2010年2月17日水曜日

2010年2月16日

昨日からの続き。
しかし、普通の一般市民には直接的に生活を便利にしたり、金銭的利益をもたらすものでないと、価値がなかなか分らない。一般市民の多くはその 日、その日を生きているので、10~20年後にもしかしたら有用な技術革新につながるような基本概念・原理なんてどうでもいいわけである。
では、どうしたら一般市民に「哲学的科学」の必要性、重要性を分ってもらえるか?一部の市民にしか分って貰えないという事は、それなりの小額の 研究サポートしか貰えないという事につながる。スポーツの世界でマイナーなスポーツ(例えばトライアスロンとか)がメジャーなスポーツ(例えばサッカ-) に比べて援助が少ないのと一緒である。
では、どうやってマイナーな「哲学的科学」という研究を日本でメジャーな研究分野に持ち上げるか?僕は二つ手があると思う。一つは、日本から世 界中の誰もが認める革新的科学概念・原理の創出が生まれるのを静かに待つという手である。例えば、ダーウインの進化論、Cell Theory、アインシュタインの相対性理論に匹敵するようなものである。そうすれば、日本中が盛り上がって、一気にメジャーへの道に進み易くなると思 う。もうひとつの方法は、何らかの方法で日本の一般市民が「哲学的科学」ってこんなに楽しいサイエンスなんだと思えるように策略を練るという方法である。 例えば、サッカーだって、日本が強くなったって別に日本人の生活が便利になる訳ではない。でも、サッカーをプレーしたり観戦するのを楽しむ人々は多くい る。サッカーを楽しむ人々の数が多いと、ビジネスとして成り立ち、経済効果もある。したがって、「哲学的科学」を一般市民が楽しめるような方法を生み出せ ば、それに付随したビジネス(例えば、「哲学的科学」のクイズ番組、コンテスト、「哲学的科学」を皮肉ったショウビズ、「哲学的科学」を扱ったゲーム、 等)が出てきて経済効果が上がると思われる。
ではなぜ「哲学的科学」において日本が世界をリードできる可能性があるか?これについて考察して見る。
To be continued (続く)
追伸
先週、東京に出張に行ってきた。そのついでに東京ミッドタウンに行く機会があった。僕の反応は「なんじゃこりゃ」である。一見お洒落風のカフェやお店が沢 山集まっているけど、そこにたむろしている人々は僕と同じダサい人々ばかりか、一生懸命お洒落に見せようとしてる人々ばかり。マンハッタンのミッドタウン をもじったつもりだろうが、マンハッタンのミッドタウンは結構汚い庶民的な地区である。相変わらず日本人の欧米コンプレックスはひどいものである。もっ と、「和」を現代社会に融合させた新しい町作りをしてもらいたいものだ。