2011年8月10日水曜日

2011年8月10日

ここ数日貧血気味なので、今日は夕食にヘレステーキを料理して食べました。

明日から元気になって復活します。

2011年8月7日日曜日

2011年8月7日

今日の朝、フジテレビのある番組で、石原慎太郎と藤原正彦の2人を招いて、日本の技術、サイエンス、政治その他について対談をしていた。

そこで、ふたりが「日本の科学技術は世界トップレベルで、中国、朝鮮、アメリカが日本の技術を盗んで国を発展させている。盗まれないようになんとかしなければいけない。」と言っていた。

僕からすると、日本だって古代の時代から中国、朝鮮、ヨーロッパから科学技術をずっと盗んできたし、戦後は多くの研究者をアメリカ・ヨーロッパに数年送って(ポスドク、研究員、などというポジションで)科学技術を盗んできて、その盗んだ人達を日本のトップ大学の教授・企業の研究者にし、そのひとたちの「盗んできた」科学技術を発展させ、そのおかげで日本は発展し、今の日本があるわけである。

日本では、これを「盗んだ」とは言わないで「学んだ」と言っているが、盗んだのである。

僕は科学技術の発展において、自由な「交流」が絶対に必要だと考える。オランダの医学は15世紀~16世紀には世界で断トツトップでずば抜けていた。しかし、あまりに医学研究者、医者の数が増え、競争が激しくなり、医学研究者・医者同士がお互い新しい発見・知見などを秘密にするようになり、それぞれが自分のものだけにしようとした。そのせいで、オランダの医学はいっきに衰退してしまった。

したがって、科学技術では誰が誰のを盗んだというのは無い。他人に(他国に)に盗まれる頃には、もっと素晴らしい次世代の科学技術を発展させていれば良いのである。また、常にベター・新しいものを発見・発明して行く貪欲さが科学技術の発展には必要である。

盗まれる、常に盗まれる危機にさらせれていることで、この貪欲さを維持することができる。

これは、科学技術に限らず、なんでもそうである。常に自分の座が脅かされる環境にいないと、人(国)は、のほほんとしてしまい、一気に衰退する。日本の社会・大学が滅びつつある要因のひとつである。

2011年8月6日土曜日

2011年8月6日

今日はヒロシマ原爆記念日。

昨日からある研究会で御殿場に来ている。朝5時過ぎに起きて、1時間ばかり走り、その後、長い時間シャワーにうたれながら目を瞑って、66年前のヒロシマのこの日のことをしばらく思った。

シャワーから出て、記念式展をテレビでみながら、8時15分に1分間の黙祷をした。

2011年8月4日木曜日

2011年8月4日

大阪マラソンまであと3ケ月をきった。これからは、距離を稼いで持久力をつけるだけでなく、すこしづつスピードも入れていく予定。

昔は3時間をきるくらいのための練習をしていたが、今は練習量も半分以下なので、3時間20分で走れたら上出来だと思う。それでも、やはり少しスピードトレーニングをやっておかないとレースでつぶれてしまう。

これからは、週末のロングランで3時間弱走る時も、最後の半分くらいはレースペース(キロ4分45秒~5分くらい)のスピードで走るようにしていくつもり。かなり集中力の要求される残り3ケ月になりそうだが、まあエントリーして抽選に当たったし、お金も払ったので、仕方がない。

というわけで、10月終わりまでは、研究第一、トレーニング第二でいく。

2011年8月3日水曜日

2011年8月3日

日本は人権、差別という観点からすると、未だに世界の後進国である。

例えば、年齢による差別。
未だに、履歴書に年齢(つまり生年月日)を書くことが普通に行われている。
大学でも、研究・教育がどれだけできるかといった実力より、年齢でいろいろなことが差別される。国立大学だと、給料の額はそのポジション(例えば教授)に何年携わっているか(つまり年齢と相関)ということで決まる(僕みたいに若い時からアメリカで長年教授をやっていたのに、日本で教授をやっていた年限はゼロなので不利になる)。また、実力に関わらず、定年がある。つまり、いくら仕事が出来ても、ある一定の年齢になると定年退職しなければならない。定年退職の5年前になると、まわりの教員たちが、後何年であの先生は定年退職と、年数を数え始める。

これらは全て年齢による差別であると僕は確信している。もし、これが変わらないのなら、一度友人の弁護士に話しを聞いて、訴えてやろうかとさえ思う。一度、このことが裁判沙汰になると、世論も動いて良い方向に変わるのではないかと思う。

年齢以外にも、日本ではいろいろな差別が暗黙のうちに行われている。酷い国である。僕は日本が大好きで、自分が日本人である事を誇りに思っているが、「差別」という点では、恥ずかしい限りだ。これも、日本という国がまだ子供で大人として成熟していないということの現れだと思う。

2011年8月2日火曜日

2011年8月2日

僕は「数学的な考え方」は分野に関わらず(サイエンス、文系なんでも)非常に大切だと信じている。研究者に限らず、なんの職業でも「数学的な考え方」は大切だと考える。

しかし、学校では「数学的な考え方」を教えないで算術しか教えない。

例えば、円周率の意味や、どのような思考の歴史を経て円周率という概念が生まれてきたかを学校では教えないで、円周率=3.14 (ゆとり世代は3)として教え、それを使う算術しか教えない。

小・中・高でこのように数学を教えてしまうと、「数学的考え方」は養え無いし、子供たちが数学なんてどうでもいいと思ってしまう。

もっと、数学の概念の根本にある考え方や思想の流れを教えて、それらがこの世の中の様々な現象、成り立ち、政治の問題、社会問題を考え、また解決するのに、どのように役立つか、といったことを学校では教えてほしい。

しかし、問題は、このような教え方のできない人達が学校で教えているということなのだと思うが。。。。

2011年8月1日月曜日

2011年8月1日

以前ここに書いたように、今、歴史を少し勉強し直している。神代から始めて、鎌倉幕府が滅びるところまで勉強した。今回勉強して、なぜ現代の日本がこのような状況になっているのか、とてもよく理解出来たし、納得した。なるべくしてこうなったと納得できた。また、これからどうして行けばよいのかという点に関しても、一筋の光が見えてきたように思う。

もう少し現代まで勉強して、僕の意見・提言などを少しづつここに書いていこうと思う。

今週は出張もあり、色々忙しいですが、午前中の勉強の時間だけは確保出来そうです。