2010年8月11日水曜日

2010年8月10日

最近、つくづく自分の勉強不足を痛感する。今までの殻を打ち破るような素晴らしい研究成果をあげるには、自分の基礎学力(すなわち土台)が足り なくなってきた感がある。土台のない(または弱い)ところに、その場限りで色々と積み上げていっても、すぐに崩れてしまうので、先ずはしっかりした土台を つくる必要がある。僕はこの47年間、この土台をつくって、その上に色々と積み上げて研究成果を出して来た。しかし、今その基礎の土台が、あまりにも色々 なものを積み上げてきたおかげで、いっぱいいっぱいになってきたように感じる。 ここらで、時間をかけて、土台をさらに広げるか、もっと別の場所に新しい土台をこつこつとつくりあげていこうかと思う。そうすれば、今までの殻を打ち破るような素晴らしい研究成果が将来出てくると思う。

2010年8月10日火曜日

2010年8月9日

この週末の土曜日に淀川で恒例の花火大会があった。僕は、出張から、ちょうど帰ってくる時で、大阪駅は浴衣姿の男女でごったがえしていた。そこ で思ったのだけど、浴衣の似合う、若い男女が昔に比べて減ってきたように思う。特に若い男の浴衣の似合わないといったら酷いように思う。何故だかわからな い。ただ、僕自身が歳をとってしまっただけなのだろうか? 日本人さも失い、国際性もない、これからの日本はかなり変わって行くのだろう。世界の中で孤立とか、無視されたり、にならないといいけど。。。。

2010年8月9日月曜日

2010年8月8日

この週末は医学系の研究会があった。とても良い話しを沢山聞いた。とても勉強になったし、楽しかった。今回はラボからも数人の学生さんたちをつれていった。学生さんたちも、とても勉強になったみたいで、良かった。 また、僕が一年以上、高校一年生の時から、研究指導している地元の高校生さんが、夏休みを利用して、アメリカの僕の知り合いのラボで10日間、 研究の経験するために、この週末、アメリカに飛び立った。そのアメリカの知り合いの家にホームステイして、毎日大学のラボに通うことになっている。今日の 朝、その知り合いから、高校生さんが無事アメリカに到着したと連絡があった。よかった。この夏に一回り大きくなって、日本に帰って来ることだろう。

2010年8月7日土曜日

2010年8月6日

今日は8月6日。広島に午前8時15分、原爆がアメリカ軍により投下された日。僕は生まれは山口県萩市だけど、3才から高校を卒業するまでずっ と広島市に住んでいた。だから、核問題、戦争、平和ということが僕の頭にずっとある。色々考えてみると、僕のひとりの人間としての根本には常に「広島、原 爆、戦争、平和」といったことがキーワードになっていると思う。 以下、僕が、広島学院高校を卒業するときに卒業文集に書いたエッセイ。17才の時(30年前)に書いたものだ。
昭和56年広島学院第20期生卒業文集より「平和へ向けて」


2010年8月5日
今日は、あまり頭がはたらいてない。こういう時は、やらなきゃいけない単純作業を片付けて、頭がはたらいている時に、単純作業をしないでいいようにするのがベスト。

2010年8月5日木曜日

2010年8月4日

僕は、大学(筑波大学)の学部4年生の時に、最初の論文を書いて(初稿を自分で英語で書いて、Figures も自分でつくって、先生のところへもっていった)、First Authorで発表した。その時に、大学院、またその後の研究人生、をアメリカで送るために、アメリカ人に覚えて貰いやすい名前という事で、Thomas N. Sato (Tom Sato)という名で、論文を出した。それ以来、ずっとThomas N. Satoで論文を出してきた。しかも英語がほとんどネイティブと変わらないぐらい流暢なので(cockyな発言)、日本人、アメリカ人、ヨーロッパ人ら多 くの研究者たちから、僕は日系アメリカ人だと思われていた。という訳で、僕のラボには日本人の学生やポスドクは歴史的に少なかった(アメリカで研究してい る日本人がPIのラボには日本人のポスドクが多い)。三つめの理由。
このような状況だから、僕のラボから羽ばたいていく、学生、ポスドクは、ほとんどが日本人ではなく、日本以外(特にアメリカやヨーロッパ)のと ころで、その後活躍する。だから、僕は自分が育てた学生、ポスドクが、将来日本のリーダーになり、日本を世界一の国(いろんな意味で)にしていくことに貢 献する、といったシナリオに飢えていた。
だから、日本に帰って来た。日本のラボだと、日本人の学生、日本人のポスドクを沢山育てて、僕のラボを巣立った日本人の若い人たちが、将来日本 のリーダーとして、世界中で活躍する、といった僕の夢が叶う可能性が高くなるのでは、と思った。だから、アメリカでのいろんな贅沢な研究生活や誘惑を棄て て、日本に帰って来た。

2010年8月4日水曜日

2010年8月3日

日本に帰って来た、もうひとつ理由。
僕はアメリカ永住権(グリーンカード)を持っているので、一生アメリカにいようと思えば、いれるわけだ。でも、アメリカ市民になって、アメリカに忠誠を尽 くすことはしたくないし、出来ないし、アメリカに貢献しようなんて、まったく思ってない。アメリカが戦争に加わって、アメリカの国のために尽くす、なんて 出来ない。アメリカがいくら沢山オリンピックで金メダルをとっても、全然うれしくない。日本が金メダルをとると、とてもうれしい。このような気持ちの僕に アメリカ市民になる資格はない。
アメリカに尽くしたくなく、アメリカ市民になりたくない、僕みたいなものが、研究しやすいというだけで、アメリカに永住するのは、アメリカの国民に失礼だし、アメリカ人たちも、僕みたいなのがアメリカにずっと寄生虫のように住むのは快く思わないと思う。
外国生まれだけど、日本が好きで、日本に貢献しようと思って、日本国籍になって、日本にずっとすんでいる人たちは、日本国民だって大歓迎だ。で も、日本なんか大嫌いで、日本なんかに貢献するつもりがまったくないけど、お金稼ぎのため、仕事だけのため、に日本に永住されるのは、いやだと思う。これ と、同じことである。
このような、理由から、アメリカに貢献しようと思ってないけど、研究だけのためにアメリカに永住するというのは、ひとりの人間として、よくないことだと思い、それなら、アメリカに永住すべきでない、すなわち、日本に帰るべきだと、僕は決心して日本に帰ってきたわけだ。
もうひとつの理由は。。。。。(続く

2010年8月3日火曜日

2010年8月2日

日本では、年齢差別がある。普通にある。例えば、履歴書に生年月日を書く。人事の選考で、普通に年齢に関して論議される。日本では、学校、職 場、地域、ありとあらゆるところで、先輩、後輩の関係というのが、尊ばれる。一才違いでも、先輩は先輩、後輩は後輩だ。このような、カルチャーだと、やは り皆、あらゆる局面で、自分と関わる人(人達)の年齢が気になる。このメンタリティ-が少なからず、日本での年齢差別に繋がっているのかも知れない。 僕は子供の頃から、この先輩、後輩、また、年齢差別が、とてもいやだった。その幾つかの例:
  • 僕は中学、高校と6年間、広島学院のバスケット部に入っていた。中2から高校3年まで、スターティングメンバーで活躍していて、インター ハイにもいったし、広島県の国体選手にも高校2年生、3年生と選ばれた。だから、中2から高3まで、チームの中でもバスケの実力は先輩の多くの人たちより 上だった。ということで、下級生だからといって、自分より下手くそな先輩にはまったく先輩としての尊敬の念ははらっていなかった。僕より下手なベンチウ オーマーの先輩に遠征の時に、下級生が持つはずのボールをもって貰ったりしていた。今だと、このような態度はとらないけど、十代とはそんなもんなのかも知 れない。でも、とにかく、ただ自分より年上という理由だけで、実力が下の先輩にヘイコラする事はできなかった。
  • 僕は小学校の頃から研究者になりたかった。だから、もちろん大学院に行くこともすでにその頃決めていた。でも、日本で大学院に行きたくな かったし、日本で研究者にはなりたくなかった。その理由の1つは、当時では、いくら実力があっても、大学は絶対4年間、大学院は博士をとるまで5年間は勤 め無ければならなかった。僕はこのように、実力とはまったく関係ないこと、つまり年齢で僕の将来を縛られることは許せなかった。もうひとつの理由は、博士 号をとって、ポスドクをしたあと、例えば大学で研究をするとなった時、日本の大学では、いくら実績、業績、実力があっても、年功序列で、若くして教授には なかなかなれないと、当時聞いていた。そんなくだらないことで、僕の研究人生を棒にふりたくないと、子供ながらに思って、日本で研究などしたくないと思っ た。
僕自身、このようなことは今でもいやなのだけど、ではなぜ日本に帰って来たか?「そんなにいやなら、アメリカにいれば」と多くの人は思われると 思う。(実際、僕は自分が一生アメリカで研究しようと思えば出来るわけだし。。。。 終身雇用のTenureもとってるし、研究費だって、以前書いたように、沢山あったわけだし。。。。。給料だって今の約3倍だったわけだし。。。。。どう 考えても、  それらを棄てて日本に帰って来る理由が見当たらないわけだ。。。。)
その1つの理由は、僕と同じような考えや思いをもっている人たちがドンドン海外に出ていってしまっては、日本はいっこうに変わらないわけだ。だ から、僕は、あえて日本に帰って来て、僕のような違う視点での意見を積極的に日本国内でいうことや、僕の日本での動向を見て、僕みたいな思いで実力のある 研究者が日本に少しでも多く帰ってくればで、日本を、「実力のある研究者が研究しやすく、その実力を存分発揮出来る」、国に変えて行けるのではと思う。こ れが、僕が日本に帰って来た幾つかの理由の1つだ。
もう1つの理由は (続く)。