2010年3月31日水曜日

2010年3月30日

日本は学歴社会だと言われている。なぜ日本は学歴社会かに関して一つの僕の意見を書いてみようと思う。 その原因の一つは日本人のひとりひとりがほとんど同じような人間でほぼ同じレベルの能力しかもってないからだと思う。だから何事をさせても簡単 にきれいな正規分布する。そこで、進学、就職などはどこでも定員があるのでどこかで線を引く必要が出てくる。そこで手っ取りばやいやりかたは、学歴やテス トを基準に線を引いて入学・進学・就職を決める。結局は入学出来たひと、就職出来たひともそれが出来なかったひとと比べてそんなに極端に人間としてまたは 能力においてそんなに差はないことになる。差があったとしても、それは誤差の範囲で凄く小さな細かい部分での差であって、もっと大きな意味合いでの差では ない。
よって、学歴社会の根本的な悪は日本のシステムにあるのでは無く、日本人が皆ほとんど同じ人間で同じ位の能力しかない(差があってもそれは誤差の範囲)という変わりようのない事実に起因していると思う。
まあ、これは僕のように物事をスパッと簡単に切り裂いてしまうような考え方をする人間の意見なので、実際はもっと複雑な問題なのかもしれない。

2010年3月30日火曜日

2010年3月29日

いよいよ春。桜も咲いて、大阪城公園あたりでも花見をするグループをこの週末見受けた。暖かくなってきたので、僕もそろそろ週末に自転車でかな り遠出し始めようと思う。昨年は生駒山辺りでチョロチョロしてたけど、今年は別山岳ルートを探索してみようと思う。車がないので、大阪の家からずっと自転 車で行かなきゃ行けないので、なかなか新しいルートを発掘するのは大変。でも、自転車で長くて急な山の坂をハアハア言いながら登っている夢を最近見始めた ので、やはり自分でも自転車に乗って山岳地帯を駆け回りたい欲求が出てきたのだと思う。 水泳トレーニングも徐々に増やして行こうと思っている。 自転車、水泳のトレーニングを今週から少しずつ増やすために、全身の毛を剃った。自転車でこけたときに足などに毛があると血が毛に絡まって傷口からばい菌 が入りやすくなるし、水泳のときに体毛があると気持ちわるいし、泳いでいる時の抵抗が高くなる。だから、サイクリスト、水泳選手、トライアスリートは全身 の体毛をとる。僕はアメリカにいる時は一ヶ月に一回くらいでワックスで全身の体毛を抜いて貰っていた。でも、日本だとエステの料金が半端じゃないくらい高 いので、剃刀で全身の体毛を剃ってる。レーザ-脱毛も考えているところである。

2010年3月27日土曜日

2010年3月26日

昨日、朝日新聞の一面に我が奈良先端科学技術大学院大学が政府から日本の国立大学のなかで教育・研究・運営など総合してナンバ-ワンの評価を受 け、大学運営交付金増加率一番と発表された記事がでた。大学の知名度を上げるにはもってこいのニュースである。朝日新聞の一面はかなりの宣伝効果がある。 我が大学の先生方もうれしそうである。 でも、このランキング僕的には「文部科学省のことを一番よく聞いて、よくがんばりましたね」みたいな感じ。「よく先生のゆうことを聞いてがん ばったね」と言われる学校の優等生みたいなものである。僕は出来れば奈良先端は評価が一番だろうが最下位だろうが、「わしゃあんたらの評価はまったく関係 ないし、信じとらんし。でも、誰がなんと言おうと、世界で一番じゃけい。」と胸はっていえるくらいの大学に将来はなってもらいたい。
まあ、物事には順番というものがあるので、今回の成果は一つのステップとして素直に喜ぶべきなのかも知れない。悪い話じゃないし。
それにしてもナンバーワンになったのに運営交付金の増加がたったの400万円とは。ないよりは良いけど、もう少しご褒美を多くしても良いのではと思わざる終えない。

2010年3月26日金曜日

2010年3月25日

昨日は我が奈良先端科学技術大学院大学の修了式があった。大学レベルでのイベントの後、バイオサイエンス研究科での祝賀会があった。女の子たち はほぼ全員袴姿で、男の子たちはほぼ全員が紺のスーツ。もちろんのことだけど、ほぼ全員が日本人。これだけ揃っていると、皆同じに見えてロボットみたい。 誰が誰かまったく区別が付かなかった。 実は僕は大学(筑波大)の入学式、卒業式、大学院(Georgetown Univ.) の入学式、卒業式全て出席していない。僕は子供の頃からアナキストで狼タイプの子供だったので、組織や制度に如何に反発して崩していくかということばかり 頭にあった。だから、いつも負けてばかり。「個人は絶対に組織には敵わない」という当たり前のことを苦労して学んだ。実は、学んだけどまだ未だにこの変え ようもない事実を自分では受けいれていないというのが本音である。というわけで、入学式や卒業式には出ていない。そのおかげで色々なことを損していると思 うが、まあそういう性格だから仕方ない。
最近の若い日本人のなかにこういった反発精神はなかなか見受けられない。多くの若い人たちは素直で皆で仲良くやって行く。まあそういう世代なので仕方がないのだと思う。
とにかく、卒業生の皆さんオメデトウ。これからは自分たちの手でこの世の中を良い方向に導いてください。期待してます。祝。

2010年3月25日木曜日

2010年3月24日

今日も雨なのでジムに行って筋トレと水泳。走るのはやめた。アメリカにいる時は真剣にトレーニングしていたので、雨でも走ったり、自転車に乗っ ていた。かなり雨が降っていても、週末だと6時間くらい山岳地帯で自転車に乗ってそのあと2時間以上トレールを走っていたりした。ビショビショに濡れて、 寒い日だとさらに大変だった。でも、それだけトレーニングを雨のなかでして、その後浴びる温かいシャワーと温かいジャクジーにつかるのは最高。さらにその あと食べる夕食も最高で、パクパク食べた。 さすがに今は太るのを防ぐためのトレーニングなので雨だと外で走ったり、自転車に乗ったりはしていない。でも、雨のなかを一時間くらい走るのも たまにはキモチイイものだと思う。今度、雨が降ったら少し外で走ってみようと思う。雨のなかだと、まわりの木々、草花、土の匂いも晴れた日とはまた違って 良いものである。

2010年3月24日水曜日

2010年3月23日

日本人のマナーで気になっていることが一つある。扉(マンション、デパート、オフィスなど)を開けて外に出たり、中に入ったりする時、後ろから 人が続いて出たり、入ったりしようとしているのに、扉をその人のために持って開けて待っててくれないことである。あたかも、後ろから誰も続いてないように 知らん振りして扉から手を離して自分だけ出たり入ったりしている。多くの場合、後ろから続いている人が荷物を持っていたりしても関係なしである。これはと ても不親切だし、野蛮な行動。これだけで無く、多くの日本人の行動が不親切で、他人への思いやりに欠けていると思う。電車の駅で、重い荷物を持って階段を 上がったり、降りたりしている女性やお年寄りを見ても多くの人は助けようとしないし、知らん振り。膝の悪いお年寄りが駅の階段を手すりをつかんでよろよろ と上り降りしていても、誰も助けようとしない。目の不自由な人が電車を降りてどちらの方向に行って良いか戸惑っていたり、電車に乗り降りするのに困ってい ても、多くの人は知らん振りで助けようとしない。僕には信じられない。「明日は我が身」である事を皆考えて欲しい。それに、弱い人を助けるというのは人間 としての根本的なマナーだと僕は思う。

2010年3月20日土曜日

2010年3月19日

もう3月も中旬を過ぎてもう二週間すると4月。アメリカは大学が6月に終わり、新年度が9月にはじまるので、6月から9月までの3ヶ月の夏休み が一年のケジメみたいな感覚だった。でも日本は3月に年度が終わり慌しく短い春休みがあって、4月から新学期。という訳で、年度のケジメである春休みが短 過ぎて、何となく一年のケジメがつけ難い。これに限らず、日本は常に何事も全て、次から次へと慌しく物事が過ぎて行く。もうちょっと、がっぷり構えて、色 々なことを余裕をもって(または、余裕を持っているふりをして)色々なことを進めても良いのではと思う。そして、普段余裕を持つことによって、ほんとに重 大なことがあるときには、全神経を集中させて全力で立ち向かうということが出来るのだと思う。いつも、慌しく次から次へとやっていると、いったい何が本等 に大事なことか分らなくなって、本等に重要で大事なことをやり遂げる時に全力を出し切ることが出来なくなると思う。日本の一流スポーツ選手にも良く見受け られる傾向である。日本ではスポーツだけで無く、いたるところにこの傾向が見受けられる。

2010年3月19日金曜日

2010年3月18日

ある有名な教授の方がサイエンスのグローバル化に関して「日本は島国で、逆にそれは良いことで、それをいかしたサイエンスをすれば良い」などと いったふざけたことをぬかした。これは、25年前であればある程度正しいのかも知れないが、現在またはこれからの未来に、地理的に孤立した島国といった事 実はほとんど幻想に近いものであると思う。これだけ、情報システムが進んだ時代に島国もなにもあったもんじゃない。25年前なら、日本もそれなりに伝統的 に優位にあった分野があって、それが島国である為に海外にあまり伝えられず、日本国内だけで発達して来て、よその国より日本が優位にあったサイエンスの分 野があったかも知れない。しかし、これだけ情報システムが発達し、情報の透明性が求められている国際社会においては、この様な状況は無に等しいと僕は思 う。だいたい、これからは日本が島国であっては、国としてやっていけないのは明らか。ほんとに、あほなことを言うのはやめて貰いたい。自分だけで思うのは 勝手だが、この様なことを若い学生さんに言うのはやめて欲しい。この様なあほなことを思う日本人が将来さらに増えてしまう。

2010年3月18日木曜日

2010年3月17日

僕は未だに頭の中で物事を考える時は英語だ。英語のほうが複雑なことをすっきり考えるのには適した言語(少なくとも僕にとっては)だし、多くの ことを論理的に整理するのに適している。日本語だと、複雑なことがもっと余計に複雑になり、物事の本質をすっきりと単純化することが非常に難しい。サイエ ンスは複雑な問題を出来るだけ単純なすっきりした形に置き換えることをしないと、何が本質的な問題か分らなくなるし、その問題点を根本的に解決するための 糸口を見つけ難いと思う。 僕は今でも、書くのも、読むのも、英語のほうが日本語のほうが楽だし、速い。聞くのもそうだし、喋るのもそう。日本語だと聞いててもなかなか要 旨がつかめないし、聞く集中力長く続かないし、右の耳から入って左の耳にすぐ抜けていくと言った感じである。喋るのも、英語のほうがスラスラ出てくるし、 日本語だと中々言葉が出て来ないのでドモリがちになる。
僕は夢も英語である。昔の日本人の友達(例えば高校のときの友達)や今のNAISTの学生さん、同僚の方々全て皆、僕の夢のなかでは英語で話している。
これからの僕にとっての課題は、この英語力を損なわないで(実はもっと英語力もブラッシュアップしたいと僕は思っている)、さらに日本語力(読み、書き、聞き、喋る)をアップするということである。

2010年3月17日水曜日

2010年3月16日

僕は大阪城公園のすぐ傍に住んでいるので、朝、大阪城公園あたりを走っている。今は、大阪城公園内の桃園の桃が満開である。桜の木々も様子がだ んだん春めいてきて、木々の息遣いが聞こえてくるのが分る。こういう感覚は日本ならではと思う。アメリカでは中々味わえない感覚である。マンハッタンの East River にある Roosevelt Island という小さな島があって、そこには桜の木が沢山川沿いにあって、春になると日本人の集団がよくそこでお花見をしていたのを覚えている。Central Park にも桜はある。Washington, D.C. には日本から寄付された桜の木々があり、4月には日本のパレードがある。今年は、せっかく日本にいるので4月にはお花見でもして見ようかと思っている。

2010年3月15日月曜日

2010年3月14日

この週末に世界に誇る日本人建築家、安藤忠雄の「連戦連敗」という本を読んだ。そこに、「私はこれまで、建築を通じて社会と時代を見つめてき た」と書かれている。これを僕流に言い返ると、「私はこれまで、サイエンスを通じて社会と時代を見つめてきた」となるのだろうと思う。僕は安藤忠雄が大好 きだ。テキサス州にあるフォートワース美術館、マンハッタンにある新しく建て直されたMOMA (Museum of Modern Art)など、彼の建築は素晴らしい。 また、この本を読んでさらに彼が好きになった。彼が、建築を通して学んだ様々なことがメッセージとして沢山書かれている。僕のこれからの研究活動、人生において役立つメッセージが満載だった。是非、皆さんにも読んで貰いたい。

2010年3月13日土曜日

2010年3月12日

僕が日本人の多くの人たち(勿論全員ではない)の海外での行動で国際社会では通用しないし、やめたほうが良いと思う行動パターンの二つをここに書いてみる。 一つは「見せしめ」の文化。
よく日本人は他人を人前で見せしめにする様に叱ったり、怒ったりする。例えば、学校の先生が悪いことをした生徒をクラス全員の前で見せしめするように叱っ たり、辱める。会社で上司が一人の部下を皆の前でその一人の部下に向かって怒りをぶつけたり、辱めるような叱りかたをする。または、他人の前で同僚に向 かって怒りをぶつけるなど。これらの行動は日本に大昔からある。役人が、町あるいは村の皆の前である個人の過ちを見せしめをするように裁く。学校で悪いこ とをした生徒をわざと生徒全員の前で叱ったり、辱めるような罰を与えるなど。これらの行動は海外、国際社会では狂気であるし、野蛮な行動で、他人を尊重し ていない行動としてとられる。日本はほぼ皆同じ人間なので、お互いが他人では無く、家族や仲間内みたいな感覚になって、他人に甘えてしまい、逆に他人を自 分とは違う一人の個人として尊重するという事を怠ってしまうためにこの様な行動が出るのではないかと僕は思う。僕は、大人は常に紳士的な行動をとるように 気をつけるべきだと思う。きっと、日本は多くの大人が実は子供なのだと思う。
もうひとつは「カミカゼ」とよくアメリカ人に皮肉られている行動。
海外では日本人はよく「突然の嵐のように怒る」行動を起こすと思われている。何の前触れも無く、突然他人を叱りつけたり、他人に向かって暴言をはいたり、といった行動である。アメリカではこの様な行動を「Kamikaze」と言って軽蔑している。

2010年3月12日金曜日

2010年3月11日

日本で盛んに透明性というのが至る所で叫ばれている。英語だとTransparency と呼ばれていて、アメリカでもよく言われる。でも日本の「透明性」はアメリカの「Transparency」とは違った目的で使われている様に僕は感じる。 日本は「透明性」や「情報公開」をする事によって、他の人、他の会社、他の団体よりも儲けていたり、立場的に優位に位置する人、会社、団体を摘 発し、それらを扱き下ろすために行われているように僕は思えてならない。不正を防止するといったことが表向きの理由だけど、ひとより儲けていたり、優位に たってたすると、意地でも不正を見つけてめちゃくちゃにしてしまうということらしい。日本では「透明性」や「情報公開」することによって、日本中みんな同 じにして、ひとより儲けたり、優位にたつものをゼロにしようということらしい。どうしょうもない風習である。とにかく、皆が同じである事を大切にする国で ある。
研究・教育に関しても同じ。日本の研究・教育もとにかく皆が仲良く色々なものを分け合って生きていきましょうという雰囲気である。一人でもそれ を乱したり、目だったり、沢山や名声を得ようものなら、まわりからの嫉妬とひがみの雨嵐で、ありとあらゆる手を使って徹底的に潰される。怖い国だと思う。

2010年3月11日木曜日

2010年3月10日

また、事業仕分けがあるらしい。前回の事業仕分けでも思ったけど、ある程度は良いけどやり過ぎ。日本は何でもやるとなったらとことんやるという カルチャーらしい。ちょっと過激だけど、第二次世界大戦の時もそう。やるとなったらとことん死ぬまでやるということらしい。途中でやめるとか、途中で気を かえたりすることは許されないらしい。また、完璧を目指す為、仕分けをするならとことん無駄を省くということらしい。僕はもうちょっといい加減なところが あった方が良いと思う。 仕分けに関して言えば、ある程度無駄がないと国の発展はないと思う。サイエンスをやっていれば常識だが、自然界は無駄があるからこそ変化し、い きものは進化する。無駄が無くなると、自然界は変化しないし、いきものの進化も無くなる。衰退を辿るだけである。社会の発展も同じことがいえると思う。無 駄があるからこそ、社会はダイナミックに変化するし、発展する可能性が残されている。無駄が無くなると、社会も衰退を辿るだけである。
ところで、事業仕分けで話題の時の人となっている蓮舫さん。彼女のことを皮肉った川柳がある。「家の嫁、蓮舫さんと、同じ口調」というのが巷で は出回っているらしい。僕はこれを聞いたとたん、笑いが止まらず、超ウケました。きっと奥さんに家計から小遣いまですべてをコントロールされてるサラリー マンの人が詠んだんだと思う。まあ、だから蓮舫さんは主婦に人気があるのだと思うけど。

2010年3月10日水曜日

2010年3月9日

2009年4月1日に日本に帰国しNAISTに赴任した。なので、NAIST・日本に来て約1年がたとうとしている。短かったようでもあるし、 長かっかたようでもある。でも、NAIST・日本でこの一年間ほんとに多くの人達にあった。一生付きあっていけると確信をもてる方々にも巡り会えた。これ らの方々との関係を大切にし、この関係を育ていけたらと思う。 逆にアメリカに住んでいたときの人間としての鋭さが日本といった温室環境で鈍くなっているのではと常に心配している。この人間としての鋭さは絶対失いたくない財産である。3ヶ月毎にアメリカに行っているので、その度にこの鋭さの存在を確認出来たらと思う。
前にも書いたように、今年は暫くご無沙汰していたヨーロッパに沢山行けたらと思っている。今年の夏から秋にかけてこれが実現しそうである。今ま でヨーロッパといえば、スゥエーデン、フィンランド、イギリス、ドイツ、オーストリア、イタリア、スイスに何回か行った。今年はこれらの国以外のヨーロッ パで学んでこようと思っている。

2010年3月9日火曜日

2010年3月8日

何だか最近毎日の仕事が表面的なことばかりで、ほんとに深い仕事が出来ず、なんとかしなければならないと思っている。前にも書いたような気がす るが、アメリカにいる時はほんとに研究のことだけを深く考える時間が今の10倍くらいあったように思う。日本のシステムは何だか色々とやり過ぎ。もっと、 色々なことを単純にすれば良いのにと思う。おそらく、日本人は細かいが気になって、隅々まで完璧でないと気持ち悪いと思う国民性なので、このように色々な ことを複雑にしてしまうのだと思う。 今僕のラボのメンバーは僕を含めて10人。これが4月以降は博士課程に数人の学生が他の研究室から僕の研究室に移って来ることもあり、またポス ドクも1~2人雇おうと思っているので、ラボのメンバーが7~8人増えると予想される。また、出来たらラボマネージャーも一人雇いたいと思っている。日本 のシステムだと、助教の先生たちがラボマネージャー的なことをやっているので、研究に専念出来ていない。これは、大変よくないことなので、僕の研究室では 助教の先生に研究に出来るだけ専念して貰うために、ラボマネージャーを雇う必要があると思っている。出来れば、博士、最低でも修士をもっている人を雇いた い。
ということもあり、とにかく研究第一に考え、これからは研究以外で切り捨てることの出来ることはどんどん切り捨てて行こうと思う。教育に関して は大体日本のシステムも分ってきたので、何を中心にまわして行かなければいけないか自分なりのシステムが出来つつある。なので、そんなに負担にはならない ようになってきた。というか、教育は結構楽しんでいる。

2010年3月6日土曜日

2010年3月5日

僕がトライアスロン・鉄人レースをやるもうひとつの理由。 僕は鉄人レースだと大体10時間半~11時間くらいでゴールする。でも、僕にとっては自分がゴールした後が醍醐味。両足(または片足)が義足の 選手、病気に犯されて筋力が失われ始めている選手、車椅子の選手、盲目の選手(ガイドを伴ってレース参加)、などこれらの選手が17時間という制限時間全 てを使って夜中の0時近くにゴールするのを沿道で応援するのである。これらの選手は各々、色々な理由から鉄人レースに参加している。
ある、女の人は子供の時から、片腕が短くほとんど無い。そのおかげで、子供の時から回りの皆から馬鹿にされたり、いじめられたり、興味深々の目 で見られて大人になった。自分の居場所の無い数十年をおくってきた。彼女は鉄人レースを完走することによって、これらの人々に自分は片腕がほとんど無く たって、立派に大人になり、鉄人レースを完走できるまでになったという事を示すためにレースに出た。彼女はゴールした瞬間に10センチくらいしかない右腕 を高々とふりあげて「I am an Ironman(私は鉄人)」と叫んだ。
もうひとりの女性は両足とも義足の選手。彼女は小さいときから病気で片足だけ短く、バランスよく歩けないので、結局両足を膝のところで切断して 両足義足で育った。でも、外で遊ぶことが大好きな子で、特にサッカーが大好きだった。それで、地元のサッカーチームに入り毎日練習に通うのだが、そのチー ムのコーチは彼女に「お前は足が不自由だから、別のところで一人でボールを蹴ってろ」と言って、一度も彼女に他の子供たちとサッカーを一緒にやらせなっ かった。それで、彼女はいつの日か自分だって努力すれば、何だってできるという事を、このコーチに示したかった。そのために、鉄人レースに出ることを決意 した。そして、彼女は鉄人レースを完走した。
この様なStoryは鉄人レースでは毎年あり、僕はこれらの人たちと自分の繋がりを確かめるために、鉄人レースに出て、自分がゴールした後、ホ テルでシャワーを浴び、コース沿いに戻って、これらの人たちが完走できるように大声で応援する。この行為により、自分がこのような身体的ハンディ-がある と人たちと僕が一体である事を確かめる。そんなの偽善だという人たちもいる。でも、僕はそのような人たちに、一度でいいから鉄人レースを観に来て、生でこ れらの選手が完走するのを自分たちの目で確かめて貰いたい。きっと、僕の言っていることを分って貰えると思う。

2010年3月5日金曜日

2010年3月4日

昨夜無事日本に帰ってきた。「引き出しの中のラブレター」のDVDも手にいれた。今日はトライアスロンのことをまた書いてみる。 よく色んな人から、「なぜトライアスロン・鉄人レースをやるのか?」という事を聞かれる。僕には二つの理由がある。
一つの理由は、僕が大食いで色んなものを食べるのが大好きだからという理由である。でも、沢山好きなものを好きなだけ毎日食べてると、ブクブク 太ってしまう。だから、それに見合っただけ運動してカロリーを消費しないといけない。というわけで、トライアスロン・鉄人レースに出て上位に食い込むとい う目標を持つことによって、その為の過酷なトレーニングを毎週行うことができる。このように大量のトレーニングを毎週行うことにより、好きなものを好きな だけ食べても、太らないでいられる。というわけで、僕は毎日、これだけトレーニングをしたら、「これとあれとあれも好きなだけ食べれる」と自分に言い聞か せてトレーニングを続けている。食べるのが大好きなので、ダイエットだけはしたくない。ダイエット自体がストレスになってしまう。
二つめの理由は、
To be continued tomorrow (明日に続く)。

2010年3月4日木曜日

2010年3月3日

今、New Yorkから成田に帰る飛行機の上。今回は行きも帰りも飛行機の上では沢山仕事をした。論文を読んだり、今週と来週にあるプレゼンのPPTのスライドを 作ったり、糖尿病の勉強をしたり、細々したあまり頭を使わない仕事関係のものを処理したりといったことやった。 仕事の合間に少し仮眠をとったり、映画も幾つか見た。今回見た映画のなかで一番良かったのは、「引き出しの中のラブレター」という邦画。親子、 夫婦、恋人、友人など色々な愛をテーマにした物語。ストーリーは定番で単純かつプリディクタブルなんだけど、凄く心に沁みるストーリーである。前にも、 「世界の中心で愛を叫ぶ」「おくりびと」といった邦画が飛行機のなかで見て号泣したことがあるが、今回の「引き出しの中のラブレター」もそれらに負けず劣 らず、飛行機のなかで不覚にも号泣してしまった。隣の席には誰もいなかったが、フライトアテンダントの方々がしょっちゅう通路を行ったりきたりしているの で、かなり恥ずかしかった。この映画とても良かったので、皆さんにもお勧め。DVDが日本では今日発売らしいので、日本に帰ったら購入して、また見たい。
今、これを書きながら、佐野元晴の「約束の橋」やらスピッツの「空も飛べるはず」が歌かっている。凄く懐かしい。僕は、10代、20代はほとん ど洋楽、特にクラシックロックか、またはクラシック音楽ばかり聞いていた。でも幾つかの日本のポップスも好きで、佐野元晴はその一人。彼のかっこよさ、 「フン」と突っ張った感じがとてもかっこよく思えた。ついでに日本のポップスで僕が好きなのは、サザンオールスターズ、甲斐バンド(広島出身!)、Mr. Children, 槙原、Dreams Come True, レミオロメン、ポルノグラフィティなど。俺って結構ミイハーかも。なんか、カラオケ行きたくなった。

2010年3月3日水曜日

2010年3月2日

無事、コーネル大学でのミーティングを終えて、今日、日本へ帰る。短かったけど、得るものは多かった。11月以来、約4ヶ月ぶりのアメリカ(New York)で二つ気づいたことがあるのでここに書き留めておく。 1.アメリカに住んでいたときは、レストランとかで出てくる料理の量が多いと思ったことはほとんど無かったけど、日本に住み始めて約1年弱で、 今回アメリカのレストランで出てくる料理の量が半端じゃない位多いとはじめて感じた。今まで、まったく感じたことが無かったことだ。自分が日本の料理の量 になれてきた証拠なのか、それともただ単に自分が歳をとってきただけなのかは分らない。
2.もうひとつアメリカ (New York)で感じたのは、色々なところで働いている人々が以前に比べて、真面目にきちんと仕事をしていると感じた。例えば、ホテルや空港で掃除をしている 人たち。ホテルや飛行場のチェックインカウンターの人たち。ファーストフードの店で働いている人たち。オフィスで働いている人たちなど。以前は、これらを 含めた多くのアメリカ人が仕事をかなりいい加減に大柄な態度でやっていたけど、今回はいたる所で働いている人たちが真面目にきちんと、また大人しく仕事を している姿を多々目撃した。以前では有り得ない光景だ。これも、アメリカがかなり不景気になっていて、仕事が無いために、仕事を得た人々は、解雇されない ように一生懸命真面目に仕事をしているからなのだろうか?皆が仕事を真面目にきちんとやるのは良いことなのだけど、アメリカの不景気はどこまで続くのか心 配。

2010年3月2日火曜日

2010年3月1日

New York に着いて、今日はコーネル大学でミーティング。コーネル大学はIvy League の一つ。 他のIvy League 大学は、Harvard, Dartmouth, U. Penn, Brown, Columbia。コーネル大学は色々な分野でアメリカトップの大学だが、変わりどころだと、ホテル学科が有名である。これは、学部の学科で、サービス・ ホスピタィティ-産業の経営・運営を学ぶというコースである。というわけで、このホテル学科に付属して、コーネル大学のキャンパスにはStatler Hotel というのがある。ラグジュリアスなホテルであるが、運営のほとんどはホテル学科に所属する学部生でおこなわれている。にも関わらず、運営、客接等は一流ホ テル並み。ホテル学科を専攻する大学学部生は一年生の時から、毎週このStatler Hotel で最低16時間は運営に直接だずさわることが要求されていて、単位になるらしい。しかも、運営に携わった時間はバイト代としてお金も貰えるらしい。大学の 単位も取れ、勉強にもあり、しかもお金が貰えるなんて、最高である。素晴らしいシステムである。 日本は大学院生(特に博士まで行く学生たち)にもなって、自分でお金を払って、しかも生活費を借金して、博士をとるなんてモーチベーションが下 がって当たり前である。最低でも、博士を目指している学生さんには、RAとかTAの制度で授業料また最低限の生活費は保障するべき。アメリカの理系、医学 系のPh.D.コースは殆どがそう。一年目(大学院によっては二年目も)は大学から授業料、生活費 (一年間で200万円~250万円くらいが現時点の相場だと思う)が支払われ、以降は所属ラボの研究費から支払われる。大学院生も所属ラボの研究に携わ り、ラボの研究発展に貢献しているわけだから、お金を貰って当然である。はやいとこ、日本の大学院も変わって欲しいものである。
追伸
昨日書いたNew York の過去の大雪は1993年ではなく1995年か1996年だったと思う。

2010年3月1日月曜日

2010年2月28日

今日からNew York ヘ出張。11月以来のNew York。今回は短く2泊4日で、3月3日(水)の夕方には日本に帰って来る。New Yorkは木曜日から大雪でマンハッタンでも70センチ以上雪が積ったらしい。もう3月になるというのに、今年はNew York 近郊の東海岸は寒くて雪が多い。1993年の大雪を思い出す。1993年には3月になっても、大雪が数回あったように覚えている。実は1993年には NAISTのもうひとりの教授である高橋淑子さんがNew Yorkにあるコロンビア大学でポスドクをしてらして、結構頻繁に我が家に泊りがけで遊びにいらしてたのも思い出す。
また、少しだけトライアスロンの話。僕はアメリカにいたとき、世界選手権も含めて鉄人レースにでた。日本の鉄人レースに出場したこともある。ア メリカであるレースでは、僕は水泳は平均的で自転車は上位25%くらいだけど、最後のマラソンで数百にを抜かして上位でゴールというパターンが多い。で も、日本の鉄人レースだと、水泳が上位25%くらいで、自転車でガンガン抜いて、上位にのし上がるのだけど、マラソンでは数人に抜かれるといった感じ。僕 の印象は、欧米のアスリートは水泳と自転車がメチャ強いけど、マラソンはそんなに強くない。逆に日本人アスリートは水泳はそんなに強く無く、自転車はメ チャ弱い。でも、マラソンがメチャ強い。やはり、自転車は足の短い日本人アスリートは足が長く筋力の強い欧米の選手には敵わない。単純にテコの原理であ る。
僕は今日本でも、水泳・自転車・マラソンのトレーニングを少しは続けているけど、鉄人レースに出場して上位に食い込むといったモーティベーショ ンはまったくないので、当分レースに出る予定はない。出るなら、上位でゴールしたいので、それなりのトレーニングを今はしてないのでレースに出る気はな い。