2014年9月7日日曜日

201497日【2014722日朝日新聞Webronza掲載論考】
僕のウエブロンザの論考、掲載から二週間たったので、朝日新聞からの許可を頂き、ここに公開します。


早稲田大学は泥仕合覚悟で小保方氏の学位を剥奪すべし


 今月初旬に正式に取り下げられたSTAP細胞の論文の筆頭著者である理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーが、3年前に早稲田大学に提出した博士論文について、早稲田大学が設置した調査委員会(委員長・小林英明弁護士)の調査結果が発表された。
19日に全文がネットに公開された報告書によると、著作権侵害などの不正を認定、「論文の信憑性や妥当性は著しく低く、審査体制に重大な欠陥がなければ、博士の学位は授与されることは到底考えられなかった」「博士学位を授与されるべき人物に値しない」「早稲田大学における博士学位の価値を大きく毀損(きそん)するもの」としながらも、早稲田大学の学位取り消しの規定にある「本大学において博士、 修士または専門職学位を授与された者につき、不正の方法により学位の授与を受けた事実が判明したときは、総長は、当該研究科運営委員会および研究科長会の議を経て、既に授与した学位を取り消し、学位記を返還させ、かつ、その旨を公表するものとする」(早稲田大学学位規則第 23 条第 1 項)には当たらないとした。小保方氏の博士論文には、「不正の方法」に該当する部分があったものの、「そのいずれもが、学位授与に重大な影響を与えたとはいえず、これらの問題箇所と学位授与との間に因果関係があったとはいえない」というのである。つまり、これらの不正の方法があったが故に博士号を修得できたのではないと結論づけたのだ。
また、報告書には、博士論文の基となる実験は実際に行われており、それらをまとめた研究結果は査読付きの国際科学誌に論文として発表されているので、博士号に値する研究は行われたといった意味の記述もある。これら全てを考慮の上、「博士号の取り消し要件には該当しない」と結論づけた。
 一方、小保方氏の指導教官であり、博士論文の主査である常田聡氏、また副査の武岡真司氏の「指導不足、義務違反」などを指摘、常田氏は「非常に重い責任」、武岡氏は「重い責任」があるとし、また、「製本された最終的な完成版の博士論文の内容を確認する体制の不存在、第三者的立場の審査員の不存在、主査・副査の役割・責任の不明確さ、主査・副査が論文を精査するための時間等を確保するための体制の不備、及び審査分科会構成員が論文を精査するための時間等を確保するための体制の不備」という、制度上及び運用上の欠陥・不備も指摘した。
 筆者がこの報告書を読む限り、調査委員会の結論は規定に従っており、論理構成に問題点は全くない。
しかし、その正しい調査委員会の結論を無視することになっても、早稲田大学は小保方氏の博士号を剥奪すべきである。筆者がそう考える理由を以下に述べたい。

【日本の高等教育の下等化問題】
 今回の結論が成立する背景には、現在の多くの日本の大学院が抱える「高等教育の下等化問題」が潜んでいると筆者は考える。「下等化」とは、大学院博士課程の学生を「未熟な子供」とみなす考え方から起きてくる諸問題だ。
「学生は間違いもするし、稚拙な行動をとることもある。それを適切に指導し、一人前に育てるのが大学院、また指導教員の役割だ」という考え方は、日本では当たり前のようである。だから、もし提出された博士論文に不正、不備があれば、それを見抜き、正しい最終版に仕上げることが、指導教官、また論文審査委員の仕事とされる。「未熟な子供」の学生の悪さの責任は、親役である教員、大学が負うべしというわけだ。この大前提が日本の大学院には蔓延している。早稲田大学の規定も、この大前提のもとにつくられている。
 しかし、米国の大学院で博士号を修得し、その後も米国で20年あまり研究・教員に携わった後、5年前に奈良先端科学技術大学院大学に教員として着任した筆者には、こうした考え方は驚愕の事実であった。最初は着任した大学だけの特殊な状況かと思ったが、この5年間で、日本の多くの大学院に同じ考えがはびこっていることを知った。
つまり、大学院の教授などは、研究室という名の「クラス」を担当する、「クラス担任」なのだ。学生指導という観点に関して言えば、小中高の学校の先生と大して変わらないとも言える。つまり、初等教育と変わらない。それを筆者は「下等化」と言った。
米国の大学院では、教授は自分のラボを維持するために自分で研究費を獲得し、研究成果を出し、研究を通じて大学院生やポスドクをトレーニングする。ラボの研究・教育方針は自分で決め、ラボを「PI(研究室主宰者)」として運営する。その方針が間違っていればラボ運営は失敗し、教授自身が痛手を負う。また、研究費が獲得できなければ、スタッフやポスドク、大学院生への給料も払えなくなり、自分の給料の一部も払えなくなる。反面、研究費を順調に得て、素晴らしい研究成果を出し続けていれば、誰にも文句は言われない。自分の給料も増え、スタッフも沢山雇え、ラボも大きくできる。教授は「中小企業の社長」のようなものなのである。
そして、その研究室に所属する大学院生は、「研究者の卵」であり、それなりの責任をもった行動、研究活動が求められる。研究という、真剣勝負の「戦場」のなかで、一人前の研究者に育てられるのである。当然、真剣勝負の現場に見合った自己責任が求められる。データの使い回し、文章の盗用など、もっての他である。
 しかし、日本の大学院は、そうはいかない。大学院とはいえ、あくまで「学校」なのだ。そのような状況下では、今回のような規定があって当然であり、その規定を今回のように調査委員会が解釈することは、論理的にまったく正当である。

【それでも、大学としては小保方氏の博士号を剥奪せよ】
 それでも、早稲田大学は小保方氏の博士号を剥奪すべきだと筆者は主張する。そうすると、長期にわたる訴訟に発展することは先ず間違いないであろう。そして、早稲田大学に在学する多くの学生、早稲田大学の卒業生、また他大学の多くの学生に恐怖心を与えることになるであろう(学生、卒業生たちは、自分の不正が今後暴かれるのではないか、あるいは、なにかあったら大学から訴訟をおこされるのではないかと不安を持つだろう)。また、早稲田大学への入学者の激減、教育の場の一時的なモラルの低下もおこるであろう。
 そうであっても、早稲田大学は博士号を剥奪すべきだ。法廷で泥仕合を繰り広げる覚悟で、小保方氏に騙された(つまり詐欺容疑)と訴えるべきである。数年レベルの短期的には、上記に述べたような様々な問題を巻き起こすであろうし、間違った大学運営の判断だといった報道もされるであろうし、世間からもそういった目でみられるであろう。しかし、長期的視野で何が大学として正しい道かを考えてほしい。
筆者は、小保方氏の博士号を剥奪すべしと提言する。理由は一つ。それが、日本全体の今後の高等教育の質の改善に必須だと考えるからだ。

 最後に、早稲田大学のホームページにも掲げられている、建学の精神をここに再確認することで、この論考をしめくくる。(以下、早稲田大学ホームページより抜粋)

学問の独立
「学問の独立」は、「在野精神」「反骨の精神」と結び合います。早稲田大学は、自主独立の精神を持つ近代的国民の養成を理想として、権力や時勢に左右されない、科学的な教育・研究を行ってきました。

学問の活用
もちろん、近代国家をめざす日本にとって、学問は現実に活かしうるものであること、日本の近代化に貢献するものであることが求められました。 つまり「学問の活用」です。安易な実用主義ではなく「進取の精神」として、早稲田大学の大きな柱の一つになりました。

模範国民の造就
庶民の教育を主眼として創設された早稲田大学。その3つめの建学の理念が 「模範国民の造就」です。グローバリゼーションが進展する現代、豊かな人間性を持った「地球市民の育成」と言い換えることができるでしょう。建学の理念とそこから生まれ受け継がれてきた早稲田スピリットは、私たちの財産。早稲田人がひとしく身につける校風です。


 特に、「権力や時勢に左右されない」「模範国民を造就する」といった建学の精神をしっかりと受け止め、再確認し、早稲田大学の名に恥じない決断を筆者は切に願う。