2011年2月21日月曜日

2011年2月20日

「二つに一つ」「白黒つける」「是非」といった日本語がある。しかも頻繁に使われている。これが、日本社会が寛容性に欠けた社会になっている起因のひとつかもしれない。また、このような性質が日本人(特に日本の政治家)の交渉力が低い原因の一つになっているのかもしれない。「腹切り文化?」もこの辺に起因しているのかも知れない。

これはサイエンスにも通じている。どうも日本では「二つに一つ」「白黒つける」「是非」的なサイエンスが蔓延っているし、このようなアプローチがほとんどのように感じる。これでは、深いサイエンスは出来ないと僕は考える。

「二つに一つ」「白黒つける」「是非」的なサイエンスをしている人たちの多くは、間違ったサイエンスの認識をしている。これらの人たちは、サイエンスは「真実」を明かにするものと勘違いしている。しかし、それは間違い。

サイエンスはこの世の現象に対して、実験結果、論理の展開によって、最もつじつまのあう、また最も普遍性のある説明を見つけることである。したがって、「真実: absolute truth」とは違う。新しい実験結果 (new evidence, observation)、新しい見方 (examination from a new angle)、新しい論理 (new logics) の展開で、現在ある科学的説明は変化する。極端なことをいうと、生命の説明で“現在ある”セントラルドグマ (Central dogma) も200年後には全く違ったものに変わっている可能性がある。