2013年12月20日金曜日

2013年12月20日

以下、2013927日と20131015日に朝日新聞ウエブロンザに掲載された僕の論考です。すでに時効ですのでここにコピーします。


2013年ノーベル医学生理学賞と化学賞を大胆予測する

昨年のノーベル医学生理学賞は、ジョン・ゴードン氏(Sir John B. Gurdon)と山中伸弥さんの「細胞の初期化の発見」に対して与えられた。医学生理学賞では日本人2人目、また初めての100%日本発の発見に対する授賞ということで日本中が沸いた。今年も受賞者発表が間近に迫ってきたので、2013年の医学生理学賞と化学賞の行方を大胆に予測してみる。

今年は、医学生理学賞が「細胞のホルモン、神経伝達物質などの放出メカニズムの発見」、化学賞が「たんぱく質の折りたたみ機構をになう分子構造の発見」であると筆者は予想している。以下にそれぞれの発見について簡単に説明し、受賞の可能性のある研究者をあげてみる。

医学生理学賞:「細胞のホルモン、神経伝達物質などの放出メカニズムの発見」

われわれの身体は60兆以上の細胞が集まって成り立っている。それぞれの細胞が身勝手にふるまっていたのではわれわれの身体は正常に機能しない。細胞同士が相互にコミュニケーションをはかる必要がある。例えば、細胞内でつくられたホルモンが細胞の外に放出され、それが血管などを通して他の細胞へ作用する。もし細胞からホルモンが放出される機能に異常がおこると、身体の成長、血圧調節、心臓や腎臓のはたらき、血糖値の調節、といったさまざまな身体のはたらきの調節機能に不具合が生じてしまう。時には生死にも関わる。

また、脳においては神経細胞同士のコミュニケーションが神経伝達物質によっておこなわれている。コンピューターに例えると、電子回路の電子に相当するのが神経伝達物質である。神経細胞からの神経伝達物質の放出に異常がおこると、脳の中の情報伝達に障害がおこり、神経疾患や記憶障害がひきおこされる。また、心臓や、われわれの身体の動きを調節している筋肉などのはたらきも、脳の外にある末梢神経細胞から放出される神経伝達物質により調節されている。したがって、これに障害がおこると心機能に異常を来したり、身体の筋肉の動きを調節できなくなってしまったりする。

以上からわかるように、細胞からのホルモンや神経伝達物質の放出は身体のさまざまな機能調節に必須であり、その異常は生死に関わる。この細胞外へのホルモンや神経伝達物質の放出メカニズムを1970年後半から1980年代にかけて発見したのが、米国の2人の研究者、ジェームス・ロースマン氏(James Rothman・現エール大学教授)とランディー・シェックマン氏(Randy Schekman・現ハワードヒューズ医学研究所研究員兼カリフォルニア大学バークレー校教授)である。

この2人が今年は有力ではないかと筆者は思っている。ノーベル賞は3人まで受賞できるので、もしかするとドイツの研究者であるラインハルト・ヤン氏(Reinhard Jahn・現マックスプランク研究所所長)、また米国のリチャード・シェーラー氏(Richard Scheller・現ジェネンテック社上級副社長)、ドイツ生まれで米国研究者のトーマス・スードフ氏(Thomas C. Südhof・現スタンフォード大学教授)の内の誰かひとりも選ばれるかもしれない。彼らは、神経伝達物質の放出メカニズムの発見という観点から1980年代に大きな貢献をした。

化学賞:「たんぱく質の折りたたみ機構をになう分子構造の発見」

生命機能にとって必須の物質のひとつであるたんぱく質の設計図は、細胞内にあるDNAに刷り込まれている。DNAからRNAという物質を介してたんぱく質は細胞内でつくられる。しかし、たんぱく質はそのままでは正常には機能できない。RNAから合成された後、適切な三次元構造へ折りたたまれてはじめて正常に機能できる。アルツハイマー病、ハンチントン病、筋萎縮性側索硬化症などの神経疾患は、たんぱく質が正常に折りたたまれないことが原因であるとも考えられている。

たんぱく質がどのようなメカニズムで正常に折りたたまれるのかは長年不明であったが、1980年から1990年前半にかけての研究で、「シャペロン」と呼ばれているたんぱく質の助けで正常に折りたたまれることが明らかになった。シャペロンを発見し、シャペロンと複合体をつくることでたんぱく質が折りたたまれるメカニズムを原子・分子構造レベルで明らかにしたのがドイツのフランツウーリック・ハートル氏(Franz-Ulrich Hartl・現マックスプランク研究所所長)と米国のアーサー・ホーウィッチ氏(Arthur L. Horwich・現エール大学教授)のふたりである。

今年のノーベル化学賞は、この2人になる可能性が高いと筆者は考える。原子・分子構造レベルでの研究は故ポール・シグラー氏(Paul B. Sigler・当時エール大学教授)とホーウィッチ氏の共同研究なので、仮にシグラー氏が存命であれば彼も入っただろう。

以上が筆者の予想である。仮に今年はだめでも、数年のうちにはこれらの発見者が受賞するであろう。



何故わたしのノーベル医学生理学賞の予想が的中したか

今年927WEBRONZA掲載の筆者のノーベル医学生理学賞予想が的中した。10月7日に発表された受賞分野ならびに受賞者3人ともを予言できたわけである。残念ながら化学賞の方は予想がはずれた(もっとも「今年がだめでも数年の内には」と書いたので、まだはずれたとはいえないかもしれない)が、実は医学生理学賞にはかなりの自信があった。というのは、以下のような背景や理由があったからである。長年、米国で研究生活を続けたからこそ、見えてきたことによる推理と言えばいいだろうか。

筆者が米国で博士号を取得し、ポスドクそして自分の研究室を主宰していた1980年代後半から90年代前半に、今回ノーベル医学生理学賞を受賞したジェームス・ロースマン氏(James Rothman)とランディー・シェックマン氏(Randy Schekman)は、前者は動物細胞を使った生化学的手法で、そして後者は酵母を使った遺伝学的手法で、次から次へと細胞内たんぱく質が膜輸送によって細胞外へ放出されるメカニズムを明らかにしていった。当時、筆者をふくめた多くの研究者が、これらの一連の発見の生物学における重要性、発見自体のエレガントさ、そして他の研究グループに対する圧倒的優位性から、この2人は必ずやノーベル賞を受賞するであろうと思っていた。実際、2002年にはノーベル医学生理学賞への登竜門といわれているラスカー賞をこの2人は受賞した。それ故、次はノーベル賞だというのが、われわれ米国の研究者の間でのもっぱらの噂だった。

しかし、その栄光はなかなか訪れなかった。2009年にノーベル賞を受賞したのは、2006年にラスカー賞を受賞したエリザベス・ブラックバーン(Elizabeth Balckburn)、キャロル・グライダー(Carol Greider)、ジャック・ショスタック(Jack Szostak)だった。テロメアーを伸長する酵素であるテロメラーゼの発見の業績に対してである。2011年には、2007年のラスカー賞受賞のラルフ・スタインマン(Ralph Steinman)が免疫において重要な役割を果たしている樹状細胞の発見でノーベル医学生理学賞を受賞、また、2012年に受賞したジョン・ガードン(John Gurdon)と山中伸弥は、2009年のラスカー賞受賞者だった。このように、ロースマン氏、シェックマン氏より後にラスカー賞を受賞した研究者たちが次から次へとノーベル医学生理賞を受賞していったため、ロースマン氏とシェックマン氏はノーベル賞受賞の時期をもはや逃してしまったと思われていた。

しかし、今年(2013年)9月9日にラスカー賞の発表を聞いて筆者は驚いた。トーマス・スードフ氏(Thomas Südhof)とリチャード・シェーラー氏(Richard Scheller)の名前を聞いたからである。彼らは、神経細胞が神経伝達物質を細胞内膜輸送によって放出されるメカニズムを分子レベルで解明した研究者であり、以前ロースマン氏とシェックマン氏がラスカー賞を受賞している分野に非常にかぶっているからだ。このように同じような分野が再度ラスカー賞の受賞対象になるのはとても稀である。
その時、筆者がすぐに思ったのは、スードフ氏は筆者が以前教授をしていたテキサス大学サウスウエスタン医科大学において、1985年にコレステロールの研究でノーベル医学生理学賞を受賞したジョセフ・ゴールドシュタイン(Joseph Goldstein)とマイケル・ブラウン(Michael Brown)の愛弟子であり、この2人に大変その能力を認められていたことである。また、シェーラー氏は2004年に嗅覚の分子メカニズムの発見でノーベル医学生理学賞を受賞しているリチャード・アクセル(Richard Axel )と2000年に記憶の分子メカニズムの発見でノーベル医学生理学賞を受賞しているエリック・カンデール(Erick Kandel)の、米国ニューヨークにあるコロンビア大学での愛弟子で、両氏に大変認められている研究者である。
筆者は、スードフ氏もシェーラー氏も個人的によく知っており、また、2人の師匠であるゴールドシュタイン、ブラウン、アクセル、カンデールを個人的に大変よく知っている。米国では、この4氏の医学界における情報収集力また様々な国際賞における影響力の大きさはつとに知られている。

ここからは筆者の推測になる。おそらく10月に発表されるノーベル医学生理学賞にロースマン氏とシェックマン氏が入っているであろうことをゴールドシュタイン、ブラウン、アクセル、カンデール等が何らかの方法で嗅ぎ付け、スードフ氏とシェーラー氏をノーベル医学生理賞候補として強く推した。そして、万が一、ノーベル医学生理学賞を逃しても、ラスカー賞をスードフ氏とシェーラー氏に受賞させることで自分たちの愛弟子に栄誉を与えられると考えたのであろう。これが、2人のラスカー賞受賞を聞いて筆者がすぐに思いついたことである。

だから、自信をもってピンポイントで予想をWEBRONZAに書いたのだった。


結局のところ、ノーベル賞受賞には、飛び抜けた発見・発明を成し遂げることのほか、人脈も重要ということである。