2009年12月25日金曜日

2009年12月24日


今日はクリスマスイブ。明日はクリスマス。日本では両日とも普通に仕事。まあ、キリスト教の国ではないから仕方ないけど。でも、アメリカに24年以上住んでいたので、どうもホリデーモード。仕事したくない。しかも、クリスマスシーズンなのに町はそんなにクリスマスモードでもない(ちょっとした飾り付けはあるけど。。。。)。New Yorkのクリスマスデコレーションがとっても懐かしい。やっぱり、12月はNew Yorkで休暇をとれば良かった。でも、日本でも12月終わりころ何かいい事あるかも。。。。

日本に帰って来てどうも毎日がダラダラと過ぎていき、けじめが無い。アメリカにいた時は、やる時は徹底してやるけど、やらない時は徹底してやらないというケジメがあった。でも、日本では何だか毎日、たいした事では無くても、何かしら毎日ある。週末も含めて。この風潮に呑まれ込まれないように、ケジメをきちんとつけた生活をもっと意識しないといけない。でないと、自分までもダラダラした人間になってしまう。僕は、結構ケジメのある生活を長年続けてきたと思っている。でも、ここ数ヶ月、日本のこのダラダラした雰囲気になんとなく呑み込まれるのではないかといった、かなりの危機感が忍び寄っているように感じる。

僕の2010年の目標:
もっと、徹底して遊ぶ。休むと決めたら、何が何でも徹底して休む。ヨーロッパ、オーストラリア、アジア(日本以外)にもっと頻繁に出かける。

2009年12月21日月曜日

2009年12月20日


今日は夏にNAISTで西大和高校の高校二年生が行った研究の成果発表会があった。僕は、すべての発表の後、バイオサイエンス研究科を代表して高校生、父兄、教員の方々に5分ほど講評を話した。その時の原稿をここに書いておく。

講評というより、皆さんがこれから5年後、10年後、20年、40年後にも頭のどこかに残しておいて欲しいなと思うことを一つお話しさせて下さい。おそらく、多くの皆さんはサイエンス=技術、モノづくり」と思われていると思うのですが、それは、サイエンスのほんの一部です。もうひとつは「サイエンス=芸術」の部分です。技術はおもしろいアイデア、道具、お金があれば生まれます。でも、芸術はそれらでは、生まれません。また、サイエンスにおいては新しい技術、新しいモノは「サイエンス=芸術」という部分なしには生まれません。「サイエンス=芸術」とはどういうことでしょうか?それは、今、我々の目には見えないモノを自分の創造力を駆使し想定し、それらが、この自然界をどのように動かしているかを論理的に説明し、この自然界の仕組みの新しい見方を明らかにするということです。絵描きや音楽家が、この世の中の様々な成り行きや感情を自分なりの解釈で、絵や音を通して表現するのと同じです。

具体的な例を一つあげます。皆さんiPS細胞というのを聞かれたと思います。これは、からだの様々な細胞を遺伝子操作することによって作った万能細胞のことです。iPS細胞は2006年に本校に以前おられた山中先生が成し遂げられました。これは、革新的技術の開発です。これは「サイエンス=技術、モノつくり」の部分です。しかし、からだの様々な細胞が万能細胞になりうるという概念を提唱したのはJohn Gurdon というイギリスの研究者で、これは今から50年以上前のことです。これが、「サイエンス=芸術」の部分です。この、概念なしに、iPS細胞の作成は無かったと言っても過言ではありません。

では、「サイエンス=芸術」の部分が将来できるように今から何をしたらいいでしょうか?沢山あるのですが、そのうちの二つを皆さんに伝えさせてください。一つ目は、サイエンスに限らず、できるだけ多くのことを、見て、聞いて、読んで、それらの様々なことがすべてどの様に繋がっているかを常に考えてください。もうひとつは、自分とは何かを探ってください。そのために一番良い方法は、自分とはまったく違う文化背景、言語環境に育った人たちとできるだけ多く関わってください。

皆さんに期待します。」

2009年12月18日金曜日

2009年12月17日

僕はダイナミックな組織・人が好きだ。ダイナミック」さは、大失敗と大成功の繰り返しなしにはありえない。と言うか、大失敗、大成功の繰り返しその物が「ダイナミック」の定義だ。数学、物理、統計学をしっかり勉強された方には分ると思う。

多くの人はいう。「今までうまくいっているものをあえてなぜ壊すのか?」「特にメリットがなくデメリットのほうが多い」「日本では無理」など安定思考型の意見。しかし、「ダイナミック」であるためには、一定の期間でものを壊して、新たなものを創っていく必要がある。物事を積み上げていくにも、どれだけ積み上げられるかは最初の基盤(基礎)の大きさで決まる。もうこれ以上積み上げられないものにもっと積み上げようとすると壊れる。だから、時にはうまくいっていると思われるものをいやでも壊す必要がある。そして、新たな基盤を創って積み上げていくしかない。それで、大失敗するかも知れない。でも、逆にデメリットとやる前は頭で考えていたことが、やってみると思いもしなかったメリットをもたらすこともある。これらが、「ダイナミック」なもの(こと)の面白さ。アメリカ合衆国大統領も三選禁止。平家物語もそう。「安定=衰退」です。

この様なことをいうと、理想論だ、精神論だ、現実を見ていない、日本でダイナミックさなんて無理、など様々な意見があることは耳にたこができるほど聞いた。そうかも知れない。しかし、理想論、精神論が働かなくなったもの(こと)はろくな道を辿らない。世界の歴史を見れば明らか。

日本では「ダイナミック」なもの(こと)など無理なのかも知れない。たぶん、多くの人たちがそう思っているのだろう。だから、日本が国としても「ダイナミック」ではないのかも知れない。僕は、それでもあえて「ダイナミック」さを追求するべきだと思う。そして、「ダイナミック」な組織、団体、個人が長い年月を経て少しずつ増えていく事が、日本の国全体としての「ダイナミック」さに繋がるのではないかと思う。

2009年12月17日木曜日

2009年12月16日


僕は10代~30代くらいまでは、海と温暖な気候が大好きだった。だから、カリフォルニアのLa Jolla と言う所(San Diegoの郊外)でポスドクをしていた時は最高の環境だった。ビーチタウンで一年中温暖な気候で、一年中T シャツに半ズボンとサンダルですごせた。サーフィンもやった。でも、40才になったくらいから、突然、海より山、温暖な気候より肌が少し引き締まるくらいの涼しい気候、が好きになった。だから今は山に上ったり、自転車で山岳地帯を56時間走り回ったり、山の中のTrailを二時間くらい走ると、最高の気分になる。山の匂いと山の音が大好きだ。匂いも音も季節でかわる。できれば、大きな木々に囲まれた山の中で、湖が近くにあるような別荘を持ちたい。そんなところで、朝はTrail Run、自転車に乗って、そのあとゆっくり野菜・果物が沢山でちょっとの魚か肉の食事をとり、午後は沢山の本を読んだり、書き物をして、夜はクラシック音楽かクラシックロックを聞きながら、ワインを飲み、チーズをつまみながら、Vincent Van Goghの絵画を見ながら、Van Goghの私的歴史の勉強ができたら、もうたまらなく最高。

2009年12月16日水曜日

2009年12月15日

ちょっとここ数日ドキドキ、ワクワクしてる。この歳になって、ドキドキ、ワクワクは無いでしょと言われそうだけど、こればっかりはどうしょうもない。でも、思いかえせば、10代、20代の頃はしょっちゅうドキドキ、ワクワクしてたように思う。それがなぜか、歳をとる度にその頻度が少なくなってきて、逆にキリキリ、カリカリする頻度が30代から増えてきてたように思う。でも、今、40半ばになって(日本に帰ってきて)、キリキリ、カリカリはほとんど無くなった。逆に、ドキドキ、ワクワクが少しづつ増えてきた。でも、ここ数日は何故か、異常にドキドキ、ワクワクしてる。なんとなく、なぜだか自分では分る。そして、このドキドキ、ワクワクが、たまらなく楽しい。

皆さん、ドキドキ、ワクワクしてますか!

2009年12月13日日曜日

2009年12月12日


今、マニラ国際空港でご飯を食べながら、これを書いている。木曜(10)から休暇をとってフィリピン(マニラ)に今日まで三日間滞在した。先ず、ヒト、車、モーターバイクの多さにびっくり。また、交通渋滞はクレージー。道路に信号がかなり少ない。そのせいか、道路は車であふれていて、渋滞が永遠に続く。話によると、マニラには900万人以上のひとが住んでいるらしい(これは、Registerしている人口だから、実際には1000万人をかるく超えているらしい)。貧富の差は一目瞭然。すごい豪邸もあれば、トタン板張り(というか板があればまだ良い方?)の家のようなものが並ぶスラム街も至る所にある。

でも、フィリピンの人々は心のとても暖かい人々がほんとに多い。僕は結構昔からフィリピン映画が好きだった。フィリピン映画の多くはハッピーエンドである。でも、そのハッピーエンドに至るまで、かなりの紆余曲折があり、とても苦しい出来事、とても悲しい出来事、とてもいやなこと等が半端で無いくらい次から次へと多くおこる。でも、最後は必ずハッピーエンドなのである。まだフィリピン映画を見たこと無い方は是非一度見て下さい。ほんとに心が温まります。

今回の旅行で、ひとの心の温かさを沢山吸収できた気がする。と、同時に自分はなんて心の冷たい人間なんだろうと思った。でも、フィリピンで出会った多くの人たちみたいに本当に心の温かい人間になりたいと思う。その為には何が今の自分に欠けているのかがすごくよく分った。この欠陥はかなりのものなので、そう簡単には埋められない。だけど、今から少しづつ埋めていかないと手遅れになる。今すぐ色んな行動に出ようと思う。

研究論文にも心温まる論文とそうでない論文がある。読んでて、それは明らか。研究テーマとか、研究の結果とか、研究の貢献度とかそういったものでは無く、その研究をしている研究者の世界観、人間性、研究に対する情熱みたいなものが色々と混じりあって、論文に出てくるのだと思う。今の僕には心温まる論文は書けないのは明らか。でも、いつかそんな論文が書けるようになりたい。

2009年12月10日木曜日

2009年12月9日


明日10日から休暇をとってフィリピン(マニラ)に三日間いって来る。中学のときのバスケット部のコーチが今マニラに住んで色々と世の中を良くするための活動をやっておられる。今年、80才である。僕は中学・高校と一緒にバスケットをやった友人と二人でマニラに行って先生に会って、マニラでの先生の活動を通して人生の勉強をしてこようと思う。

今日は僕の研究の原点について書いてみよう。
僕は気が付いたら67歳くらいにはすでに研究をしていた。酵母を培養してたり、川の水の組成を化学的に解析したり、ショウジョウバエのライフサイクルや突然変異の研究をしたり、川や海の微生物を顕微鏡で観察したり、電子回路を作ったり、ロボットを作成したり、いろんな実験、研究を毎日していた。小学生の時、自分の部屋、家の台所、ベランダは僕の研究資料、材料で溢れていた。解剖した魚、酵母の培養シャーレは台所にある冷蔵庫の中に溢れてたし、寒天培地を台所の鍋を使って作っていたし、ショウジョウバエのスクリーニング用の培地の入った牛乳瓶がベランダに何十本と並んでいた。自分の部屋には顕微鏡、化学実験用のガラス・プラスチック器具、自家製サーキットボードやその部品、等がところ狭しと散らかっていた。毎日、自分で自然を観察し、本を読んで、研究プロジェクトを自分で考え、実験プランを自分でたてて、実験を自分一人で行い、結果を自分でまとめていた。自分でまとめたものを父や、近所にいた広島大学医学部のお兄さんに、頻繁に見せにいって感想を聞いたり、看護婦をやってるおばさんが家に遊びにくると、それまでやった研究結果を見せて感想を聞いたりしていた。全国科学研究コンクールみたいなところで研究発表して賞をもらったこともある。実験に必要な器具は父がよくどこからか調達してきてくれた。母も、解剖した魚や、酵母の培養されているシャーレや寒天培地が台所や冷蔵庫の中に大量にあっても、一言も悲鳴をあげたことは無かった。両親に感謝である。僕がお腹がいたくて学校を休むと、クラスの皆に佐藤は理科中毒で休んだとよく言われてた。

僕が何をきっかけに研究に興味をもったのかは未だに不明である。両親に聞いても、いつの間にかという答えが返ってくるだけである。僕は小さいころから沢山、本を読んでいたし、本ならいくらでも欲しいだけ両親は買ってくれた。また、地元の図書館には頻繁にいって本を読んだり、調べものをするのが大好きだった。図書館という言葉の響きが好きだったし、広島市立図書館も県立図書館も沢山の木に囲まれた広い公園の中にあり、雰囲気がとても好きだった。今でも、本の匂いが大好きである。だから、たぶん読んだ本の何かがきっかけで研究を自分で始めたのかも知れない。

また、小学校のころから、日本ではなくヨーロッパかアメリカで研究しなければいけないという気持ちがいつの間にか出来上がっていた。たぶん、1970年代の貧乏でガチガチの日本の研究体制についてをどこかで読んだか聞いて、自分なりに日本で研究していたらヨボヨボの年寄りになるまで独立して研究出来ないだろうと考え、それなら海外でと考えたのだと思う。僕はその後、大学院、ポスドク、助教授、准教授、教授と24年以上アメリカ合衆国で過ごすことになった。という訳で、僕の研究の原点は自分が小学生だったころに遡るのかなと思う。

2009年12月9日水曜日

2009年12月8日


4月にNAISTに赴任して以来、食生活に結構苦労している。僕は野菜と果物を大量にとる食生活を長い間アメリカでは続けていた。これは、トライアスロン(Ironman:鉄人レース)を長い間やっているせいでもあるが、40歳を過ぎたということもある。後は良質の(脂肪の少ない部分)タンパク質を肉、さかな、植物から均等にとる。炭水化物のほとんどは果物からである。ご飯、パン、麺類等の精製された炭水化物をとりすぎると体に良くない。糖尿病のもとであるし、精製された炭水化物は運動しないとすぐ脂肪になる。

でも、日本の食事はご飯、麺類が多く大変。特に学食はほとんどが精製された炭水化物(ご飯、麺類)。日本人はこれからほとんどのひとが糖尿病予備軍になるのではと思う(特に最近は運動量が日本人全般減ってきてるし)。また、果物、野菜がアメリカに比べて異常に高い。味は、日本の果物のほうが断然おいしいのだが。。。。特に日本のイチゴはめちゃおいしい。でも、僕は基本的に食べ物は栄養のためにとるので、やはり同じ栄養価なら安いほうが良い(沢山食べるので。。。。)。肉も脂肪の少ないところなんて日本の肉屋にはあんまり無いし。信じられないほど、脂肪のついてる肉ばかりで、異常に高い。

というわけで、日本では食材に苦労してます。また、食事に使うお金も倍増しました。まあ、そのぶん日本(大阪)はマンハッタンに比べると断然家賃は低いけど。でも、大学からの給料は同じ教授でもNew Yorkのコーネル大学医学部にいた時の約3分の1になったし(信じられないでしょうけど、本当です)

まあ、でもこんなことは小さなことで、僕は日本にかえってきてほんとに良かったと思ってます。将来の日本をリードして行く若者たちを教育できる機会を与えられたことはほんとに幸せです。アメリカに研究のためだけに一生住んで、一生出稼ぎで終わるより数千倍幸せ。

2009年12月8日火曜日

2009年12月7日

今日は大阪城公園を朝6時に軽く50分くらい走って、筋トレ(腹筋・背筋を中心に)を軽く20分程度。かなり運動不足だけど、まあ何もしないよりもいいだろう。アメリカにいた時も11月、12月はホリデーシーズンなので毎日きちんと運動できないLazy Monthsにならざる終えない。今日運動しながら考えたことが幾つかあるのでここに書き留める。

どうも日本は中途半端にアメリカの真似をしてることが沢山ある。アメリカの真似をしたくない心情があるのだけれど、色々どうやるかを話し合うと、どうしてもアメリカの真似になるらしい。でも、完璧には真似をしたく無いらしい。真似するのなら、中途半端に真似するよりも、完璧に真似すればいいと思う。僕は個人的には、そんな中途半端なことをするよりは、まったく違うやりかたをする方がいいと思う。所詮、アメリカの真似をしても、アメリカ合衆国の第51州になるのが落ち。でも、考えるひとたちの多くが小さいときからアメリカ的価値観を植えつけられてるわけだから、自然とそうなってしまうのかも。残念。

僕は、同じように優秀で良くできる賢い人々ばかりの集まっている単一的集団より、アホなヒト、変なヒト、優秀な賢いヒト、わけの分からないヒト、突拍子も無いヒト、等色んなヒトが寛容に受けいれられてる集団が好き。だから僕はボストンよりもニューヨークが好きなんだと思う。

一ヶ月くらい前にある尊敬している方から、正規分布の話を聞いた。ミツバチのはたらきバチの集団の中にもやはり怠け者がいるらしい。おもしろいことに、この怠け物のはたらきバチたちを取り除いてやると、全部のはたらきバチが一生懸命働くことになるかというと、そうでは無く、やはりいくらかの割合で怠け者が出てくるらしい。この例えは、いくら優秀なひとたちを選りすぐって集団を形成しても必ず正規分布して、そのうちいくらかの割合はダメ男になるということに使われるということである。僕はこのことをこの一ヶ月くらい考えていて、今日ふと走りながら思った。では、この怠け物の働きバチだけで集団をつくると正規分布して少数の優秀なリーダーシップをとるハチ、平均的なまじめなハチが出現して来るのだろうか?もし、そうだとしたらこの原理をつかって、この世の中の価値観で不幸にもダメ男のレッテル貼られた人々を集めて独立集団を作らせれば、そのうち少数は優秀なリーダー、平均的な真面目な賢いヒトが出てくるのだろうか?そうだとしたら、これを利用して何とかヒトを育てることに利用できないかと考える。

昨夜、妻とナルニアのなんたらかんたらという映画をDVDで見た。その映画を見て思った。やはり、若いときに責任を持たせて育てることが、勇敢で、賢い、リーダーシップをとれる人間を育てる上でとても大切な事だと思う。若いヒトたちをあまりいじくりまわして育てるより、色々と自分の責任を持たせ、厳しい環境の中で色々と思考錯誤させながら(でも、影で暖かく見守ってあげながら)育てるのがいいと思う。そういう意味では若いときに自分の価値観の通じない、言葉も分からないところに自分の責任でしばらく暮らしてみるのもいいかも知れない。個人的な経験からだと、僕が小学校6年生のときに友達と二人で九州一周旅行したのを思い出す。今思えば、これは11歳の僕には良い経験になった。子供二人だけの旅行を通じて、他人の大人を親の目を通してでは無く、自分の目を通して観察でき、接することもできた。また、責任ということに関しても多くのことを学んだ。今思えば、11歳の僕にこの旅行を許してくれた両親に感謝である。

2009年12月5日土曜日

2009年12月4日(金)


僕はコーネル大学の教授も兼任しているので、コーネル大学大学院生の博士論文審査もする。ついこのあいだ二人の博士課程大学院生の博士論文発表また審査にSkypeで参加した。まだNAISTにきて7ヶ月しか経って無いが、NAISTの博士課程の学生さんたちの博士論文もコーネル大学博士論文発表と比べてもまったく遜色無い。だから、NAISTの学生さんたちはもっと自信をもって世界へ羽ばたいて行って欲しい。

余談だが、ほんとにSkypeは便利。世界中どこからでもビデオカンファレンスが無料で何時間でもできる。

2009年12月4日金曜日

2009年12月3日


日本は定年退職の年齢が決まっている。しかもそれがNAISTの教授の場合は65歳。元気でいれば65歳で研究・教育から離れるなんて考えられない。かといって65歳からまたアメリカに戻って研究活動をするなんてことは考えられないし。。。。自分で日本のどこかに研究・教育所(民間の)をつくれればいいのだけど。60歳くらいになったら、周りがこの人は後5年で退職するんだなんていうえげつない言い方を影で指さされながらされて毎日暮らすなんていう、後ろ向きの生活だけは避けたい。僕が退職するまでに日本のこの定年退職に関する法律が変わればいいのだけど。。。。。ありえないかな。自分としては民間にいくことにまったく抵抗は無いのだけど。。。。

こう考えると、NAISTでできるだけ多くの若いひとたちを刺激して、将来の日本、世界をリードしていってくれるひとが多く飛び立ってくれるのを願う。僕は後平均年齢からいって40年も生きれればいいので、僕がどうこうというより、多くの若い人達を育てたほうが世界はもっと大きく変わることができると思う。NAISTからこれからの世界をかえていける人間が何人出るかすごく楽しみ。僕はそれに貢献したい。

2009年12月1日火曜日

2009年11月下旬のある日

この時期になるとアメリカのフェスティブな感じが懐かしい。11月下旬にThanksgiving、12月に入るとその宗教によって色んなホリ デーがある。Thanksgivingでは色んな友人の家族の家に招かれたり、逆に僕の家に友人たちを大勢招いたりした。でも、色んな食べ物をたらふく食 べて、お酒を飲めるのがなんといっても最高!また、マンハッタンに住んでいたときは12月31日のカウントダウンのときの花火が自分のマンションの屋上か ら見れたし。。。。というわけで、11月も下旬になるとあまり運動したく無いし、仕事もリラックスモード。

2009年10月2日金曜日

2009年10月ミカンの日

お金とひとをかければ絶対できる研究はアメリカに任せとけば良いという意見もある。いくら日本ががんばっても、研究費と研究者の”量”ではアメ リカとは競りあえるわけはない。もっと違うところでがんばれば良いのである。今、日本の研究・教育の評価(内部評価、外部評価)というものが流行ってい る。僕が知る限り、多くの評価の仕方・基準はアメリカのまね。アメリカの価値観で日本の研究・教育を評価してもアメリカのハワイ大学分校が日本にできるだ け。
日本の価値観を時間をつかって造り直さなければいけないのだけど、今の日本を動かしている世代(30歳~60歳)の多くが知らず知らずのうちに「アメリカの価値観」を小さいころからたたき込まれているので、どうしていいか分からないのだと思う。
ではどうしたらいいのだろう。僕が思うに、そのヒントはVincent Van Goghの絵にあると思う。Vincent Van Gogh の幾つかの絵をじっと数時間見ていると、僕はこどばでは言い表せないけど、体で体感できたように思う。これをヒントに得られる体感(答え)はヒトそれぞれ だと思う。でも、Vincent Van Goghの絵を食い入るように見ると、自分の世界観、その世界の価値観が体を通して見えてくるような気がする。このように、自分の世界観、その世界の価値 観を多くのヒトがぶつけあって新たな世界観、価値観を長い年月をかけて創っていける世の中に早く日本がなってくれればなと切に思う。

2009年7月2日木曜日

2009年7月スイカの日

今日、NAISTゲストハウスを引き払って、大阪に借りたマンションに移った。大阪って思ったよりも小さい。通勤、トレーニング環境を考えて森 之宮のマンションを借りた。学研北生駒駅まで中央線で30分。平日は大阪城公園を走る(大体一周3.5キロくらい)。マンハッタンに住んでた時はセントラ ルパークのまん前に住んでたので、いつでもセントラルパークを走れた。セントラルパークは外回りのループが一周10キロで、短いときで一周から二周走り、 週末は3周から4周走ってた。それに比べると、大阪城公園は小さ過ぎなので、長く(2時間以上)走るときは淀川沿いを走るしか無いけど、まったく平坦で坂 が無い。如何しようか。。。。自転車は生駒山の暗がり峠まで往復だけど、やはり距離的に短すぎ。週末は山岳コースを5~6時間くらい(150キロから 180キロ)は自転車で走りたいのだが。。。。。水泳とウエートトレーニングは京橋のコナミでやることに。朝7時から開いてる。もっと朝早く開いてて欲し いのだけど(朝5時くらいにはマンハッタンのプールやジムは開いている)、日本はみんな朝が遅いのだろう。
朝、ちゃんとトレーニングしないと、好きな食べ物を好きなだけ食べれないし(トレーニングしないで食べると太る)、トレーニングしないでラボに 行くとエネルギーが余りすぎて回りのひとたちに迷惑かける。週末ラボに行くときは、生駒山越えで大阪とNAISTの往復してもいいかも。

2009年5月29日金曜日

2009年5月28日(木)

日本のサイエンス教育は科学「技術者」 を育てるのには適しているが、科「学者」を育てる教育では無いように思う。 科「学者」を育てるには考える力、ストーリーをつくりそれを伝える素養の育成が必要だが、これらは日本の教育に欠けてるように思う。僕は、これらを日本の 小学生、中学生、高校生、大学生といった若い世代に伝えたい。具体的には論理的思考、歴史観念、文章力、会話力など。

2009年5月16日土曜日

2009年5月15日(金)

(省略)会議の進め方がとろい。もっとテキパキと議題を話し合って、テキパキと決議をとればいいのに、なんかどちらともつかないような議論の仕方を続けて、決議も「無言=賛成」みたいな感じ。
(省略)とても社会主義的なやりかた。といううか、このことに限らず日本は色々なことが社会主義。 「公平・平等」の意味を取り違えているというか、日本独特の解釈。とても、みんなが同じかどうかということに敏感。
朝一時間走りながら、考えたことの1つ:
自分が複数の他人から欠点といわれて指摘を受けていることが実は本人の一番ユニークなところ(つまり個性)で、その欠点をよい方向にもっていってフルに活用すればそれが強みになるのだと思う。

2009年5月8日金曜日

2009年5月7日(木)

(省略)びっくりした。成績は数字で出るので公平ということらしい。人間の能力は数字では計れない。 これは、絶対。こんなことで人間を振り分けることをしているから(入試選抜がよい例)、突拍子も無いユニークな人間が育たないし、出てこない社会になるの では無いだろうか?

2009年5月4日月曜日

2009年5月3日(日)

4月1日付けでNAISTに赴任して一ヶ月たった。今、日本ではゴールデンウイークの連休だが、僕はNew YorkでNAISTに引越しするための研究資料の準備に追われている。3月、4月はNAISTに赴任するための準備、研究費申請などで忙しく、日記が書 けなかった。 3月、4月に思ったことをとりとめも無くリストして見る。
日本に24年ぶりに戻って、改めて日本は外国の人がすみにくい国だというのがみにしみてわかった。24年離れていたけど、日本語のしゃべれる僕 が思うのだから、日本語のできない外国人はもっと大変だと思う。また、外国の企業が日本の市場を開拓するなんて至難の技だと思う。アメリカは、いろんな国 の人、企業がくるので、外からくる人、企業が何をやると何ができるということが、わかりやすくマニュアル化している。だから、先ず、何をどの順番でやれば いいか明確になっていて、そのとうりやれば、どんどん色んなことができる国である。日本は、物事が複雑に絡み合っていて、しかも不透明なところがほとんど なので、何をどのようにやっていいかわからないことが多すぎで、しかも人に聞いても答えは明確では無い。 だから、日本に根をおろして住むなんて、外国人にとっては時間と労力が大変かかる。

24年ぶりに日本に帰ってきて、日本の学生さんはほんとに素直で正直であると思った。アメリカの学生はほんとに計算だかいと思う。僕は、日本の若い世代を 日本の将来のために育てたいという気持ちで帰ってきたのだが、その気持ちがますます強くなった。日本の学生さんに見られる、素直さ、正直さはよいところな ので、その辺のよさを土台に世界で活躍してほしい。
日本人はきれい好き、完璧主義の人多いと思う。これはいい所でもあるのだが、悪いほうに働くこともある。すでにある物を完璧にしていったり、き れいにしていくにはものすごい力になり、適している。でも、まったく無いところから新しいものを創造するには、このきれい好き、完璧主義が邪魔してしまう と思う。何も無いところから、新しいものを作り出すときは、最初はかなり「汚く」「欠点だらけ」のものである。でも、これを辛抱強く何回も作り直したりし てだんだんと新しいものがかたちをなしてくる。だから、この「汚く」「欠点だらけ」のものや考え方を気持ちわらがらず、勇気をもって作り出していくことが 大切だと思う。この辺を若い世代の日本人に身につけてほしい。
きれい好き、完璧主義といえば、日本人の多くはほんとに汚いものを徹底してきれいにしてします。だから、欠点だらけのもの、考え方をすぐに徹底 して抹殺してします。欠点、汚いものをかわってて「おもしろい」と思う寛容さがあまりない。だから、今回の豚インフルエンザに対する過剰ともいえる、完璧 な対処の仕方が日本ではとられるのであろう。学問、社会、日常生活にもこの辺が多大に影響し、いろいろなところに顔を出してくるのだと思う。
余談だが、先日、日本で銀行口座を開くときに自分の職業を書く欄に「教授」と書きたかったのだが、漢字が思いだせず、係りの方に「きょう じゅ」ってどんな漢字でしたっけと聞いた。親切に教えていただいたが、おそらく私のことをほんとに教授だろうかと疑っているに違いない。。。。

2009年3月2日月曜日

2009年3月1日(日)

いよいよ後1ヶ月でNAISTに赴任。 日本でのはじめての仕事。思えば、1985年に大学を卒業して7月21日に結婚、8月6日(広島原爆記念日)に成田空港を発ちソウル、アンカレッジ経由でJFKに着いた。それから、24年が終わろうとしている。

今日は、宣子さんとケーネギーホールでのVienna Philharmonic Orchestra (Zubin Mehta) の演奏会にいってきた。すばらしいの一言。すごく感動した。やわらかい音、ピッタリした完璧なハーモニー。 二回もアンコールにこたえて、ワルツの演奏までやってくれた。最高。 うちから、 Two Blocks と歩いて5分でカーネギーホールにいける便利さだし。日本では、こんな生活できないかも。。。

その反面、日本で研究、教育することに結構ワクワクという気持ちもけっこうある。楽しみ。今夜から明日にかけて大雪警報。明日の昼の日本行きのANA便大丈夫だろうか。