2010年11月18日木曜日

2010年11月17日

ある日本人のノーベル賞受賞の方が「学ぶ」ということは「真似る」ということだと言われたそうだ。僕自身はそのStatementにかなり抵抗を感じる。もちろん英語や外国語を「学ぶ」ということは「真似る」ことだ。しかし、外国語は「学ぶ」というよりは「習得する」ことで、「学問」ではなく「習いごと」だ。

「学問」は「真似る」ことではなく「学ぶ」ことである。しかし、日本人は太古の昔から現代まで「学問=習い事」という方式を叩きこまれてきたし、多くの学校では「習い事」を「学問」と偽って教えている。このような環境下では、受験勉強(=習いごとの出来栄えを競うコンテスト)が主流になり、同じような考え方をする人間ばかりになり、画一的な考えに基づいた社会が出来上がり、"out-of-box" 的な考え方のできる人材が育たない(しかもそのような人間は排除される)のではないだろうか?

僕の学問に対する姿勢は子供の時から常に(今でも)"師を否定する" ところから始まる。僕は、勉強するとき、研究するときには、先ず教科書、論文に書いてあること、師のいうこと、教師のいうこと、全てを否定することから始める。

僕の姿勢は間違っているかも知れないが、一応それなりに研究者として25年以上生計をたててきた身なのでまったく間違った姿勢ともいえないような気がする。 

皆さんどう思われますか?