2013年6月7日金曜日

2013月6月7日

以下、朝日新聞ウエブロンザ813日の僕の論考です。半年以上たったので、朝日新聞の許可を得てここにコピーを載せます。

火星で地球の生命誕生を探る「好奇心」

 米国の航空宇宙局(NASA)の打ち上げた火星探査機「キュリオシティ(日本語で「好奇心」)」が日本時間で2012年8月6日午後2時32分、火星のゲイルクレーターに無事着陸した。2年間の打ち上げ延期後、昨年11月に打ち上げられ、5.66億kmを約9カ月かけて航海してきた。針の穴に糸を通すよりも数千倍以上の精確さを達成しての着陸だ。もともと16億ドル(約1,280億円)の予算で始まり、最終的には25億ドル(約2,000億円)もかかった巨大国家プロジェクトである。

 火星サイエンスラボラトリーミッションのプロジェクト主任研究員であるジョン・グロツィンガー氏によると、キュリオシティの使命は、地球で最初の生命が誕生したころの火星の状態を探ることにある。火星のほうが地球より過去の状態が保たれているので、火星の過去を明らかにすることは、間接的に地球での生命誕生の歴史を理解することに役立てられる。それが、今回の最大の目的である。

 生命が存在するためには、水、エネルギー、炭素の三つの要素が必要とされている。今までの火星観測・探索では、過去に水が存在し、現在もしばしば存在していることがわかっている。また、生命の代謝に必要なエネルギーを生み出す化学反応が火星のどのあたりに存在した可能性があるか、という見当もある程度ついている。

 しかし、生命の誕生、また、その後の生命活動の維持を可能にする炭素がどこに存在するのかについては未だに明らかになっていない。そこで、これを明らかにし、その痕跡を発見することが、キュリオシティの主たる役目である。地質学的時間を数十億年もさかのぼることは容易ではない。それでも、キュリオシティにはそのことを可能にする機能が二つ搭載されている。

1)探査機に搭載されている最先端の完全自動制御の研究室
 そこには、濾過システム、試験管、拡大鏡、質量分析器、ガス分析器、オーブンや、コンクリートをも粉砕できるドリルによる試料のサンプリング制御システム、17個の高分解能・高感度カメラなどが搭載されている。

2)プルトニウムから発する熱の電気変換による探査機の駆動システム
 これにより、キュリオシティは何年も火星で連続して駆動することが可能である。生命体を構成しうる炭素を探すということは、暗闇に存在するのかどうかわからない黒猫を探すようなものなので、これはこのミッションにとって必須である。炭素が存在していそうな場所を探しまわり、それらしき痕跡のある場所で上記のサンプリング実験システムにより試料を収集・分析する作業を、2年あるいはそれ以上の長期にわたって毎日繰り返す。

 キュリオシティの着陸したゲイルクレーターは、過去5年にわたる調査によって、生命体を構成しうる炭素の存在の可能性の高い場所だとわかった。ここには過去に水が流れていた痕跡があり、炭素を含んでいる可能性のある鉱物が豊富に存在していた兆候もある。このクレーターは幅150kmで、その中心にはシャープ山が存在する。これは高さ5000mほどの山だ。数億年から十億年かけてできあがった地層を有しているので、火星の歴史を探るに最適であると考えられている。

 さて、この夏、地球外生命を考えるうえで、もう一つ大きなニュースがあった。

 去年、NASAの研究者が米国カリフォルニア州で、もうひとつの生命基本元素のひとつであるリンのかわりにヒ素を構成元素としたバクテリアの一種を発見したと発表し、このバクテリアをGFAJ-1と命名した。この発見は、生命がリンなしでも誕生しうる可能性を示唆するため、これまでの科学の常識を覆す発見として、各方面で大きくとりあげられた。

 ところが今年7月になって、米国(カナダのグループとの共同研究)とスイスの二つの研究グループがそれぞれ独立に、GFAJ-1はヒ素に抵抗性をもつバクテリアではあるものの、リンを基本の構成要素としており、リンなしには生命を維持できない、と発表した。その結果、現時点では、地球上あるいは地球外の地球に似た環境で生命が誕生し、生命活動を維持するためには、炭素以外にリンも必須であろうという見解に落ち着いている。

 生命誕生と生命活動の維持に炭素とリンの両方が必須かどうかという問いに解答を得る意味でも、今回のキュリオシティによる火星探索活動は重要な役割を果たすであろう。また、初期には地球とそれほど変わらない環境にあった火星が、なぜその後衰退し、一方、地球では生命が繁栄したのか、という宇宙規模の問いに対しても、答えが得られる可能性がある。

 キュリオシティによる砂のサンプリングは今年9月中旬から始まり、10月か11月ごろから岩石の穿孔を始める。火星創世記を通して地球上での生命誕生の歴史を解明し、ひいては地球外生命体を見つけることをめざす宇宙開拓時代の幕開けが、ここに始まった。2012年8月6日は歴史的な日として人類史に書き記され、永遠に語り継がれることであろう。