2012年6月28日木曜日
2012年6月27日水曜日
2012年6月27日
アムステルダム滞在も今日で終わり。午後のKLMで関空に帰ります。CWIとの関係はこれからも長く続くので、アムステルダムへは頻繁に来ることになると思う。
アムステルダムはとても便利。関空(僕は大阪に住んでいるので、関空までJR環状線と「はるか」を使って40分くらいで行ける)からアムステルダム(スキポール空港)までKLMで直通だし、スキポール空港内から電車でアムステルダムのセントラルステーションまで20分くらいで行ける。また、スキポール空港での入国手続きもとても簡略化されていて、アットいう間に終わる。
日本の国際空港も、ここまで便利にしてくれると良いのだが。。。。関空はまだマシなほうで、成田の不便さといったら。。。。。まあ、「過度の複雑さ」は日本の「お家芸」なのでいくらぼやいても仕方ないのだが。。。。
2012年6月26日火曜日
2012年6月25日月曜日
2012年6月25日
昨日アムステルダムに到着。今日は朝8:30から一日中ミーティング。それにしても、アムステルダムは何時来ても大好きな町。芸術的な町で、とても自由だけど深いところで様々な問題を抱えてそうな雰囲気なところが僕は好きだ。
2012年6月23日土曜日
2012年6月23日
僕自身の奥深いところはアーティストなので、ひとつひとつの研究も精魂尽くして丁寧に「この世にひとつだけの美しい成果」をだすことを常に目指している。もちろん、そのような成果に結びつく事は稀だが、常にそれを目指している。
学生教育に関しても、ひとりひとりの学生さんが「この世にひとりだけの個性豊かな人間」に成長することの手助けをすることを心がけている。
こんなことを僕が言うと、まわりにいる他の先生方(僕のまわりにいるごく一部の先生方ですが。。。)は、そのようなやり方は日本では上手くいかないですよ、といわれる。それらの先生方によると、日本では大学も大学院も学生の教育は「同じ缶詰を大量生産する」方式にしないとやっていけないらしい。また、それらの先生方から「学生さんたちも、鍛えられて個性豊かな人間になることよりも、均一の缶詰につめられて会社に送られる(つまり就職させてもらう)ことのほうを望んでますから」ともいわれた。
これって本当ですかね。。。。もし本当だとしたら、非常に残念なことだ。。。。。
2012年6月21日木曜日
2012年6月21日
アメリカにいた時は、僕はまわりから常に「こいつは次はどんな凄い事をやるのだろう」「今、どんな面白い研究しているのだろう」という風にみられていた。職場以外でも、多くの人たちは、「なにか面白いことはないか」「なんかすごいことないか」というメンタリテイ-でまわりをみている。
しかし、日本では、「こいつは次にどういう悪いことをするか」「次にどういった間違いを起こすか」「ちゃんと規則を守っているか」という目でまわりをみている人が多いような気がする。これじゃ、みんな萎縮していまうし、ダイナミックなことは望めない。
こう考えると、ラボでも、学生さん達や、研究者の人達を、「次はどんな間違いをしでかすのか」「次は何をやらかしてくれるのか」といった目で「監視」していたのではなかなか良い研究は望めないと思う。
僕も、この辺は気をつけているつもりだが、ついつい「出来ない(出来ていない)こと」に“過度”に意識が集中している空気を漂わせてしまうことがある。気をつけねばと思う。
2012年6月19日火曜日
2012年6月18日月曜日
2012年6月18日
僕は、1991年1月(当時28才になったばかり)に、米国で、PIとして自分のラボを運営し研究してきた。したがって、PIとして21年半ということになる。長いようで短いようで。。。。
2012年6月17日日曜日
2012年6月15日金曜日
2012年6月15日
Sociology の分野に“The micro-macro problem”というのがある。これは、佐藤ラボの研究分野にかなり使える。そうです。Sociologyもサイエンスの一分野なのです。Socioeconomicsも。
2012年6月14日木曜日
2012年6月13日水曜日
2012年6月13日
ロシア語を大学卒業以来、再勉強し始めて2週間ほどたった。なんとか、たどたどしいけどモスクワに観光に行っても困らない程度にはなった。秋までには、日常会話が流暢にできるくらいまでに復活したい。
2012年6月12日火曜日
2012年6月12日
Finally, in environments where individual contributions are hard to separate from those of the team, financial rewards can encourage workers to ride on the coattails of the efforts of others, or to avoid taking risks, thereby hampering innovation.
By Duncan Watts.
日本のようなチームワーク(つまり集団)を大切にするカルチャーも否定はしないが、同様に「個人プレー」も大切にしないと、ひとりひとりの「責任」という自覚も生まれないし、皆がみな他人に寄りかかり、責任を他人になすりつけ、リスクをとらず、最後には集団全てが沈没する。
また、Dr. Wattsが言っているように、イノベーションも生まれにくい。
2012年6月11日月曜日
2012年6月11日
東京大学名誉教授でNAISTの経営協議会議委員の石井紫郎先生が、NAISTの「せんたん」5月号の巻頭インタビューで、「集団で(外国へ)行く武者修行はなく、まさに単独でいろいろな体験をして鉄人になって行くことなのです。」と仰っている。
このことは、僕も過去3年間しつこく言っていること。いい加減、手取り足取りの海外研修はやめて欲しい。
現在、海外へ集団で語学研修・ラボステイに派遣するのに、NAISTバイオサイエンス研究科では、学生ひとりあたり35万円弱使っている。そこで、上記のことをふまえ、僕は以下の案を提案する。
学生1人あたり約35万円の予算を与え、英語で研究出来る能力をつけるために使わせる。どのように、使うかの計画書を学生一人一人に作成させ、それを教員でつくる委員会で審査し、認められた者に、その予算で計画を実行させる。計画書には、具体的な学習計画 (海外の共同研究ラボ滞在、国内外の語学学校、など、学生ひとりひとりの能力によって様々でよい) 以外に、必ず、具体的な最終目標(例えば、TOEICの具体的な目標点、など) と、その目標を何時までに達成する、という2点も明確に提示させる。その目標に、期限までに、到達できなかった場合は、単位を出さない。
如何でしょうか?
この案に対する批判のひとつとして「最近の学生さんはお子さまだから、とてもまともな計画書はつくれない」というのがあると思う(過去3年間の経験から、このての批判・意見がでてくるのは容易に想像できる)。
しかし、いつまでも学生(大学院生)を子供あつかいしていては、いつまでも子供のままで、じぶんひとりではなにも出来ない若者が増えるだけである。
2012年6月10日日曜日
2012年6月10日
今日、朝、1時間半ほどジムでトレーニングした。そのついでに、スピンマシンで体力測定したら、僕の体力年齢は18才とでた。実際の年齢より30才以上若いことになる。体重も身長も20才の時と全く同じなので、まあ悪くはないかなと思う。
ただ、VO2Maxは50ml/kg/分で、米国にいた時より少し落ちてるような気がする。もう少し、インタバルをトレーニングに盛り込むかな。
2012年6月9日土曜日
2012年6月9日
今日も午後はずっとスタバで仕事した。スタバにいく度に思うけど、若い女の子達が、フラペチーノみたいに脂肪が半端じゃない量のドリンクをマフィンみたいに甘いものといっしょに飲んだり食べたりしている。
こいつら、将来みんな糖尿病になるんだな、と思う。20年後は日本も今の米国みたいに、人口の半分以上が、肥満、糖尿病などに侵されていることを確信した。
2012年6月6日水曜日
2012年6月6日
What we don’t realize, however, is that common sense often works just like mythology.(中略)The cost, however, is that we think we have understood things that in fact we have simply papered over with a plausible-sounding story. And because this illusion of understanding in turn undercuts our motivation to treat social problems the way we treat problems in medicine, engineering, and science, the unfortunate result is that common sense actually inhibits our understanding of the world.
By Duncan Watts (“Everything is obvious once you know the answer” より抜粋)
これは、Sociologyに限った問題では無く、サイエンスでも同じことがいえる。
しっかり考えないで、もっともらしい説明(Publishできる、あるいはPublishし易い結論)にトラップされ、本質を見抜けないでいる。
2012年6月5日火曜日
2012年6月5日
今、“Everything is obvious once you know the answer”By Duncan Watts 、という物理学者の書いたSociologyの本を読んでいる。その中の一節に「The net result is that common sense is wonderful at making sense of the world, but not necessarily at understanding it」とある。
サイエンスは「To understand it」が最終目標であるはずだが、「To make sense of it(the world)」で満足してしまうサイエンティストがいる。特に、日本に来てこの傾向が強いと感じている。
僕が考えるに、そのひとつの理由は、おそらくサイエンティストを目指す若い学生さんたちに、「To understand it 」と「To make sense of it」との違いをきちんと教えていないからではないかと思う。
サイエンスのいろいろな知識や技術を教えるのも良いが、「サイエンスとは何ぞや」という根本的に大切なことをきちんと教えていないような気がする。
おそらく、今、日本の中高校で理科を教えている先生や大学教授などの教員の中にも(もちろん例外的な方もおられると思うが)、「サイエンスとは何ぞや」ということをしっかり教わらない、考えない、でこれまで来てしまった人達が少なからずいらっしゃるのではないかと思う。
2012年6月4日月曜日
2012年6月3日日曜日
2012年6月3日
昨日、広島の実家から帰ってきた。今日は朝、近所の散髪屋で、何時も通りSお婆ちゃんの昔話を聞きながら髪を切って髭を剃ってもらった。また、入院している友人のお見舞いに行ってきた(まだ、術後で直接は面会出来なかったので、お見舞いを預けてきた)。
その後、午後はスタバで17時前までずっと仕事をした。
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