2010年1月30日土曜日

2010年1月29日

僕は今、日本語の(特に書く日本語)特訓中である。過去25年くらいはアメリカにいて、日本語は日常会話程度で時々喋っていたけど、日本語を書 く機会はほとんどゼロだった。でも、4月に日本に帰って来て、日本語を書く機会が多くなった。ラボのなかでは英語でメールのやり取りできるしそんなに、日 本語を使う必要はない。しかし、研究費の申請、大学の事務関係の書類、日本人の教職員とのメールのやり取りはすべて日本語でやらなければならない。意味の 通じる文章は書けるのだけど、やはり知性を感じさせ、読み手を唸らせるような文章を書きたい。僕の場合、英語だと、このような文章を書くのはまったく問題 ないし、結構書ける方だと自負している。でも、日本語だと現時点ではそのレベルには達していない。 日本語でこのような文章を書けるようになるには、書く度に文章力のある人に添削してもらい、それから学ぶというのが一番だと思う。幸運なこと に、そのような方に先日偶然巡り会えた。何時もというわけには行かないが、時々僕の書いた日本語(特に公式の文章)を添削してくれるというあり難いオ ファーを頂いた。そのお礼は、時々食事を奢るということみたいで、うれしい話である。
ちなみに、このアメリカンパンダは添削して貰わないので、暫く醜い文章が続くと思うので、その辺はご勘弁願えたらと思う。一年後には、このアメリカンパンダの文章も現在より読み易くなっていることを目標にがんばろうと思う。

2010年1月29日金曜日

2010年1月28日

僕は相撲観戦が昔から大好き。親父の影響で子供のころから、相撲とプロレスをよくテレビで見ていた。弟とよく、相撲やプロレスをやって、最後は いつも本気で喧嘩になって、弟を泣かしたりしていた。プロレスはある時点で見なくなったけど、相撲は結構見続けたし、アメリカに住んでてもインターネット テレビで日本の相撲はリアルタイムで見てた。(関係ないけど、マンハッタンにいるころ、ロックフェラーセンタ-の前にあるカフェでアントニオ猪木に会った ことがある。) 今は朝青龍が大好き。相撲が強いのはもちろん好きなところだけど、それ以上に、あの、やんちゃな性格や行動が、見ててワクワクする。日本のメ ディアは、朝青龍のこのような行動を叩き過ぎだと僕は思う。でも、もしかしたら、わざと叩いて、面白ニュースにしてるのかも知れない。僕だって、あんなに 周りから、あれはよくない、非常識だ、もっと横綱としての自覚をもてなど、色々とゴチャゴチャ言われれば、逆にわざと反発したくなる。
僕は、モンゴルから日本に来て、あれだけ日本に溶け込んで、日本語も流暢にしゃべって、日本でがんばっている朝青龍(またその他の外国出身力士 たち)は凄いと思う。日本人でどれだけの人たちが、海外に行ってその国に親しんで、その国の言葉を流暢にしゃべる(または、しゃべる努力をする)ことがで きるだろう。たとへば、MLB(メジャ-リーグ ベースボール)の松井選手なんて、いまだにアメリカのメディアとのインタビューで日本語で話して、英語の通訳をつけているし、いまだにアメリカで日本の生 活をしている。多くのMLBの日本人選手たちも多くはそんな人たちが多い。それらの日本人を含めた、国際性にかける多くの日本人より、これらの外国からき た力士たちの方がよっぽど、国際人としてはすばらしいと思うし、一人の人間としても僕は尊敬する。
朝青龍がんばれ!
朝青龍のことをとやかく言う前に、メディアは弱くなった日本人力士のことをもっと叩くべきではないのだろうか?

2010年1月28日木曜日

2010年1月27日

日本に帰って来てから、飲酒の量がアメリカに住んでいる頃に比べて最低数倍くらいにはなっている。僕は、アメリカに住んでいた時も、今日本に住 んでいる時も、基本的に家ではアルコールは飲まない。お客さんが家にきた時に飲む程度である。だから、家には普通お酒類は一つも置いてない。だから、アル コールを飲むのは外で友人や仕事仲間と食事をする時ぐらいである。アメリカにいた時は、外でアルコールを飲むのは多くて月一回くらいで、2~3ヶ月アル コールを飲まないことは結構ざらにあった。日本に帰って来てからは、何だかんだと色々あり、外に友人や仕事仲間、学生さんたちと飲みに行くことが毎月 4~5回位は最低ある。週2~3回飲みに行くこともある。このまま、今の調子でアルコールを摂取していたら、確実に健康を害することは目に見えているの で、気をつけようと思う。友人や仕事仲間、学生さんたちと気軽に外で食事しながらお酒を飲むのはとても楽しいので、このような機会を減らすことはしたくな い。なので、一回に飲む量を制限して行くのが良いかなと思う。

2010年1月27日水曜日

2010年1月26日

僕は日本の大学を卒業してすぐアメリカの大学院に行って、それから24年以上ずっとアメリカで研究・教育活動をおこなってきた。前にも書いたよ うに、僕は小学生のころから研究者になろうと思っていた。だから、子供なりに1970年代の日本の研究体制や状況を考えると、日本で研究するなんて考えら れなかった。1980年代に大学に入ってからも、僕はとてもじゃないけど、日本の大学院に行って日本で研究・教育をするなんてことは苦痛以外の何者でもな いと常に思っていた。それくらい、日本の研究体制、状況は悲惨だった(少なくとも、僕にとっては)。 それから25年経った今、もし僕が高校生か大学生だったら、日本の大学院に行くだろうか?非常に残念ながら、答えはNOである。日本は豊かに なったし、研究も世界をリードするような研究が少しずつ出てくるようになった。でも、やはり日本は「やんちゃ」で、「生意気」で、「縛られるのを嫌う」僕 にとっては、住みにくい国である。でも、僕は日本に帰ってきた。僕が日本に帰って来て、日本を少しでも、僕みたいな人間でも住みやすい国に変えて行く努力 を今すぐに始めて行かないと、何時までたっても、僕みたいな人間は海外に出て行ってしまう。僕みたいな人間でも、美しい日本を愛している人間は沢山いる。 そんな人間(僕も含めて)が、研究や仕事がし難いという理由だけで、愛している国を棄てて海外に行かなければいけないなんて、凄くさびしい。
僕はこれから20年~30年かけて、僕みたいな人間でも日本に住みたいと思えて、日本で(分野を問わず)プロとして世界レベルで活躍して行ける環境づくりに貢献するつもりである。

2010年1月26日火曜日

2010年1月25日

マンハッタンでは町のいたるところで、色んなパーフォマンスが行われていて、その多くがかなりレベルの高いパーフォーマンス。地下鉄の駅でのバ イオリン演奏など、超プロ級の演奏が行われていたりする。美術館、ギャラリーも沢山あり、レベルが高い。ほんとに、本物を追求する姿勢が社会に浸透してい る。 日本でびっくりするのは、偽物がチヤホヤされる文化。音楽、芸術でも、信じられないほど、低レベルのモノや、他の物まねでもチヤホヤされている。というか、かえって本物を追求すると、相手にされなかったりすることも結構ある。
日本語に「上手」という言葉がある。これが、本物を追求する文化の発展を妨げているのではと僕は最近思う。何事も「上手」になっては、本物を追 求できない。日本では皆「上手」になろうと努力する。日本では、学問、勉強、仕事も「上手」になろうとするところがある。学校では、国語、算数、理科、社 会、音楽と行った各科目(即ち習い事)で、計算が「上手」になる、読むのが「上手」になる、実験が「上手」になる、楽器が「上手」に弾けるようになる、問 題を解くのが「上手」になる、といったことが求められ、学生さんたちもそれを目指す。これでは、本物は生まれない。
どうやったら、日本にもっと本物を目指し、本物が尊重される文化が根ざすのだろうか?

2010年1月23日土曜日

2010年1月22日

今日から、ラボに復帰。朝から夕方まで、かなり集中的に研究・教育に関係することを次から次へとこなして行った。昼間に、30分ほど消防訓練が 入った。それにしても、日本の消防車はアメリカのそれに比べると、「かわいい」としか言いようのない位小さく、おとなしい。消防士さんたちも、小柄で小さ い(みんな、子供みたい)。 今日は読もうと思っていた論文が3つほどあったのだが、どれも読む時間が取れなかったので、一つでも、帰りの電車のなかで読み始めようと思う。
今、内分泌系の教科書と論文を集中して読んでいる。なかなか、奥が深い。長い歴史がある分野なので、一筋縄では行かないが、少しずつ視界が開けてきた。他大学の医学系の先生方にも色々と教えてもらっている。
インフルエンザも治ったし、12月、1月とあまり運動をしない生活にもかなり飽きてきたので、来週から少しずつ、朝の運動量を増やして、2月下 旬くらいまでには、一週間最低10時間くらいは運動する生活にもっていきたい。そして、3月、4月には一週間12時間~13時間くらいは、ルーチンに運動 できる、生活スタイルにもっていきたい。アメリカに住んでたころは、一週間15時間~20時間は運動をやっていた。それに比べると、ぜんぜん運動量は足り ない。でも、まったくやらないよりは、マシだと思う。

2010年1月21日木曜日

2010年1月20日

今日もインフルエンザのため、自宅待機。金曜日には職場復帰できそう。 研究は大きく二つに分けることができる。一つは「何をやるべきか分っている研究」。もうひとつは、「何をやるべきか分っていない研究」。僕がア メリカでずっとやってきた血管形成、心筋梗塞の研究は現在はすでに、かなり分野が成熟したので、「何をやるべきか分っている研究」。僕は、これらの研究は もちろん日本でも続けて、さらに発展させて行く予定。それとは別に、僕は、日本では新たな研究をはじめた。この新しい分野は「何をやるべきか分っていない 研究」。何を解決すべきかは分っているのだが、まだ問題点がきっちり定義できないでいる。問題点がきっちりと簡潔に定義できないと、問題解決できない。 今、この段階で約10ヶ月苦しんでいる。でも、ここ数日で少しばかり、光が見えてきた。もう少し、苦しんで、多くの人たちともう少し話をすれば、先ず第一 の問題点が定義できそう。問題点が定義できれば、後は良いアイディアを選んで、戦略を練り、必要なTool を集めて、解決するだけ。
問題点を簡潔に定義することができればしめたもの - 問題を解決したも同然。

2010年1月21日

今日もまだインフルエンザのため自宅待機。明日、金曜日、には職場復帰。 僕は、ここ十数年、毎日の体重、体温、健康状態、トレーニング、気分などを詳細にTraining Log に付けている。トライアスロンをする為、健康管理に凄く役立っている。また、自分の気分のゆらぎ、健康状態などに関するパターンを色々と発見する。このよ うなパターンは複雑に分子、細胞、臓器、個体レベルで複雑に制御されているのだと思う。または、制御されているのでは無く、たまたまその様に表現形が高い 確立で現れているのかも知れない。僕は、このようなことに凄く興味があり、その仕組みを科学的に紐解く新たなアプローチを開拓しようと努力している。
2005年に僕がNew York に住んでいる時にも、インフルエンザ(季節性)にかかった。その時の、Training Log を見直してみると、驚くほど、今回A型インフルエンザにかかったときと、様々なパターンが同じ。回復に向かうタイムコースまでまったくミラーイメージ (Mirror Image:同一)。2005年の時にはタミフルは使わなかった。今回はタミフルを5日間服用した。僕の場合にはタミフルを服用しても、しなくてもあまり 変わらないのかもしれない。まあ、今回のインフルエンザと2005年のインフルエンザではタイプが違うから、一概には言えないのだけど。
1998年にダラス、テキサスに住んでいるときにもインフルエンザ(季節性)にかかった。その時のTraining Log を見てもまったくすべてがミラーイメージ。
ほんとに面白い。こんなに、精密な生体制御機構が比較的いい加減に働いている部品からどのようにして生まれているのか?この問題は70年~80 年前から様々な科学者たちがチャレンジしてきたのだが、未だに明確な説明にはいたっていない。とても難しい問題。でも、僕たちのラボでは、この問題の今ま でとは違った側面を捕らえることにより、違う観点からせめていこうといった研究をはじめたところ。これからが、楽しみ。

2010年1月20日水曜日

2010年1月19日

とうとう、僕もインフルエンザになってしまった。16日(土)の夜、具合が悪くなり、体温を測ったら、38℃あったので、大阪にある中央夜間診 療病院に行って検査してもらったら、A型インフルエンザと診断された。タミフルと熱さましをもらった。17日(日)には39.2℃まで体温が上がった。日 曜日は体中が痛くて大変だった。翌日18日(月)の朝には37℃、昼前には36.5℃まで体温が下がった。まだ、少しからだの痛みは残っていたが、ほぼ 直ったのだと思う。今日19日朝の体温も36.4℃で、からだの痛みもまったくないので、安心した。洗濯と家の掃除をして、窓をあけて空気を入れ替えた。 一応、規則で熱が平熱に下がってから二日は自宅待機ということなので、大学へは木曜日に復帰という事になる。 でも、今回のインフルエンザはほんとに高熱だけで、別に喉が痛くなったり、せきが出たり、鼻水が出たりとかはまったく無かった。ほんとに、数日 の高熱だけ。また、感染していたはずの金曜日とか土曜日にかなり、濃厚な接触のあった人たち(例えば、温泉に一緒に入ったりとか)も今のところ感染してい ないみたいだし。自分が具合悪くなるのは、しょうがないけど、ヒトに病原菌を移すのだけは耐え難い。ちなみに、僕のラボでは、普通の風邪や具合が悪いとき でも、ラボへは絶対来ては行けないという規則がある。どうしても、来なければ行けないときは、他人の居ない時間帯に来るようにと皆へ伝えてある。
という訳で、今日、明日と二日間は、家で仕事。かなり、仕事がはかどりそう。
追伸
夕方、体温測ったら37.2℃あった。まだ、治ってないみたい。油断してしまった。木曜復帰は無理みたい。金曜復帰になりそう。残念

2010年1月17日日曜日

2010年1月16日

ここ二日間くらい、これからの研究の方向性に関して沢山考えることができた。かなり、考えが煮詰まって、有意義な二日間だった。これも、 NAISTの多くの教員の方々とこの二日間、フリーに多くのことを語ることができたからだと思う。僕は、沢山の人たちと色んなことを話すことによって、多 くのアイディアが沸いて来るし、漠然としていた考えに方向性が出てきたりする。僕にとって、他人との会話は命綱。これなしには、僕はなにも新しいことがで きない。だから、こういうフリーに色んなことが話せる多くの人達に囲まれた環境は非常に大切。 僕の研究史においてのマイルストーン的な研究成果のほぼすべてが他人との会話がきっかけになっている。このような会話なしには、このような研究成果は出て来なかったと僕は思う。
本を読むのも大切だけど、人との会話も同じ位大切。

2010年1月15日金曜日

2010年1月14日

ここ数日、寒くなってきた。冬のニューヨークみたいな天気。寒いけど、外を歩いたりしてると気分が引き締まる。明日から、一泊二日で三重にある 温泉に行って来る。僕は、子供のころからシャワー派でお風呂は苦手なんだけど、温泉は大好き。雰囲気が良い。食べ物もお酒も美味しく楽しめるし。アメリカ に住んでいるときも、日本に戻って来るたびに、よく各地の温泉まで足を伸ばしていた。今回行く三重の温泉は初めて。15年くらい前に、ドイツの学会に招待 されたときに、ドイツの温泉に行く機会があった。やはり、ほとんどがお年寄りばかりで、身体の治療を目的として来ている人々が殆ど。でも、珍しくて、結構 楽しんだ覚えがある。 そういえば、ここ10年くらい、ヨーロッパにあまり行っていない。アメリカからだと、ヨーロッパは近いのだけど、出不精になっていた。一つの理 由は、トライアスロンを結構真剣にやるようになって、トレーニングをきちんと毎日やる為には、あまり出張できない。僕の優先順位がトライアスロンの方が学 会に招待されることよりも上になっていたということである。この、20年間ぐらい、世界中の色々な国での国際学会に招待されたけど、サイエンスという意味 ではあまり収穫が無かった。人脈づくりという意味では収穫が大。でも、色々な国際学会に行っていると、もう結構同じ研究者ばかりに出くわせて、あまり新し い顔に出会わなくなった。それに、以前書いたように、僕は相変わらず、人見知りをする傾向が強く(子供のころほどひどくはないけど)、あまり、知らない人 々の輪に入りこめない。
でも、トライアスロンも日本に帰って来て、普通の趣味の領域に落ちてきたので、そろそろ、色々と海外の学会にも、積極的に出かけて行こうと思 う。新しい発見があるかも知れないし。それに、日本では新たな研究分野の開拓もはじめたので、外に積極的に出て行く必要があると思う。
というわけで、2010年は色々な海外の学会に行く予定。

2010年1月14日木曜日

2010年1月13日

日本の大学システムの諸悪の根源の一つは「教授会」。僕の個人的な感想は「教授会」ほど形式的で、不必要なものはないと思う。少なくとも、「教授会」のあり方、やりかたを変えるべき。 「教授会」の権限は絶大。これで、教授という名ばかりのタイトルに威厳とパワーを与えている。アホくさい。僕に言わせると、教授だってただの教 員の一人で、ラボのPI(運営主任)でしかない。しかも、研究・教育に関しては、それなりの経験と実績があるのかも知れないが、マネージメント能力、決断 力、研究・教育以外の諸々の経営・運営能力に関して言えば、かなりの教授(僕自身を含めて)が欠陥人間。そんな、人々に教授会といった名ばかりの組織をつ くることによって、いかにも「王様」「一国の主」みたいな振る舞いをする事を許している、といった馬鹿げた制度だと僕は思う。
しかも、「教授会」に出ている教員の半分くらいは、コクコクと転寝をしているか、携帯メールでチャットしてるか、PCで自分の仕事をしているか である。アホくさくて、やってられない。でも、僕にはその理由が分る。僕だって、時々そうする。だって、「教授会」で話されることの90%は、なぜこんな に大勢の教授が集まってこんなくだらないことを話すのに時間を裂く必要があるのか分らないような議題・報告事項ばかり。Eメールで片付くような議題・報告 事項がほとんど。
また、会議の進め方が最悪。僕の覚えているかぎり、基本的な会議の進め方は小学校で習う。でも、「教授会」の会議の進め方といったら、全然その 基本を守っていない。やはり、社会人としては欠陥人間が多い、教授連中にきちんとした、前向きで、問題解決型の会議進行は不可能。
「教授会」はやめるか、やりかたを変えた方が良いと思う。上記したように、その理由は二つ:
  1. 「教授会」といった組織がある事によって、教授というタイトルに危険で能力にそぐわない権限、威厳、パワーを与えている。
  2. 「教授会」で話し合われる議題・報告事項の90%はEメールで事が済む。
では、どのように変えるのが良いか?この点に関して、少し深く考えて、後で書いて見ようと思う。

2010年1月13日水曜日

2010年1月12日

この週末、京都大学の尊敬している教授の先生、奥様、先生の秘書さんと京都で食事をする機会があった。平安神宮近くの中華のお店。素晴らしく美 味しい料理だった。話も、凄く楽しかったし、ためになる話を沢山聞けた。あっという間に時間が過ぎた。もっと、もっと色々と話ができたらと思う。 夕食の待ち合わせの一時間以上前に京都に行って、平安神宮や、そのまわりにある美術館や図書館の建築物を見て回った。その建築の素晴らしさにか なり感動した。京都という場所の素晴らしさにも改めて感動した。そう考えると、関西は、大阪、京都、奈良、神戸と違う文化が集まっていて、何処にでも、結 構便利に電車で行ける。
これから、時間のある時に、少しずつ色んな所に出かけてみようと思う。特に、僕は美味しい料理や雰囲気の良いお店、建築様式、日本の歴史、芸 術、山(丘ではなく山)、に凄く興味があるので、それらを中心に、関西圏を開拓して、自分の「関西マップ」みたいなのができたら良いなと思う。

2010年1月9日土曜日

2010年1月8日

僕は大阪に住んで奈良県生駒市にあるNAISTに中央線で通っている。結構、このライフスタイルは気に入っている。電車にのっている時間は約 30分ほどで、仕事関係の本、論文を読んだり、PCで短い書き物をするのに丁度良い長さの時間。また、森之宮に住んでいるので、京都、神戸にも簡単にいけ る。 電車に乗っている人達の表情や仕草が日本とマンハッタンでは凄く違う。当たり前だけど。その幾つかをここに列挙して見ようと思う。
マンハッタンの地下鉄は次の到着駅とか、電車内でのアナウンスがすべてほんとのヒトの肉声。だから、その時どきで誰がアナウンスするかによっ て、男の人だったり、女の人だったり、妙に陽気な人だったり、超不機嫌な人だったり、ぼそぼそ声だったり、ほんとに色々で、凄く人間味がある。日本(大 阪)では、すべて録音された機械的なアナウンス。これは、日本で色んなところ(ホテル、会社など)に電話しても、電話に最初に出る受付の人の声や言いまわ しがすべて機械的で、録音の声かと、僕はいつも間違い、凄く不安になる。
日本(大阪)では、いい年したオッサン連中が、エッチな新聞や雑誌を堂々と電車の中で恥ずかしくも無く読んでいる。マンハッタンの地下鉄でこんな人たちはみたことない。そんなに、エッチに飢えてれば、公共の場所では無く、お金払ってこそこそと別のところでやって欲しい。
日本(大阪)の電車の中で、(特にオッサン連中)の汗や口臭の匂いがくさい。特に、朝からこのような匂い嗅がされると、吐きそうになる。マンハッタンの地下鉄もかなり異様な匂いがするけど、あれは汗や口臭では無いような気がする。
日本(大阪)の通勤時の電車の中にいる人たちの顔、目がほとんど死んでいる。そんなに、仕事にいくのがいやなのだろうか? しかも、みんなむっつりだんまり。マンハッタンの通勤電車のなかでは、結構色んな人たちが、べちゃべちゃ、ニコニコしゃべっている光景を見る。知らない人 でも、目が会えば、「How are you?」の一言くらいは言う。日本人は目をあわせようとしない。
日本(大阪)の電車のなかでは、席を譲る人の数が少ない。お歳より、身体の不自由な人がまん前に立っていても、平気で座っている人が多い。もち ろん、ちゃんと譲る人もいるけど、相対的に少ない。マンハッタンの地下鉄の中でも、もちろん、席を譲らない人もいるけど、日本(大阪)に比べると、断然譲 る人の方が多い。

2010年1月8日金曜日

2010年1月7日

昨日の続き。では、日本に海外から勉強・研究に来たいと思う環境を作るにはどうしたら良いだろう。やはり、日本でしか学べないとか、日本でしか 研究できないとか、そういうものがないと来ないと思う。僕の研究分野(生命科学)で、その様なものはあるのだろうか?正直いって無いと思う。日本で現在行 われている、生命科学の分野のほとんどが、米国、ヨーロッパ、中国でもできる。その様な状況では、もっとお金があって、世界中から優秀な学生・研究者が集 まってくる米国や、科学の長い歴史のあるヨーロッパ、膨大なお金とすばらしい設備のある中国に人は集まる。お金は無い、英語のしゃべれる研究者が少ない、 閉鎖的社会の日本にわざわざ海外からは学生・研究者は来る訳が無い。 やはり、日本でしか学べないような、何か日本のお家芸みたいな生命科学の分野を開拓する必要があると思う。かといって、他の科学の分野は分らないけど、生命科学の分野で日本でしかできない、学べない分野はそんなに無いと思う。
もうひとつの方法は、日本の文化背景でしかできないような、研究・教育のシステムを確立し、同じことを学ぶにも、米国、ヨーロッパ、中国よりも日本の方が学びやすい、研究しやすい、そういったシステム作りが必要だと思う。
僕は、この二つについてもっと突っ込んで考えてみようと思う。そこから得られる答えこそが、日本が生命科学の分野で、50年後も存続できるかどうかの瀬戸際である今、必要なことだと思う。

2010年1月7日木曜日

2010年1月6日

米国の凄いところは、色々な分野(サイエンス、ビジネス、エンターテインメント、芸術など)で、世界中からトップまたはトップを目指す人々が常 に集まることである。だから、流動性という意味では凄い国だと思う。だから、こんなに栄えて、色々な分野で世界のトップをいく事ができているのだと思う。 日本も今、東南アジアから多くの学生(学部生、大学院生)が勉強、研究をしに来ている。でも、(僕の個人的な意見だけど)もし、日本が今変わら ないと、もう20年~40年くらいでそういう東南アジアの優秀な学生たちは日本に来なくなると思う。前にも書いたけど、日本は本当に外国人にとって凄く住 みにくい不便な国。日本人でも、海外に人生の半分以上住んでた僕でさえも、そう思うくらいだから。。。。
それに、もう20年~40年くらいすれば、今のままの日本だと、東南アジアの優秀な学生さんたちも、わざわざ日本に留学する必要も無くなると思います。
ほんとに、日本は今なんとかしないと、ほんとにダメな国になると思う。こう考えると、僕は凄く怖くなる。お願いだから、日本の皆さん、この事を真剣に考えて、アクションにすぐ移してください。さも無ければ、手遅れで、どうしょうも無くなりますよ。
まあ、日本人だけで将来も日本国は大丈夫と思っているのなら別ですけど。。。。でも、ほんとにそう思います?よーく、考えてみて下さい。お願いです。

2010年1月6日水曜日

2010年1月5日

NAIST のいたる場所に「赤い羽根募金」箱が12月に置かれた。結局、募金総額は一万円弱だったそうである。この結果、僕には信じられなかった。NAISTの教職 員一人500円、学生一人100円募金しても軽く10万円は超えるはず。信じられない。僕自身は、募金実施期間中、毎日売店での買い物のおつりをすべて募 金箱にいれていた。 この世の中には色んな状況に置かれた人たちが沢山住んでいる。恵まれた人(金銭的、身体的、家庭環境的)はそうでない人たちに手をさしのべるの は当たり前だと僕は思っている。僕は、「恵み」というものは何かの犠牲の上にあるものだと思う。それが、自分本人の何かの犠牲だったり、他人の犠牲だった りする。今、恵まれている人たちだって、ちょっと間違えば、恵まれていない状況になっていたかも知れない。恵まれている人たちは「たまたま」恵まれている だけだと、僕は思う。自分が努力したり、才能があるから恵まれていると思っている人たちがいるが、勘違いしていると、僕は思う。いくら努力しても、いくら 才能があっても、恵まれない状況に陥った人たちはこの世の中に数えきれないほど沢山いる。逆に、努力しなくても、才能が無くても、たまたま運よく恵まれた 状況にある人たちも多くいる。
きちんと給料をもらっている人が一年に一回500円寄付することがそんなに大変なことだろうか?学生で給料もらってなくても一年に一回100円寄付することがそんなに苦痛だろうか?
信じられない世の中になったもんだと僕はとても悲しい気持ちになる。

2010年1月4日月曜日

2010年1月3日

この一週間はまったく運動をしなかった。体重は増えてないようだけど、筋肉が落ちて、そのぶん脂肪が増えたように思う。アメリカにいるときは、皮下 脂肪を7~9%位に抑えていたのに、日本に帰ってきて、運動量が激減すると、10~11%まで増えてしまった。この一週間、運動をしなかったら11.7% になった。明日からきちんと毎日運動しなければ。皮下脂肪が12%なんかになった、恥ずかしくてプールの一番早いレーンで泳げない。それだけは、避けなけ れば。。。
今年は日本にいる時間が長くなるので、日本人の典型的なボーとした平和な顔つきにならないようにしなければ。。。New York にいるときに、日本人の観光客の多くが、平和ボケした顔つきをしていると感じた。これは、日本人独特。他の国からの観光客にこれほど平和ボケした顔つきを した人を見たことがない。日本に帰ってくると、多くの日本人の顔が平和ボケ。これは大人も子供もそう。やっぱり、昔から言われている様に、日本社会は「幼 稚な社会」なのかも知れない。日本の歴史の中でこんなに長い間そうなのだから、「大人(Matureな)社会」になることは有り得ないのかも知れない。な る必要かあるかどうかも僕は分らない。「幼稚な社会」の利点って何だろう?この辺に関して僕はもっと深く考えてみようと思う。

2010年1月3日日曜日

2010年1月2日

今日は広島。今、新幹線で大阪を出たところ。広島までは約1時間30分くらい。大学の時も正月は広島に帰省しなかったので、正月に広島に行くの は約30年ぶり。別に何をする訳でも無い。ただ、両親に会って、一言「ありがとう」と言おうと思う。この一言を両親にきちんと言えるようになるのに、僕は 47年かかった。ほんとに自分が情けない。まだ、遅くないことを祈るばかりだ。
それにしても、2009年は終わりが、かなり激動だった。こんな12月になるとは思っていなかった。12月終わりには、ほんとうに色々あった。 僕は、これらをすべて受けいれる。僕は基本的に拘束されるのを非常に敏感に感じ、反発してしまうのだと思う。小さい頃からそう。だから、回りは非常に迷惑 だし、組織や人が、僕を飼いならそうとすることは、不可能だと思う。僕はきっと反発するし、反発しても無駄だと自分で分ると、組織やその人から逃げて行 く。
この47年間を振り返ると、僕の両親は、僕のこういった性格をすごく理解してくれていたと思う。ほんとにあり難いことだ。もし、両親が僕を無理 やり飼いならそうとしていたら、きっと僕はつぶれていたと思う。僕の親友たち、仕事仲間たち、今まで僕を指導してくれた先生方や先輩方、これらすべて人た ちは僕のこういった性格を理解して、うまく僕を育ててくれたのだと思う。結局、僕のこの性格(習性)に一番最後に気づいたのは、自分自身なんだと、今に なってやっと分った。これからは、これらの人達に僕が恩返しをする番だと思っている。
先ずは両親に「ありがとう」と一言。
(夜)
両親に伝えました。両親の答え「こちらこそ、育てられました。ありがとう。」やっぱり、親の方が数万倍えらかった。
(追伸)
両親によると、僕のことで一番心配したことは、「僕が子供のころから異常に人見知りをする子供だった」ということらしい。幼稚園、小学校の先生方もこれに関してはすごく心配されたらしい。

2010年1月2日土曜日

2010年1月1日

25年ぶりの日本でのお正月。2009年は日本での何もかもが珍しく、色々観察させてもらった。2010年はそれらをいかして「何かを創っていかないと」と考えている。
色々な海外でのこと(文化、芸術、習慣、人、社会現象など)が最近自分の生活の一部として感じられ無くなった。日本にいるとこんなになって仕舞 うんだと自分に対する危機感を感じる。自分の生活の一部として感じないと真の感動や憤慨と言った感情が沸いてこない。こういった感情が出てこないと真の新 しいものは創れないと思う。
かといって、日本国内のことも、まだ自分の生活の一部として感じられない。早く感じられるようになりたいけど、こればかりは時間が解決してくれるものなので、じっくり辛抱強く待つしかない。
早いとこ、日本国内、海外のこと、すべてが自分の生活の一部として感じられるようになりたい。そうすれば、世界中のことに関してほんとうの意味 での感動、憤慨といった感情を持つことができるようになると思う。そうすれば、また生活感情に密着した新たなものを創造できるのではと僕は思っている。や はり、「生活=文化」かなと思う。これに根ざしたものでないと、人を感動させることは難しいと思う。芸術でも、サイエンスでも。