2011年7月29日金曜日

2011年7月29日

先日「教授」について書いたが、問題のひとつは以下のように思う。

日本の大学では「助教」という職があり、一応Assistant Professor であり、研究・教育に専念しているはずだが、多くのラボでは、助教はラボマネージャーであり、ラボの運営を教授の指示にしたがって日々おこなっている。また、学生の教育も教授の指示にしたがって日々おこなっている。しかも、学生の研究指導というよりは、最近は学生のメンタルケアー係、酷い場合は学生の「小道具」となっている場合もあるらしい。したがって、自分の研究の時間はとても限られている。

つまり、教授の「番頭」「丁稚」である。

このような仕事を510年やって、ようやく教授になる人が多い(なれればラッキーなほうだという意見もある)。したがって、このような仕事をさせられている間に、本人も気づかないうちに、「研究者」ではなくなってしまい、頭の中もそれに合わせて不可逆的変化をとげ、「研究者・サイエンティスト」に戻れなくなってしまった教授がいるわけである。

知的財産の多大なる損失である。

もちろん、素晴らしい理解ある教授のもとで、助教が研究を自由にさせてもらっているケースもある。僕自身、そのようなラボをいくつか実際に知っている。

追伸
僕のラボにも助教はいますが、彼らは100%自分の研究に打ち込んでいる。僕のラボにはラボマネージャーがいるので、彼女がラボの運営をしきっている。