかし、ラボをどのように効率良く運営するかに関してはとても苦労した。今でも苦労している。

アメリカでは多くの場合ラボ全体が円滑に回るよう日々の運営をラボマネージャーに任せる。それでも大変だ。特にヒトのマネージメントが大変。ラボ構成員の人数が増えてくると、色々なヒトが研究室に入ってくるわけで、ヒトとヒトとの関係が円滑に回るようにラボを運営するのは大変な工夫と努力が必要になる。

その過程で僕が学んだことのひとつは、“ヒトをコントロールしようとしてはいけない”ということだ。これは当然のことなのだが、実際はとても難しい。学生、研究員、スタッフのことを真剣に思えば思うほど相手のことをついついコントロールしたくなる。夫婦、恋人、親子関係でも全く同じことがおこる。相手のことを思いつつ、相手をコントロールするのではなく、“かげで見守る”ことをしないといけない。この微妙なバランスがとても難しい。これがうまくいかないとお互いの関係もうまくいかなくなる。夫婦、恋人、親子関係でも同様のことがおこる。

(明日に続く。。。。)

2010年11月30日火曜日

2010年11月29日

日本の(NAISTだけかな?)大学はいまだに鎖国状態。

我々の大学院大学では、教員が学会などで海外出張をする時(した時)、“だれだれ先生が何時どこの国に何の目的で渡航した(する)”というリストが教授会で報告される。国内出張の場合はこのような報告はされない。海外出張の時だけである。

昭和ならともかく、平成でもまだ海外へ行くことをこのように特別扱いしている。いかにも海外へ仕事に行くのが名誉である(あるいは特別なこと)かのような“儀式”だ。たかだか、海外の学会に参加することがそんなに特別なことなのだろうか?時代錯誤もほどほどにしたほうがよいと思う。グローバル化がどうのこうのと言う前に、このような日常的なことから変えていくべきだと僕は思う。このように小さい身近なことから変えていくことが、口先だけではない真のグローバル化につながると僕は考える。

2010年11月29日月曜日

2010年11月28日

高野山にいって来ました。とても楽しめました。 思っていたより、観光地化していたところには少し残念でしたが。。。。。しかし、また行きたいと思いました。次回はひとりでいって、修行するのもよいかと思いました。

2010年11月26日金曜日

2010年11月25日

この週末に大学の時の同級生たち(男4人、女2人)と一泊二日で高野山に行って来ます。僕にとっては高野山ははじめてなので楽しみです。精進料理を食べて、朝起きれたら、ちゃんと朝のおつとめもしてこようと思います。

この大学の時の友達たちとは、ほぼ毎年会って遊んでます。アメリカにいた二十数年間も僕は日本に来て、これらの友達と会って遊んでました。日本に帰って来てもっと頻繁に会えるかなと思いましたが、中々お互い日程が会わず頻繁には会えません。しかし、最低でも毎年数回は会って遊びたいと思ってます。

2010年11月24日水曜日

2010年11月23日

大阪も紅葉がピークになってきた。大阪城公園も紅葉がとてもきれいだ。大阪は緑が少ないので、大阪城公園の木々はとても貴重。大阪市民としてここを毎朝走ることができるのはとても幸せだ。

2010年11月23日火曜日

2010年11月22日

今僕が注目してる日本のポップ・ロックミュージシャンはムックです。 「フォーリングダウン」いい曲ですね。最高です。CD買おうかな。

2010年11月22日月曜日

2010年11月21日

また、安藤忠雄の自伝から一節。

―――前略―――、私は「たとへ時代に見捨てられた技術であっても、その限界を突き詰めることで、新しい可能性を切り拓いてやろう」とした創造者としての挑戦精神こそが、あの類まれな建築造形の本質のように思えてならない。

僕はサイエンスでもこのような精神は大切だと思うし、僕もこのような姿勢でサイエンスに望みたいと思う。

2010年11月19日金曜日

2010年11月18日

先日書いた安藤忠雄の本の一節に以下の記載がある。

  だが合点がいかなかったのは、行政の言い分である。
「いまだかつて、建築のために護岸を切り崩した前例はない。前例がないということは、やってはいけないということだ」----中略—---ルールは守らなねばならないが、彼らの主張は都市をつくるための論理というより、単に責任を回避したいがための詭弁のように聞こえた。
  問題となることを恐れて、闇雲に規制するばかりの減点法のシステムでは、なにも変わらない。これは徹底して反論し、許可が下りるまでは引き下がらないという断固とした姿勢で臨んだ。

これを読んだ時、僕はもうひとりの同志を得た気がして、とても嬉しくなった。

2010年11月18日木曜日

2010年11月17日

ある日本人のノーベル賞受賞の方が「学ぶ」ということは「真似る」ということだと言われたそうだ。僕自身はそのStatementにかなり抵抗を感じる。もちろん英語や外国語を「学ぶ」ということは「真似る」ことだ。しかし、外国語は「学ぶ」というよりは「習得する」ことで、「学問」ではなく「習いごと」だ。

「学問」は「真似る」ことではなく「学ぶ」ことである。しかし、日本人は太古の昔から現代まで「学問=習い事」という方式を叩きこまれてきたし、多くの学校では「習い事」を「学問」と偽って教えている。このような環境下では、受験勉強(=習いごとの出来栄えを競うコンテスト)が主流になり、同じような考え方をする人間ばかりになり、画一的な考えに基づいた社会が出来上がり、"out-of-box" 的な考え方のできる人材が育たない(しかもそのような人間は排除される)のではないだろうか?

僕の学問に対する姿勢は子供の時から常に(今でも)"師を否定する" ところから始まる。僕は、勉強するとき、研究するときには、先ず教科書、論文に書いてあること、師のいうこと、教師のいうこと、全てを否定することから始める。

僕の姿勢は間違っているかも知れないが、一応それなりに研究者として25年以上生計をたててきた身なのでまったく間違った姿勢ともいえないような気がする。 

皆さんどう思われますか?

2010年11月17日水曜日

2010年11月16日

何時も僕はひと言多い。何事も言い過ぎる傾向がある。言い過ぎたあとで後悔する。この欠点のせいで今まで何回も墓穴を掘ってしまったことがある。どうしょうもない欠点。なんとか、最後のひと言をグットのみこんで抑える術を身につけないといけない。

2010年11月15日月曜日

2010年11月14日

日本と中国の“兄弟ゲンカ”に、日本という“子供”がアメリカ合衆国という“お父さん”に泣きついて調停にはいってもらった。「中国ももう少し大人になれよ」という“お父さん”のことばに日本という“子供”が「お父さん、ありがとう」と言った。ただそれだけ。

2010年11月12日金曜日

2010年11月10日

NAISTの食堂には大きなスクリーンのテレビがあり、一日中NHKがオンエアーになっている。
僕は去年アメリカから日本に来た時「大学のカフェテリアにテレビ?」とビックリし、愕然とした。その辺の大衆食堂や居酒屋ならテレビはまったく違和感無いが、「研究中心の大学院大学のカフェテリアにテレビは無いでしょ」と思った。

もうひとつビックリしたのは、大学の売店で学生やスタッフが品のない漫画や雑誌を読んでいる。しかも、大勢たむろして読んでいる。これは、アメリカから来た僕にとっては異様な光景に映った。

おそらく、僕がアメリカから来たから違和感があるだけなのかも知れないが、大学院大学のカフェテリアのテレビや売店で漫画や雑誌をたむろして読む学生やスタッフの姿は、NAISTの品位を落としているように思える。

少なくとも、教員、学生、スタッフの皆が食事をしながら知的(研究、社会、芸術、政治、ビジネス、など)話題の話しに講じる風景があちこちにみえる環境が出来てくれればと僕は願う。

2010年11月11日

小学校4年間(今の小学1年~4年に相当)
中学校4年間(今の小学5年、6年、中学1年、2年に相当)
高校 4年間(今の中学3年、高校1年~3年に相当)
大学3年間(今の大学1年~3年に相当)
大学院2年間(修士コース)(今の大学4年、大学院1年に相当)
または
大学院5年間(修士・博士コース)(今の大学4年、大学院14年に相当)

以上が僕の提案する日本での新しい学校制度。
このシステムでは大学3年間で卒業研究はなし(もちろん、してもいい)。

こうすればもっと学部から大学院に進学するときに他大学に移りやすくなると思う。世界中でこんなに多くの学部生が同じ大学の大学院に進学する国は、日本ぐらい。北米、ヨーロッパ等、ほとんどの国で学部生が大学院に進学するときは違う大学に移る。

日本で多くの学生が大学院進学の時大学を移動しないのは、今の大学4年生の時の卒業研究が弊害になっていると思う。

如何でしょう?

2010年11月10日水曜日

2010年11月9日

ある方からNY Style ベーグルを沢山頂きました。最高に美味しいです。土曜日に頂いて、それ以来、毎朝トーストして食べてます。僕の一番好きなのは、Multi-grain(全粒)またはWhole Wheatベーグルをトーストして、それにNon-fat(無脂肪)のクリームチーズをぬって、その上にSmoked Salmonをのせる食べ方です(英語でLoxというものです)。

しばらくベーグル三昧させて頂きます。ありがとうございました。

2010年11月9日火曜日

2010年11月8日

安藤忠雄の自伝「建築家 安藤忠雄 (新潮社)」を買って読んだ。
そのなかにこう書いてある。

「われわれは、一人の指揮官と、その命に従う兵隊からなる「軍隊」ではない。共通の理想をかかげ、信念と責務を持った個人が、我が身を賭して生きる「ゲリラ」の集まりである。………ボスとスタッフ、一対一のシンプルな関係」

これは僕のラボ運営ポリシーと一致する。僕“たち”のラボは「ゲリラ」集団だ。

「共通の理想をかかげ、信念と責務を持った個人」がこの世の中には少ないと言われている。しかし、僕は思う。僕自身が理想をかかげ、信念と責務をもって行動すれば、同志が集まってくれると。

2010年11月8日月曜日

2010年11月7日

最近、日本の外交力の弱さが頻繁に叫ばれている。この原因は沢山あるが、いくつかここに挙げてみる。

·    ・ 日本の持ち札の弱さ。
Poker に例えるなら、今の日本の持ち札はあまりにも弱いし、切り札のないことが他国に見え見え。これではゲームに勝てない。最近では、日本は世界のPokerゲームの仲間にさえ入れてもらえない。「日本=Invisible country」になりつつある。

·    ・ 交渉力の無さ。
日本は基本的に交渉という行為によって物事が進む社会ではない。したがって、交渉能力が必要でない社会で育った日本人には当然のことながら交渉力は無い。極端にいうと、「交渉=悪」といった雰囲気が日本にはある。

·    ・ 国際感覚の無さ。
今でも日本はほぼ単一民族国家。鎖国が終わって200年近く経つが、色々な面で現在でも鎖国状態。そんな国に国際感覚を持つ人間は少ない。多くの日本人は頑固で、「鎖国=美」「国際化=悪」といった感覚を今だに持っている。

·    ・ 語学力の弱さ。
スイスのある研究機関の調査によると、企業の外国語力ランキングで日本は世界57カ国中55位らしい。

僕はこんな日本をなんとかしないと、と真剣に考えている。

2010年11月5日金曜日

2010年11月4日

大切なのは“大胆さ”。
大胆さなしには、改革出来ない。新しいこと出来ない。何も進まない。
なにかをするとき、ビジョンをもって、先ず大きな方向性をしっかり決める。その上で一番手っ取り早く、一番近道な戦略で目的に向かって突き進む。ビジョンと大きな方向性を絶対見失ってはならない。だから“大胆さ”には“汚さ”“粗さ”が常に付きまとう。

これが出来ない人たちがいる。分ってても出来ない。教えても出来ない。どうも“汚さ”“粗さ”が気になって仕方ないらしい。だから、本来のゴールを見失って、“汚さ”“粗さ”を排除し、“綺麗に抜け目なくすること”が目標になってしまう。これでは、何も変わらないし、何も進まない。

人生この“大胆さ”が鍵となる時が多々ある。会社でも大学でもある。そんな時、“大胆さ”をもって、うまいタイミングで行動にでないと何も出来ない。

“大胆さ”。大きな人間には絶対必要な素養だと思う。

2010年11月2日火曜日

2010年11月1日

色々なことを変えようとすると、よくある反対意見に「このやりかたで今までうまくいっているのに、なんで変えようとするのか?」という意見が常に出る。僕的にすると、まだうまくいっているうちに次の新たな戦略を練り、それに向けて少しづつ動いて行かないと手遅れになると考えている。うまく行かなくなってからでは遅いのだ。組織の経営者なら、これくらいのこと当たり前だ。ビジネススクールで教えられる、基礎中の基礎。だから、面倒くさくても、まだうまくいっているうちに、次の次ぐらいを見越して戦略を練って、行動に移らないといけないと思う。組織の運営、研究プロジェクト、なんでもそうだ。

大学の先生だって、仕事なので、研究室の運営、プロジェクトの運営、といった経営・運営能力を磨かないと駄目だと思う。趣味で研究をやってちゃ国民の税金から研究費をもらってはいけないと思う。研究はもともとは趣味から始まってもいいけど、お金を貰うようになったら、それは趣味から「好きでやる仕事」に進化しないといけないと思う。そのためには、経営・運営能力を身につけてないといけないと思う。

2010年11月1日月曜日

2010年10月31日

最近だんだん、コンスタントに運動をするのが億劫になってきた。気温も涼しくなって、外で運動するにはパーフェクトな気候になったけど、運動に関してのモーチベーションがまったくない。運動しないと、体型が崩れるというだけのモーチベーションではどうも長続きしないように思う。

なんとか、コツコツと毎日運動し続けられる方法を考えないと、精神衛生上もよくないと思う。なにかいい方法はないだろうか。。。。まあ、いい方法がないから、この世の中ダイエット商法が流行っているのだと思うけど。でも、僕は何事も普通の人でありたくないので、なんとかしないといけない。

2010年10月31日日曜日

2010年10月30日

NAIST学長通信にもあるように、NAISTでは三つの研究科を一つにするという案も出ている。そこで、三つの研究科を一つにするという事に関して、自分なりに少し考えてみまた。僕は、一つにするより、「先端科学研究科」と「先端技術研究科」の二つにした方がよいと思う。

「先端科学研究科」は物事がいかにはたらいているか、またどうしてそのようにはたらいているか、を明らかにし、新しい現象を発見するサイエンスを中心に研究・教育をする研究科。

「先端技術研究科」はメソッドや技術づくり、新しいものづくりをするテクノロジーを中心に研究・教育をおこなう研究科。

もちろん、新しいメソッドやテクノロジーはメカニズムを明らかにしたり、新しい現象を発見するのに必要なツールで、上記の二つはお互い一緒にサイエンスをする必要があります。しかし、ラボの運営方法、研究の進め方、研究者また学生の体質、研究室の物理的つくり、ターゲットとなる研究者また学生のパーソナリティ-など、この二つはかなり違うなという印象を僕はもっています。

これらの理由から、僕はこの二つを研究科としては分けたほうが運営がスムーズにいくのではと考える次第です。

でも、これきっと無理でしょう。なぜかというと、日本人研究者の多くはテクノロジーを明らかにやっているのに、俺は(私は)科学をやっていると言い張るからです。日本では科学とテクノロジーの違いがわからない研究者が多いと思います。それは、これまで多くの人たちが学校で科学と称してテクノロジーばかり教わってきたからです。もともと、自国の哲学が発達しなかった国民に科学とテクノロジー(技術)の違いをわかれということ自体無理なのかも知れません。

2010年10月30日土曜日

2010年10月29日

僕の世代は生まれてから大人になるまで夢を語りながら育って来た(来れた)世代。多くの夢を僕より上の世代から受け継いだ。その夢に向かって自分で道を切り開いて来た(来れた)世代。将来は頑張れば何でも出来る、と思いながら育った世代。

現在大学生、大学院生の世代の若い人達と話しをしていると、生まれてこのかたずっとこの世の中暗いことばかりで、夢を語って、将来は何でも出来るなんて思いながら育っては来てない(来れなかった)という若い人達が多いこと見えてきた。これはとても残念。でも、この多くの責任は今この世の中を動かしている僕たち、あるいは僕より上の世代の責任だと思う。自分の夢を追うばかりで、次の世代に夢を語り継いでいったり、新しい夢を与えることを怠ったつけがたまってきたのだと思う。

今からでは遅いのかも知れないけど、僕は次の世代に夢を語り継いで、新しい夢を与えていきたいと思う。世界はすぐ手が届くほど小さくなって来ている。日本の中だけで夢をもち、その夢を追うには、僕は今の日本では限界があるし、すでに限界に来ているを思う。もっと、世界全体を見て、自分の夢をつくって、その夢の実現に向かって自分の力で自分の道を切り開いていってほしい。そうすれば、影でその手助けをしてくれる人達は必ずいます。僕はしますよ。

2010年10月29日金曜日

2010年10月28日

また仕分けが始まった。僕は、結構興味があるのでTVで毎日観ている。観てて二つ思うことがある。
一つ。
自分の奥さんがレンホウみたいな人じゃなくて良かったです。でも、この世の中の多くの主婦の方々はレンホウみたいな人が多いと思う。だから、レンホウの主 婦の間での人気はかなり高い。僕がレンホウ嫌いな理由は、とにかく物事の次元が全て低い 。一見物事を的確に捕らえて、ビシバシと筋道たてて話している様に見えるけど、彼女の頭のなかはかなり低次元。そして、それ自体に彼女自身が気づいて無い し、気づこうという努力も皆無。僕はああいう人とは付きあいたく無い。でも、世の中の主婦の多くはレンホウのような人なので、政治をやるには、ああいう人 間をうまい事だまして丸め込むスキルが必要になのだと思う。
二つめ。
各事業団体の代表、各省庁の代表の人たちのプレゼンが酷い。あれでは、仕分け人の人達や国民を納得させられない。ぼそぼそ、モゴモゴ、要旨が不明なことを 気が向くままに言わないで、ちゃんと筋道をたてて、戦略を明確に、スッキリと、でも力強く、プレゼンしないと駄目。あの世代の人達は若い頃からそのような 訓練なしに歳をとってしまったので、いまさら如何しようも無いのかも知れない。

2010年10月28日木曜日

2010年10月27日

僕は毎日、体重、体脂肪、体筋肉量、体水分量を量っている。最近、体重はほとんど変わらない。でも、体水分量が少し減ってきた。数ヶ月前は 60%くらいを常にキープしていた。たまに、59.5%くらいに落ちることもあった。でも、59%以下になった事はなかった。でも、最近60%に届かなく なって、たまに59%をきって58.8%とかになることもなる様になった。歳をとると、からだの水分が減るといわれているが、僕も歳をとってきたせいだろ うか。。。。きちんと、水分をとって、フルーツを沢山食べないと。。。。

2010年10月27日水曜日

2010年10月26日

ようやく、研究費申請書が完成しました。直せば直すほど良くなりますが、いつかやめないときりがないので、最後の最後まで粘って、締め切りまで やりました。ベストを尽くしたので、あとは祈って待つだけです。多くの学生さんたち、スタッフの方々、多くの友人に読んでもらって、何回も直して出来上が りました。ホントに皆さんありがとう。友人のひとりには締め切り直前まで、読んでもらって意見を貰いました。感謝です。 9月最初からはじめて約二ヶ月かけて完成させました。とおることを祈ります。

2010年10月20日水曜日

2010年10月19日

研究費申請も大詰め。昨日全部読んでて、わかり難いところが、結構まだあるので、もっとクリアーにする為に、今日は一日かけて、全体をシャッフルして、穴のないようにする予定。もう少し、いくつかの図をわかり易いものに変えたほうがいいかも。


2010年10月20日

昨日、研究費の申請書を色々いじくったけど、まだいまいち、どっしりしたインパクトに欠ける。今日は、朝走りながら、これを調整する案が浮かんだので、その辺を盛り込む為に、申請書の後半の部分をかなり、大幅に変更する予定。


2010年10月22日

研究費の申請書。まだ、納得いきません。もう少し、もがきます。


2010年10月25日

研究費申請書まだあがいてます。この週末、さらに大幅に変更しました。大幅にかえる度に良くはなってるような気がする。もうひと踏ん張りです。

2010年10月19日火曜日

2010年10月18日

科研費申請の時期。アメリカにいたときは、NIHのRO1などの研究費申請に関しては、最初のプラーニング時期、準備時期などをいれるとだいたい3ヶ月ぐらいかけて申請書を作成していた。僕は、これをアメリカでラボを運営していた間、約20年間やってきた。 僕は、去年日本に来て、日本ではじめて研究費の申請書を書き始めた。日本の研究費申請書はアメリカのNIHなどのそれに比べると、全然短いのだ けど、僕は最低2ヶ月かけて申請書を作成する。やはり、国民の税金から研究費がくるわけだから、身も心も削って立派な研究費申請書をきちんとつくらない と、そう簡単にお金はこない。数週間チョコチョコと書いた研究費申請書には中々お金はこないと、僕は思う。
僕の場合は、プラーニング時期、準備時期のあと、原稿を書いて、それを何人もの人(最低5人以上)に見て貰い、そのひとたちのコメントや意見に したがって、何回も書き直して、最終版を仕上げる。ヒアリングなどは、ホントに身も心も削って、3~4週間かけてみっちり準備する。それでも、ほとんどの 場合、研究費がもらえないわけだけど、このようなことをその都度やっていると、それらが積み重なって、申請書の書き方、ヒアリングでのプレゼン、質疑応答 の仕方が上達する。これは、研究費が取れる、取れないに関わらず、研究者としての修行として、とても役に立つし、それらが、研究費申請以外の色々なところ で役立ってくる。
なので、僕は今、全身全霊をこめて、申請書を書いている真っ最中。

2010年10月15日金曜日

2010年10月14日

チリのレスキューうまくいってます。70日間も地下の狭い空間に閉じ込められるという経験はかなりLife altering experience だと思います。閉じ込められていた方々、地上で待ち続けた人達、レスキューに直接関わった方々、この事件を傍観してきた人達、この70日間色んな思いを抱 えてこられたと思います。でも、ホントニ皆助かるみたいてよかったです。 僕はこの一連の事件を見聞きしながら、昔見た、僕のとても大好きな映画のひとつである、「The Game」を思い出しました。マイケル・ダグラス主演の映画です。
人間一生に一度Life altering experienceを経験した人と、そうでないヒトでは、人生の深みが全然違うと思います。

2010年10月14日木曜日

2010年10月13日

僕は去年日本に24年ぶりにかえって来て、NAISTで多くの大学院生さんたちに接した。それまでは、アメリカの大学院生さんしか知らなくて、 日本の大学院生さんたちは、なんと素直で物分かりのいい「子供」なんだろうと思った。その為に、日本の大学院生さんたちに接する時に、ついつい、「教師- 生徒」として接していた。つまり、大学院生さんたちを「子供」として扱っていた。 数ヶ月くらい前に、あるきっかけで、これはおかしい、間違っていると思うようになった。僕がアメリカにいるときは、大学院生さんたちは立派な 「大人」で研究者の卵である、という認識で、ほとんど「対等な立場」で「研究のディスカッション」をしていた。大学院生さんたちは、大学を卒業した立派な 大人であるはず、大学でキチンと基礎学力を身につけて大学院に入って来ているはず、という認識である。
数ヶ月くらい前から、僕はこれらの前提でNAISTの大学院生さんたちと、「大人と大人」の付き合い、「研究者と研究者」の付き合い、をする様にした。
人によっては、最近の大学院生さんたちは子供だし、大学でちゃんと基礎学力を養って来ていない。だから、大学院では、先ず手取り足取りケアーしてあげて、基礎学力を先ず丁寧に教えてあげないといけない、という先生方も少なくない。 というか、多くの先生方はそう言う。
僕は、逆にこのような扱いをするから、大学院生さんたちはいつまでたっても子供から大人に移行出来ないでいるのだと思う。大人だと認められて、 そのように扱われて、はじめて各々が責任感をもった大人としての行動ができるようになるのだと、僕は思う。大切なのは、学生さんたちと、「大人と大人」、 「研究者と研究者」の付き合いをしながら、影でこっそりサポートするといったことだと思う。

2010年10月13日水曜日

2010年10月12日

今回ノーベル平和賞の事態どうなるんでしょう。もし同じような状況で、僕が受賞者で牢獄にいたとしたらどうするでしょう?もし、僕が中国政府だとしたらどうするでしょう?もし、僕がノルウエーの立場だったらどうするでしょう?これはとても難しい問題です。 ひとつ言えるのは、僕が受賞者の立場なら、ノーベル平和賞を自分にして欲しくなかったな、と思うと思います。別の人にあげて欲しかった、と思う ことは確実だと思います。もし、僕が彼の立場なら、ノーベル平和賞に関わってもらいたくない、と思うのです。賞とは無縁のものにしておいて欲しいと、僕な ら思います。

2010年10月12日火曜日

2010年10月11日

アメリカにいる時、僕のラボにEmery Kalinov (ご両親がブルガリアからの移民)という学部生さんが夏休みに3ヶ月研究しに来ていた。彼は、とても優秀で、しかも研究熱心だった。将来は医学部に進学 (アメリカでは学部4年を卒業したあと医学部に進学する)を夢見て、医学研究をしたいと言っていた。でも、夏休みが終わって大学に戻ってしばらくして白血 病だということがわかった。2年くらい、白血病と闘ったけど、最後は家族にかこまれて、安らかに眠りについた。僕もEmeryの最後をご家族と一緒に看 取った。そのあと、葬式に彼の大学の友達が大勢来ていて、皆が僕にひとりひとり挨拶に来てくれて、Emeryは最後の最後まで、彼の友人、家族に、僕がど んな研究をしていて、凄いサイエンティストなんだよ、と僕のことを皆に自慢していたらしい。そして、そんな僕のところで研究出来て、色んなことを学べて、 自分が将来、医学研究者としてやって行く決心がついた、と言っていたそうである。僕みたいな研究者になりたいといっていたらしい。ほんとうに僕のことをま わりに自慢していたらしい。 僕はそれを聞いたとき、とてもうれしかった。このようなことは、学生さんを育てていると、時々ある。このような経験は僕自身にも、大きなエネル ギーを与えてくれる。また、研究者になってほんとうに良かったと思うことのひとつだ。残念なのは、Emeryがもうこの世の中に居ないという事実だ。

2010年10月10日日曜日

2010年10月9日

オランダ滞在中、多くのヨーロッパの研究者と話しをする機会が多々あった。その多くの研究者の人たちは、細胞の基本プロセス、物質の基本的性 質、化学反応のKinetics、細胞内での分子の物理化学的性質などを明らかにすることを目的に研究している。その人たちは、明らかにそれらの研究がど のように工学、医学、社会に応用可能かはあまりしっかり考えていないようだ。それでも、ただMatterの根本的性質、挙動を明らかにする、というだけで かなりの大きな研究経費が国から出ている。例えば、ある研究者は、ある水生動物をモデルに個々の細胞の挙動を詳細に調べ、その実験データーから生命プロセ スの根本原理を明らかにするというプロジェクトで、これに対して、国から毎年、日本円で7000万円、その人個人の研究グループに出ているそうである。オ ランダという日本から比べると、とっても小さな国(ちなみに、オランダ1の大都市アムステルダムでも人口は80万人弱である)の研究費ということを考える と、これはかなりの基礎研究推進を国をあげて行っているということになる。 やはり、ヨーロッパは基礎研究という意味では、かなりサポーティブな文化環境にあるのだな、と思った。

2010年10月9日土曜日

2010年10月8日

オランダから帰って来て三日経つけど、まだ少し時差ぼけ。一般に言われているのは、一時間の時差で時差ぼけが直るのに一日かかるといわれている の。オランダは日本と7時間の時差だから、時差ぼけが直るのに7日間くらいかかるということになる。あと、数日かかるということだ。。。。 以前のアメリカンパンダの訂正:
Polderの直訳 は 開拓地ではなく「干拓地」みたい。 まあ、開拓地ととるのも悪くない。NAISTを先端科学の町ちゃなくて、「サイエンス開拓村」みたいにして貰いたい。
ニールスボーアは77才のときHeart Failure でなくなったみたい。自殺じゃないらしい。誰か有名な量子力学の人がサイエンスを考え突き詰めて、神の領域に入って、自殺したはず。だれだった け。。。。。思いだせない。。。。。メチャ、有名な物理学者なんだけど。。。。。
最近、物忘れが多すぎ。色んなことを考え過ぎているのかも知れない。もっと、自分の生活を単純にしないといけない。

2010年10月8日金曜日

2010年10月7日

アムステルダムに滞在中、ゴッホ美術館に時間があったので行ってきた。思ったよりかなり小さくて少しガッカリ。でも、ゴッホの歴史をしっかり勉 強してきました。10月より東京の六本木にある国立新美術館でゴッホ展を12月までやっているらしいので、今度、時間があったら、東京まで足をのばしてこ ようと思います。僕がアムステルダムのゴッホ美術館にいったときには、そこからすでに何点かは東京に作品が貸し出されていたらしい。。。。。 今回のオランダ滞在中には、アムステルダムとライデンしか行けなかったけど、次回チャンスがあったら、ハーグとロッテルダムにも行ってみたいです。
オランダは色々なところに電車で行けるし、どこに行っても英語が通じるので、とても便利です。また、多国籍国家なので、ほかのヨーロッパの国とは違って、自分が外国人だということをあまり感じさせないところで、結構気が楽です。
是非、また行きたい国のひとつです。

2010年10月7日木曜日

2010年10月6日

オランダ滞在中、夜寝る前に浅田次郎の「終わらざる夏」の上・下を読んでて、完読した。下巻になってからは一気に読み上げた。久しぶりの浅田節 に酔わせて頂いた。絶品でした。浅田次郎凄いですね。読者の想像力を書き立てるテクニック凄いです。「終わらざる夏」おすすめです。

2010年10月6日水曜日

2010年10月5日

今、日本に帰る飛行機の中。オランダに9月23日から12日滞在した。今回はアムステルダムに10日間、ライデンに2日間の滞在。知的活動満載 の12日間だった。やはり英語だと楽。物事が本等に論理的に話しやすい。筋の通った話しがオープンに色んな国の人たちとできる。今回話しをしたほとんどの 人達が物理、数学、物理化学、コンピューターサイエンスの人達で、とても勉強になった。 ぼくのラボのメンバーには来週のラボミーティングの時に、僕が勉強したこと、集めた情報、これらのサイエンティストの人達と話して思いついたア イデアを報告しようと思う。なにも、ぼくのラボだけに秘密にするようなことではないので、もしこのアメリカンパンダを読んで、このぼくの報告会(英語で す)に興味のある人たち(NAIST内外OKです)は大歓迎なので連絡して下さい。
それにしてもライデンにあった、「ニールスボーア通り」ってカッコイイ。もちろん、あの超有名な物理のニールスボーアのことです。彼は最後はサ イエンスをとことん突き詰めて、考えに考え貫いて、神の領域に入らざる終えなくなって、最後は自殺しちゃった物理学者だったと思います(もしかしたら、ぼ くの思い違いかも知れませんが。。。。)。
また、僕がアムステルダムにいた時に滞在したサイエンスパークには「Polder」と言ってアムステルダム大学自然科学専攻の学生によって運営 されてるカフェがある。Polderとは開拓地という意味らしいとある人から教えて貰った。メチャカッコイイ。ここのサイエンスパークにはアムステルダム 大学(Univ. Van Amsterdam) の自然科学系学部・研究科、CWI (Center of Mathematics and Information Science)やAMOLF(Foundation of Fundamental Studies of Matter) といった研究所が集まっている。そこの唯一のカフェがPolder、開拓地、カッコイイ。 
NAISTなんか「先端」なんて超軽薄で表面的(Superficial)で無機質 な名前をつけちゃって。大失敗。やっぱり、「開拓」のほうが人間身がある。筑波も僕がいた頃は「桜村・さくらむら」だったのに、今は軽薄なつくば市になっ ちゃた。。。。現代の日本人は無機質なものが好きなのかな。。。。
NAISTにはカフェがないので、誰かプレハブ建ての、超原始的な建築のカフェを学生運営(または卒業生運営、またはNAISTの幽霊学生たち)でつくってくれればいいのにと思う。名前もなんか原始的で人間身のあるものをつけてくれるといい。
NAISTはあまりにも無機質なキャンパス。もっと有機的で人間くさいキャンパスをつくってほしい。そこで、提言。もっとキャンパスの外へ皆出 よう。天気が良ければ、実験の合間、勉強の合間、仕事の合間に、外のベンチとか芝生に寝そべったりして、本や論文を読んだり、コーヒー飲んだり、おしゃべ りしたりしよう。ワイヤレスがあるわけだから、外でも仕事できるし。
もひとつ。NAISTの研究棟の一階の暗さ、なんとかしてほしい。メチャ、気分が沈む暗さ。あれは、何なんでしょう。。。。バイオの場合はある 先生のおかげで、素晴らしい絵がある画家の人により寄贈されて、正面玄関に飾られてから、少しましになったけど。また、ライトも新しくなって少し明るく なった。でも、まだくらい。なんか壁の色を変えるとか、アートを壁にはりめぐらせるとか、もっと太陽光の入るような構造につくり変えるとか、なんか良いア イデアないかな。。。。。

2010年10月5日火曜日

2010年10月4日

昨日、アムステルダムからライデンというオランダの町に移りました。ライデンはオランダいちの学問の町です。医学の中心でもあり、ライデン大学 医学部はオランダでもトップらしい。大学も凄く大きく町の中心にある。 ライデンはこじんまりとしたとてもかわいい町で、運河(Canal)に囲まれている。BioScience Park なるものもある。 町の雰囲気が凄く学問の町。ニールスボーア通りってのもある。僕はとても気に入りました。

2010年10月3日日曜日

2010年10月2日

オランダでは歳よりから若い人まで、どこに行っても誰でも英語が普通に通じる。昨日、昼食を食べながら、オランダ人の大学院生さんたちと喋って いた時に聞いたら、オランダでは英語のテレビ番組が沢山で、オランダ語の字幕が出るそうだ。だから、子供の頃から普通に英語に接しているらしい。また、学 校での英語の授業は11才から始まるそうだ。でも、テレビとかで普通に英語に接しているので、11才で学校で英語を習い始める頃には、すでにかなりのこと を英語で聞いたり喋ったりすることができるらしい。大学での授業の教科書のほとんどが英語だそうだ。なので、こちらの学生さんたちとは、アメリカ人と英語 でデスカッションするのと同じ感じでサイエンスに関して意見交換できる。やはり、英語ができると得られる情報量も100倍以上になるし、新しいことも英語 ができると吸収できるソース(Source) が全然大きい。なので、英語ができると出来ないとでは、得られる情報量が全然違ってくるし、英語サイエンスができると、勉強できることの量が100倍以上 増えると思う。なので、少し大げさに言うと、英語はやはり、足し算掛け算ができると同じくらい大切なことだと思う。

2010年10月2日土曜日

2010年10月1日

今日はアムステルダム寒いけど、晴れてます。昨夜は、学会にアメリカから来ている物理の教授とオランダ人のシステムズバイオロジーの研究者と三 人で夕食をとった。2人とも、日本で2年ほどポスドクで研究したことがあるらしい。物理の人は仙台で、もうひとりは東京。面白いことに、2人とも結構日本 が気に入っていたらしい。物理の人は、アメリカでもその分野ではかなりの大御所だけど、もし日本にポスドクの後外国人としてもとってくれるFaculty のポジションがあったら日本に残っていたそうだ。 そう考えると、僕もアメリカの大学院にいった時は、研究が一流なら、Ph.D. をとった後もアメリカにポジションがある、という確信のもとにアメリカに行ったように覚えている。多くの人がそんな感じでアメリカに研究をしにくると思う (もちろん、そうじゃない人たちもいるけど)。
今、日本に海外から博士をとりにくる留学生が結構いる。でも、博士をとった後、自国に戻るしかないというのと、研究が一流なら、自国に戻るとい うオプション以外にも日本でポジションをとって日本で研究を続けることもできるというもうひとつのオプションもあるという場合では、日本で博士号をとろう という気になる意欲のレベルが全然違ってくると思う。
この辺なんとかならないだろうか?日本人の税金を使う場合、色々な異論も出てくるとは思うけど、なんか良い方法が見つけられると良いのにと思う。

2010年10月1日金曜日

2010年9月30日

アムステルダムの町にはSexや大麻関連のお店が堂々と普通にある。そうゆう店の前とかで、普通に観光客たちが騒いでる。こんなに、SEXとか 大麻が合法でオープンなのに、それ関連の犯罪は全然少ないらしい。大麻依存症になる人も少ないらしいし、依存症の人をトリートするクリニックなどはかなり 整備されているらしい。 やっぱり、これらのことは、法律で厳しく取り締まると、余計犯罪になるのかもしれない。
それにしてもここはよく雨が降る。昨日は晴れてたのに、今日はまた寒くて一日中小雨。大雨はあまり降らないけど、ほぼ毎日小雨が降る。小雨なので傘はいらないけど。。。。アメリカのシアトルの天気に似ている感じ。
明日は少し晴れるらしい。

2010年9月30日木曜日

2010年9月29日

オランダ(アムステルダム)でも、朝一時間ほど走っている。運動にもなるし、滞在しているまわりの様子が回りを走ることでよく分る。僕は朝走る のだけど、こちらでは、朝7時でもまだ暗い。真っ暗。7時30分過ぎくらいから段々と夜が明けて、薄明るくなり始める。その代わり、夜は午後7時でもまだ 明るい。やっぱり、ヨーロッパは日本より西なのだと感じる。 僕はここでは、毎日、物理、数学、コンピューターサイエンスの人たちと沢山研究の話しをしていて、とても楽しく、毎日沢山のアイデアが生まれ る。アメリカにいたときのように沢山アイデアの交換が自由な雰囲気で、気楽にできるので、とてもうれしい。やはり、サイエンスの進歩には、気楽で自由でし かも知的な雰囲気が大切だと思う。
オランダは17世紀に医学がとても優れていて、ドンドン進歩していった。そして、医学者・医者の数が沢山増えたそうである。これらの医学者・医 者は新しいアイデア、新しい技術をお互いに自由に交換しあって、益々医学が進歩していったらしい。しかし、18世紀に入ると、あまりにも医学者・医者の数 が増えて、お互いに競争が厳しくなり、ひとりひとりが、新しいアイデア、新しい技術を秘密にするようになり、そのおかげで、オランダの医学はみるみると下 り坂になり、進歩のスピードが遅くなり、レベルが落ちて行き、衰退していったらしい。この事からも分るように、やはり科学の進歩には、自由にアイデア、意 見、技術を交換しあえる、雰囲気・環境がとても大切なことが分る。
日本のサイエンスも、このオランダ医学の衰退の歴史から、学ぶことがあるのでは、と僕は思った。

2010年9月29日水曜日

2010年9月28日

オランダのアムステルダムに来ている。僕はアムステルダムははじめて。さすが、海運・貿易で栄えたところだけあって、いろんな人種が入り乱れて いる。町にも、色んな国のカフェ、レストラン、などが沢山ある。英語は普通にどこでも通用する。町並みはマンハッタンにとても似ている(もちろん、マン ハッタンにあるような高層ビルはまったくないけど。)。マンハッタンはもともと、オランダ人が移民して出来た町だけあって、やはり町並みが似たのだろうと 思う。天気は涼しいと寒いの間くらい。毎日、小雨が時々降っている。地元の人に聞くと、9月・10月はこのような天気が毎日続くらしい。うわさ通り、街中 どこに行くも、みんな自転車。道路にはどこにも自転車専用道路が備わっている。びっくりしたのは、自転車専用道路はどうもスクーター(原付バイク)もOK らしい。色んな人種の人たちが多いけど、アジア系は少ない感じ。町の雰囲気が結構さばけてて、カジュアルなので、僕は結構好きになれそうな町です。

2010年9月24日金曜日

2010年9月23日

今、成田空港。これから、10月5日まで、アムステルダム。数学、物理、コンピューターサイエンス、ライフサイエンスの境界領域の勉強を沢山して来ます。あと、オランダのサイエンスも色々と見て来ます。あと、週末にフリーの時間があったら、ゴッホ美術館には行きたいです。 それにしても、今回の中国との外交。日本政府の対応、最悪です。今の日本政府に国際レベルでの研ぎ澄ました感覚を持った人はいないのでしょう か?国際レベルで通用する感覚、スキル、皆無です。ただ単なる頑固で融通性のない政府です。もっと、うまい事相手を丸め込む、国際的なスキル、というもの をもっていないのでしょうか。。。。国際レベルでは、頑固さは、通用しません。もっと、うまい会話術が必要です。まあ、国連でのスピーチを英語で出来ない ヒトが総理大臣をしている政府なので仕方がないのかも知れません。。。。でも、国連でのスピーチを日本語でやっている総理大臣を多くの日本の若い人がテレ ビで見てどう思うでしょうか?英語が出来なくても総理大臣になって、世界で活躍できるんだ、といった間違ったレッスンを若い人たちにもたらすのでは、と僕 は懸念します。
それにしても、MISIAはさすが。ちゃんと、英語でスピーチしてたし、心を他人に伝えるスキルがスゴイ。日本の総理大臣、その他の政治家さんたちも、人の心を掴むスキルをMISIAから学んだらどうでしょう。。。。。

2010年9月22日水曜日

2010年9月21日

大阪・梅田にもある、全国チェーンのBagel & Bagelというベーグルのカフェにこの週末行ってきた。バツ(X)でした。ニューヨークのベーグルにはほど遠いものでした。ただ単にモチモチしたパン で、あれはベーグルと呼ぶこと自体、犯罪だと思いました。あれは、お餅とパンのハイブリッド食品で、「もちパン」と呼ぶべきで、ベーグルと読んではいけま せん。ついでに言うなら、アイスカフェラテも頼みましたが、不味いこと、このうえありませんでした。コンビの出がらしコーヒーみたにまずかったです。おか げで、サッサとお店を出て、近くにあるサンマルクカフェで、アイスカフェラテを飲みなおしました。ついでにスイーツもオーダーしてしまいました。 あんな「もちパン」をベーグルと偽って売って、しかもあんな不味いコーヒーを出しているにも関わらず、お店は凄く混んでて、大繁盛でした。特に 若い女の子が多かったです。1人で来ている女の子も結構沢山いたので、ナンパしたいチャラ男君たちには、グッドスポットかもしれませんが。。。。

2010年9月21日火曜日

2010年9月20日

今日は敬老の日。なんと、現時点で、日本の総人口の23%が65歳以上だそうだ。これにはびっくり。確かに、町で見かける老人の数は日本はアメリカ(マンハッタンなど)に比べて多いような気がする。 しかし、最近の老人たちのマナーの悪いこと。どうしょうもない(大阪だからかも知れないが。。。。)。道には大勢で広がって歩くし、べちゃべ ちゃと公共の場(電車、飛行機、エレベーターの中、など)で大きな声を出して騒いでるし、吸ったタバコを道端にポイ捨てするし、電車ではエッチなスポーツ 新聞を読んでるし、だらしない格好で公共の場をウロウロしているし、国際線の飛行機のなかでは股引きだけで機内をウロウロしているし、どうしょうもない。
今、60以上の年代は、若い時に会社で一生懸命働いて、会社では超真面目に仕事をして、ボスの言う事を全てハイハイと聞いて、毎日残業、といっ た生活をする反面、仕事帰りには、接待と称してキャバクラまわり、また家庭に帰ると、家のことはなにもしないで、ダラダラした生活をしていた年代。だか ら、やっと定年退職して、このような地獄のような仕事一本の生活からとき放たれて、羽目を外して、騒ぎまくっているのかも知れない。お婆さん連中も、この ような我がまま仕事一本の夫の世話から解き放たれて、やはり羽目を外して、騒ぎまくっているのかも知れない。
やはり、人間バランスの取れた生活をしないと、どこかでそのつけがまわってきてしまうのかも知れない。若いとき、このような、偏った生活を長年 してきた世代は、歳をとって、それらから解き放たれたとき、異常な行動に出るのかも知れない。そのうち、日本では老人がもっともっと増えて、老人専門の キャバクラやホストクラブなんかが出てきて、そこでは定年退職して自由の身になった、老人たちが、若い子を相手に騒ぎまくっているようなことが近い将来く るのかも知れない(もし、これからの老人大国日本で老人相手にお金儲けをたくらんでるなら、このようなビジネスもありだと思うが。。。。)。
問題は、若い人たちのお手本となる老人が減ってきて、このようなだらしない老人が増えると、若い人達もドンドン駄目人間になっていく傾向になっ てしまうのでは、と心配だ。だから、今若い人たちが駄目になってきたと日本では騒いでいるけど、その原因のひとつは、お手本となる年配の人が少なくなって きた、ということにあるのではと、僕は思う。
僕も、若い人達のお手本となるように、自分の行動や言動には責任をもってがんばらなければと思う。

2010年9月22日

先週、共同研究の論文がNatureに3回のリバイズを経て、ようやくアクセプトされた。これは、共同研究で僕はコレスポンデンスではないけど、ホットし た。アクセプトされるまでに結構長くかかった。もう少ししたら、電子版に出るはず。昨日、NAISTの事務がプレスリリースするかと聞いてきたけど、コレ スポンデンスではないので、今回はパスさせて頂いた。 今回のこの論文の研究テーマはダメージを受けた組織の修復機構に関するもので、僕のラボでも結構メジャーに進めている研究テーマ。なので、これ からも僕のラボからこのテーマで論文をドンドンだしていきたい。この分野は結構奥が深く、超正統派の研究が出来そうだと考えている。

2010年9月18日土曜日

2010年9月17日

ここ数日で、ほんとに涼しくなってきた。今日の朝は湿気も少なく、少しひんやりした空気で、とても走り易かった。こんな日だと、2~3時間ゆっくりと長 く、景色のいいところを、ひとりで走りたくなる。でも、今日は仕事なので、1時間ほど走って、30分ほど筋トレしただけ。明日は、土曜日なので、もし今日 みたいな天気なら、2時間くらい淀川沿いを走ろうと思う。 12月に僕の好きなStingのコンサートが日本であるのだけど、チケットは完売。残念。10月に家のすぐそばの大阪城ホールである、ドリカム、槙原のコンサートも全部完売。残念。今度から、前もって、僕の芸能界関係者の知り合いに、チケット頼んでおこうと思う。

2010年9月17日金曜日

2010年9月16日

研究とは、答えのまだわかっていない事に答えを見つけたり、すでにある答えとは違う答えを見つけだす、という作業だ。 最近は情報検索ツールが発達しているので、ある問題に関して答えがわからないと、すぐ情報を検索して、既存の答えを探しだしてくる、という作業 をしてしまう。これだと、既存の答えをいかにはやく見つけだしてくるかというスキルは養えるが、答えのわかっていないモノの答えを見つけだしたり、既存と は違う答えを探しだしてくるスキルは養われない。
ちなみに、「答えのまだわかっていない事に答えを見つけたり、すでにある答えとは違う答えを見つけだす」秘策は、そういう答えが見つけ易いよう に、問題点をうまく設定する、こと。問題提起がうまいと、答えはほぼ確実に出てくる。一番大切なのは、いかに素晴らしい具体的な答えの見つかる独創的な問 題提起ができるかだと思う。それが出来ないと、いくらがんばっても、答えは得られないし、得られても、あやふやな答えだったり、陳腐な答えだったりする。

2010年9月16日木曜日

2010年9月15日

今日の朝は少し多めに泳いだ。今日は、何故かプールが結構空いてて、僕がいつも泳いでいる、上級者用の速く泳ぐ人達用のレーンも僕だけで、誰も ほかに居なかった。なので、メドレー(バタフライ、バック、ブレスト、フリー)のインターバルもチョコチョコいれて、結構ハードに沢山泳いだ。 前にも書いたけど、僕が沢山運動する主な理由は、沢山何でも食べても太らないようにする為だ。でも、実はもうひとつ理由がある。それは、規則正 しい、リズムのある毎日をおくるためだ。研究をするには研究が好きじゃないと長続きしないけど、それ以上に毎日コツコツ、研究したり、新しいことを勉強し たり、基礎の復習をしたり、本や論文を読んだり、研究費の申請書の案を練って、申請書を書いて、論文を書いて、ラボの皆とデスカッションして、と多くのこ とをしかも、コツコツ毎日、40年以上続けてやらなければ、トップレベルの研究を長い間維持して行くのは難しい。このようなことを毎日コツコツやるには、 かなりの辛抱強さが必要になってくる。この辛抱強く、毎日コツコツと、同じ活動を繰り返すのは、マラソンを走ったり、鉄人レースのトライアスロンをした り、山登りをしたりするのと同じようなものだと思う。このように、同じ活動を長い間繰り返しするには、規則正しさとリズムが必要になってくる。僕にとっ て、毎朝決まった時間に起きて、決まった時間に運動する事は、規則正しい生活とリズムのある生活を自分自身に強要することになる。僕は、ちょっと気を抜く とすぐだらけてしまうので、このように無理やり規則正しさとリズムを強要するようにしないと、すぐダメになってしまう。このような理由もあって、運動を毎 朝している。

2010年9月15日水曜日

2010年9月14日

日本は学歴社会だと、大昔からいわれているし、今でもそうらしい。でも、これは僕のような職業(大学での研究職)ではまったく無意味。 大学院博士号➝ポスドク➝大学・研究所の研究者・教授 といったキャリアを進む場合、どこどこ大学・大学院卒業というブランド名はまったく無意味。
大切なのは、(1)どのくらいハイクオリティ-の論文を筆頭著者でだしているか?;(2)それらの論文は本等に本人のアイデアで、自分で書いた ものか?;(2)自分の頭で考え、アイデアを出し、研究を遂行する能力があるか;(3)研究室・研究グループを運営する能力があるか?、といった点だと、 僕の経験から思う。
いくら、論文を沢山出していても、ただ単にボスのいわれるがままに、手を動かして実験をして結果を沢山だして、論文をだしていても、自分で考え、アイデアをだして、グループを運営していく能力がないと、独立した良い職は得られないと思う。
だから、学部生で、将来、大学・研究所の研究者を目指している人たちは、大学のブランド名より、その大学院または研究室に入り、そこで博士号を とる過程で、「本等に自分の頭で考える能力が養えて、後にポスドクまた独立した研究者として、ハイクオリティ-な研究を遂行していける基盤のつくれるとこ ろかどうか」ということを第一に考えて、大学院・研究室を選んだほうが良いと、僕は思う。このようなラボ・大学院をどのようにして、見つけて、どのように 選べば良いかは、いつでも相談にのるので、僕に気軽にメールしてください。

2010年9月14日火曜日

2010年9月13日

「考える人」という雑誌に出てた「村上春樹のロングインタビュー」を読んだ。あそこまで、色々とこれまでの長編小説の解説をされると、げんなりしてくる。あんまり、解説して欲しくない、と思った。想像力が完璧に潰された感じがする。 ところで、村上春樹は高校生の頃、ペーパーバックの洋書を次から次へと読みあさっていたらしい。僕も、中学、高校の頃は、英語のペーパーバック やその他の洋書を毎日読みあさっていた。バスケットボールをやっていたので、Sports Illustrated などの英語の雑誌も丸善でいつも立ち読みしていた。
それにまつわる、面白い話しがある。ある日、僕がいつものように、丸善でSports Illustrated を立ち読みしていたら、次の日に、僕が丸善で「金髪の女の人の裸が出ているPlayboy(洋書)」 を立ち読みしていた、と担任の先生に呼ばれて叱られた。どうも、PTAのおばはんが、買い物している時に、僕が丸善の洋書の雑誌コーナーで立ち読みしてい るのを見て、「広島学院の佐藤君が金髪の女の人の裸が出ているPlayboyを立ち読みしていた」と学校に通報したらしい(僕は背が高い広島学院生として 結構目立っていた)。どうも、オバサン連中には「洋書の雑誌 = エッチな雑誌 = Playboy」といった方程式が頭にあるらしい。弁解するのも面倒くさいので、担任の先生に「今度は立ち読みだけでなく、先生にも一冊買って来てあげま す」といったら、余計おこられて、職員室の前に、正座させられた。

2010年9月13日月曜日

2010年9月12日

この夏は、日本の大学(4つの別々の大学)学部3年生4人が数週間、僕のラボで勉強・研究を数週間やっている。特に早朝は、自分の頭で物事を論 理的に考え、様々な基礎知識の関係の深いところでの繋がりを学び、また、それらを他人に伝えるといった、受身授業が主体の日本の学校では余りやられていな いけど、アメリカやヨーロッパでは普通に行われている形式の勉強会を僕と一緒に毎日おこなっている。英語も少し教えている。勉強会のあとは、実験をおこ なったり、学部生同士で勉強会をしている。4人とも、大学のゲストハウスに寝泊りしているので、サマーキャンプみたいな感じである。 このような形式のサイエンスキャンプを夏休み、春休みに、学部の2年生、3年生を中心に毎年出来たら良いなと思っている。
なので、もし興味のある学部生さんたち(特にNAISTへの大学院進学をオプションの1つとして考えている学部生さんたち)は、何時でも、僕にメール下さい。

2010年9月11日土曜日

2010年9月10日

昨日から、世界柔道が始まった。昨夜、日本二つの金(男子、女子、一個づつ)、気持ち良かったです。全試合TVで見ました。相変わらず、外国人 選手の柔道はプロレスとかレスリングみたいで、嫌です。やはり、柔道の醍醐味は「静」の中の「動」といった「静けさの中の躍動感」だと、僕は思うのです。 この感覚は日本に長く住んだ(あるいは日本で育った)人にしかわからないものかも知れません。僕は「能」が好きで、ニューヨークに住んでいた時も、毎年 ジャパンソサイェティ-である、「能」の鑑賞に行ってましたが、「能」にも「静けさの中の躍動感」があると、僕は思うのです。アメリカ人の観客も沢山来て ますが、そのほとんどの人が居眠りしていたのを覚えてます。 ちなみに、僕がひとりで5~6時間ロード自転車で山中を走る時も「静けさの中の躍動感」を感じます。

2010年9月10日金曜日

2010年9月9日

研究費を使うときの傾向で、アメリカと日本での大きな違いが1つある(もちろんこれは傾向で、All-or-Noneではない)。アメリカでは どちらかというと、人件費に多くを割いて、機器に割くお金はできるだけ節約しようとする。逆に、日本だと、多くの各研究室に一台シークエンサー、共焦点顕 微鏡、FACS、といった機器がそろっている。そのかわり、多くの大学院生にはお金を払わないでただ働き、テクニンシャンも安い給料で雇って、秘書さんも 安い給料、ポスドクも安い給料で、教授も安い給料、そして、皆、安い給料なのに、長時間の過酷労働をしている。これは、なにも大学に限ったことではなく、 多くの企業、研究所でもそう。日本では、機器はアメリカのそれに比べると、とても最新のものが多く、キチンとそろっている。でも人件費に割くお金は凄く少 ない。
アメリカでは、このような最新機器は多くのラボでシェアするように共通機器としてある。各ラボにはほとんど無い(もちろん例外もある)。その代 わり、人件費には多くの額を割く。また、大きなグラント(研究費)があったたら、新しい機器を買うのではなく、多くのポスドクを雇う。
日本語に「人は金なり」ということわざがある。僕は、最新の機器より、「人」が大切だと思って、ラボを運営してきたし、これからもそうするつもり。

2010年9月9日木曜日

2010年9月8日

僕は今47歳なので、色々と老後のことを考える。前にも書いたように、僕は何らかの形で、研究・教育に死ぬまで関わっていたいと思っている。でも、歳をとってくると病気にもなりやすくなるだろうし、大病もするかも知れない。介護して貰わなければならなくなるかも知れない。
アメリカでは、一般的に、Retire(退職)する時には、最低US$1,000,000(約8500万円: $1=85円)の貯蓄が必要だといわれている。ちなみに、70歳で退職して80歳まで生きるとすると、10年間収入なしで暮らすと仮定して、8500万円 貯蓄があると、一年850万円ということである。家をもっていて、ローンを払い終わっていると、850万円全てが生活費、娯楽費、保険のきかない医療費と いうことだ。まあ、なんとかなるかなと思う。でも、大病にかかったり、介護が必要になると、アットいうまに一年間で1000万円はとんでしまうから、中々 難しいかも。
まだ、日本の定年後のシステムについてよくわかっていないので、これから色々と調べてみようと思う。ちなみに、僕はアメリカに24年間住んでいたときの、積み立て、投資、Social Securityなどはいくらかあることはある。

2010年9月8日水曜日

2010年9月7日

日本に帰って来て、電車の中でのマナーでずっと気になってることがある。それは、こんでる電車の中でのバックパックの持ち方である。マンハッタ ンの地下鉄も、ラッシュ時には、日本ほどではないにしろ、結構込む。バックパックを背負ってる人たちはマンハッタンでも結構いる。しかし、混んでる電車の なかでは、皆、背中に背負わないで、肩かけを肩にかけて、本体は胸に抱きかかえるように持つ。そうすることで、バックが人の顔や顎や胸にあたるのを防ぐ。 また、このような持ち方をすることで、より多くの人たちが電車に乗れる。人間はまっすぐ立っていても、背中は少し曲がっているので、バックパックを背中に 背負うと、余計スペースをとってしまい、まわりの人たちに迷惑をかける。
僕は、このようなマナーは常識だと思っていたけど、日本(少なくとも大阪では)では、皆、混んでる電車のなかでもバックパックを背中に背負った まま。まわりに迷惑極まりない。僕なんか、背が高いから、混んでる電車のなかでは、他人の背中にあるバックパックは僕の胸の下あたりにあたるけど、背の低 い人や子供だと、直接顔にあたるので、とても危ない。それに、バックパックを背中に背負っていると、バックパックのポケットからチャックをあけて、ものを 盗まれる危険性がとても高いと思う。

2010年9月7日火曜日

2010年9月6日

もうひとつ、広中さんも小澤さんも言っていることのひとつは、楽天的な人間のほうが色んなことがうまく行くし、成功する、ということだ。2人と も、基本的に何でもできる、と今まで思ってここまできた、と言っている。もちろん、それでも、色々とうまくいかなっかたことも、多々あった。でも、2人と も、失敗しても、くよくよするよりは、その失敗から何かを学んで、次のステップにつなげてきたし、また、失敗も自分の都合のいいように解釈してきた、とい うオメデタイ性格だという事だ。また、できると信じていれば、結構いろんなことが出来てしまう、ということも言っている。 僕も、この点に関しては同意する。僕のまわりで(アメリカでも日本でも)、成功しているひとたちのほとんどが、楽天的でオメデタイ人達だ。だか ら、この点も、人生の教訓として、重要なことなのかも知れない。少なくとも、僕はそう信じてこれまで、自分の人生を送ってきたし、これからもそうして行く つもり。

2010年9月6日月曜日

2010年9月5日

小澤と広中の対談をまとめた「やわらかな心をもつ」の中からいくつか、抜粋して、これからアメパンに、時々書いてみようと思う。先ずはひとつ。
運・鈍・根
成功するためには、昔から、運、根気、鈍の三つが必要だといわれている。でも、このなかでも、特に最近(1970年代)、鈍が欠けてるんじゃないか、と広 中さんは言っている。頭のいい人はなにもかも覚えて、ちゃんと頭の中で整理できる。でも、それが出来ないと、何が大切で、何がいらないものかを識別して、 選択的に大切なところだけを自分の頭にいれる。鈍だと、自然と無意識のうちに、この識別する勘を高めていく、といったことをやる。広中さんは、こういって いる。
僕も、同感だ。特に研究者は、メチャ頭のいい人より、少し(というか、結構)鈍な方が、僕の知っている限り、アメリカでも日本でも、研究者とし て成功している。だから、(というわけではないけど)高校生のときに、生物、物理、化学オリンピックなんかでメダルをとったり、大学受験の入試や全国模試 で、常に上位の点数をとるような、学生は研究者としては、あまり向いて無いような気がする。頭はまあまあよくて、でもどこか少し鈍くさいところがあるくら いの方が、研究者としては成功しているように思う。少し鈍な方が、ユニークな独創的な研究をしているように思う。
生物、物理、化学オリンピックなんかでメダルをとったり、大学受験の入試や全国模試で、常に上位の点数をとるような頭のメチャいい人たちは、ス パイ、弁護士、Stock Broker、軍の幹部、国の行政幹部、などの職業が適していると思う。特に、スパイなんかがパーフェクトだと思う。

2010年9月3日金曜日

2010年9月2日

前にも書いたけど英語ではPedestrian Science ということばがある。これは、悪い意味で使われる。Pedestrian Scienceのいくつかを下記にリストする。
  • ある新しい発見を少し修飾するような研究。
  • 新しい技術の効率を少しあげるような研究。
  • ある動物(植物)種で明らかにされたことを他の動物(植物)でも同じことだというような研究。
  • ある新しい発見を少し掘り下げるが、なにも根本的には変わらないような研究。
  • ある新しい技術の発明を、別のツールや部品をつかって、真似る。
またGrocery Shopping Science ということばもある。これも、悪い意味で使われる。これにあたいする研究は下記。
  • すでにある概念や技術を色々と組み合わせて 、レシピ通りにするような研究。
このようなサイエンスは尊敬されない。
僕は、このようなサイエンスだけはしたくないと思っている。このようなサイエンスをする為に、研究者という職業を選んだわけではないので。。。。

2010年9月2日木曜日

2010年9月1日

今、僕のラボには地元の高校1年生が4人、週末や学校の休みの日を利用して、研究に来ている。先日、彼らと雑談している時に聞いたけど、高校一 年生では微分・積分の概念を教わらないのに、物理の授業でニュートンの力学の法則を教わっているらしい。僕は、それを聞いてびっくりした。ニュートンが物 体の直線また曲線運動を説明するのに、必要不可欠の概念また数学的テクニックとして、微分・積分を考案したのに、それを習わずして、Newtonian の物体運動を物理で習うというのは、おかしいと僕は思う。どういう、理由でこんなおかしなことになっているのか、誰か教育の現場の人に教えて貰いたい。 ちなみに、僕は子供の頃から、数学大好きだったので、微分・積分は小学校6年生の時に独学で学んだのを覚えている。そのとき、微分・積分のもとになる、概念的な説明に、子供ながら凄く感動したのを今でも覚えている。

2010年9月1日水曜日

2010年8月31日

僕がアメリカに住んでいた時、8月下旬に毎年観ていたスポーツTV番組にリトルリーグベースボールの世界選手権がある。なぜかというと、日本が 強いからだ。11才~12才の子供のベースボールの世界一を決めるイベントだ。世界中の各地区の予選を勝ち抜いたチームがアメリカのペンシルベニア州の田 舎に一挙に集う。イベント中、子供たちは、他の国からきたほかのチームと一緒に生活する。アメリカ以外の国で先ず、予選リーグ、予選トーナメントを経て、 インターナショナルグループの優勝チームを決める。アメリカンブロックでは、各州の代表が予選トーナメントを経て、アメリカの優勝チームを決める。そし て、決勝は、インターナショナルの優勝チームとアメリカの優勝チームが戦って、世界一を決める。 日本は毎年、とても強く、優勝、準優勝を何回かとっている。僕は、毎年ほぼ全ての試合をTVにかじりついて観ていた。子供たちが、ほんとに一生懸命試合をしている。涙もスマイルも満載の人間物語だ。メチャ、感動する。
なんと、今年は日本にいたので観れなかったけど、日本チーム(日本は選抜チームではなく、毎年、日本国内の予選を勝ち抜いた、単独チームが出場している)が優勝した、と今日の朝のニュースで言っていた。オメデトウ!! さすが日本!!
でも、試合観たかったなぁ。残念。こんなに日本が強い世界選手権をどうして日本ではTVでやらないのだろうか?野球だった、とても人気のあるスポーツなのに。是非、来年からはTV放映してほしい。アメリカでは全試合TVで観れる。

2010年8月31日火曜日

2010年8月30日

先週バイオサイエンスのサマーキャンプで淡路島に行っている間、一日目と二日目の夕食は、予め配られたミール券を使わず、ホテルに入っている、 中華(一日目)とお寿司屋(二日目)に自腹をきっていった(ラボの学生さんたちも連れていった - もちろん奢った)。なぜかというと、去年参加したときに、ミール券での夕食があまりにもまずくて貧弱だったからだ。今年は、一日目の夕食に中華で1人 3000円のお任せ料理を注文した。ミール券での同じ中華レストランでの夕食は1500円相当なので、金額でいうと二倍の値段だけど、量・味ともに10倍 くらいあった。また、二日目にいったお寿司屋さんでは、1人3700円のお寿司セットを注文した。ミール券だと、イタリアン、中華、または洋食のお店で 1500円相当の料理なので、二倍を少し超える値段でお寿司を食べたわけだが、味は100倍美味しかったし、量もお腹いっぱいになる位あった。ここのお寿 司は、メチャ美味しかった。 こう考えると、1500円のミール券はNAISTがぼったくられていると思う。1500円払って500円くらいの価値の料理しか提供されていな いと思う。来年、ミール券で、もし同じような料理なら、自分勝手に食べたほうが、美味しくてお腹いっぱいになるので、自腹をきって、また来年も食べようと 思う。食事に関しては、NAISTがホテルともう一度交渉したほうがいいかと思う。

2010年8月30日月曜日

2010年8月29日

先週はNAISTバイオサイエンスのサマーキャンプ(Retreatみたいなもの)に2泊3日で行って、多くの学生さん、ポスドク、助教のトー ク、ポスターのプレゼンを聞いた。中々楽しかった。アメリカでも多くの大学院でRetreatが毎年ある。アメリカのそれと比べて二つ気になったことがあ るので、ここに書いておく。 アメリカの学生さんやポスドクのプロジェクトはもっともっと様々な研究、ユニークでアット驚くアイデアに基づく研究が多いように思う。 NAISTのバイオの場合、動物、植物、微生物、システムバイオロジ-、構造生物学、生物医学といった多岐にわたる分野があるけど、根本にある考え方やア イデアがかなり画一的だと思った。ほとんどのプロジェクトが(もちろんいくつかの例外はある)同じような思考の仕方に基づいているような気がした。もっ と、自由に、個々の自分らしい、研究をしてもいいのにと思った。
もうひとつは、多くの学生さんたち、助教の方々が、「ただ研究をしている」といった印象をもった。それぞれの研究が「何のための研究」で、「何 を明らかにしようとしているのか」、それを明らかにした暁には、「その分野の何がどれくらいアドバンスするのか」をしっかり考えて研究したほうがいいと思 う。もちろん、研究にはSerendipity はつきものなので一概にはいえないけど。。。。。
ところで、先日書いた、広中平祐と小澤征爾の対談をまとめた本だけど、僕が今考えているようなことをすでに35年前に、2人とも思っていたんだと、とても驚いた。それらについて、少しづつ、ここにも書いていこうと思う。

2010年8月27日金曜日

2010年8月26日

日本学術会議がようやく、科学技術を科学・技術と区別するように勧告した。とてもいいことだ。ようやく、という感じ。僕は30年以上前から、この「科学技術」ということばが大嫌いだった。僕は科学者であって、技術者ではない。僕は学者であって、科学技術者ではない。これで、日本のサイエンス教育も学者を育てる教育にも力を注いでくれるといいのだけど。技術者も必要だけど、学者無しには、技術者は宝の持ち腐れになってしまう。学者教育も技術者教育も両方しっかりできる国になってほしい。

2010年8月25日水曜日

2010年8月24日

New York の今年の夏は猛暑で凄く暑かったらしいが、近頃は涼しくなったらしい。朝・晩は少し肌寒いらしい。今年は2月の終わりにNew York に行ったきり、アメリカには行ってない。今のところ暫くNew Yorkに行く予定はないけど、たぶん今年の終わり頃に、一度行く予定が入りそう。はやくNew Yorkに行って、美味しいベーグルが食べたい。

2010年8月24日火曜日

2010年8月23日

僕らの世代からは「自分勝手でワンマンなやり手」の人間が世の中に出てきた。それはそれで、そのような人間が会社のトップに立って皆を引っ張っていくというスタイルで会社を大きくしていき、日本企業を世界のトップにしていった。 でも、今の若い人達(10代~20代)を見ていると、自分勝手でワンマンなやり手の人間はいない。だから、僕らの世代の人達からみると、リーダーシップのないひ弱な世代に見えるらしい。でも、僕がみるに、この若い世代はそのようなリーダ-はいないけど、皆で相手のことやまわりに対して気遣いをしながら、まとまってなにかを一緒にやると いうスキルは僕らの世代の人間よりかなり自然にうまく出来ているように思う。だから、僕はこの若い世代の人達は、この良いところをフルに活用して、自分勝 手でワンマンなやり手のリーダーによる組織づくりではなく、まったく違う体型の組織づくりで、世の中をよくしていって欲しい。

2010年8月23日月曜日

2010年8月22日

ひょんなきっかけで「やわらかな心をもつ」という、小澤征爾と広中平祐の対談をまとめた昭和59年に発行された本を読んでいる。結構色々と共感する部分があって、読んでて気分がいい。 僕は中学2年のころ、広中平祐さんがフィールズ賞をとったあと文化勲章をとられて、テレビや新聞にもよく出られるようになり、僕はとても興味を もって広中平祐さんのことを読んだ。僕は、すぐ人に影響をうけるので、そのころ「高校への数学」という雑誌を購読して数学の問題を解いていたけど、こんな んじゃダメだと思って、「大学への数学」という雑誌を購読し始めた。ちょうどその時、一年間イタリアに住んでいたため、広島学院を休学していた、ひとつ上 のY君が同じクラスに入ってきた。彼の両親は2人とも京大数学科出身の数学の大学教授だった(両親がイタリアで数学の研究をする為に一年間イタリアに家族 で住んでいた)。Y君も両親の影響で、数学がとても好きでよくできた。それで、僕ととても気があって、2人で「大学への数学」じゃ物足りないなという事 で、Y君の両親がもっていた、大学で使う数学の分厚い本(本の名前は覚えてないけど、統計のなんかの理論のような教科書だったと思う)を2人で勉強したの を覚えている。いつもY君の家で勉強会をやっていたので、わからないところは、お父さんとかお母さんが丁寧に教えてくれていた(大学教授なのに、なぜか両 親ともいつも家にいた。。。)。また、ちょうど同じ時期に、アメリカから広島の原爆研究所(ABC)に研究に来られていた家族の子供のMark という同年代の子と知り合った。Mark のお父さんもたまたま統計学が専門の著名な数学者でUniversity of Rochester で教授をされていた。そんなわけで、Mark の家に遊びに行く度に大学レベルの統計学を教えて貰った。
そんな訳で中学生の時にかなり数学にはまってしまったので、高校にあがる頃にはその辺の数学専攻の大学生と同じくらいの実力はあったと思う。中 学・高校の時には学校の数学の試験はアホらしかったので、Y君と試験問題を解くだけでなく、どちらがはやく数学の試験問題を全て解けるか、を競争してい た。だいたい50分くらいの試験問題は15分くらいで僕らは解いていたと思う。しかし、Y君はいつも100点をとっていたのだけど、僕は必ず凡ミスをし て、いつも90点とか95点だった。数学の先生は、いつも僕に「佐藤は数学メチャできるけど、絶対100点は取れんよね」といっていた。そのおかげで、ク ラスのなかでは「100点絶対取れない、佐藤」といわれていた。しかし、僕は実はそういわれるのは、結構内心喜んでいた。僕は100点取れる人間はあまり 好きではない(つまり完璧な人間)。そのころからそう思っていた。だから、メチャできるけど、凡ミスで95点しか取れないというのは、結構僕らしくて良い な、と自分自身喜んでいた。まあ、タダの負け惜しみというヒトもいるけど。でも、これが僕なので。。。。ご勘弁を(笑)。

2010年8月21日土曜日

2010年8月20日

まだ、暑いけど、秋が近づいていることは確か。朝、走っていても、セミの泣き声が最近は一時期よりかなり静かになってきた。朝6時頃の気温も、ほんのちょっとだけど、以前より低く感じる。 New York だと8月半ば過ぎになると、バケーションから人々が帰って来て、いろんな人達から、どこでどんなバケーションをとった、とかいう土産話を聞くようになる。 また、学校も8月終わりから始まるので、2~3ヶ月の夏休みを終えて、子供たちが学校へ行く準備をはじめる。大学新入生たちが寮やアパートに入るのもこの ころだ。とにかく、長い夏休みを終えて、リフレッシュして、皆それぞれ新しいことを9月からはじめる準備をし始めるのが、8月半ば過ぎ頃。
僕は、今は日本にいるけど、やはり8月半ば過ぎになると、「気分一新がんばるぞ」という気持ちになる。そんな時期にNAISTでは2泊3日のバ イオサイエンスSummer Camp(Retreatみたいなもの)がある。時期が悪すぎ。個人的には8月の半ば過ぎ~終わりという、心気一転させようとしているときに、大学の行事 をいれてもらいたくない。出来れば6月とか7月のはじめにして貰って、一年の締めくくりという様な行事にしてほしい。。。。

2010年8月20日金曜日

2010年8月19日

就職難といわれている。今日の朝のニュースでは大企業への就職はニーズに対して新卒応募者が平均2倍以上あるけど、中小(またはそれ以下)企業 では半分しかないという、ミスマッチがおこっている。これは、多くの就職希望者が安定思考で、大企業への就職を望んでいるということらしい。しかし、これ から先50年間で世界の経済状況はかなり変わってくる。特に、日本の大企業といわれている会社の体質はこれから10年ほどでかなり変わってくることは確か だと思う。「大企業への就職は安定した人生」という古い考えはなくなるはず。大企業の雇用体系もがらりと変わってくると思う。大企業に就職しても、ダメ 男、ダメ子ちゃんたちは、ドンドン首をきられていくだろう。そうしないと、企業としての存続が危ぶまれる世の中だ。だから、できる者にとっては、大企業は いいと思う。ドンドン、大きな仕事をまかされて、会社の世界レベルでの発展に寄与できるチャンスがワンサカある。しかし、これらのチャンスが巡ってくる社 員はほんの一握りだと思う。それ以外の社員は、「ただの労働力」「使い棄て」だと思う。大きな組織とはそういうやり方をして行かないと、会社として存続し て行けない。逆に、中小企業だと、小さい分、ダメ男、ダメ子ちゃんたちも、ひとりひとり手取り足取り、育てて貰える可能性が高いと思う。 まあ、色々書いたけど、やはり自分の夢、自分の生きがい、などを就職云々いう前に、先ず考えたほうがいいと思う。それらを考えた上で、就職等を 含めた、もっと大きな意味での人生設計をしたほうが、人生楽しいと思う。こんなことを言っても、理想論だとか、現実味がない、とか言われるのは百も承知。 なので、ただの独り言だと思って貰って結構だ。
ちなみに、僕はこのかた一度も、就職活動をした事がない。というか、他人に「仕事をさせて貰っている」と思ったことは無い。僕はいつも「自分でしたい仕事をしている」と思っている。

2010年8月19日木曜日

2010年8月18日

日本に帰って来て思うことの1つに、「日本は蚊が多い」というのがある。地下鉄に乗っていても、蚊に刺されるし、スーパーのレジで待ってても蚊 に刺される。コンビニでも蚊に刺される。ニューヨークではThe Central Parkとか木や草の多いところに行くと、もちろん蚊がいるけど、地下鉄や、スーパーなんかで蚊にさされた覚えはない。ニューヨークなんて、めちゃくちゃ 古い町だし、地下鉄だって、日本なんかに比べたら数十倍汚いし、でも蚊は少ない(あるいは、いない)。何故だろう?ニューヨークは、日本より、もっとガン ガンに下水などの消毒をおこなっているのだろうか?それとも、日本の高い湿度と関係あるのだろうか?ちょっと仮説をたてて、調べてみようと思う。 まあ、いい年して、いまだにTシャツに半ズボンで通勤している僕も問題ではあるが。。。。(蚊が狙わない訳がない。。。。)。でも、ニューヨークでもTシャツに半ズボンだったけど、地下鉄やスーパーでさされたことはない。。。。

2010年8月18日水曜日

2010年8月17日

今日でNAISTの一斉夏季休業は終わり。今日はすでに大学の食堂も結構人が増えていて、お昼時も賑やかだった。それにしても、この暑さなんとかしてほしい。僕は朝6時くらいから、走っているのだけど、6時の時点でかなり暑い。昔、テキサスに住んでいた頃を思い出す。 それにしても、今年の夏もバケーションをとらなかった。来年の夏こそは、どこかのんびりと涼しいところにバケーションで行こうと思う。のんびりとなると、やはり海外かな。。。。日本はどこに行っても人だらけだし。。。。
明日から、少し自分の生活パターンを変える予定。どうなるかわからないけど、ちょっと試してみる。おって、状況をここで紹介するつもり。

2010年8月17日火曜日

2010年8月16日

NAISTはまだ夏季一斉休業中。17日まで休み。先日書いたように、僕にはまったく関係ないので、いつも通りラボに行く。いつも通り、学生さ んたちとのデーターミーティングもある。結局、今年のお盆も広島の実家には帰らなかった。大阪から広島まで二時間かからないで帰れるのだけど、中々行けて ない。日本に帰ってきたので、もう少し頻繁に親の顔をみに帰るべきだと思うのだが、そのための時間をつくろうという積極的な意思が動かない。両親には申し 訳ない限りだ。
ところで、前にも書いたように、マンハッタンにあるマンションを売却したので、今はアメリカに家がない。円高でもある。というわけで、アメリカ (たぶんマンハッタン)に小さなマンションをセカンドハウスとして買おうかな、と結構真剣に考えている。マンハッタンの結構いい場所だと(例えばThe Central Park のまわりとか)、60㎡くらいの小さなStudio でも、最低5000万円くらいはすると思う。色んな理由から、ローンは組みたくないので、現金購入となるわけなので、今の経済状況からして、5000万円 はきつい感じ。来年なら可能かも。円高が来年まで続いてくれればいいのだけど。。。。

2010年8月14日土曜日

2010年8月13日

でも、僕には関係ないし、仕事。ラボにも、ほとんどの学生さんは来ている。
僕らがやってる研究という仕事は、皆好きでやっているので、いくら研究してもまったく苦でない。色々やりたくないこともやらなきゃいけない時もあるけど、それも好きな研究を好きなだけやるため、と思えば全然苦にならない。
今日から17日まで大学は夏季一斉休業。世の中もお盆休み。
今日も一日たのしんじゃおっと。

2010年8月12日木曜日

2010年8月11日

日本の多くのラボでは助教の先生方が、学生の直接の指導、ラボ全体の諸々の雑用、をやっている為、自分の研究に100%専念出来ない場合が多い。このシステムだと、教授にとってはいいけど、助教の先生たちの独立した研究者としての将来は暗い。 僕のラボではこのようなシステムはとっていない。基本的に僕のラボでは助教の先生には自分の研究に専念して貰い、ドンドン研究成果を出して、独 立型准教、教授、研究所のPIとして、自分のラボを運営出来るポジションを「実力」で獲得して、独立した研究者としての将来に羽ばたいていって貰いたいと 考えている。
そういうわけで、僕のラボでは各学生さんは助教の先生について研究をするといったことは行わない。わたしのところの大学院生さんたちは各々自分 で独立したプロジェクトを遂行する。もちろん、その過程で、研究手法を助教の先生、または私から習ったり、研究に関するアドバイスを助教や私から貰いなが ら研究を進めて行く。だから、僕のラボの学生さんたちには、かなりの独立精神とやる気、勉強すること、が要求される。これらは、とても大変だけど、そのご 褒美として、「自分の頭で考える力」「大人としての人間力」「国際社会に出て十分通じる能力」をみにつけることが出来る。
また、僕のラボでは来年1月からラボマネージャーを雇う。ラボマネージャーはラボ全体の研究・事務関連の運営を任される。だから、他のラボでは助教の先生たちがやっている雑用といわれているもののほとんどは、このラボマネージャーが行う。
このようなラボの運営を行うことで、僕は助教の先生たちには研究に専念して貰う。そのことで、助教の先生たちの独立した研究者としての将来をサ ポートすることになるし、またラボ全体の研究力、ラボ全体の知的レベルの向上、ひいてはラボ全体としての競争的外部研究費獲得力の向上につながると信じて いる。

2010年8月11日水曜日

2010年8月10日

最近、つくづく自分の勉強不足を痛感する。今までの殻を打ち破るような素晴らしい研究成果をあげるには、自分の基礎学力(すなわち土台)が足り なくなってきた感がある。土台のない(または弱い)ところに、その場限りで色々と積み上げていっても、すぐに崩れてしまうので、先ずはしっかりした土台を つくる必要がある。僕はこの47年間、この土台をつくって、その上に色々と積み上げて研究成果を出して来た。しかし、今その基礎の土台が、あまりにも色々 なものを積み上げてきたおかげで、いっぱいいっぱいになってきたように感じる。 ここらで、時間をかけて、土台をさらに広げるか、もっと別の場所に新しい土台をこつこつとつくりあげていこうかと思う。そうすれば、今までの殻を打ち破るような素晴らしい研究成果が将来出てくると思う。

2010年8月10日火曜日

2010年8月9日

この週末の土曜日に淀川で恒例の花火大会があった。僕は、出張から、ちょうど帰ってくる時で、大阪駅は浴衣姿の男女でごったがえしていた。そこ で思ったのだけど、浴衣の似合う、若い男女が昔に比べて減ってきたように思う。特に若い男の浴衣の似合わないといったら酷いように思う。何故だかわからな い。ただ、僕自身が歳をとってしまっただけなのだろうか? 日本人さも失い、国際性もない、これからの日本はかなり変わって行くのだろう。世界の中で孤立とか、無視されたり、にならないといいけど。。。。

2010年8月9日月曜日

2010年8月8日

この週末は医学系の研究会があった。とても良い話しを沢山聞いた。とても勉強になったし、楽しかった。今回はラボからも数人の学生さんたちをつれていった。学生さんたちも、とても勉強になったみたいで、良かった。 また、僕が一年以上、高校一年生の時から、研究指導している地元の高校生さんが、夏休みを利用して、アメリカの僕の知り合いのラボで10日間、 研究の経験するために、この週末、アメリカに飛び立った。そのアメリカの知り合いの家にホームステイして、毎日大学のラボに通うことになっている。今日の 朝、その知り合いから、高校生さんが無事アメリカに到着したと連絡があった。よかった。この夏に一回り大きくなって、日本に帰って来ることだろう。

2010年8月7日土曜日

2010年8月6日

今日は8月6日。広島に午前8時15分、原爆がアメリカ軍により投下された日。僕は生まれは山口県萩市だけど、3才から高校を卒業するまでずっ と広島市に住んでいた。だから、核問題、戦争、平和ということが僕の頭にずっとある。色々考えてみると、僕のひとりの人間としての根本には常に「広島、原 爆、戦争、平和」といったことがキーワードになっていると思う。 以下、僕が、広島学院高校を卒業するときに卒業文集に書いたエッセイ。17才の時(30年前)に書いたものだ。
昭和56年広島学院第20期生卒業文集より「平和へ向けて」


2010年8月5日
今日は、あまり頭がはたらいてない。こういう時は、やらなきゃいけない単純作業を片付けて、頭がはたらいている時に、単純作業をしないでいいようにするのがベスト。

2010年8月5日木曜日

2010年8月4日

僕は、大学(筑波大学)の学部4年生の時に、最初の論文を書いて(初稿を自分で英語で書いて、Figures も自分でつくって、先生のところへもっていった)、First Authorで発表した。その時に、大学院、またその後の研究人生、をアメリカで送るために、アメリカ人に覚えて貰いやすい名前という事で、Thomas N. Sato (Tom Sato)という名で、論文を出した。それ以来、ずっとThomas N. Satoで論文を出してきた。しかも英語がほとんどネイティブと変わらないぐらい流暢なので(cockyな発言)、日本人、アメリカ人、ヨーロッパ人ら多 くの研究者たちから、僕は日系アメリカ人だと思われていた。という訳で、僕のラボには日本人の学生やポスドクは歴史的に少なかった(アメリカで研究してい る日本人がPIのラボには日本人のポスドクが多い)。三つめの理由。
このような状況だから、僕のラボから羽ばたいていく、学生、ポスドクは、ほとんどが日本人ではなく、日本以外(特にアメリカやヨーロッパ)のと ころで、その後活躍する。だから、僕は自分が育てた学生、ポスドクが、将来日本のリーダーになり、日本を世界一の国(いろんな意味で)にしていくことに貢 献する、といったシナリオに飢えていた。
だから、日本に帰って来た。日本のラボだと、日本人の学生、日本人のポスドクを沢山育てて、僕のラボを巣立った日本人の若い人たちが、将来日本 のリーダーとして、世界中で活躍する、といった僕の夢が叶う可能性が高くなるのでは、と思った。だから、アメリカでのいろんな贅沢な研究生活や誘惑を棄て て、日本に帰って来た。

2010年8月4日水曜日

2010年8月3日

日本に帰って来た、もうひとつ理由。
僕はアメリカ永住権(グリーンカード)を持っているので、一生アメリカにいようと思えば、いれるわけだ。でも、アメリカ市民になって、アメリカに忠誠を尽 くすことはしたくないし、出来ないし、アメリカに貢献しようなんて、まったく思ってない。アメリカが戦争に加わって、アメリカの国のために尽くす、なんて 出来ない。アメリカがいくら沢山オリンピックで金メダルをとっても、全然うれしくない。日本が金メダルをとると、とてもうれしい。このような気持ちの僕に アメリカ市民になる資格はない。
アメリカに尽くしたくなく、アメリカ市民になりたくない、僕みたいなものが、研究しやすいというだけで、アメリカに永住するのは、アメリカの国民に失礼だし、アメリカ人たちも、僕みたいなのがアメリカにずっと寄生虫のように住むのは快く思わないと思う。
外国生まれだけど、日本が好きで、日本に貢献しようと思って、日本国籍になって、日本にずっとすんでいる人たちは、日本国民だって大歓迎だ。で も、日本なんか大嫌いで、日本なんかに貢献するつもりがまったくないけど、お金稼ぎのため、仕事だけのため、に日本に永住されるのは、いやだと思う。これ と、同じことである。
このような、理由から、アメリカに貢献しようと思ってないけど、研究だけのためにアメリカに永住するというのは、ひとりの人間として、よくないことだと思い、それなら、アメリカに永住すべきでない、すなわち、日本に帰るべきだと、僕は決心して日本に帰ってきたわけだ。
もうひとつの理由は。。。。。(続く

2010年8月3日火曜日

2010年8月2日

日本では、年齢差別がある。普通にある。例えば、履歴書に生年月日を書く。人事の選考で、普通に年齢に関して論議される。日本では、学校、職 場、地域、ありとあらゆるところで、先輩、後輩の関係というのが、尊ばれる。一才違いでも、先輩は先輩、後輩は後輩だ。このような、カルチャーだと、やは り皆、あらゆる局面で、自分と関わる人(人達)の年齢が気になる。このメンタリティ-が少なからず、日本での年齢差別に繋がっているのかも知れない。 僕は子供の頃から、この先輩、後輩、また、年齢差別が、とてもいやだった。その幾つかの例:
  • 僕は中学、高校と6年間、広島学院のバスケット部に入っていた。中2から高校3年まで、スターティングメンバーで活躍していて、インター ハイにもいったし、広島県の国体選手にも高校2年生、3年生と選ばれた。だから、中2から高3まで、チームの中でもバスケの実力は先輩の多くの人たちより 上だった。ということで、下級生だからといって、自分より下手くそな先輩にはまったく先輩としての尊敬の念ははらっていなかった。僕より下手なベンチウ オーマーの先輩に遠征の時に、下級生が持つはずのボールをもって貰ったりしていた。今だと、このような態度はとらないけど、十代とはそんなもんなのかも知 れない。でも、とにかく、ただ自分より年上という理由だけで、実力が下の先輩にヘイコラする事はできなかった。
  • 僕は小学校の頃から研究者になりたかった。だから、もちろん大学院に行くこともすでにその頃決めていた。でも、日本で大学院に行きたくな かったし、日本で研究者にはなりたくなかった。その理由の1つは、当時では、いくら実力があっても、大学は絶対4年間、大学院は博士をとるまで5年間は勤 め無ければならなかった。僕はこのように、実力とはまったく関係ないこと、つまり年齢で僕の将来を縛られることは許せなかった。もうひとつの理由は、博士 号をとって、ポスドクをしたあと、例えば大学で研究をするとなった時、日本の大学では、いくら実績、業績、実力があっても、年功序列で、若くして教授には なかなかなれないと、当時聞いていた。そんなくだらないことで、僕の研究人生を棒にふりたくないと、子供ながらに思って、日本で研究などしたくないと思っ た。
僕自身、このようなことは今でもいやなのだけど、ではなぜ日本に帰って来たか?「そんなにいやなら、アメリカにいれば」と多くの人は思われると 思う。(実際、僕は自分が一生アメリカで研究しようと思えば出来るわけだし。。。。 終身雇用のTenureもとってるし、研究費だって、以前書いたように、沢山あったわけだし。。。。。給料だって今の約3倍だったわけだし。。。。。どう 考えても、  それらを棄てて日本に帰って来る理由が見当たらないわけだ。。。。)
その1つの理由は、僕と同じような考えや思いをもっている人たちがドンドン海外に出ていってしまっては、日本はいっこうに変わらないわけだ。だ から、僕は、あえて日本に帰って来て、僕のような違う視点での意見を積極的に日本国内でいうことや、僕の日本での動向を見て、僕みたいな思いで実力のある 研究者が日本に少しでも多く帰ってくればで、日本を、「実力のある研究者が研究しやすく、その実力を存分発揮出来る」、国に変えて行けるのではと思う。こ れが、僕が日本に帰って来た幾つかの理由の1つだ。
もう1つの理由は (続く)。

2010年7月31日土曜日

2010年7月30日

最近、New York がとても懐かしい。New Yorkベーグルが食べたくてしょうがない。New YorkとBoston のベーグルは全然違う。詳しい作りかたの違いは知らないけど、New Yorkのベーグルはとてもリッチで腰がしっかりしている。僕のFavorite は全粒ベーグル。New Yorkにいる時は、大学にマンションからThe Central Parkを横切って歩いてUpper Eastにあるコーネル大学医学部に通っていた。その途中にいくつかベーグルのお店があって、朝よく立ち寄って、朝食にベーグルとカフェインレスのコー ヒーを買って食べていた。僕はよく、全粒ベーグルをトーストして、その間に脂肪無しの鳥肉サラダをはさんだベーグルサンドイッチを食べていた。また、あま りお腹が空いていない時は、全粒ベーグルをトーストして、それに脂肪ゼロのクリームチーズをぬって、食べていた。コーヒーはいつもカフェインレス(ディカ フェ)で、ノーミルク、ノーシュガーのブラックだ。 ちなみに、僕が一番美味しいと思ったNew Yorkのベーグル屋さんはBagel  Works というお店。マンハッタンにいくつかあるお店で、大学のすぐ傍にも一軒ある。そこのベーグル最高!!  あ〜、New York にまた住みたい!! でも、大阪(僕は大阪に住んでいる)で美味しいベーグル屋さんを先ずは探してみようかな(笑)。

2010年7月30日金曜日

2010年7月29日

今日の朝のニュースで例の「化学オリンピック」で日本人の高校生たちが金、銀、銅メダルを幾つかとったというニュースで騒いでた。金メダルをとったのは灘高校3年生で、インタビュ-されてた。オメデトウ!! 問題はこれで、「やっぱり日本はサイエンスが強い」みたいな錯覚を日本の政治家、学校の先生、一般の人達がもってしまうことである。
僕が月間「化学」に書いたように(HPからダウンロード出来る)、「化学オリンピック」「生物オリンピック」「物理オリンピック」などは学校の 勉強と大差なく、「与えられた問題、課題を与えられた制限時間内で頭を使っていかにキチンと見落としなく効率よく解決する」能力を競うエベントで、もちろ ん日本の受験勉強生たちの得意技の域である。現実社会の研究はもっと「生臭い」もので、このような能力とはかなりかけ離れたものである。
こんなことをいっても、日本のお偉いさんや多くの研究者の方々にはわかってもらえないと思うが、まあちょっと書いておいたほうが良いかなと思って、ここに書き留めておいた。
追伸
この灘高3年生がインタビューで、イベント中の各国から来ている高校生たちとの交流会で、英語でのコミュニケーションが出来なくて大変だったといってい た。相変わらず、日本の高校生は情けない。高校3年生、しかも灘高にいってるなら、英会話くらいは出来てよと思う。世界の他の国の高校生たちは英会話くら い、普通に出来るよ。
オリンピックでの選手へのインタビューで、通訳が必要なのは日本人選手くらい。よその国の選手は英語でインタビューに応じている。真央ちゃん、金メダルとりたかったら、先ずは英語出来るようになってよ。キムヨナはちゃんと英語でインタビューに応じていたよ
アメリカのメジャーリーグで活躍する日本人野球選手(松井とか)も多くは通訳を通じて記者会見している。7年もアメリカのメジャーにいたら、英語くらい喋れるようになれよ、松井君。

2010年7月29日木曜日

2010年7月28日

僕はアメリカにいた時も、今日本にかえって来ても、引き続き各ジャーナルに投稿された研究論文のリビューアーをしている。よくリビューする ジャーナルはNature、Nature 姉妹誌 (Nature Cell Biologyなど)、Science、 Cell姉妹誌(特にDevelopmental Cell,  Molecular Cell)、 Journal of Cell Biology, Genes&Development, PNASなど。昔はCell もレビューしていたけど、最近は依頼が来ない。僕は基本的にMajor なReviseをすれば相当面白いストーリーになる場合はAccept with Major Revision にして、Reject にはしない。Reject にするのは二つの理由から。1つは、どんなにがんばって色々データーを増やしても、結局は普通のストーリ(英語ではよく”Pedestrian Science”という)で、 特にサイエンスがグッと前進するストーリではない論文。 もうひとつは、結果の解釈が間違っていたり、データーが信用ならないとか、そういった類の論文。僕の印象だと、驚くほど後者の理由でRejectになる論 文が多い。これらの論文を書く研究者は博士号をもっているにも関わらず、結果の解釈、データーの信頼性、結論の導き方、これらが非常に甘い。日本人の研究 者にもこれらがキチンと出来ない人が多い。僕の考えるところ、日本の大学院教育では、実験をデザインして、実験をおこない、データを出す、という部分が過 剰に強調されてしまって、出てきたデータの解釈、結果の考察、結論の導き方、といった部分の教育がなおざりにされてしまっている(他の分野のことはわから ないが、少なくとも僕が関わっている Life Scienceの分野ではそのように僕には見える)。この辺をキチンと大学院で教えないと、Acceptされる論文を作成出来ない研究者が増えて来て、ど うしょうもなくなってしまう。困ったもんだ。

2010年7月28日水曜日

2010年7月27日

日本では学習障害、難読症、対人障害などの子供たちが適切な専門家によるカウンセリングや治療を受けずに大人になっていっていると思う。明らか に、このような障害をもっているのに、特別なカウンセリングや治療を受けないで大学、大学院に入って来てしまっている学生、または会社に入社してしまった 社会人、また結婚して子供を育てている親が、日本には多数いるように感じる。僕は専門家ではないから、正確な診断は出来ないけど、僕の目から見ても明らか にこのような障害をもっているにも関わらず、野放しになっている人たちをよく目にする。 このような障害をもっている学生が大学、または大学院に入って来ると、大学の教員では役足らずなので、専門家の手に委ねることが適切。
アメリカではこのような障害をもった子供は多い。このような子供たちは、早い時期にキチンと専門家によるカウンセリング、治療を受け、社会にな んとか適応出来るようにする。日本では、この辺が野放しになっているような気がする。日本でも、僕は明らかに多くの子供がこれらの障害を抱えていると見て いるので、キチンとした専門家による治療システムを確立して、家族、社会が一緒になって、このような子供達に手をさしのべるべきだと思う。そうすれば、こ のような障害を抱えていても、学生、社会人、親として適応して生活出来ると思う。

2010年7月25日日曜日

2010年7月24日

今日も暑かったけど、朝6時から3時間ほど自転車のトレーニングで生駒山を登って、そのあと奈良側を南下して、大阪にかえって来た。暑かったけ ど、楽しかった。ちなみに平地だと、原付オートバイに乗ってるオバチャンよりも僕の自転車のほうが速い。平地だと40~45km/hくらいのスピードは出 ている。追い風だと楽に50km/h以上は出る。下り坂だと70~80km/hは出ている。生駒山を大阪側から登る時の上り坂のスピードは10~15km /hくらい。 Tour de France も明日が最終日。アメリカだと毎日TVで見れたのに、日本だと有料のケーブルチャンネルでしかやってないのでインターネットでみるくらい。残念。

2010年7月24日土曜日

2010年7月23日

僕は基本的には日本でしか価値が認められていない日本語の論文、招待講演、賞はよほどのものでない限り自分のCV(履歴書)には載せていない。 基本的には日本語の研究総説は時間と労力の無駄なので書かない。アメリカにいるときに知り合いの研究者に頼まれて、2回くらい日本語の研究総説を書いたけ ど、僕自身が書いたのではなく、当時僕のラボにいた日本人のポスドクが全て書いた。僕は助言をしただけ。日本の研究者には日本語の総説も大切という事で、 その日本人のポスドクの日本での将来のために引き受けた。 日本にかえって来て、日本語の文章を依頼されて雑誌に書いたり、日本語の講演を頼まれたりして、それらの依頼を引き受けている。これらは僕自身 の研究経歴としては存在しないものだし、僕のCVにも載らない。でも、僕は日本に帰って来て、英語のわからない日本人の方々にも、僕の意見を聞いて貰った り、僕の研究について理解して貰う必要性と義務はあると思っているので、快くこれらの依頼を引き受けている。
でも、僕の研究履歴のためには、今までどうり、International なレベルでの海外の有名な学会やシンポジュウムでの招待講演に呼ばれ続けるように、世界でトップの研究レベルを維持しないといけない。多くの日本人の研究 者は日本国内での招待講演で満足していて、彼等・彼女等の多くはGordon Conference、Keystone Symposium,  Cold Spring Harbor Symposiumなどにはほとんど招待されない。アメリカではこれらのSymposium に招待されるのはトップの研究者としては、最小限で当たり前のことだ。日本人の研究者はこれらにたまに招待されると、なにかの賞を貰ったかのように Honorに思う人達がいる(実は、アメリカでもこのような研究者は時々いるので、別に日本人に限ったことではないのだが)。小さい人間。

2010年7月23日金曜日

2010年7月22日

身内のゴタゴタはまだまだ今週週末まで続きそう. 数週間前に著名な医学研究者の方々とiPS細胞に関して色々話す機会があった.その先生方によると、日本国内での再生医療を考えると100種類 のES細胞のライブラリーをつくれば約90%の日本人が拒絶反応のおこらないES細胞がそろうそうである.それだけ日本人は遺伝的にも単一民族という事で ある.なので、日本国内だけのことを考えると、わざわざ個人個人のiPS細胞のライブラリーを時間、手間、お金をかけてつくる必要性は低いという事だ.な ので、わざわざ日本人ひとりひとりから自分のiPS細胞をつくる必要性はない訳だ.日本人で遺伝的に違う人からESを100個作れば90%の日本人がカ バーできるということである.
まあ、病気の患者からiPS細胞を作って病態のメカニズムの解析、創薬のための研究、薬のスクリーニングという面から考えるとiPS細胞研究の意義はある訳だが.
それにしても、あれだけALL JAPANと騒いでお金と人をつぎ込んでiPS細胞研究の日本での発展に努力したにも関わらず、現状は日本のiPS細胞、万能細胞研究はアメリカのそれか ら、完璧に遅れをとっている.僕的に見るともうアメリカに追いつけないくらいの大きく深い溝が出来てしまったと思う.これは、大問題な訳で、原因は日本の 政府、大学、研究環境、その他の組織、研究費、などの柔軟性のなさ、適応性のなさ、が大きいと思う.また、多くの日本人研究者の頭のかたさにもよると思 う.
いい加減、これらを大改革したらどうだろう.また、もっと柔軟性、適応性のある、頭の柔らかい研究者を育てたらどうだろう.このままだと、日本のサイエンスは世界から遅れをとるばかりだと思う.

2010年7月19日月曜日

2010年7月18日

先週からこの連休にかけて、身内に色々とあり、大変だった。しばらくは落ち着かないかも。 New York のThe Central Park のまん前にもっていたマンションを先週売却した。お気に入りのマンションだったけど、日本に帰って来たので、このままもって他人に貸し続けるのも、気分的 に落ち着かないので、売ることにした。それに、売れる時に売っておかないと、また何時リーマンショックみたになことがおこるか分らないし。。。。
まあ、また気が向けば海外の何処かに小さい物件を買うのも手かも。日本に一軒家やマンションを買っても、価値は下がるだけで、先ず上がることはめったにないので、あまり日本に物件を買う気がおこらない。それに、今のところ老後の計画まったくゼロなので。。。。
仮に、将来海外に家(またはマンション)を持つとしたら、今のところの候補地は、New York、San Francisco, Boulder, Sydney, Adelaide, Vienna, Lion, Prague, Moscow, Madrid, かな。。。。中国も良いかも知れないけど、まだ行ったことないのでよく分らない。。。。でもやっぱりNew Yorkかな。。。。

2010年7月17日土曜日

2010年7月16日

日本の大学院教育に関して。 その②
とにかく日本の大学院を卒業した学生は自分のいたラボの研究分野に関してはよく理解しているし、知識も豊富なのだけど、その他の分野に関しての理解力が弱 いし、新しいこと、違うことへの適応力が信じられないくらい弱い。これは、基本的な考える力が弱く、昨日書いたように、常に見本を真似ることから勉強する ような教育を受けてきているからだと思う。
そろそろ、「先ずは猿真似から」という教え方から脱却しないと、日本の将来は暗いと思う。
もちろん、例外的な学生もいる。これは、多くの学生がという、一般論。僕の意見は、極論が多いので、このように書いておかないと、すぐに怒り狂う方がいるので。。。。

2010年7月16日金曜日

2010年7月15日

日本の多くのラボでの学生の教育に僕は疑問をもっている。 その①
学生がラボに入ると先ず、そのラボの先輩の大学院生、研究員、助教の先生に「子分」のようにくっついて、研究手法を1つ1つ教えて貰い、それらを何回も繰 り返して、きちんと出来るようになるまで、計算ドリルをやるように、何回もやる。それから、それぞれの研究手法を1人で出来るまで、また何回か繰り返す。 また、研究テーマもラボの研究テーマやそれらに関係する他のラボの研究の流れを学ぶ。これらを全てきちんと出来るようになって、それらを土台にして、自分 なりの考え、研究テーマをつくりあげていく。だいたいこんな感じである。
僕はこれらが全て悪いとはいわないが、このようなやり方だと、常になにかお手本があって、それを先ずは真似することからはじめないと、なにも出 来ない人間しか育たないのではないかと思う。このようなやり方だと、優秀な技術者(ハンド)は生まれるかも知れないけど、優秀な学者(ブレイン)は生まれ 難いと思う。優秀なブレインが育つには、お習字や伝統芸能を習うようなやり方ではダメだと思う。
僕はブレインがあれば素晴らしいハンドをもった人と一緒に研究したり、素晴らしいハンドをもった人達を雇うことによって、独創的な研究が出来ると思う。逆に素晴らしいハンドをもっていても、独創的な考えの出来るブレインがないと宝の持ち腐れになってしまう。

2010年7月15日木曜日

2010年7月14日

僕は日本の多くのラボでの研究者教育の仕方に疑問を持っていて、それを変えようと思っている。そのことをある方に話したら、「1人じゃかえられ へん!」と言われた。それに対する僕の答えは、「僕1人じゃもちろん変えられない。でも、僕のお弟子さん、そのまたお弟子さんがそのうち世界中で繁殖し始 めるので、そうしたら少しづつ変わって行くと思うし、そう願ってる。」です。(僕は「お弟子さん」という日本語を使いたくないのだけど、その他にいい日本 語が見つからないので、ここではそのように言ってます。例えば「師匠」という言葉より、僕は ”mentor” ということばのほうが好きだし、僕の言わんとすることが伝わると思う.また、「弟子」と言うよりは ”tutelage” とか ”prodigy” のほうが僕の言わんとすることがよく伝わる気がする。)

2010年7月14日水曜日

2010年7月13日

人間はまわりに凄く影響される。まわりがぬるま湯環境育ちの人たちだと、あっというまに自分もぬるま湯人間になってしまう。なので、僕は一生懸 命、まわりのぬるま湯人間に影響されないように努めているけど、知らないうちに自分もぬるま湯人間になっているのではと毎日とても不安。最近ほんとうに危 機感がある。僕のまわりには信じられないくらいのぬるま湯研究者がウジャウジャいる。自分をぬるま湯ウイルスから守るのはとても大変。 ぬるま湯人間の典型的行動の1つに、そのひとが追い詰められた時には、すぐに制度がどうの、規則がどうのと言ってすぐに自分を制度・規則の壁で 覆って自分を守ろうとする。僕からすると、制度・規則を言う前に、自分の意見を先ず言ってみろと言いたくなる。自分の意見をいわないで、制度・規則がどう のとしかいわないのなら、研究者をやめて人に使われるだけの仕事をやっていろと言いたくなる。ぬるま湯人間には自分の意見を制度や規則とは別にきちんと発 言出来る勇気が無い。僕はこのような人を沢山知っているし、大学教授にも沢山いる。

2010年7月13日火曜日

2010年7月12日

選挙の開票の結果、民主党大敗。日本のこれからのサイエンス発展、研究費にとっては民主党は敵だと僕は思う。なので、僕にとっては良い結果。た だ、これが日本全体を考えて時に良いか、悪いかは別の話し。ただ、僕はサイエンティストなので、サイエンティストにとってどのような政策が良いかを考えて 投票する。これは仕方ない。主婦が主婦、家族にとって良い政策を打ち出す政党を応援するのと一緒。

2010年7月12日月曜日

2010年7月11日

今日は午前中に選挙に行ってきた。結局、民主党には入れなかった。僕の考えだと、日本の将来のサイエンスの発展のことを考えると民主党ではダメだと考えた結果です。間違っているかもしれないけど、僕なりに色々と調べて考えた結果なので。 余談だけど、僕が最近月刊化学に書いたIntel Science Talent Search に関して書いた記事(HPからダウンロードできます)に関して、何人かの偉い化学系の先生方からお叱りをうけた。まあ、僕からすると、化学オリンピック、 物理オリンピック、生物オリンピックなどに参加した日本人の中から将来ノーベル賞級の研究をする研究者がドンドン出てくる(1人じゃだめ)ようになってか ら、僕を叱ってほしい。アメリカのIntel Science Talent Searchからはノーベル賞級の研究をその後した高校生が沢山出ていることはかえようもない事実なので。

2010年7月10日土曜日

2010年7月9日

国際人として通用しない日本人の悪いマナーとして僕が気がついたことの続き。 その③
公共の場で鼻水をズルズルとすすること。一気に鼻をかめばいいのに、ズルズルと音をたてて鼻水をすするのは、人前でオナラをするのと同じ位マナー違反。ほ んまに、やめてもらいたい。人前で、オナラをブリブリしているのと同じ位恥ずかしいこと。一気に鼻水をかめばいいのにと思う。
追伸
今、ラボで特任助教を1人募集している。このポジションは平成23年度の終わりまでは特任扱いだけど、平成24年度からは大学職員の助教になるので、ふるってご応募願いたい。少々分野が違ってもOKです。とにかく、研究能力の高い方に来て頂きたい。宜しくです。

2010年7月8日木曜日

2010年7月7日

今日は七夕。7月2日に書いた国際人として通用しない日本人の悪いマナーとして僕が気がついたことの続き。 その②
日本人の多くが食事の時に、一言も喋らないで、黙々とサッサとムシャムシャ食べる。これは、国際的な場ではマナー違反。食事の時は、食事と一緒に、食事を ともにしている人達との会話を楽しむのが礼儀。家族との食事でもそう。食事をしながら家族との会話を楽しむ。多くの日本人が子供の時から「食事をする時に は、黙ってサッサと食べろ」と親や先生からしつけらているせいかも知れない。でも、日本の外で、食事の時に、一言も喋らないで、黙々とサッサとムシャム シャ食べるていると、食事を一緒に食べている相手に失礼だし、周りから、なにか怒っているのかと勘違いされる。でも、気をつけなければいけないのは、食事 の際に会話をする時、口のなかにまだ食べ物が入っていながら、同時に喋ってはいけない。口の中の噛み砕かれた食べ物が相手に見えるし、食べ物のかすが口か ら飛び散る。これは、下品だし、マナー違反。しっかり、口の中のものを飲みこんで、お酒か水などの飲み物で口のなかをきれいにしてから、喋るのが礼儀。だ から、あまり沢山の食べ物を同時に口にいれない。少しづつ食べ物を口にいれて食べる。口のなかを食べ物でいっぱいにしない。 (続く。)

2010年7月5日月曜日

2010年7月4日

軽井沢での研究会も終わって、今、新幹線で大阪に帰る途中。軽井沢ではとても勉強し、多くのことを学んだ。今日はアメリカではIndependence Day だ。アメリカ懐かしい。

2010年7月4日日曜日

2010年7月3日

昨日から医学系の研究会で軽井沢に来ている。 昨夜は世話人会が夜遅くまであったので、今日の朝はゆっくり寝て、6時に起きた。午前7時から走りはじめて、旧軽井沢Downtownをつっきって走っ て、そこから3.3kmの上り坂を一気にかけ上がって碓氷峠まで行って、頂上の見晴らし台から群馬県側の山並みを眺めて、熊野神社にお参りして、山を走っ て下り、また旧軽井沢を通ってホテルに走って帰って来た。全部で大体1時間40分くらい走った。涼しくて、湿気も大阪より少なく、気持ちよく走れた。見晴 台から見る群馬県側の山並みも素晴らしかった。また、山のなかを走るのは、木々や小川があり、とても気分がいい。とても良い気分転換になった。山の匂いは とてもいい。やっぱり、こういう所で毎週末トレーニング出来たら良いのになぁと思う

2010年7月3日土曜日

2010年7月2日

昨日は英語のことを書いたけど、国際的レベルで仕事をするには英語、語学だけでなく、国際レベルで通用するマナーも身につける必要があると思う。 僕が日本人の悪いマナーとして気がついたことの幾つかを列挙してみよう。
その①
パスタをヤキソバを食べるみたいにズルズルと音をたてて、口に吸い込むように食べる。これはやめてほしい。マナー違反である。
「わしゃ、日本人じゃけー、ズルズル食べて何が悪い」という日本人も少なからずいるのは知っている。でも、1人で食べてる時はそのひとの勝手な ので、どうでも良いけど、レストランとか海外でパスタを食べる時は、「あなたのズルズルと食べる音や仕草を聞いたり見たりして、他人の楽しい、美味しい食 事の雰囲気を無茶苦茶にする権利は、あなたにはありませんよ」と僕はそんな人に言いたい。タバコを吸わない人の傍でタバコを吸うのがマナー違反で、他人の 健康に危害を加えるというのと同じ論理だ。
明日に続く。

2010年7月2日金曜日

2010年7月1日

今日、朝のニュースで聞いたけど、フジテレビが2012年から社内の書類などを含めて、全てを英語を公用語とするらしい。日産に関してはすでに 役員会議は英語でやっているらしい。また、楽天も2012年から社内の会議、ビジネス書類等は全て英語が公用語になるらしい。僕はこれでいいと思う。アジ アの他の国では(台湾、マレーシア、シンガポール、中国、韓国など)すでに、主要なビジネスなど英語が公用語。日本もそろそろ島国根性から脱皮する時が来 たと思う。 このような日本の大きな企業が変わって行けば、他の日本の企業も変わって来ると思われる。そうなると、英語が出来ないと良い会社に就職出来ない わけだから、日本の英語教育も良い方向に変わって来ると思う。良い事だ。しかし、僕から一言。僕は、今の日本の若い学生さんたちが英会話が出来たら良いと か、英語でなんとか意思の疎通が出来たら良いとかいっているけど、英語をつかって仕事をするにはその程度では全然足りない。僕らの研究の世界でも、他の国 のサイエンティストと対等に英語でDiscussionして、英語で論文を書いて、Editorと英語でやりあうには、普通の英語力では全然足りない。僕 の個人的な意見だと、日本の今の研究者のうち、このレベルの英語力のあるサイエンティストは10%もいないと思う。
これからは、もっと英語力のある若い人が育って、日本が世界レベルで活躍出来る日が来る事を僕は望む。

2010年7月1日木曜日

2010年6月30日

昨夜はある方と奈良にあるとあるバーでお酒を飲みながらざっくばらんに色々話しをした。とてもためになる話しを沢山聞かせて頂いた。僕の父親く らいの歳の方なので、ほんとうにこの世の中の成り立ち、研究、運営、政治に関してためになるアドバイスを沢山頂いた。New York にいる時も月に一度くらいで、僕より経験豊かな、僕が尊敬する何人かの研究者の方達と、お酒を飲みながらとても沢山のアドバイスを頂いた。前にも書いたけ ど、人と人との会話(またはある種のコミュニケーション)はとても大切だし、人間の生活の基本だと思う。

2010年6月30日水曜日

2010年6月29日

もうすぐ参院選。僕は、日本に帰って来てはじめての選挙。僕は、この選挙を非常に真剣に受け止めていて、色々な候補者の情報を集めている。25 年前、僕が日本にいた頃に比べると、情報は集め易くなっているし、国民もかなり真剣に政治に関心をもっているように僕は思う。これは良い事だと思う。これ から、もっと情報を収集して考えないといけないけど、現時点では民主党の候補に投票するつもりは全くない。僕は、民主党が与党になる前から民主党の政策に は色々な面で反対だった。そして、与党になって、やっぱりという感じだ。かと言って、ベターな政党があるかと聞かれると、なかなか素直にドコドコの政 党のほうがベターといえる政党は今のところない。残念、無念だ。ということだから、もっと色々と正確な情報を自分で集めて、マスメディアやまわりの“お祭 り”に惑わされたりしないで、しっかり自分の頭で考えて、どの候補に投票するかを決めようと思っている。

2010年6月29日火曜日

2010年6月28日

日本は梅雨の真っ只中。去年のこのごろはまだNew York と日本を行ったりきたりしていたので、6月のほとんどはNew Yorkだったので、日本の梅雨はほとんど経験せずにすんだ。だから、今年が24年ぶりにはじめて、日本の梅雨をもろに経験していることになる。はっきり いって、体調がいまいち良くない。まあ、数年日本にいれば慣れるのだとは思うけど。 梅雨に入って、先々週くらいから、身体の調子が本調子でない。研究に支障が出るほどではないけど、朝のトレーニングの調子がいまいち良くない。 からだが重く、血の巡りが良くないし、耳鼻科系の調子も良くない(ぼくは、結構耳鼻科系が弱い)。今週末は金曜日から軽井沢での医学系の研究会に参加する ので、少し涼しいところで元気が取り戻せたらと思う。朝の涼しい軽井沢で少し長めに山道を走ってこようと思う。

2010年6月27日日曜日

2010年6月26日

今日は少し話題を変えます。 僕の身近に何人か研究成果(研究レベル)は大したことないのに、なぜか研究費だけは沢山とって来るし、なんか訳の分らない賞だけはとって来る し、よく学会をオーガナイズして偉そうな顔をしている研究者の方々がいる。日本にもアメリカにもいる。僕の今一番身近にいる人は、研究成果が大したことな く、自分の目指す研究レベルに到達しないので、せめて研究費を沢山とって来て、賞を貰って、学会のオーガナイズをして、これらで自分の低い研究レベルをマ スクしようと必死。こんな可哀想な人がいる。このような研究者の方とは僕は出来るだけ関わりたくない。
逆に、研究成果も一流で、研究費もどんどんとって来る研究者の方も何人か僕の身近にいる。このような人は尊敬する。立派だと思う。
僕は、前者のような研究者にだけはなりたくない。だから、そのような方は出来るだけ適当にかわして、関わらないようにしている。やはり、研究の レベルの高さがそれ以外の全て(政治力、資金力、人力、教育力など)をDriveして行くような研究体制をつくって行かないとダメだと思う。
でも、教育一本というやり方もあってもいいと思う。アメリカで、教育に専念して、トップレベルのユニークな教育システムですばらしい若い学生た ちを沢山育てている教員をぼくは多く知っている。このような教員は教育のための研究を活発にやっている。僕は、このようなタイプの大学教員が日本には少な いように思う。僕自身は上述したように研究が教育をひっぱていく体制なので、このようなことは出来ない。 でも、このような教員が日本にもう少し多く出て きて欲しい。

2010年7月26日

昨日(25日、日曜日)にはNew York州のLake Placid というカナダに近いところの山の中の町でIronman Triathlon レースが行われた。Lake Placid という町は冬季オリンピックが二回開かれた町で、山と湖のきれいなところだ。僕はここで毎年開かれるIronman Triathlon レースに2005年から2008年まで毎年出場していた。レースコースは先ず3.8キロの水泳をMirror Lake という湖で泳ぎ、その後、アップダウンの激しい山の中のバイクコース(約190キロ)を自転車で走り、最後は42.2キロのフルマラソンである。バイクの コースは厳しい上りがいくつか連続であり、かなりの難関コースとして知られている。 2009年から日本に帰って来てしまい、このレースには帰国以来、出ていない。とても懐かしい。毎年、レースのある一週間はバケーションも兼ね て、Lake Placid のMirror Lake沿いにあるリゾートに泊まっていた。毎年、湖のまん前で湖が一望出来る部屋をとって、心気一転出来た。もちろんレース後の身体はボロボロになるの だけど、それがまた、気分転換になる。問題は凄くお金がかかることだ。このような部屋だと、一泊一部屋$500(約4万5千円)かかる。だいたい、レース 前後合計10日くらい泊まるので、合計$5,000(約45万円)宿泊費だけでかかることになる。Lake Placid まではマンハッタンから車で4時間くらいなので、毎年車(スバルのOutback)に自転車を積んでLake Placid にマンハッタンから行っていた。
まあ、一年に一回なので、45万円もOKだ (今の日本の大学での安月給だとかなり痛いけど。。。)。今はトレーニング不足なのでIronman レースには出れないが、またいつの日か出たいと思う。先ずは日本での研究を世界のトップにもっていってからだ。

2010年6月26日土曜日

2010年6月25日

(昨日の続き)
定年について色々と僕の思うことを書いたけど、実際に僕はどうしようと思っているかを、今思うところを書いてみる。
僕は、今47才なのでもし今のままの強制的定年が日本の大学で続くとすると、NAISTでは定年が今のところ65才なので、僕は後18年ある事 になる。正直いって、僕は研究は大好きだし、若い人達を育てることも続けていきたい。だから、自分が身体的に元気であった時に、65才で研究・教育から離 れることは出来ない。でも、僕は自分の性格からして、すでにあるシステムに自分をうまくあてはめていくということは、とても苦手だし、へたくそ。だから、 65才になった頃に、すでにあるシステムに自分をうまくあてはめて、なんとか研究・教育で生き延びていこうといった裏技はとても出来ないように思う。だか ら、自分が新しいシステムをなんとかつくって、そこで頑張るか、あるいは自分にあうシステムをなんとか誰かにつくって貰って、そこで研究・教育をやってい くということになると思う。別に、大学で無くてもいい。企業または民間の研究機関でもいい。というか、こういったことは、企業や民間のほうが融通がきくよ うな気がするし、国の機関よりもっとダイナミックなことが出来るような気がする。
今日のトレーニング:
午前6時30分
Run: (45:00) マンション~大阪城公園 LoopX2~マンション (Easy run)
筋トレ:(40:00)全身

2010年6月25日金曜日

2010年6月24日

昨日の続き。 しかし、前にも書いたように、日本の大学の先生方は雑用が多い (というか、僕からすると、どうも雑用を他人に任せるということが出来ないで、自分できちんと責任をもってやらないと気がすまない先生が多いように思う) ので、それこそ、60才を超えた頃には、普通の先生方はもうへとへとに疲れきっていて、定年するのが待ちきれないのかも知れない。
でも、そのような疲れきった先生方ばかりではなく、血の気の多い60才をゆうに超えた先生方も結構いらっしゃる。また、血の気は多く無くても、 サイエンスが楽しくてしょうがない60才をゆうに超えた先生方も結構いらっしゃる。このような先生方に定年を強制的に強いるのは酷だと思う。ラボを維持す るには研究費がないとしょうがない。でも、本人を強制的定年という制度で追放するのはどうかと思う。まあ、日本の大学(特に国立大学)は貧乏だから、経費 的にもギリギリのところでやっているので、難しいところも色々あるのだと思う。
まあ、僕的に考えると、どうしてもしょうが無ければ、研究の実績、実力があれば、海外の大学、研究所に移るということもありえなくはない。で も、僕のアメリカでの経験からすると、55才~60才を超えて、アメリカでポジションを得るには、結構Department Chair、Dean、DirectorとかいったAdministrativeなDutyが沢山あるようなポジションがほとんどになって来るので、日本 にそれまでずっといた先生方には(いくら世界でトップの研究をしていても)、このようなポジションをゲットするのはかなり難しいと思う。
(明日に続く)

2010年6月24日木曜日

2010年6月23日

今日は朝から雨でトレーニング無し。 さて昨日の続き。
日本の国立大学だと中々僕がいっているようなことは難しいと思う。やはり、大学がどんどん民間からの寄付を集めて来て大学を運営して行けるようにならなけ れば難しいと思う。でも、日本にはそんなに大金持ちで寄付精神にとんだ人を多くないし、海外のそのような人たちは日本の大学に寄付するわけないし。。。。 難しい。 もうひとつの問題は、60才を過ぎて来ると、それらの研究者の研究費申請がとおりにくいという事もある。これは、審査委員のほうが、研究者の年齢により、 後何年で定年といったことを審査のCriteriaに意識的でもないにしろ、如何してもその事実に影響されて審査してしまうという紛れもない事実があると いうためだと思う(違うかも知れないけど - ただ単なる僕の想像です。)。やはり、日本の大学において「年齢による強制的定年」というシステム、また「年齢」による差別を排除して行く事からはじめな いと行けないと思う。
(明日に続く)

2010年6月23日水曜日

2010年6月22日

(6月21日からの続き)
定年を超えていても、やはり、一回研究費の審査に落ちたくらいで、ラボを閉じなければ行けないのは、厳し過ぎ。もう二回くらいチャンスをあげてもいいと思 う(もちろん、その間、大学が研究費をサポートしないといけなくなるが。。。。)。それに、万が一、ラボを閉じても、本人が教育などに熱心なら、教育専門 教授でいて貰うのも良いかも知れない。それに、毎日若手の研究者、教員は、廊下での立ち話をすることで、(一時は世界トップの研究をしていた)年配の教授 から学ぶことは沢山あると思う。僕も、アメリカで教授をしていたとき、70才をゆうに超えた「もと世界トップ」の研究者の方々と近くのバーに飲みにいった り、食事にいったり、廊下で立ち話をすることで、とても沢山のアドバイスを貰ったし、これらは僕の研究者・教育者としての成長にかけがえのないものだっ た。
(続く)
今日のトレーニング:
午前7:00@Konami
筋トレ: (45:00) Whole Body (mainly w/ free weights)
Swim: 1250 meters (25:00)
500 free w/u
100 kick
100 single-arm drills
200 p/p
100 kick
200 p/p
100 free

2010年6月22日火曜日

2010年6月21日

(6月18日からの続き)
現在、定年を超えても日本で大学等に研究室をもって研究を続けていらっしゃる大物と呼ばれている先生方がいる。その多くの先生方は確かに世界的にもそれな りの評価を受けているし、現在でも研究成果をバリバリ出されている。外部研究資金もとって来ているので、その研究費でやっていけるのであれば、大学等で研 究を続けるのはOKですよということらしい。僕は、それはそれでいいと思う。問題は、その外部研究資金が切れた時である。僕の知っている限り、外部研究資 金の切れ目が縁(宴?)の切れ目ということで、研究室を閉じなければならない。でも、何人かの大物先生たちは、まだバリバリ研究成果が出ているのに、研究 費の申請が通らなかったりすると、激怒するし、納得いかない。僕は、研究費の審査も人間がやるので、間違いだってあるし、公平な審査自体無理。人間だか ら、研究テーマやアイデアが面白いかどうかは、客観的に審査出来るわけがない。また、審査員の何人かは申請書自体ろくに読まないで審査をするかも知れな い。僕はそれも残念だけど、そのようなことがあってもおかしくないと思う。アメリカのNIHの審査でもこのようなことはよくあることだ。だから、そのよう なことが起こったからといって、ぶつぶついうのはよくない。潔くあきらめるか、山にでも登って気をとり直すしかない。他の研究費を狙ったり、翌年もう一度 トライして、神に祈るしかない。
しかし、問題は、定年を超えている先生方だと、研究費が終わるとラボを閉じないと行けないという現状である。(明日に続く)