2019年1月27日日曜日

2019127日【人間化と組織化】
大昔から日本が村社会であることは認識してたが、今「日本村」に住んで思うことは、一旦村に住み始めると知らず知らずのうちに自分も「村人」になってしまうということ。これが今の最大の危機感(似たようなことを以前もここに書きましたが)。

まぁ、村人になってしまえば、居心地も良いので、それで良い人は良いけど、僕には僕の人生観というか価値観があるので、、、。

ただ、僕の人生観というか価値観を貫き通すには、基本的にどこの組織にも属さないで一匹狼というかゲリラ戦を一生貫かねばならず、それはメンタルにもフィジカルにも非常にきついことはきつい。まぁ、これを一生続けられるように、日々の孤独なトレーニングを何十年も続けているのだけれど。

敢えてしんどい人生を何故選ぶ?と人はいうが、それが僕の不器用なところというか、脳の回路がそうなっているというか、そもそも僕は、組織の一員である前に、「ひとりの人間」でありたいと思っている。組織を作る人間でありたいとは思うけど、組織に参加する人間でありたいとは思わない。

とはいえ、「ひとりの人間」として組織を作るとその組織の構成員となり、責任や役割みたいなものが自然と発生してくる。それが組織なのでそうなる。

そして、責任や役割やそれらの実行が「組織化」してくると村社会になっていくのかなと思っている。そうなると、僕みたいな人間は、居心地が悪くなり「人間化」を求めて放浪の旅に出るのだろうと思う。

2019年1月17日木曜日

2019117日【サイエンスに関するくだらない話】
「最近はこじんまりと上手にまとまったサイエンスばっかりで大きなスケールのが激減している」というご意見をいたるところでよく耳にする。僕個人的には、この意見には特に賛成も反対もしていないというか、そもそもこの発言の根拠に問題があると思っている。

1.そもそも今の国内の研究費(大型研究費も含む)の審査、採択後のモニタリング(不必要に過度で過多な報告会や中間評価会)、事後評価のやり方がこじんまりと上手にまとまった研究にアドバンテージがあるようになっている。Fit-for-Survialの原理。

2.そもそも、そういう意見をおっしゃる方々の頭にあるスケールの大きいサイエンスは、よくよく聞いてみると、今時流行りの「見かけ上カッコいい」一般ウケしやすい壮大な(巷では「夢のある研究」ともよばれている)研究のことを念頭においていらっしゃる場合が多い。

3.あえてここでは抽象的な表現にしておくが、サイエンスという学問におけるスケールはそんなに簡単に議論したり理解できるものではないので、「大きなスケール」という言葉を使うこと自体危ない。

まぁ、僕個人的には、自分がFitSurviveできる時空間でやっていくだけの話なので、ある意味くだらない話ではある。

2019年1月3日木曜日

201913日【New Year’s Resolution
今年は、「身体に鞭を打つ」です。これくらいの年齢(50代半ば過ぎ)になると、無理やり自分に鞭を打たないと身体を動かさないな、と実感としてあります。昨年は忙しさにカマかけて自分に言い訳して早朝トレーニングがかなりおろそかになっていたことがこの年末年始に反省してみてとてもよくわかりました。

この「言い訳」が仕事やプライベートにも悪影響を及ぼす可能性が大なので、心を入れ替えます。