乳がん死防止法の発想転換を迫る女性研究者の最新成果
乳がんは女性がかかりやすいがんの第1位であり、日本人女性の18人に1人が生涯で乳がんを患う(「がんの統計’09」財団法人がん研究振興財団より)。罹患者数は年々増加しており、2000年には37,389人だったが2004年には50,549人になった(「地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2005年)」
国立がんセンター がん対策情報センターより)。また、乳がんでの死亡者数も2000年の9,171人から2008年の11,797人へと年々増加している(「人口動態統計によるがん死亡データ(1958年~2008年)」
国立がんセンター がん対策情報センターより)。
乳がんによる死亡は、肺、骨髄、脳など他の臓器への転移によることがほとんどである。そこで、触診やマンモグラフィーの定期検診による乳がんの早期発見・早期治療をし、転移を防ぐことが重要になってくる。
しかし、多くの場合、発見時点で既にがん細胞は他の臓器へ転移している。それでもがんが微小であるため初期の場合ほぼ確実に見つからない。転移したがん細胞が発見できる大きさに成長するには10年以上かかる場合が多い。つまり、乳がん発見の時点で、がん細胞はすでに他の臓器へ転移している可能性が高く、転移したがんは10年以上発見されず、転移巣が発見された時には既に手遅れである場合が多い。死亡を避けるには転移を抑える、あるいは転移後のがん細胞の増殖を抑えることがカギになる。
今年7月のネイチャー・セルバイオロジーという世界的に権威のある国際誌に、乳がん細胞が他の臓器に転移し、転移後どういったきっかけで突然増殖し始めるのかをマウスなどの動物実験で明らかにした、との論文が報告された。発表したのは、米国カリフォルニア州にあるローレンス・バークレイ国立研究所の乳がん研究グループである。このグループを率いるイラン系アメリカ人のミナ・ビッセルさんは、乳がん研究の世界的権威であり、女性研究者のロールモデルとしても有名だ。彼女は、大学院1年生の時に女児、その数年後に男児を出産した。現在では2人の子は成長し、3人の孫にも恵まれている。妻、母、祖母、研究者として大活躍しており、若い女性研究者から憧れられる存在だ。
今回は彼女のグループのこの最新研究成果(Nature Cell Biology, Volume 15, pp.807 – 817, 2013)の概要を紹介し、乳がん撲滅の将来的展望を論ずる。
研究成果の第一のポイントは、乳がん細胞は転移先の臓器にある正常な血管の細胞に張り付いた状態で存在すると見いだしたことだ。この状態では、血管から継続的に分泌されているTSP-1というたんぱく質によりがん細胞は休眠状態にあり、転移した臓器の血管に張り付いて1〜数個の細胞のまま長期間生き続ける。現在の診断技術では、このような少数の転移がん細胞を発見することは不可能である。そして、何らかのきっかけで転移先の臓器において炎症がおこった場合、血管が刺激を受け、がん細胞の増殖を促進する作用のあるペリオスティン、テネイシンC、フィブロネクティン、TGF-βといったたんぱく質を分泌し始めることも見いだした。その結果として、転移したがん細胞が増殖する。休眠状態にあったがん細胞は、転移先の臓器で炎症がおこると急激に増殖し、周りの組織を破壊し始めるのである。
つまり、乳がんが肺などに転移しやすいというのは間違いであり、肺などの臓器は「転移後に増殖しやすい(増殖する可能性の高い)」環境なのである。肺は空気中の有害物質あるいは喫煙(受動喫煙も含む)による障害を受けやすく、それらの刺激により炎症がおこりやすい。だから、肺で乳がん細胞が増殖する場合が多いのだ。大きな転移巣ができてしまうと、臓器不全でヒトは死に至る。
今回の発見によると、転移したがん細胞が増殖するのを抑えることさえできれば、がん細胞は休眠状態のままなので身体に害をおよぼすことはない。つまり、転移している1〜数個の乳がん細胞を休眠状態のままにしておくことで臓器不全を引き起こすのを予防する治療のほうが、がん細胞の転移を防ぐ治療より現実的であり、乳がんによる死亡を防ぐことに直接つながると考えられる。
では、乳がん細胞を休眠状態のままにするための予防治療としてどういったことが考えられるだろうか。先ずは、臓器に炎症がおこらないようにつとめることであろう。肺であれば、能動喫煙、受動喫煙ともにゼロにすべきである。また、炎症を抑える(抗炎症薬など)予防治療も考えられるかもしれない。
今回の研究は、あくまで動物モデルをつかった初期段階での研究成果であり、これからさらに詳細なメカニズムが明らかにされ、またヒトでの研究や臨床試験などを経る必要がある。しかし、乳がん死撲滅への大きな第一歩であることは間違いない。また、彼女のような妻、母、祖母、ひとりの人間、また研究者として多くの人たちに尊敬されている女性が、このような大きな発見をしたということも特筆されるべきである。