2011年8月7日日曜日

2011年8月7日

今日の朝、フジテレビのある番組で、石原慎太郎と藤原正彦の2人を招いて、日本の技術、サイエンス、政治その他について対談をしていた。

そこで、ふたりが「日本の科学技術は世界トップレベルで、中国、朝鮮、アメリカが日本の技術を盗んで国を発展させている。盗まれないようになんとかしなければいけない。」と言っていた。

僕からすると、日本だって古代の時代から中国、朝鮮、ヨーロッパから科学技術をずっと盗んできたし、戦後は多くの研究者をアメリカ・ヨーロッパに数年送って(ポスドク、研究員、などというポジションで)科学技術を盗んできて、その盗んだ人達を日本のトップ大学の教授・企業の研究者にし、そのひとたちの「盗んできた」科学技術を発展させ、そのおかげで日本は発展し、今の日本があるわけである。

日本では、これを「盗んだ」とは言わないで「学んだ」と言っているが、盗んだのである。

僕は科学技術の発展において、自由な「交流」が絶対に必要だと考える。オランダの医学は15世紀~16世紀には世界で断トツトップでずば抜けていた。しかし、あまりに医学研究者、医者の数が増え、競争が激しくなり、医学研究者・医者同士がお互い新しい発見・知見などを秘密にするようになり、それぞれが自分のものだけにしようとした。そのせいで、オランダの医学はいっきに衰退してしまった。

したがって、科学技術では誰が誰のを盗んだというのは無い。他人に(他国に)に盗まれる頃には、もっと素晴らしい次世代の科学技術を発展させていれば良いのである。また、常にベター・新しいものを発見・発明して行く貪欲さが科学技術の発展には必要である。

盗まれる、常に盗まれる危機にさらせれていることで、この貪欲さを維持することができる。

これは、科学技術に限らず、なんでもそうである。常に自分の座が脅かされる環境にいないと、人(国)は、のほほんとしてしまい、一気に衰退する。日本の社会・大学が滅びつつある要因のひとつである。