2012年8月31日金曜日
2012年8月31日
議論の苦手な日本人。これは、進化の過程で選択された性質なのかもしれない。「議論が苦手」というのが生物学的に、「日本人という種」の性質だとしたら、こ れは変えようがない。したがって、「アメリカから輸入した」議論を中心にしたやり方では日本はよくならないのかな…と最近思い始めた。一方、この、ぼくの 想像が間違っていることを強く願ってはいるが…。
2012年8月30日木曜日
2012年8月29日水曜日
2012年8月29日
子どもの頃から、自ら学んできた人たちは、二十歳過ぎくらいまでには自分の能力、長所、短所などを、かなり的確に把握している。
し かし、他人から「学ばされて」きて偏差値にふりまわされてきた人たちの多くは、二十歳過ぎになっても、自分の能力、長所、短所、などをよく把握しておら ず、自分のことをかなり勘違いしたまま大人になっていると感じる。このような、路頭に迷える、自分のことを極度に勘違いしている若者達を、日本に来て以 来、非常に多く目にする。
2012年8月28日火曜日
2012年8月27日月曜日
2012年8月26日日曜日
2012年8月26日
今は、朝、ジムで1時間筋トレ、40分スピンマシンでインタバル、その後、プールでのんびりと1500mフリーでながしました。のんびり泳ぐことで、色々なモヤモヤしたことが吹っ切れました。
今、スタバですが、お爺さん2人が、耳がはじけるような大声で、どうでもいいことをベチャベチャ喋ってます。きっと、お二人とも耳が遠くなっているのでしょう。まあ、お年寄りなので、仕方ないです。
2012年8月25日土曜日
2012年8月22日水曜日
2012年8月22日
以下、僕の2012年1月18日朝日新聞Webronza論考のコピーです。もう時効なので、個人のブログなどに掲載してもよいとの許可を頂きました。
英語の苦手なあなた、騙されてませんか?
グローバル化という言葉がいたるところで叫ばれている。使える英語力を身につけるための英語教材の宣伝を目にしない日はない。英語でのコミュニケーションスキルの必要性が喧伝されているわけだが、24年以上米国で暮らし、09年に帰国した筆者から見ると、英語力が必要な理由はもう一つあると考える。それは、「騙されない」ためである。また「島国的イデオロギー=島国根性」の餌食にならないためでもある。
インターネットで情報検索する場合、日本語で検索すると、ヒットする情報のほとんどは日本国内の情報に限定される。したがって、日本国内の情報「のみ」が世界全体の情報であると錯覚・誤解してしまいがちである。本や雑誌でも、日本語で書かれたもののみの情報に頼ると間違った世界観に支配されかねない。
また、日本語で書かれた文章を読むのはほとんど日本人(あるいは日本語のできる外国人)のみであるため、日本人にとって都合のよい情報のみ発信しても、海外からはほとんど批判されない(海外の一般大衆は読んでないのだから、批判のしようがない)。したがって、日本人の多くはそのデマ情報に騙されてしまう。
筆者のよく知る科学の分野でいくつか例をあげてみよう。
・ 国内のメディアで「XX大学(日本の大学)のS教授のグループが世界で初めてXXを発見(解明)した」という報道をよくみる。しかし、「世界で初めて」ではなく「日本で初めて」と記述するほうが適切である場合が頻繁にみうけられる。そもそも、多くの国際学術誌(Nature、Science、など)では、論文で「This is the first time to show …(これがXXを最初に示した論文である)」といった記述をしてはならない、という規則がある。(その理由を入れていただけますか?「最初」かどうかは簡単にはわからないから、ということでしょうか?)それにも関わらず、日本国内では「世界で初めて」という報道が氾濫している。
・ 同様に、「世界最先端」という報道・記述も氾濫している。日本語の新聞・雑誌・書籍の中には科学研究の説明に「世界最先端」という記述が頻繁にみうけられる。しかし、実際には、それらのいくつかは欧米諸国ではすでに大衆レベルの研究になっているものである。したがって、日本語のみの情報に支配されると、世界レベルでは大衆研究であるものを最先端の研究だと勘違いしてしまう。これは、特に研究者の卵である「英語の不得意な」日本の学生さんたちのキャリアに致命的な影響を与える。日本国内でのみ「最先端」の研究を世界最先端と勘違いする「井の中の蛙」的科学者が量産されることになる。日本では、「井の中の蛙」的科学者でも、研究費を獲得し、それなりの名声を得ることのできる現実がある。しかし、早晩そのような時代は終わるだろう。
・ 科学の様々な分野で、英語の教科書が日本語訳され、それが日本の大学・大学院でよく使われている。筆者が読んでみたこれら多くの教科書では、英語で書かれた原本の科学的ニュアンスがかなり歪曲されて記述されている。数式や化学式は問題ないのだが、生物学や医学の分野では、原本に英語で記述されている基本概念などが日本語訳では上手く伝えられていない場合がかなり見受けられる。したがって、筆者は日本語訳の教科書はあまり薦めない。
科学の世界以外でも、上記のような例は日本国内に氾濫している。海外ではすでに人気の落ちた商品をあたかも大人気商品のように称える広告、欧米では数年前にすでに廃れた流行をいかにも海外で最先端の流行のように称える広告、海外ではかなりマイナーな人物をいかにも国際的に超有名人物であるかのように称える宣伝、海外ではマイナーな報道しかなかった日本人のイベント(例えばコンサートなど)を「海外でも大盛況」などともてはやす国内報道、などなど数え切れない。日本語のみの情報に支配されてしまい、知らず知らずのうちに、間違った世界観、井の中の蛙的考え方、歪曲された事実に溢れた生活を強いられている国民は多くいるのではないかと筆者は感じる。
日本人の多くはそれで満足しているのかもしれない。しかし、いわゆる「島国根性」はこうやって育まれるのだろう。グローバル化の必要性を認識するなら、この状況を変える必要があると思う。
もちろん、英語以外の外国語もできるようになると、世界観はさらに広がる。世界は多様な文化、宗教、習慣、風習、伝統、主張、テクノロジー、学問で溢れている。それらを理解し、グローバルな社会において責任ある「つながる世界市民」として行動するには日本語のみならず、英語を含む外国語の習得は必要不可欠ではないだろうか?
2012年8月21日火曜日
2012年8月21日
僕はアメリカの大学院で教授をしていた時は、学生の指導といえば、「研究指導」だった。しかし、日本の大学院にきてみると、研究指導というよりは、学生の「生活指導」を主におこなっている先生方がいらっしゃる。とてもびっくり。
2012年8月19日日曜日
2012年8月16日木曜日
2012年8月15日水曜日
2012年8月15日
今日は終戦記念日。
全く関係ないトピックス。
人 間は生まれた直後から、ありとあらゆる種類のふるいにかけられて育った方が、当事者また社会全体としても良いのではないかと思う。そういう過程を多く経る ことによって、人は大人になる過程でそれぞれに適した道をみつけていくことができ、社会にも貢献することができる。たくましくもなる。社会のしくみとし て、また学校教育、家庭環境として、子供を育つ過程でできるだけ多くのふるいにかけることが重要だと思う。多種多様のふるいにかけられないで、過保護にプ ロテクトされたまま年齢だけ大人になった人間はかなり大変。
日本では、生まれてから、大人になるま で「偏差値というふるい」のみにかけられて、育ち、教育されてきている人間があまりにも多い。大抵の場合、本人はそれに気づいていない。あるいは、それ が、頭ではわかっていても、それがカラダに刷り込まれているので、どうしようもなくなってしまっている。
多くのふるいにかけられないで、なにもわからないまま、勘違いしたまま、年齢だけ大人になってしまった可哀想でひ弱な人達が、日本にはあまりにも多いような気がしてならない。
南無阿弥陀仏。
2012年8月14日火曜日
2012年8月14日
今日の朝、大阪は豪雨。京阪や近鉄は運転を見合わせてるみたい。僕は、いつも通り、朝早起きしてトレーニング。今日は雨なので、ジムで筋トレを40分した後、スピンを30分。
で も、問題点がひとつ。僕の行ってるジムのスピンマシンは、心拍数146以上が数分続くと「危険!!」とスクリーンに出て、スピンマシンが自動的に止まって しまうのが難点。インタバルのトレーニングだと、僕的には心拍数を160から170くらいにあげて、1〜2分×10 くらいやりたいのだけど…。
ちなみに僕の平常時心拍数は36〜40くらいで、最大心拍数が185〜188くらいです。
2012年8月13日月曜日
2012年8月13日
日本に3年住んで気づいたことのひとつ。
ア メリカは人種の坩堝なので、いろんな人種の人達が住んでいる。そして、みんなそれぞれの人種的バックグラウンドで見た目が全然違う。白人の中でも人種的 バックグラウンドが違うと見た目も、宗教も、文化も、言葉も、常識も全然違う。だから、見た目が違うので、他人は自分とは全く違う考え方を持っているのが 当然。自分のことが相手に解ってもらえなくて当然。人は人、と無意識のうちに考える。
ところが、日 本国内では、多くは日本人で、見かけもみんな同じなので、ついつい他人も自分と同じように考えるのが当然で当たり前だと無意識がはたらく。だから、他人が 自分と違う行動をしたり、自分とは違う価値観を持っていること自体が異常ということになってしまう。これが、日本を村社会にしている要因のひとつではない かと思う。
人間は、考えや行動が、視覚に強く支配されている動物である。したがって、見かけが同じだと、無意識のうちに自分の仲間、つまり自分と同じ考え方、価値観、をもっているのが大前提になってしまう。
僕が、日本に来て、よくまわりから言われる。
「Tom さんは、見かけが純粋の日本人で日本語もしゃべれるから、日本でとても大変だよね。Tomさんの中身は日本人じゃないのに、見かけが日本人だから、まわり と同じような考え方、行動、をして当然だと思われてしまう。だけど、Tomさんは、アメリカでの生活のほうが日本での生活より長いから、まわりの日本人と はかなり違う考え方、行動、言動をする。とても、損していると思う。Tomさんが、金髪で、青い目で、日本語喋らなければ、状況はかなり違うと思よ。」
納得である。
2012年8月11日土曜日
2012年8月9日木曜日
2012年8月6日月曜日
2012年8月5日日曜日
2012年8月4日土曜日
2012年8月4日
自分は年をとったけど20年前と同じポリシーで生活、研究している。しかし、最近思うけど、少しこの辺を修正あるいは変更するべきなのかな、と思い始めている。年を取ると体力も精神力も日々の責任もかなり変化し、20年前とはかなり違ってきている。この週末少し考えてみようと思う。
2012年8月2日木曜日
2012年8月1日水曜日
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