2011年9月15日木曜日

2011年9月15日

日本の大学・大学院では、学生は試験や教員により常に評価され、それによって育っていく。しかし、大学の教授はほとんど評価されないで、20年~30年あるいはそれ以上教授としてあり続ける。

人は弱いし、怠けものだから、評価されたり批判されることによって常にマインドをシャープに保ち、進化し続けることができる。しかし、日本の大学の教授はほとんど評価されないで何十年も平穏な生活をおくることができるので、堕落の一途を辿ることになる。

これは異常。日本の政治家だって、選挙という形で常に国民の評価を受ける。会社の社長だって、利益という形で常に評価される。なぜ日本の大学教授は評価されずに定年退職まで解雇されることなく給料を貰えるのか。

日本の大学では、教授たち自身で形成する教授会なるものが大きな権限を持っているので、自分達で自分達の首を絞めるようなことは議題にも上らないし、万が一上っても100%否決される。したがって、教授たちが自分達で学外の有識者の方々にシビアな評価を定期的にしてもらおうなどというシステムを作ろうとはしない。例え作っても形ばかりのシステムでシビアな評価は行われない。

アメリカにいた頃は、毎月教授だけが集まって、自分たちの最前線の研究を発表しあって、お互いに建設的な批判をしあう。また、研究費の申請書を出す度にかなり詳細にわたる批判がかえってくる。研究費が取れないとTenure (終身雇用)を獲得していてもラボは縮小されるし、研究以外の仕事を多くさせられるので、結局研究出来なくなる。また、学内でも色々な研究グループの集まりがあり、そこでも教授を含めた研究者同士が喧々轟々と研究を議論しあう。

アメリカやヨーロッパでは建設的な批判・議論というのが根本にあり、これが日常なので、常に自分のマインドをシャープに保つことができる。

僕のいるNAISTでも似たような事をチョコチョコやってはいるが、批判や議論のレベルがまだまだあまいと思う。このままだと、僕自身の頭が腐ってしまうので、早急になんとかしようと思う。