2011年9月18日日曜日

2011年9月18日

大学院生の教育に関して、僕とNAISTの何人かの先生方とは相容れない感覚・哲学があると最近は確信してきた。

僕は24年以上にわたりアメリカで大学院教育を受け、またアメリカの大学院でついこの間まで学生の教育に携わってきた。NAISTの多くの先生方は日本で大学院教育を受けられた人達である。

僕も含めて、多くの人達は他人の教育をするとき、自分の受けた教育にかなり影響される。したがって、僕とNAISTの他の何人かの先生方とが大学院教育に関して相容れない感覚・哲学があっても当然のことである。

まあ、僕は僕のやり方でやるので、邪魔だけはしないで欲しい。僕も他の先生方の教育方針に関してはいちゃもんつけないので。

学生さんたちは、将来彼ら・彼女たちが、「僕みたいな研究者・教育者・人間」あるいは「NAISTの他の先生方みたいな研究者・教育者・人間」になりたいかで、師を選択すれば良いと思う。

人はそれぞれ違うので、それぞれがお互いをRespectしつつ各々の哲学で人生を歩めば良い。

2011年9月15日木曜日

2011年9月15日

日本の大学・大学院では、学生は試験や教員により常に評価され、それによって育っていく。しかし、大学の教授はほとんど評価されないで、20年~30年あるいはそれ以上教授としてあり続ける。

人は弱いし、怠けものだから、評価されたり批判されることによって常にマインドをシャープに保ち、進化し続けることができる。しかし、日本の大学の教授はほとんど評価されないで何十年も平穏な生活をおくることができるので、堕落の一途を辿ることになる。

これは異常。日本の政治家だって、選挙という形で常に国民の評価を受ける。会社の社長だって、利益という形で常に評価される。なぜ日本の大学教授は評価されずに定年退職まで解雇されることなく給料を貰えるのか。

日本の大学では、教授たち自身で形成する教授会なるものが大きな権限を持っているので、自分達で自分達の首を絞めるようなことは議題にも上らないし、万が一上っても100%否決される。したがって、教授たちが自分達で学外の有識者の方々にシビアな評価を定期的にしてもらおうなどというシステムを作ろうとはしない。例え作っても形ばかりのシステムでシビアな評価は行われない。

アメリカにいた頃は、毎月教授だけが集まって、自分たちの最前線の研究を発表しあって、お互いに建設的な批判をしあう。また、研究費の申請書を出す度にかなり詳細にわたる批判がかえってくる。研究費が取れないとTenure (終身雇用)を獲得していてもラボは縮小されるし、研究以外の仕事を多くさせられるので、結局研究出来なくなる。また、学内でも色々な研究グループの集まりがあり、そこでも教授を含めた研究者同士が喧々轟々と研究を議論しあう。

アメリカやヨーロッパでは建設的な批判・議論というのが根本にあり、これが日常なので、常に自分のマインドをシャープに保つことができる。

僕のいるNAISTでも似たような事をチョコチョコやってはいるが、批判や議論のレベルがまだまだあまいと思う。このままだと、僕自身の頭が腐ってしまうので、早急になんとかしようと思う。

2011年9月14日水曜日

2011年9月14日

先日ラスカー 賞(ノーベル賞への登竜門といわれている世界的に権威のある賞)の発表があった。Basic Medical Research の分野では、HorwichとHartlの2人が受賞した。2人とも、細胞内でのタンパク質折りたたみ調節機構の構造学的メカニズムを明らかにした功績で受賞した。タンパク質が正常に折りたたまれないないで細胞内外に溜まると、それがもとで多くの病気になる。アルツアイマー病はその代表的なもののひとつである。タンパク質の折りたたみの不具合が根本にある病気はかなり沢山あると予想されていて、タンパク質の折りたたみ調節機構の不具合に起因している病気はもっともっと沢山これから見つかってくるものと予想される。

10月最初にはノーベル賞の受賞者たちが発表される。今年は誰が取るのだろう。僕の予想を来週あたりにでもここに書こうと思っている。

2011年9月13日火曜日

2011年9月13日

僕はアメリカにいた時も大学の教授として大学院の教育に20年以上関わってきて、日本のNAISTに来ても大学院生の教育に関わっている。NAISTに来てからは、アメリカにいた時に比べて、10倍とはいわないまでも、数倍以上の時間と労力を大学院生の教育に費やしている。僕みたいに、色々な事を無視していても、これ位だから、真面目に決められた通りきちんとやっている先生方は、とんでもない時間と労力を大学院生の教育に費やしているはずである。

やはり、NAIST は大学院生の教育をやり過ぎていると思う。僕が、こんなことをいうと、他の先生方は、「最近の学生さんたちは、色々懇切丁寧に手取り足取りやってあげないとなにも出来ないし、すぐわき道にそれてしまう。教育というのは無理やりにでも、色々やらせないとダメなのだ」と言われる。

このようなことをいう先生たちは、何時になったら、「そのようなダメ学生にしてしまっているのは、自分達だ」という事に気づかれるのだろう。

世の中の教育ママ・パパたちがダメな子供たちをつくっている、という事実に当人たちは全く気づいていないのと同じ事なのだろう。

2011年9月12日月曜日

2011年9月12日

先日TVで橋本大阪府知事と平松大阪市長の討論会をみた。どちらの言い分が正しいという事は別にして、平松さんのあのDefensive な態度は政治家、またリーダーとしては頼り無いと思う。平松さんは、所詮、「気のいい、知的な、その辺の庶民的、近所のおじいちゃん」でしかないような気がする。

平松さんのようなDefensive なお爺ちゃんたちは僕のまわりにも沢山いる。もしかしたら、人間歳をとると多くの人達はDefensive になるのかも知れない。もしそうだとすると、僕もいつかははあのようなDefensive な態度をとるようになるのかな。。。。。恐ろしいことだ。。。。自分では気がつかないだけで、既になっていたりして。。。。。。

2011年9月11日日曜日

2011年9月11日

大阪マラソンまであと1ヵ月半になり、週末いたるところでマラソン完走クリニックみたいなのが行われている。僕が走っていても、最近はそれらしきグループが皆で走っているのを頻繁に目撃する。

そこで気づいたのだが、日本のランナーは、みんな格好がきまっている。ほとんどが、頭の先から足の先まで、ランニング雑誌からぬけ出てきたモデルみたいな格好をしている。つまり格好だけは一丁前である。初心者ランナーまで格好だけはオリンピック選手みたいにきまっている。

格好からはいるのではなく、もう少し本質的なことに目を向ければ良いのにと思ってしまう。

日本人は何事も周りがきちんと整ってないと不安になるらしく、野蛮性に欠ける。ゴルフでも、実力はあり日本国内では活躍できるのに、海外にいくと全然ダメな選手が多いのは、日本の選手(例えば石川遼)は野蛮性に欠けるので、海外の整っていないコンディションの悪いコースや、悪い天候下でのゲームでは、実力が発揮できないせいだと思う。以前、石川遼もあるインタビューでそのようなことを言っていたように思う。一応、自覚はしているらしい。

以上のことは研究にも通じるものがある。日本の研究者の多くは、色々なことが整っていないと、一歩も踏み出せないで、プロジェクトを始めるにあたって、先ずは、周りの細々したことを整えようとする。僕からすると、そんなに周りをチョコチョコ整える前に、先ずはプロジェクトの根本に関わることをとにかく大雑把でも良いからやってみて、プロジェクトの方向性を決定するほうが良いと思ってしまう。

「先ずは前進し、道をつくる。道のまわりに植える飾りの花などのことは後で整えれば良い。」というのが僕の哲学。

2011年9月9日金曜日

2011年9月9日

NAISTに来て、僕が個人レベルでいくつか新しい試みを自分のラボへの寄付金などを使って行った。その幾つかはとても上手くいったので、最近、研究科レベルで行っている。

それは、それで大学、研究科に貢献することになったので良いことではあると思っている。その反面、研究科としてやることになると、他の教員や他のラボと足並みを揃えたり、非常に小さなことでも全て研究科全体に周知させ同意を得ないとならない。とても大変である。

今思うと、僕個人で細々とやっていた時のほうが、僕自身にとってはやり易かったと思う。

研究科全体としてやることがベターなのかどうかは、これから見守っていくしかない。もし、研究科全体としてやることが逆効果であれば、あっさり止めればよいと思っている。そして、元どおり個人レベルで細々とやればよい。

何事も、Small Scale でやったほうが効果の出ることと、Big Scale でやったほうか有効なことがあるので、どちらが良いのかを見分けて戦略を練ればよい。これは、いろいろなことに通じるLessonだと思う。