2018年12月15日土曜日

20181214日【矛盾】
この頃、研究においても、事業においても、いろんな場面で、「人類」について色々と考えることがある。まだ、答えは出てなくて、日々いろんな考えと格闘してる状況なんだけど、どうも、人類というか人(生物学的な意味での「人」)は、やはり「矛盾の内に生まれて矛盾の内に滅びる可能性を秘めてる爆弾」みたいなものかなと思っている。

「矛盾」を解決する方法はなくて、そもそも「矛盾」は存在してるようで、存在していないようなことなので、解決できないもので、付き合って行くしかないことなので、そういう意味でも、矛盾とうまく付き合えることが1つの教訓かなとも思う。

まぁ、こんなこと、世の中の人たちは当たり前だと知っていることなんだろうけど、、、。

2018年11月26日月曜日

20181126日【見える化】
世の中のほとんどの人々には見えないけど、自分には見えること(もの)があって、その自分にしか見えないこと(もの)が、その他大勢の人にも見えるようになったときに初めて世の中に認められるし、それが妄想や幻想ではなく、実態のあること(もの)として存在することになる。

自分にしか見えてないものを世の中の人々みんなが見えるようするのは非常に困難を伴うのだけど、みんなが見えるようになったときに、世の中は変わる。

まぁ、そう信じて邁進するのみ。

2018年11月9日金曜日

2018119日【自分の土俵】
人にはそれぞれ「自分の土俵」というのがあって、「他人の土俵」で戦おうとすると必ず負ける。若いことは、「他人の土俵も自分の土俵になりうる」なんてイキがっていたけど、たまにそういうまぐれ的なことも起こるけど、ほとんどの場合負ける。

まぁ、ひとりの年寄りがほざいてるだけですが、、、。

2018年10月22日月曜日

20181022日【深い余生】
僕も50代半ばを過ぎてきて、ふと気づくと知らず識らずの内にどうも「落ち着く」方向へ帰着してしまいそうになっている。つまり、もっと、もっと、という若い頃にあったのとは違い、取り敢えずは、これを終わらせようとか、これをしっかり落ち着かせようとか、そういう方向に物事を考えるようになっている。

これは、年の功というか、賢くなってきているという見方もできるけど、若い頃にあった「勢い」みたいなものが少しずつ失われてきているのかもしれない。やはり、「死」を無意識に意識し始めているのかもしれない。また、「若い人たちの邪魔はしたくない」という意識があるのかもしれない。

ただ、精神のバランスをとる意味でも、このあたりは気をつけないとならないなとは思い始めている。僕みたいな年寄りが若い人たちの邪魔をしないで、自分なりの広がりを永遠に拡張させながら深い余生を送る方法を模索中。

2018年10月11日木曜日

20181011日【時の流れ】
もうすぐ10月も半ばになってしまった。この秋は少し小休止を北海道か沖縄(恩納村)でと予定していたけど、台風やら地震やら、そして、自分の事業や研究で、全くそれどころではなくなってしまった。今年末には仕事で米国に行くことになるかもしれないし。

どちらにしても、いろんなことが混沌としている時期なのだろうと割り切って日々過ごしているのが今。

こういう時には、時の流れに従うのがベストということを五十数年生きてきて学んだことのひとつ。

2018年9月11日火曜日

2018911日【詐欺】
サイエンスを長年やっているとわかるけど、「見ようと思えばなんでも見える」し、見えたものベースにある、ある意味での因果関係も「紐付け」くらいはできてしまう場合がある。

要は、それが、どれだけドミナントなのかということ。この「どれだけドミナントか」という問いに回答しないで、一生なんだかんだと研究し続けるのはある意味「詐欺」。

2018年9月9日日曜日

201899日【孤独で多くの場合不毛な研究】
世の中溢れるほどの論文がある。そして、自分の研究分野がポピュラーであればあるほど、自分の研究に関連する論文も毎日沢山発表されるので、それなりに目を通しておいたほうが良いことが多い。そういう場合、いい加減で再現性が低い(再現性が全く無いわけではなく、論文が主張するほどRobustじゃないという意味)論文があると、それに振り回されて時間を無駄にされてしまうことがある。

そういう点でいうと、僕の場合、自分のラボを持って以来(1991年1月からだから約28年間)、そんなに過去の多数の論文を分析した上でのプロジェクトというよりは、遠い昔に忘れ去られた(あるいは、忘れ去れそうになっている)仮説や(自分のラボで最初に開始したプロジェクトはドイツ語で書かれた100年近く昔の分厚い論文が元になっていた)、そんなことありえないから誰もそもそもやろうとしていない、あるいは日々の実験で偶然に見つけた観察でとてもあり得そうの無い現象、これらが元になっている場合が多いので、そもそもそんなに論文を日々注意してフォローしている必要がない。

そして、そのようなプロジェクトを論文化して、だんだん周りが盛り上がってきて多くの研究者が同じような研究をやり始めると、僕の場合は、一瞬にして興味を失ってしまう(これが、実は僕の良くないところでもある)ので、別の研究テーマを求めて「孤独で、多くの場合不毛な旅」に出る。

こんなパターンを僕は30年近く繰り返しているので、結構精神的には辛いけど、まぁ、そういうやり方しかできないのが自分でもある。

2018年9月3日月曜日

201893日【失わないと得られない】
五十数年生きてきて本当にそうだなと思うことのひとつ。何か大きなものを得るためには、何か大きなものを失わないと得られない、ということ。これは本当にそうで、大きなものを失わないで大きなものを得たケースはあまり知らない。表に出るのは、得たものばかりなので、失われたものは表に出てこない場合が多いので、外から見ると大きなものを得る人は順風満帆に見えるけど実は非常に大きなものを失っている場合が多い。また、一見いろんなものを沢山得ているように見える人は、実は何も得てなかったりする。

2018年8月28日火曜日

2018828日【ロマンのある人生】
人生55年生きてきて多くの人たちと付き合ってきて、少なくとも2つのタイプがあると思っている。

タイプX
1つ1つの点を頭の中でつないでいって、一点でも切れ目があったりると、この全てのルートは間違っていると考えるタイプ。

タイプZ
1つ1つの点を頭の中でつないでいって、一点でも切れ目があると、こりゃ面白い、きっと思いもよらない(自分では考えられない)その点と点を結ぶ「見えない糸」があるに違いない、あるいは、この点と次の点を結ぶ新しい糸を作ってやれば、今までにないルートができる、と考えるタイプ。

まぁ、一歩間違うとタイプZの勘は完全に本当に間違っている場合もあるので、「バカと天才は紙一重」とはよくいったものです。


でも、バカも天才も同じように「ロマン」があると思います。

2018年8月25日土曜日

2018825日【いい加減で気まぐれなうねり】
最近、いろんなことが自分の意図していたとは逆の方向に決着することが続いたのだけど、全てが実際に起こってみると、後で振り返ってみると、その方が実はよかったと思うことばかり。

どうも自分では決断しきれなくて心に迷いを持ったまま進めていたことが、決着してみるとなんでもっと早く決断しなかったんだろう、勝手に終わってくれてよかったと思うこととか。

あんまり検討せずに進めてしまっていたことが、期待通りにいかなかったら、後で色々と分かって足を踏み入れることにならなくて本当によかったと思うこととか。期待通りにいって自分がそこに入ってしまっていたら、将来きっと泥沼というか、ストレス半端なく溜まっていたろうなと、今は本当に期待通りにいかなかったことにホッとしている。


まぁ、世の中きっと何か大きな力が働いていて、目先に囚われてしまっている時は、勝手に修正してくれるのだろう。そこには、法則というよりは、もっといい加減で気まぐれなうねりのようなものがあるのかもしれない。

2018年8月15日水曜日

2018815日【前向き】

今日も早朝からずっと仕事して、午後は少し休憩。そして、夕方にもう少し仕事。今年もこれまで色々あったし、現在進行形で色々あるけど、研究は取り敢えず非常に順調、というか非常に面白い、と同時に沢山の不透明な部分があるけど、こういう時期が研究は一番やり甲斐がある。