2014年9月8日月曜日

201498日【客観的】
日本で、「客観的」というと、ひとつの物差しがあって、母集団すべてをその物差しに当てはめてはかれることを客観的というみたいだ。日本では、ひとつの物差しで、すべての母集団をはかれるからこそ客観的で、ひとつの物差しではからないと私情がはいってくるから客観的ではない、というように思っている人たちが大多数。

バカだな、と思う。客観的の意味を間違って教育されてきた人たちは、そういうふうに客観的を理解している。

客観的とはそうではなく、論理的に説明(つまり理屈で説明)できることで、いくつも物差しはあっても、それぞれの判断、解釈、評価が、論理的に説明できれば客観的なのである。私情が入っていても、それが論理的な説明がなされれば、それは客観的なのだ。


そういうことが、何時になったらわかるのだろうか。