2010年2月19日金曜日

2010年2月18日

ちょっと今日は科学の真面目な話から休憩。 先週、今週とNAISTのバイオサイエンス研究科では博士論文と修士論文の発表公聴会。僕は、出張やら、ちょっとお腹をやられて休んだりで、全ての発表には顔を出すことはできなかったが、幾つかは出れた。
僕の感想は、みんなよく発表の練習をしているし、発表の仕方の指導も厳しく受けている具合がよく伝わった。それはそれで良いのだけど、皆、「同 じように」発表が「上手く」て、みんなロボットみたいに見えた。研究もそれなりにみんな素晴らしい研究をして、しっかりやっているのだけれど、どれも全て 優等生のやるきちんとした同じような研究ばかり。みんなとは一味違う、かわった研究は見当たらなかった。また、発表もみんな同じように優等生がやるきちん とした発表ばかりで、そのひとりひとりの持ち味を行かした個性的な発表はなかった。今思いかえすと、各々の発表をした本人の顔があまりよく思いだせない。 みなロボットみたいに(またはクローン人間みたいに)同じ発表の仕方だったからだと思う。僕は、東京に行くたびに同じような感覚を持つ。東京で駅や町を歩 いている人たちが全て同じようにきちんとしていて、同じような顔に見える。
NAISTは発表の仕方など懇切丁寧に学生さんに指導する。これは、良い事なのだけれど、みな同じような発表になってしまう原因がそこにあると 思う。最近の若い学生さんたちは、みんな素直なので、指導してしまうと、みんな同じ人間になってしまう。それで無くても、多くの日本人が同じ人種なので、 見かけも、考え方も、感じかたもそれほど差がない。それに加えて、多くの日本人が大人になるまで、日本といった小さな国のなかで同じような文化背景、同じ ような生活背景のなかで暮らす。この様な状況で、さらに同じように懇切丁寧に指導してしまうと、みんなロボットのように同じ人間ばかりが育ってしまう。
少なくとも、僕の研究室の学生さんたちには、厳しく、でも自由に、育って欲しいので、僕は細かく指導しないで、時間はかかるかも知れないけど、 学生さんたち自身に自分で自分の道を見つけてもらいたい。でも、厳しく批判はするようにしている。でないと、考えない人間になっちゃうから。