2020年7月25日土曜日

2020725日【太く脈々と流れる時間】

この4連休は、比較的自由度が豊富なので、がっつり学術の本(論文ではなく本)をしっかり読んでるのだけど、学術本の場合、自問しながら、かつ「うそ〜」とか「ホンマか」とか考えながら読んで、その度に他の本や原著をネットで調べながら読むので、めちゃくちゃ時間かかる。丸一日かかって1ページとかある、、、。

 

それでも、僕が学生だった40年くらい前は、ネット検索なんてないから、図書館に「住んで」その度に原著や本を物理的に探して複写して、時には複写依頼して取り寄せて、なんて時代だったから、その頃に比べると格段に便利にはなった。

 

とはいえ、あの頃の「太くて脈々と流れる時間」が懐かしくはある。

 

2020年7月21日火曜日

2020721日【研究者としてCOVID-19時代に考えたこと】

僕自身は、もう40年間弱、生命科学や医学の研究していて、病気については、ほとんど何も本質的なことは分かっていない、ということを分かっている。だから、研究を続けている。

でも、この新型コロナ事変で、世の中の一般の人達の認識は、こんなこととっくのむかしに解明されているはず、との前提で考え話される。この大きな乖離が、世間一般の方々のフラストレーション、訴え、批判、困惑、につながっているのだろうと僕は今考えている。

今更だけど、研究レベルで分かっていること分かっていないことを正確に市民の方々に伝え理解してもらうことの重要性を感じる。

これを担う役割として、数十年前に日本でもサイエンスコミュニケーターなる人種(職業)が生まれたのだけど、どうも、「研究を市民にわかりやすく伝える=赤ちゃん言葉で分からないことはできるだけスキップして分かったことをできるだけ誇張して伝える」という方程式で活動されるので、今のような状況になってしまった。そして、「研究を市民にわかりやすく伝える=ある程度の嘘には目をつむる」ってことで、研究成果が一般市民に発信されている。

ただ、そもそも人は、「XXXはまだ分からない」という情報よりは、「XXXが分かった」という情報を好むので、それも厄介。

そう考えると、「教育」が重要となるけど、一般市民の多くが論理的な考えを持てることは不可能、ということは明らか。

じゃ、どうする、ってことになる。

今の僕には答えはないのだけど、考えるべし材料。

2020年7月17日金曜日

2020717日【歴史を築くということ】

エビデンスや例をリストするとすごいことになるから割愛するけど、何事も「オーソドックスな方法」で地に足をしっかりつけて根気強く地道に前進するのがベスト。そして、そういう人たちと付き合うべし。

工夫(これを独創的と勘違いしている人たちは沢山いるけど、実は「工夫」と「独創的」は全く別物)したり、デコレーションするやりかたはエセものを作るだけ。そして、こういうエセもの同士は群がりやすい。また、こういうものの寿命は短い。

さらに、工夫やデコレーションばかりしていると、本来の究極的な真の目的や目標を見失って、工夫やデコレーションすることが目的や目標になってしまう。そうなると、その(負の)連鎖反応が起こり、後で振り返って見ると、結局その都度の(そして短命の)流行りを生み出したり流行りに乗っかったりはしたかもしれないけど、ちょっと風が吹くと消えて無くなるような足跡しか残してなかったことに後で気づく。

そして、日本国は、この工夫やデコレーションを「独創的」と勘違いして、そういうものやことを国を挙げて推し進めることに躍起になっている。

もっと、「歴史を築く」ことを推し進めるべし。