2011年1月31日月曜日

2011年1月30日

次は数学。僕は数学は小さい頃から大好きだった。大好きだから沢山勉強した。小学校の時には独学で二次方程式を勉強して、中学受験の算数の難問題は二次方程式を使ってあっというまに解いていた。当時、「高校への数学」「大学への数学」という雑誌があって(今もあるのかも知れないけど)中学二年生の時には高校三年生レベルの数学は独学で勉強して「大学への数学」に出ている懸賞問題を解いて応募していた。中学三年から高校時代は、英語で書かれた分厚い大学レベルの数学の専門書を独学で勉強していた。前にも、パンダに書いたけど、両親とも数学の教授でそのおかげでイタリアに一年間住んでいて、ひとつ年齢は上のY君と中学の時から仲が良かったので、彼の両親に解らないところは時々教わっていた。

国語。これは“試験の点”という観点からすると、酷いもので、僕は大学受験のための国語の勉強は全くしなかった。しかし、僕なりに日本語の読み書きの修行はかなりやった。中・高時代にどんなことをやったかというと、(明日に続く。。。。)

2011年1月28日金曜日

2011年1月27日

(昨日からの続き)
広島学院はカトリック系の学校なので、英語を母国語とする先生が多くおられた。アメリカ人、イギリス人、アイルランド人、フィリピン人など。だから、学校でも普通に英語を話す機会が多かった。また、僕は中学3年~高校2年までの三年間、ほぼ毎週、英語の文章をノートに2~3ページ書いて、当時おられたアメリカ人の先生に提出して添削してもらっていた。これは、義務でもなんでもなく、僕が自主的にしたいといったら、このアメリカ人の先生は快く引き受けて下さった。約3年間毎週、辛抱強く添削して下さった。

また、広島は当時ABCといってアメリカと日本が共同出資して運営していた、放射線研究所があって、家の近くにあった。また、広島学院にはアメリカ人の神父さんが何人かおられることもあり、ABCにアメリカから来て研究している研究者またその家族と知り合いになる機会が多かった。僕は中学2年生の時、そのなかでも、アメリカのUniversity of Rochesterから来ていた有名な(当時は有名だ知らなかったが、後にかなり高名な研究者だということを知った)統計数理学の教授であるCharles Odoroffという研究者とその家族と知り合いになった。とくにそこの長男のMark とは同い年なので、頻繁に一緒に遊んだ。だから、日本に居ながら、僕にとっては英語を読む、聞く、書く、喋るは日常の一部だった。

(明日に続く)

2011年1月27日木曜日

2011年1月26日

僕は中・高と広島学院というところに通った。今は知らないけど、当時は東大に毎年30人以上合格するような、いわゆる6年一貫教育の私立進学校だ。前にも書いたけど、僕は受験勉強をすると頭が腐ると真剣に当時思っていたから、受験勉強は全くしなかった。でも、かわりに自分の頭でしっかり考える勉強、将来絶対に必要なサバイバル能力を養う勉強はしっかりやった。これから何回かに分けて僕が中学・高校の6年間どのような勉強をどんな風にやったかを書いていこうと思う。

前提として、僕は7才くらいにはすでに将来研究者になると確信いていたという事実がある。また、日本ではなく海外で世界を相手に世界一の研究をしようと決心していた。したがって、英語は日本語と同じくらいProficient でないといけないとずっと思っていた。

では先ず、英語をどのように勉強したか。僕は読むもの(バスケの雑誌、小説、専門書、など)、聞くもの(ラジオ、テレビ、など)はできるだけ英語のものを読んで聞いた。ラジオだと米軍基地の放送(FEN)は毎日聞いた。テレビも音声多重放送が当時始まったと同時に、そのためのデッキを買ってNHKなどのニュースも英語で聞いた。映画もテレビのは音声多重放送をつかって英語で聞いた。また、映画館に日曜日にひとりでいって英語が全てわかるまで、何回も観た。セリフが空で真似できるくらい何回も観た。

(明日に続く)

2011年1月26日水曜日

2011年1月25日

昨日、12月最後のプロジェクトの結果がきた。残念な結果でした。コメントは「君の料理はインドネシア料理としてはとても美味しいものだったけど、私たちの食べたいのはタイ料理なんだよね。次回までにタイ専門の料理人と一緒に君のインドネシア料理のスパイスを加味して、美味しいタイ料理をつくってくれたら食べてあげる。」こんな具合でした。タイ専門の料理人がオーストラリアから来月ラボにやってくるので、色々話しをして一緒に料理をつくり始めようと思う。どっちみち、共同で料理をつくる予定だったからGood Timing。

2011年1月25日火曜日

2011年1月24日

アメリカではNIHのグラントに、個人の研究をサポートするRO1というもの以外に、複数の研究グループが集まって形成する大きな研究チームをサポートするProgram Project Grant(PPGと呼ばれている)というのがある。これは日本でいう新学術(旧特定)みたいなものだと思う。

PPGの日本のそれとの大きな違いは、PPGでは研究チームのほとんどがひとつの研究機関(あるいは大学)における幾つかの研究グループで形成されるというところにある。日本のそれは、ほとんどが複数の研究機関(大学)にまたがる研究グループでチームを形成する。PPGの場合は所属する研究グループが同じ研究機関(大学)にあるので、共同研究や合同ミーティングをフレキシブルに行いやすい。一方,日本のそれは、これらが困難なので、合同シンポジウムや合同ミーティング(いわゆる班会議と呼ばれるもの)が,頻繁に,何処かの場所で,泊まりこみで行われる。この合同シンポジウムや合同ミーティングのために、研究者(特に駒使い役にさせられている助教の先生たち)は、これに伴う事務的雑用に終始追われ、本来の目的であるサイエンスをする時間がなくなる。

僕はこのような班会議に出席した事がないので真相はわからないが、聞くところによると、班会議はお互いが親密度を高めたり、コネを強めたりといったことが中心になり、具体的な共同研究が生まれる場にはなっていないらしい。その証拠に、新学術(旧特定)の研究チーム内での複数の研究グループによる共著論文発表数はそんなに多くないらしい(これは僕が自分で調査したわけではなく、何人かの人達に聞いただけ)。アメリカでは、真の共同研究(つまり共著論文がPPGチームから頻繁に発表される)が行われていないとPPGとしてのファンディングは絶対にありえない。

日本はやはり「村社会」なのか、新学術(旧特定)などの場が人脈をつくることに使われていて、「複数の研究グループが集まって、個々の研究グループでは不可能な大きな研究プロジェクト、研究分野を開拓・発展させていく」という本来の目的が効率的に遂行されていないのではないかという声を僕は頻繁に聞く。

日本は極端にウエットな社会だから、ドライに真の目的遂行型社会になれといっても所詮無理な話なのかも知れない。だから僕は日本では,一匹オオカミ的な生き方しかできないのかもしれない。

2011年1月24日月曜日

2011年1月23日

今日の読売新聞朝刊に武田薬品が新卒採用にはTOEIC 最低730点を要求するということを2013年(つまり2年後)採用から適用するとでていました。僕の個人的な経験・体験からすると、TOEIC 730点では英語で世界を相手に仕事は出来ません。730点レベルはTOEIC対策の勉強をすれば取れる点なので、真の英語力とはいい難いと思います。やはり850点~900点以上のレベルだとTOEIC対策といったごまかしの英語勉強では取れないと思うので、本当はこれ位のレベルを要求するのが将来的にはよいと思います。

これから、このレベルの英語力を新卒採用の最低ラインとして要求してくる会社が加速的増えてくるのは確実なので(僕は2015年までに大手企業の半分以上がTOEIC 750点以上、トップ5%の大手企業がTOEIC 800点を最低ラインとして要求してくると予想する)、学生の皆さん英語だけは今からでも遅くありません。今すぐに高度なレベルの英語を習得するために行動を起こして下さい。英語が自由自在に操れないと相手にもされない時代はすでに来てます。

2011年1月22日土曜日

2011年1月21日

日本でもアメリカでも博士後期過程(ドクターコース)の学生の質は様々だが、昔からよく言われていることが1つある。

学生は、ドクター1年(D1)に上がる頃には、最低でも自分の研究分野のことであれば、指導教官よりも遥かに多くのことを知っていて、指導教官に色々と教える(つまり指導教官を教育する)くらいのレベルになっているのが当然である。

学生諸君ガンバレ!!