2010年2月26日金曜日

2010年2月25日

今日もトライアスロンの話。
鉄人レースをやり始めて十年以上経つ。ちなみに、僕がレースのためにどのようなトレーニングをしていて、仕事と両立させていたかを2006年の6月のある週のトレーニングと仕事のスケジュールをここに示してみる。(これは、僕がマンハッタンに住んでいた頃の例。)
6月5日(月)
起床: 午前5時
仕事を家で1時間ほどする。
午前6時50分~7時50分: ジムでWeight Training
午前8時30分~9時30分: ラボで仕事
午前10時10分~10時55分:
プールで水泳(1000m Warm-up/2x400m Interval/500m pull)
午前11時30分~午後7時: ラボで仕事
6月6日(火)
起床: 午前5時
午前7時~正午: ラボで仕事
午後12時30分~午後2時:
セントラルパークで Tempo Run (Interval Run) (1時間30分)
午後2時30分~午後7時: ラボで仕事
6月7日(水)
起床: 午前5時
仕事を家で1時間ほどする。
午前7時~7時40分: 自転車(Single-leg Drill を含む)
午前8時30分~午後12時30分: ラボで仕事
午後1時10分~2時10分:
プールで水泳(500m warm-up/2x400m Interval/100m kick/200m pull/4x200m Intervals/50m kick/100m pull/50m kick/100m pull/100m warm-down)
6月8日(木)
起床: 午前5時
仕事を家で1時間ほどする。
午前7時~8時:
自転車トレーニング(Intervals)(1時間)
午前9時~午後7時: ラボで仕事
6月9日(金)
起床: 午前5時
午前6時30分~7時: 家からジムまでRun (30分)
午前7時~8時:ジムで筋トレ(全身)
午前8時~9時: セントラルパークでRun (1時間)
午前9時45分~午後12時30分: ラボで仕事
午後1時~2時10分:
プールで水泳(500m warm-up/500m pull/5x100m Intervals/400m pull/400m kick with fins/300m pull/3x100m Intervals/200m pull/200m kick with fins/100m pull/100m hard-swim)
午後3時~8時: ラボで仕事
6月10日(土)
起床: 午前5時
家で2時間ほど仕事
午前8時~午後3時45分
山岳バイクライド(110マイル:約180キロメートル)
午後8時~10時: 家で仕事
6月11日(日)
起床: 午前5時
家で2時間ほど仕事
午前9時10分~午後12時30分
セントラルパークでRun (24.4マイル: 約39キロメートル)ペース走

2010年2月25日木曜日

2010年2月24日

僕が最初にでたトライアスロンのレースはテキサスのダラスという町であったレースで、スプリントタイプという凄く短い距離のレース。 水泳(800メートル)、自転車(20キロ)、Run(5キロ)といったレースで一時間前後で終わる。レースはダラス郊外にある公園でおこなわれて、水泳 は公園内にある池であった。水泳は結構得意だったが、500人くらいでいっぺんにスタートしかもプールのように底が見えてレーンがあるわけではないので、 泳ぎながら自分が真っ直ぐコースにそって泳げているか、水面に浮かんでいるブーイを目安に泳がなければ行けない。Sighting というOpen Water Swim の技術である。僕はこれを練習していなかったのであまりうまくSighting できなく気がついたらコースとはぜんぜん違う方向に行っていた。しかも、スタートでは多くのアスリートがいっぺんにスタートするので、顔は蹴られるは、足 は引っ張られるはで大変。それで、結構泳げる人でもパニックに陥って溺れそうになる人も結構多くいる。泳いだ後は、自転車がとめてある Transition 1 という場所に濡れたまま走って行き、自転車に乗る。この時に自転車用のスーツに着替えるが、スプリントの自転車の距離は短いので、結構多くの人は水着のま ま自転車に乗る。自転車が終わると、Transition 2 というところに行きそこに前もって自分が設置したランニング用のシューズに履き替えて、5キロのRun  が始まる。なれてないと、自転車の後すぐに走るというのはかなり足がいうことを聞いてくれなくて大変である。なので、トレーニングでレースに向けて自転車 の後すぐ走るというトレーニングをやっておくとかなりレースも楽になる。スプリントの距離だと、短いので水泳、自転車、Run 全てほぼ全力疾走ということなので、息が死にそうに苦しくなるが、あっという間にレースは終わる。 To be continued tomorrow (明日に続く)

2010年2月24日水曜日

2010年2月23日

今日はサイエンスお休み。 トライアスロン(鉄人レール)について。僕がなぜトライアスロンをやるようになったかについて書いてみようと思う。僕は、小学校からずっと水泳 をやっていて、特にバタフライでは自慢じゃないけど、広島県のトップレベルまでいっていた。中学からずっとバスケットボールも初めてインターハイなどにも でた。アメリカにいってからは、週に二日くらいバスケを結構真剣にやっていた。でも、30過ぎてくらいから、今一瞬発力とか落ちて来たので、バスケはやめ て持久系のスポーツということでマラソンをはじめた。それが結構あたって、マラソンがどんどんはやくなって、30半ば過ぎにはフルマラソンで3時間きる位 になっていた。3時間きると、急にマラソンも短く感じるようになった。そこで、結構大学生の時から気になっていたトライアスロンをはじめた。水泳は結構得 意だし、マラソンもできるし、ということもあって、トライアスロンをはじめた。最初は短い距離のトライアスロン(オリンピックの距離など)から始めて、2 年位で鉄人レース(Ironman)に出るようになった。それ以来、約10年位鉄人レースをやって、今にいたっている。

2010年2月23日火曜日

2010年2月22日

先週の続きで、科学ブームをおこすために、「科学」が人々の「感情」に訴えてくるようにするには、どうするか?について書いてみる。 やはり、今科学を職業としている人たち(私を含めて)が変わらないといけないと思う。一般の人、特に若い世代の人達(10代の若者など)、が我 々科学者を見て、憧れるようにならないとダメだと思う。僕の私的な印象派だと、若いヒトを含めた多くの一般の人々の科学者のイメージは、「世間知らず」 「オタク」「貧乏」「何時も忙しそう」「大変そう」「近寄りがたい」「ダサい」等だと思う。この科学者のイメージが「人間としても立派で素敵な人」「カッ コイイ」「研究が楽しそう」「余裕がありそう」「裕福そう」「気軽につき合えそう」などに変われば、かなり将来科学者になりたいと思う若者が増えると思う し、科学ブームに繋がり易くなると思う。
今一番の問題は多くの科学者が「研究が楽しそう」というイメージを若者に伝えられていないと思う。無理である。多くの日本にいる研究者が心のそ こから研究を楽しめる状況下におかれていないのだから。特に、若い研究者(特に大学の)たちは研究室のこま使いのように使われている。それで、楽しいわけ がないし、そういったことは若い学生さんたちは敏感に感じ取る。
だから、僕は「人間としても立派で素敵な人」「カッコイイ」「研究が楽しそう」「余裕がありそう」「裕福そう」「気軽につき合えそう」といった イメージが若者に伝わように自分自身がそうありたいと日々思っている。でも容姿はかえようがない(整形すれば別だが)ので、「カッコイイ」だけは勘弁して もらいたい。
追伸
周りから、トライアスロン鉄人レースについて書いてとリクエストがあったので少しづつこれから書いていこうと思う。先ずはトライアスロン鉄人レースについ て。トライアスロンは色々な距離があるが鉄人レースはトライアスロンのなかで一番長い距離で一番過酷なレースである。水泳2.4マイル(約3.8キロ)、 自転車112マイル(約190キロ)、フルマラソン26.2マイル(約42キロ)を全て続けておこなう競技である。
To be continued (続く)。。。

2010年2月20日土曜日

2010年2月19日

また、科学の話。
どうやったら、日本に科学ブームを巻き起こせるか?若い人たちに科学に興味をもってもらい、科学の分野に飛び込んでもらうには、科学ブームを起 こす必要があると思う。では、どうやって?前にも書いたように、一般の大多数の人々にとって科学なんてどうでも良くて、そんなことより、どうやってお金を もうけるか、どこのお店の食べ物が美味しくて安いか、誰々のタレントが何をやらかしたか、そんなことのほうによっぽど関心はある。大体、科学は頭をつかっ て考えないといけない。大多数の人間(僕を含めて)は怠け者だから、よっぽどの理由がないと、頭など使いたくない。それより、なにもかも忘れて、なにも考 えないで温泉につかっていたほうが幸せと思う人が大多数である。しかし、そんなことを毎日やっていては、給料を貰って食べていけないので、みんな少し頭を つかって仕事をしてお金を儲ける。また、ある人たちは頭を使うよりは、感情で生活していたいと思っている。こんなに神経科学が発達した世の中になっても、 「脳」と「心」は分離していると信じて疑わない人々が多くいる(おそらく大多数の人々)。
やはり、科学ブームをおこすには、「科学」が人々の「感情」に訴えてくるようにしないと駄目だと僕は思う。ではどうやってそれを可能にするか?
To be continued (次回に続く)。
追伸
國母選手。メダルは取れなかったけど、僕は彼のファンです。彼の自分のスタイルをどんな状況でも貫く姿勢はすばらしい。日本にもまだこういう若者がいると いうことを僕は凄く誇りに思う。おそらく、ご両親はすばらしい方々なのだと思う。立派な息子を育てたと思う。また、彼自身プロのスノーボーダーとして、小 さい子供の時から海外で修行をずっとしてきたということも、影響しているのだと思う。日本に沢山生息している、他人のご機嫌伺いばかりして、一般的に正し いことしかいえない、下品で薄っぺらなオッサン連中より、國母選手のほうが一人の人間としては一億倍以上立派だと思う。僕は男ながら、彼に惚れた。ガンバ レ、國母選手。応援してるでえ~!!!

2010年2月19日金曜日

2010年2月18日

ちょっと今日は科学の真面目な話から休憩。 先週、今週とNAISTのバイオサイエンス研究科では博士論文と修士論文の発表公聴会。僕は、出張やら、ちょっとお腹をやられて休んだりで、全ての発表には顔を出すことはできなかったが、幾つかは出れた。
僕の感想は、みんなよく発表の練習をしているし、発表の仕方の指導も厳しく受けている具合がよく伝わった。それはそれで良いのだけど、皆、「同 じように」発表が「上手く」て、みんなロボットみたいに見えた。研究もそれなりにみんな素晴らしい研究をして、しっかりやっているのだけれど、どれも全て 優等生のやるきちんとした同じような研究ばかり。みんなとは一味違う、かわった研究は見当たらなかった。また、発表もみんな同じように優等生がやるきちん とした発表ばかりで、そのひとりひとりの持ち味を行かした個性的な発表はなかった。今思いかえすと、各々の発表をした本人の顔があまりよく思いだせない。 みなロボットみたいに(またはクローン人間みたいに)同じ発表の仕方だったからだと思う。僕は、東京に行くたびに同じような感覚を持つ。東京で駅や町を歩 いている人たちが全て同じようにきちんとしていて、同じような顔に見える。
NAISTは発表の仕方など懇切丁寧に学生さんに指導する。これは、良い事なのだけれど、みな同じような発表になってしまう原因がそこにあると 思う。最近の若い学生さんたちは、みんな素直なので、指導してしまうと、みんな同じ人間になってしまう。それで無くても、多くの日本人が同じ人種なので、 見かけも、考え方も、感じかたもそれほど差がない。それに加えて、多くの日本人が大人になるまで、日本といった小さな国のなかで同じような文化背景、同じ ような生活背景のなかで暮らす。この様な状況で、さらに同じように懇切丁寧に指導してしまうと、みんなロボットのように同じ人間ばかりが育ってしまう。
少なくとも、僕の研究室の学生さんたちには、厳しく、でも自由に、育って欲しいので、僕は細かく指導しないで、時間はかかるかも知れないけど、 学生さんたち自身に自分で自分の道を見つけてもらいたい。でも、厳しく批判はするようにしている。でないと、考えない人間になっちゃうから。

2010年2月18日木曜日

2010年2月17日

ではなぜ「哲学的科学」において日本が世界をリードできる可能性があるか? 無責任な言いかただけど、理由の大部分は僕の第6勘。海外で多くの哲学的科学で世界をリードしている科学者にあった。その多くの人たちは日本人 の生まれ持っている感覚に近いものを持っていると僕は感じた。かなりNerdyなところなど日本人の感覚にあっているような気がする。凝り性なところも あっているような気がする。
実際問題として研究費という意味では、日本はアメリカや中国に比べれば弱小国。大きな研究費が無いとできないプロジェクトやお金や優秀な研究者 の数で勝負できる分野では日本の勝ち目はまぐれに近い。それに比べて、「哲学的科学」はそんなにお金が無くても頭で勝負できる。日本の現状からすると、僕 は最適の分野だと思う。
今回の冬季オリンピックでもそうだけど、どうも日本はあらゆる面で期待が先走りしているように、僕は思う。もっと現実を見つめたほうが良いと思 う。どうみたって、冷静に判断すれば、そんなに期待されてるほどメダルは取れる分けない。モーグルだって、何で上村選手がそんなに金メダルの期待がかかっ ているのかよく分らない。一回世界選手権でまぐれで優勝しただけなのに。よっぽど、里谷選手のほうがGuttyな滑りだったし。カナダやアメリカの選手の ほうが数段実力は上。サイエンスでも、冷静に見れば、研究費の額、制度の柔軟性、優秀な研究者の数、などどれをとっても現状はアメリカや中国より格下。そ のうち、インド、マレーシア、シンガポール、韓国に追い抜かされるのは目に見えている。日本の多くの政治家、研究者たちがこの事実を認めたくないのは感情 的には分らなくないが、海外から見たら(すなわち僕の目)、残念ながら一目瞭然。だから、研究費の額、制度の柔軟性、優秀な研究者の数などがあまり影響し ない、日本人の感覚にあった(この点に関しては僕の私的な意見に限定であるが...) 「哲学的科学」にもっと力をいれたほうが得策だと思う。かといって、その他のサイエンスの分野をまったくやめろと言っているのではない。研究費の額、制度 の柔軟性、優秀な研究者の数の向上に向けて国を挙げて対策を打ち出すことは絶対必要である。
追伸
いよいよ、國母選手が出る。ガンバレ!!世の中の若者の95%くらいが街中でやってる腰パンはかなりダサい。でも國母選手の腰パンは僕はカッコイイと思 う。僕だって、髪の毛を(もうあんあまり残ってないけど)紫色とピンク色に染めたり(または完璧に髪の毛をそってツルツル頭にして)、鼻ピアスしたいと思 うことはある(Middle Age Crisis だろうか??)。なぜやらないかというと、ただたんにMiddle Age Crisisだと言われたくないからである。

2010年2月17日水曜日

2010年2月16日

昨日からの続き。
しかし、普通の一般市民には直接的に生活を便利にしたり、金銭的利益をもたらすものでないと、価値がなかなか分らない。一般市民の多くはその 日、その日を生きているので、10~20年後にもしかしたら有用な技術革新につながるような基本概念・原理なんてどうでもいいわけである。
では、どうしたら一般市民に「哲学的科学」の必要性、重要性を分ってもらえるか?一部の市民にしか分って貰えないという事は、それなりの小額の 研究サポートしか貰えないという事につながる。スポーツの世界でマイナーなスポーツ(例えばトライアスロンとか)がメジャーなスポーツ(例えばサッカ-) に比べて援助が少ないのと一緒である。
では、どうやってマイナーな「哲学的科学」という研究を日本でメジャーな研究分野に持ち上げるか?僕は二つ手があると思う。一つは、日本から世 界中の誰もが認める革新的科学概念・原理の創出が生まれるのを静かに待つという手である。例えば、ダーウインの進化論、Cell Theory、アインシュタインの相対性理論に匹敵するようなものである。そうすれば、日本中が盛り上がって、一気にメジャーへの道に進み易くなると思 う。もうひとつの方法は、何らかの方法で日本の一般市民が「哲学的科学」ってこんなに楽しいサイエンスなんだと思えるように策略を練るという方法である。 例えば、サッカーだって、日本が強くなったって別に日本人の生活が便利になる訳ではない。でも、サッカーをプレーしたり観戦するのを楽しむ人々は多くい る。サッカーを楽しむ人々の数が多いと、ビジネスとして成り立ち、経済効果もある。したがって、「哲学的科学」を一般市民が楽しめるような方法を生み出せ ば、それに付随したビジネス(例えば、「哲学的科学」のクイズ番組、コンテスト、「哲学的科学」を皮肉ったショウビズ、「哲学的科学」を扱ったゲーム、 等)が出てきて経済効果が上がると思われる。
ではなぜ「哲学的科学」において日本が世界をリードできる可能性があるか?これについて考察して見る。
To be continued (続く)
追伸
先週、東京に出張に行ってきた。そのついでに東京ミッドタウンに行く機会があった。僕の反応は「なんじゃこりゃ」である。一見お洒落風のカフェやお店が沢 山集まっているけど、そこにたむろしている人々は僕と同じダサい人々ばかりか、一生懸命お洒落に見せようとしてる人々ばかり。マンハッタンのミッドタウン をもじったつもりだろうが、マンハッタンのミッドタウンは結構汚い庶民的な地区である。相変わらず日本人の欧米コンプレックスはひどいものである。もっ と、「和」を現代社会に融合させた新しい町作りをしてもらいたいものだ。

2010年2月16日火曜日

2010年2月15日

昨日の続き
「哲学的科学」に基づく革新的な概念・原理によって新しい科学技術は生まれる。多くの新たな科学技術はある科学技術を改良することによって生まれる。しか し、革新的新科学技術は多くの場合、「哲学的科学」によって生まれた新たな概念・原理に基づいている。17世紀に生まれたCell Theoryはその一つの例である。Cell Theoryとは生命体の基本ユニットはCellと呼ばれるユニットによって成り立っているという概念である。この概念はその後の生物学、医学の発展にお いて必要不可欠な土台となっている。この概念無くしては現代生物学・医学はありえない。
「哲学的科学」による革新的な概念・原理の創出はそう簡単にはおこらない。しかし、それが起こると大きな影響を我々の生活、文化に長い間与える。
 
追伸
冬季オリンピックが始まった。國母選手。僕は応援します。あのコメント、「チェ、うるせいな」「反省してま〜す」。僕は応援。鼻のピアスのどこが悪い。ぜ んぜんOKです。是非、メダルをとって、あほな大人たちを見返してもらいたい。でも、きっとメダル取れないと滅茶苦茶叩かれるんだと思う。

2010年2月15日月曜日

2010年2月14日

予告どうり、「哲学的科学がどうして自国、ひいては世界の発展につながるのだろうか?」について書いてみる。 「哲学的科学」は僕の造語で、自然界の概念・原理の科学的創出を意味する。この自然界におこっていることを科学的に説明するということである。 科学技術は我々の生活を便利しする道具や手段の発明であり、即金銭的利益をもたらす。よって、自国また世界の他国の発展につながる。しかし、「哲学的科 学」により自然界の営みを説明する革新的な概念・原理は直接的には我々の生活を便利にしたり、国に利益をもたらしたりはしない。
例えば、ダーウインの進化論は「哲学的科学」においては革新的な発展だが、直接我々の生活を便利にした訳ではない。しかし、我々がこの世の中、 自然界の営みを考えるにおいて、大きな影響を与え続けている。また、アインシュタインが創出した数々の革新的概念や原理は20世紀における様々な技術革新 において重要な役割を果たしている。ガリレオによる多くの革新的概念・原理は我々が現代生活をしていく上で必要・不可欠のものとなっている。
僕は、「哲学的科学」による革新的な概念・原理の創出はあらゆる面で我々の生活を支えることになるし、これが金銭とかいう分りやすい物差しでは ないが、様々な面で我々の生活様式や文化の変化を支えることになる。この生活様式や文化の変化に伴って、それに合わせた新たな道具が科学技術という形で生 み出される。
To be continued (続きは明日)。
追伸:
東京出張に水、木、金と行ってきたついでに以前書いたAquavit に行ってきた。残念ながら、マンハッタンのAquavitとは店の雰囲気、料理どちらも雲泥の差であった。わざわざ外苑前まで足を伸ばして高いお金を払っ てまで食べる価値はないと思った。たぶん、二度と行かないと思う。ニューヨークまでの飛行機代を払ってでもマンハッタンのAquavitに行ったほうが良 いと思った。

2010年2月11日木曜日

2010年2月10日

今日から金曜日まで東京に出張。今、新幹線のなかで弁当を食べ終わった所。では予告どうり、「本当に、これからの日本の発展にとって科学の発展が大切かつ必要か?」という問題に付いて僕の今考えることを書いてみる。
先ず、前置きとして、若い世代が科学に興味を持たないし、職業として科学関係を選ばないといった科学離れと「これからの日本の発展にとって科学の発展が大 切かつ必要か?」という問題は必ずしも関係ある訳では無いと僕は思っていると言っておきたい。多くの若い人たちはこの世の中におこっていることを科学的に 考察することをしないし、そんなことはどうでも良い事だと思っている。先ず、ここに一つの問題があると僕は思う。もうひとつの問題点は、多くの若い人たち はこの世の中を良くしようという動機では職業を選ばない。だから、例えこれから日本が発展するために科学の発展が必要だとしても、それが理由で科学に興味 を持ったり、科学関係の職業に付くことは少ない。
しかし、「本当に、これからの日本の発展にとって科学の発展が大切かつ必要か?」という問いに対して、もし答えがNOだとすると、ますます科学離れがひど くなると僕は思う。日本は今まで科学の概念、原理を欧米からどんどん吸収して、それを利用して素晴らしい科学技術の発展を成し遂げてきた。これにより、国 が金銭的に発展し、世界のなかでも先進国の一つに成り上がった。これからは、中国やインドなどの状況からして、日本は確実に今の科学技術に支えられた金銭 的先進国の地位を守ることは不可能だと僕は思う。
この様な状況で日本に科学の発展は必要だろうか?僕の答えはYESである。先ず、科学技術の発展。おそらく、日本は科学技術の発展では世界をリードできな くなると僕は予測する。これからは、科学技術で世界をリードして行くであろう、中国、インド、アメリカ、韓国、シンガポール、マレーシアなどの国とうまく 一緒に世界中で必要とされている先端技術の開発に世界チームの一員として貢献して行く方向へ向かうようになると思う。この世界チームのリーダーには中国、 インド、アメリカがなり、日本はそれに貢献するというかたちをとるしかないと思う。だから、この様な形になったときに、意味のある、立派な貢献のできる素 養をもった若い世代の人たちを育てるような教育システムを確立するのが良いかと思う。
しかし、科学は科学技術だけではない。これまで技術革新は確実に金銭的富を国にもたらしてきた。しかし、科学はもともと(紀元前から)哲学から始まったも のである。科学のもうひとつの大きな大切な要素は科学的概念、原理の創造である。僕は、この「哲学的科学」の分野で日本は世界をリードして行くことができ る可能性を持っているし、この分野で日本が世界をリードして行くことが日本、また世界の発展に貢献できる道だと思う。
では、「哲学的科学」がどうして自国、ひいては世界の発展につながるのだろうか?
To be continued tomorrow (続きは明日)....。
追伸
どうでも良いことだけど、僕の席の斜め後ろに60才後半か70才台の身なりのきちんとした、おしゃれで、しかも芸術家風の老人が若い秘書(または付き人) 風の女性と一緒に座っている。服装からして、大阪から東京へでも、なにかの仕事で二人で向かってる雰囲気。さっきから、この老人のオッサンがしきりにどう でも良い話をして、この若い女性の気を引こうと一生懸命、デッカイ声で話してる。この世の中、ジジイになると男は皆こんな風にスケベジジイになるのだろう か?女性の方は一生懸命、この爺さんを傷つけないように対応している。可愛そうに。

2010年2月10日水曜日

2010年2月9日

日本でもアメリカでも若い世代の科学離れが懸念されている。逆に、現在猛烈な勢いで国が発展している、中国、インド、シンガポール、マレーシ ア、ベトナムと行ったアジアの国では優秀な若い世代が科学の分野で育っている。日本もアメリカも急速に発展していた時代には科学の分野に若い世代がどんど ん飛び込んでいたし、優秀な人材が育っていた。なぜ、今こうなってしまったのだろう?この問題は日本だけの問題では無く、アメリカでもかなり深刻な問題に なっている。ただ、アメリカは中国、インド、韓国、ヨーロッパと行った国から優秀な若い人材がどんどんアメリカに来るので、自体は日本のものとは質・量と も違う。 この問題は重要だし、複雑なのでこれから、このコラムに随時書いてみようと思う。先ずは、「本当に、これからの日本の発展にとって科学の発展が大切かつ必要か?」という問題に付いて僕の今考えることを書いてみる。
To be continued tomorrow (続きは明日)

2010年2月9日火曜日

2010年2月8日

今週末日曜日はバレンタインデ-。アメリカでは多くの場合、男の人が恋人や奥さんにカードを添えて花やその他のプレゼントを送る。バレンタイン デ-にプロポーズする男の人もいる。日本では女の人が男の人へチョコレートを送る。そういえば、10代で日本に住んでいた頃、回りの男の子たちは女の子か らチョコレートが貰えるかもとソワソワしていたように覚えている。僕くらいの歳になると、チョコレートを貰うような歳ではすでに無く(チョコを貰う時代は すでに20数年前の遥か昔の話である)、万が一貰っても仕事関係の義理チョコくらいである。逆に、今の年齢で義理チョコでない物を貰うと危険。 でも、バレンタインデーの日に色んなカップルがそれぞれの素敵な過ごし方をするんだなと思うと、何となくロマンティックで素晴らしいことだと思う。カップル万歳!!である。
ところで、日本においてバレンタインデ-に女の人が男の人にチョコレートと送るという風習は1960年に森永が商業戦略で始めたらしい。まぁ、ということだから日本人は1960年以来、森永の戦略にまんまとはまり騙し続けられているということです。

2010年2月6日土曜日

2010年2月5日

前にも書いたように、僕は沢山野菜と果物を食べる。日本にかえって来てアメリカと比べて、日本のほうが美味しいと思ってる野菜、果物の例を挙げてみると以下のようになる。
野菜:
きゅうり、トマト、しいたけ、にんじん、さつま芋
果物:
イチゴ、メロン、はっさく(アメリカにはない)、ミカン(日本の小さなミカンはアメリカではない)
逆にアメリカのほうが美味しいと思ってるものは以下のようになる。
野菜:
ピーマン、ほうれん草、ジャガイモ
果物:
ブドウ、キウイ、バナナ、オレンジ、ブルーベリー、チェリー
ざっと思い付くのはこんな感じ。特に、日本のイチゴとメロンはほんとに甘くて美味しい。日本の細いきゅうりはアメリカでも手に入るので、いつも日本のきゅうりを食べていた。

2010年2月5日金曜日

2010年2月4日

昨日は節分。節分という言葉を聞くのも25年ぶり。そういえば、小学校のころ豆まきをやったような記憶がある。家でもやっていたような思い出が ある。昨日、ある方から聞いたが、大阪では節分に太巻きを切らないで丸ごと食べるらしい。しかも、食べきるまで喋ってはいけなくて、今年は食べるときに西 南西の方角を向いて食べるらしい。この節分の風習は大阪だけなのか、それとも京都、奈良を含めた関西全域なのかは不明。少なくとも、調べたところ、神戸で はこのような風習はないし、僕の故郷の広島や関東、東北でもないらしい。この風習の始まりは何なのだろうか?大体、僕は節分の歴史も知らない。節分は何 時、どのように始まって今にいたっているのだろう。 僕は日本の歴史にかなり弱い。恥ずかしいことである。小学生のころ歴史は結構好きだった。でも、中学に入ってから、日本史の先生が大嫌いにな り、わざと勉強しなくなった。この先生は僕の大嫌いなとてもちっぽけな人間で、それが子供である僕には許せなくて、勉強しなくなった。今、考えると、勿体 ないことをしたと思う。子供のころは、自分の世界が凄く小さく、狭いので、ちょっとした大したことないことが許せなくて、馬鹿な行動に出るものである。 ちょっと寛容になれば、世界が広がるのに、子供のころはそれができなくて色々と損をしたと思う。地理の先生も僕の嫌いないつも一般的に正しいことしか言え ない先生で、それが許せなくて地理が嫌いになったのを覚えている。今思うと、自分のアホさ加減に呆れてしまう。
まあ、こういうアホさ加減が子供の子供たる所以なので仕方ないのだろう。
追伸
今日、朝青龍が引退した(というか、引退させられた、引退に追いやられた)。このニュースを聞いた時、僕は怒り狂って、つい叫んでしまった。彼をここまで 精神的に追い詰めた、人々を僕は許さない。ほんとに、日本は怖い国だと思う。僕なんか、ほんとにこれから日本で過ごして行けるのか凄く心配になってきた。 僕なんか、朝青龍と同じくらいか、それ以上、(日本の)常識はずれだし、やんちゃだし、無礼な人間。ほんとに、日本にこれから住んで行くのが怖くなってき た。

2010年2月4日木曜日

2010年2月3日

僕はまだ大阪の色々なところに行ってるわけではないけど、今のところ大阪市内だと北浜あたりが一番好き。その理由は、一つには結構お洒落でイケ テルお店が沢山ある。町の感じが大人で落ちついている所も好き。今は森之宮に住んでるけど、北浜あたりに住むのも良いかとも思う。交通の便も結構良い。京 都まで京阪で一本だし、梅田にも淀屋橋まで5分歩いて御堂筋線でひと駅。マンションも結構カッコイイのが建ってるし(高いけど)。素敵な町だと思う。僕は 結構、北浜で食事をとってるし、友人と一緒に食べる時も僕はよく北浜あたりのお店を選ぶ。 素敵なお店といえば、Aquavitというスカンジナビアレストランがある。マンハッタンにあるお店で、シェフは超有名な人物。料理、店の雰囲 気、両方とも僕の好み。マンハッタンでは、よく昼食、夕食両方に利用した。クリスマスシーズンにはHoliday Special Menuのビュッフェ形式で北欧の料理や飲み物が好きなだけ堪能できる。なんと、このAquavitが東京青山(外苑前)に1年半前にオープンしたという こと。残念ながら、シェフは日本人。この方はもともとフレンチの方で、日本でのAquavitオープンに伴って、マンハッタンのAquavitで修行した らしい。HPでメニューを見たところ、マンハッタンのAquavitほどの多くの種類はないけれど、まあまあといった感じ。HPでみる限り、マンハッタン のAquavitよりこじんまりしているみたい。来週出張で東京に行くことになっているので、昼食にでも行ってみるつもり。今から、結構楽しみ。

2010年2月3日水曜日

2010年2月2日

今月の終わりにまたニューヨークのコーネル大学に数日行く。きっと、寒いに違いない。寒いのは、全然大丈夫だけど、雪とかで飛行機が遅れたりす るといや。それはそうと、日本に帰ってきたから、日本国内の色々なところにもっと行けるかなと期待してたけど、まったく旅行してない。仕事で、たまに東 京、京都、神戸に行くくらい。アメリカにいた時のほうが、日本での学会やシンポジュウムに招待されていたので、日本の色々なところに来れた。この点に関し ては、アメリカに住んでいて、日本人からアメリカ人と思われていたおかげで得していたみたい。 この点に関しての昔話がある。9年くらい前にアメリカから宮古島であるストロングマンという結構日本では有名なトライアスロンのレースがあっ て、それにアメリカ人選手として参加したことがある。アメリカからきた日系の選手だと思われて、地元の中学校を他の外国人選手とともに訪問して、地元の中 学生たちと英語で交流した。中学生たちも僕のことを日系のアメリカ人だと信じ込んでいたので、僕もアメリカ人で通した。僕の英語はほぼネイティブスピーカ -と同じで、日本人アクセントは全くない(よくアメリカ人からはカルフォルニアアクセントと言われるけど)ので見破られなかった。楽しかったけど、何とな く胸がチクチクしてた覚えがある。

2010年2月2日火曜日

2010年2月1日

なんだか、朝青龍も瀬戸際に立たされている感じ。実際に酔っ払って、相手とどの様な暴力沙汰になったか僕は知らない。僕も暴力はよくないと思う けど、酔っ払って酷い行動に出る大人たちは、他にも多くいる。世間一般の人は、朝青龍が横綱だから、このような行動を批判しているのだと思う。でも、相手 も酔っ払っていたみたいだし、お互い様という感じもする。横綱だって人間だし、たまには酔っ払ってもしかたがない。しかも、この暴力事件は相手が訴えてい ないわけだから、実際のところどの様な状況だったのかは誰も分らない。 この一件に関して、朝青龍に「モンゴルに帰れ」と野次を飛ばしている人たちを僕は先日テレビで見た。悲しいことである。こんな野次を飛ばす人た ちが日本を孤立させてしまうのである。この様な野次を飛ばす人たちには海外に住んで欲しくない。旅行でも海外に行って欲しくない。というか、そのような人 たちに海外に行く資格は無い。もっときつくいうと、このようなことを言う人は人間として最低である。
朝青龍は、今回横綱としては相応しく無い行動をしたかも知れない。でも、日本を好きになり、日本語を普通に喋れるようになり、日本の文化に親し み、日本の相撲界に貢献していることは事実である。そのような人間に「モンゴルに帰れ」はない。それとこれとは別の話である。このような野次を飛ばす人た ち(実際、日本に多くいる)に接する度に僕は凄く悲しくなる。よその国(例えば日本)に親しもうとしている人間にとって、「自国(例えばモンゴル)に帰 れ」と言われることは死ぬほど傷つくし、そこの国(例えば日本)の人はそれだけはどんなことがあっても言ってはいけないことだと思う。人間として最低の行 為の一つだと思う。自分(日本人)が、逆によその国(例えばオーストラリア)に馴染んで住んでいるのに、その国(例えばオーストラリア)の人たちに「日本 に帰れ」と言われた時の気持ちを想像すればすぐ分る。