2011年7月20日水曜日

2011年7月20日

アメリカにいた時、僕のまわりの多くの人達(教員、研究者、学生、事務員)は、自分は「選ばれた者」であり、したがって責任をもって仕事をし、良い仕事をすることにより社会に貢献し、また自分自身もそれによりさらに上を目指す、といった高い責任感と意識を持っていた。

オリンピックに日本代表として出場する選手たちも、この「選ばれた」という意識を持っていると思う。したがって、それなりの責任感、意識の高さを持って、試合に望む。

僕のまわりに、この「選ばれた」という意識の無いまま、勉強、研究、仕事をしている人達がいる。その結果、このような人達は、責任感また意識も低い。まあ、「選ばれていない」人達にそのようなことを要求しても、無駄なことではある。

逆に間違った「選ばれた」という、エリート意識も問題ではある。モラルの低いエリート意識も問題である。真のエリートとは、「選ばれた」という意識のもと、鋭い思考力と鋭い勘、強いリーダーシップ、強い責任感、高い向上心、高いモラル、自分に厳しく他人に寛容な態度、社会(人類)への還元意識、これらを持ち合わせた人物をいう。

それにしても、日本にはこのようなエリートを教育する機関が余りないような気がする。まあ、このようなエリートを教育できる教育者も少ない訳だから仕方がないと言えばそれまでなのだが。。。。

僕のラボでは、「選ばれた」学生、研究者、スタッフで、チームをつくり、真のエリートを教育して行きたいと思う。「ノアの方舟」の乗員も「選ばれた」生き物たちだったし。。。。