2011年9月30日金曜日

2011年9月30日

ある事がきっかけで最近気づいたこと。

「日本社会は噂話に支配されているところ」
個人、学校、会社、大学、団体、などなど、全てが噂話の対象で、それぞれが噂話にふりまわせれ、噂話が出没しないようにするために膨大な労力、時間、お金を使っている。

日本の報道(ニュースや新聞)も多くが「噂話」のレベル。欧米でいわれる報道ではなく、所謂「タブロイド」系の噂話。

そもそも日本人は噂話が好きだし、とてもそれを気にする。僕としては信じられないほどセンサティブ。このような社会構造が「出る杭は打たれる」という傾向を生み出している一因になっているのだと思う。

2011年9月29日木曜日

2011年9月29日

日本に来て、またNAISTに着任して3年目に入っている。この3年目は僕にとって、またNAIST佐藤ラボにとって試練の年、Critical Year になりそう。Horizon は直ぐ向こうにあるはず。

2011年9月28日水曜日

2011年9月28日

日本に来る前に僕が研究・教育をしていたNYにあるコーネル大学医学研究科では、新入生全員にiPad一台が渡され、iPadをつかって各学生が授業のシラバス、教科書、資料、連絡事項、提出書類、その他全ての情報にアクセス、アップロードできるようにした。また、iPadを使って学生間のコミュニケーションをはかるということもなされている。

NAISTも最先端大学院なら、これを上回るなにか日本一のことをやらないかな。。。。

2011年9月27日火曜日

2011年9月27日

先日他研究科の若い助教、准教の先生方と夕食を一緒にし、その後二次会で飲みに行く機会があった。他研究科の現状に関しても色々聞けたし、とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。

2011年9月26日月曜日

2011年9月26日

僕の今年のノーベル生理医学賞の予測。

Randy Shekman
Jim Rothman
「細胞のタンパク分泌機構の解明」

Richard Hynes
Erkki Ruoslahti
Ken Yamada
「細胞外マトリクスの形態形成・疾患制御メカニズムの解明」

Napoleone Ferrara
「血管新生メカニズムの解明およびそれを利用した疾患治療法の開発」

Seiji Ogawa
fMRIの発明」

John Ellis
「タンパク質折りたたみ機構:Molecular Chaperoneの概念を提唱・確立」

この人たちの誰か。

2011年9月25日日曜日

2011年9月25日

昨夜、大阪天王寺公園で行われているOctober Fest に行ってきた。多くの人たちがいて、音楽など色々な催しものをやっていて盛り上がっていたが、超薄っぺらかった。ドイツ人の人たちが見たら鼻で笑い飛ばされるだろうなと思った。ビールもメチャ高かったし。。。。。

2011年9月22日木曜日

2011年9月22日

評価に関して。
以前ここに書いたようにNAISTでは教員の厳しい評価システムが無い。以下、僕の案。

長期の研究目標をどのようなステップで達成していくかを教員は明確に示し、その各中間目標(ステップ)が達成されているかは厳しく評価されるべき。日本の研究者のなかでよく「興味のおもむくままにするのが研究の真髄だからいつ大発見がおこるかわからない。したがって、長い目でみながらやるのが研究だ。」という人達が居ますが、これはナンセンス。これは「趣味」の研究で給料をもらってやる研究ではないです。さすがに、7年たってクオリティ-の高い研究成果がでない場合、おそらく永遠に成果は出ないと思われるので、Demotion かクビでしょう。

問題は、日本の大学は教授会に大きな力があるという事です。 自分の首が危なくなるような厳しい研究成果の評価システムの確立など、教授会の議題にもあがらないし、あがっても猛反対にあうか、システムをつくっても「形だけのゆるい評価システム」になるでしょう。 よくある日本の大学がおこなっている外部評価委員会がそれです。まさに「友達同士の意見交換会」です。

私が提言するのは、教授も「Rolling-7」システムの雇用にするべきです。 7年やって厳しい評価の結果、研究・教育成果をあげていないと判断された教授はアウトです。 評価がよければ、次の7年が与えられます。 その7年もOKであれば次の7年が貰えます。 したがって、研究・教育成果を出し続ければ、7年のサイクルが何回でも続けることが出来ます。 そのかわり強制的定年退職年齢もありません。 何歳になっても厳しい評価に絶えられる成果をだしていれば、ずっと7年サイクルで研究・教育をおこなうことが出来ます。 評価は、先ず4年目に厳しい中間評価を行ない、今後の方針などに有益なアドバイスをもらいます。 最終評価は7年目に行ないます。最終評価で成果不足と判断が下れば、2年の猶予期間をもらい、その間に次の職を探して大学を出ていく事になるか、あるいは大学のなかで、他のポジション(例えば、機器・施設管理責任者など。。。)へ移動することになります。

如何でしょうか

2011年9月20日火曜日

2011年9月20日

・学生への英語の指導
・グローバル化のための教育・インフラにまつわる様々な仕事
・教授会参加
・学生たちが就職に関する話しをするのを耳にする事
・学生の就職活動を大学のカリキュラムの一貫としてサポートすること
・学生のメンタルサポート
・オープンキャンパスのための休日出勤
・「なぜ日本・日本の大学はこんなことやってるんだろう」と理解に苦しむこと
・「なぜこんなことが理解できないのだろう」と学生に対して理解に苦しむこと
・研究費獲得のためのヒアリング
・様々な国内での研究会への参加
・海外・国内で旅行(あるいは出張)に行った時に、お土産をどうしようかと悩むこと。


これらは、僕がアメリカで大学教授を20年以上やっていたけど、一度もやらなかったことだけど、NAIST (日本)に来てからやっている(やらなければならない?)ことである。

逆にアメリカではやらなければならなかったけど、NAIST(日本)ではやらなくてよい事は皆無。

2011年9月19日月曜日

2011年9月19日

“Team Work”という名のもとに“個人の自由”“個々人の尊重”を踏みにじっている人達がいる。残念なことに、その人達はそのことに全く気がついていない。

真の“Team Work”は“個々人の尊重”の上に成り立つべき。

2011年9月18日日曜日

2011年9月18日

大学院生の教育に関して、僕とNAISTの何人かの先生方とは相容れない感覚・哲学があると最近は確信してきた。

僕は24年以上にわたりアメリカで大学院教育を受け、またアメリカの大学院でついこの間まで学生の教育に携わってきた。NAISTの多くの先生方は日本で大学院教育を受けられた人達である。

僕も含めて、多くの人達は他人の教育をするとき、自分の受けた教育にかなり影響される。したがって、僕とNAISTの他の何人かの先生方とが大学院教育に関して相容れない感覚・哲学があっても当然のことである。

まあ、僕は僕のやり方でやるので、邪魔だけはしないで欲しい。僕も他の先生方の教育方針に関してはいちゃもんつけないので。

学生さんたちは、将来彼ら・彼女たちが、「僕みたいな研究者・教育者・人間」あるいは「NAISTの他の先生方みたいな研究者・教育者・人間」になりたいかで、師を選択すれば良いと思う。

人はそれぞれ違うので、それぞれがお互いをRespectしつつ各々の哲学で人生を歩めば良い。

2011年9月15日木曜日

2011年9月15日

日本の大学・大学院では、学生は試験や教員により常に評価され、それによって育っていく。しかし、大学の教授はほとんど評価されないで、20年~30年あるいはそれ以上教授としてあり続ける。

人は弱いし、怠けものだから、評価されたり批判されることによって常にマインドをシャープに保ち、進化し続けることができる。しかし、日本の大学の教授はほとんど評価されないで何十年も平穏な生活をおくることができるので、堕落の一途を辿ることになる。

これは異常。日本の政治家だって、選挙という形で常に国民の評価を受ける。会社の社長だって、利益という形で常に評価される。なぜ日本の大学教授は評価されずに定年退職まで解雇されることなく給料を貰えるのか。

日本の大学では、教授たち自身で形成する教授会なるものが大きな権限を持っているので、自分達で自分達の首を絞めるようなことは議題にも上らないし、万が一上っても100%否決される。したがって、教授たちが自分達で学外の有識者の方々にシビアな評価を定期的にしてもらおうなどというシステムを作ろうとはしない。例え作っても形ばかりのシステムでシビアな評価は行われない。

アメリカにいた頃は、毎月教授だけが集まって、自分たちの最前線の研究を発表しあって、お互いに建設的な批判をしあう。また、研究費の申請書を出す度にかなり詳細にわたる批判がかえってくる。研究費が取れないとTenure (終身雇用)を獲得していてもラボは縮小されるし、研究以外の仕事を多くさせられるので、結局研究出来なくなる。また、学内でも色々な研究グループの集まりがあり、そこでも教授を含めた研究者同士が喧々轟々と研究を議論しあう。

アメリカやヨーロッパでは建設的な批判・議論というのが根本にあり、これが日常なので、常に自分のマインドをシャープに保つことができる。

僕のいるNAISTでも似たような事をチョコチョコやってはいるが、批判や議論のレベルがまだまだあまいと思う。このままだと、僕自身の頭が腐ってしまうので、早急になんとかしようと思う。

2011年9月14日水曜日

2011年9月14日

先日ラスカー 賞(ノーベル賞への登竜門といわれている世界的に権威のある賞)の発表があった。Basic Medical Research の分野では、HorwichとHartlの2人が受賞した。2人とも、細胞内でのタンパク質折りたたみ調節機構の構造学的メカニズムを明らかにした功績で受賞した。タンパク質が正常に折りたたまれないないで細胞内外に溜まると、それがもとで多くの病気になる。アルツアイマー病はその代表的なもののひとつである。タンパク質の折りたたみの不具合が根本にある病気はかなり沢山あると予想されていて、タンパク質の折りたたみ調節機構の不具合に起因している病気はもっともっと沢山これから見つかってくるものと予想される。

10月最初にはノーベル賞の受賞者たちが発表される。今年は誰が取るのだろう。僕の予想を来週あたりにでもここに書こうと思っている。

2011年9月13日火曜日

2011年9月13日

僕はアメリカにいた時も大学の教授として大学院の教育に20年以上関わってきて、日本のNAISTに来ても大学院生の教育に関わっている。NAISTに来てからは、アメリカにいた時に比べて、10倍とはいわないまでも、数倍以上の時間と労力を大学院生の教育に費やしている。僕みたいに、色々な事を無視していても、これ位だから、真面目に決められた通りきちんとやっている先生方は、とんでもない時間と労力を大学院生の教育に費やしているはずである。

やはり、NAIST は大学院生の教育をやり過ぎていると思う。僕が、こんなことをいうと、他の先生方は、「最近の学生さんたちは、色々懇切丁寧に手取り足取りやってあげないとなにも出来ないし、すぐわき道にそれてしまう。教育というのは無理やりにでも、色々やらせないとダメなのだ」と言われる。

このようなことをいう先生たちは、何時になったら、「そのようなダメ学生にしてしまっているのは、自分達だ」という事に気づかれるのだろう。

世の中の教育ママ・パパたちがダメな子供たちをつくっている、という事実に当人たちは全く気づいていないのと同じ事なのだろう。

2011年9月12日月曜日

2011年9月12日

先日TVで橋本大阪府知事と平松大阪市長の討論会をみた。どちらの言い分が正しいという事は別にして、平松さんのあのDefensive な態度は政治家、またリーダーとしては頼り無いと思う。平松さんは、所詮、「気のいい、知的な、その辺の庶民的、近所のおじいちゃん」でしかないような気がする。

平松さんのようなDefensive なお爺ちゃんたちは僕のまわりにも沢山いる。もしかしたら、人間歳をとると多くの人達はDefensive になるのかも知れない。もしそうだとすると、僕もいつかははあのようなDefensive な態度をとるようになるのかな。。。。。恐ろしいことだ。。。。自分では気がつかないだけで、既になっていたりして。。。。。。

2011年9月11日日曜日

2011年9月11日

大阪マラソンまであと1ヵ月半になり、週末いたるところでマラソン完走クリニックみたいなのが行われている。僕が走っていても、最近はそれらしきグループが皆で走っているのを頻繁に目撃する。

そこで気づいたのだが、日本のランナーは、みんな格好がきまっている。ほとんどが、頭の先から足の先まで、ランニング雑誌からぬけ出てきたモデルみたいな格好をしている。つまり格好だけは一丁前である。初心者ランナーまで格好だけはオリンピック選手みたいにきまっている。

格好からはいるのではなく、もう少し本質的なことに目を向ければ良いのにと思ってしまう。

日本人は何事も周りがきちんと整ってないと不安になるらしく、野蛮性に欠ける。ゴルフでも、実力はあり日本国内では活躍できるのに、海外にいくと全然ダメな選手が多いのは、日本の選手(例えば石川遼)は野蛮性に欠けるので、海外の整っていないコンディションの悪いコースや、悪い天候下でのゲームでは、実力が発揮できないせいだと思う。以前、石川遼もあるインタビューでそのようなことを言っていたように思う。一応、自覚はしているらしい。

以上のことは研究にも通じるものがある。日本の研究者の多くは、色々なことが整っていないと、一歩も踏み出せないで、プロジェクトを始めるにあたって、先ずは、周りの細々したことを整えようとする。僕からすると、そんなに周りをチョコチョコ整える前に、先ずはプロジェクトの根本に関わることをとにかく大雑把でも良いからやってみて、プロジェクトの方向性を決定するほうが良いと思ってしまう。

「先ずは前進し、道をつくる。道のまわりに植える飾りの花などのことは後で整えれば良い。」というのが僕の哲学。

2011年9月9日金曜日

2011年9月9日

NAISTに来て、僕が個人レベルでいくつか新しい試みを自分のラボへの寄付金などを使って行った。その幾つかはとても上手くいったので、最近、研究科レベルで行っている。

それは、それで大学、研究科に貢献することになったので良いことではあると思っている。その反面、研究科としてやることになると、他の教員や他のラボと足並みを揃えたり、非常に小さなことでも全て研究科全体に周知させ同意を得ないとならない。とても大変である。

今思うと、僕個人で細々とやっていた時のほうが、僕自身にとってはやり易かったと思う。

研究科全体としてやることがベターなのかどうかは、これから見守っていくしかない。もし、研究科全体としてやることが逆効果であれば、あっさり止めればよいと思っている。そして、元どおり個人レベルで細々とやればよい。

何事も、Small Scale でやったほうが効果の出ることと、Big Scale でやったほうか有効なことがあるので、どちらが良いのかを見分けて戦略を練ればよい。これは、いろいろなことに通じるLessonだと思う。

2011年9月8日木曜日

2011年9月8日

最近は色々あり、ここに書きたいことが沢山ある。しかし、残念ながら、現段階では、そのほとんどがここには書けないことばかり。いくつかは、もうしばらくして状況が落ちつけば、ここに公開できるようになると思う。

ところで、僕は二十世紀ナシが大好き。今、シーズンなので、毎日12個食べている。二十世紀ナシ万歳!!

2011年9月7日水曜日

2011年9月7日

最近、歳のせいか、あるいは日本に来たせいか、物事を色々と考え過ぎるようになり、決断力が鈍ってきたように感じる。

これはとても良くないことなので、今すぐに対策を練る必要がある。

2011年9月6日火曜日

2011年9月6日

先日、懇意にしていただいている先生が権威ある大きな賞を受賞され、そのお祝いの会に出席してきた。そこで、いろいろな方とお話しをする機会があり、あらためて思ったことがひとつある。

「大志を抱き、それを絶対に実現させてやるという知性ある熱意と覚悟」

これが大切だと再確認した。

2011年9月5日月曜日

2011年9月5日

先週の金曜日から土曜日にかけて北海道の小樽から45分ほど車でいったところにあるキロロリゾートに、あるSymposium でしゃべるために行ってきた。土曜日の帰りに時間があったので、数時間ほど小樽の町を散策する機会があった。台風の影響で少し雨が降っていたが、僕は小樽が大好きになった。

はっきりいって小樽は超寂れた町。でも、僕にとってはその寂れ方が胸にキュンときた。

小樽の歴史をタクシーの運転手さんに色々教えて貰った。小樽は、明治、大正、昭和初期にロシアや満州との貿易でとても栄えた町。木材などをロシアから輸入するため町に運河がつくられ、貿易の中心であった。そのおかげで、小樽には銀行などの金融機関がこぞって集まり、「北のウオール街」と呼ばれていたらしい。確かに、他の貿易、運河、金融の町である、マンハッタンやアムステルダムと雰囲気は似ている。また、小樽は、北との貿易の中心であったため、明治18年に(タクシーの運ちゃんによると)日本で三番目に鉄道(小樽-札幌)が敷かれた都市でもある。

このような歴史なので、小樽の町には古い洋風の建物が沢山残っている。町を歩いていると、その辺を「ロシア人の亡霊たち」がウロウロ歩いている錯覚にとらわれる。

小樽は寿司も最高に美味しい。お昼ご飯を食べるため、タクシーの運ちゃんに教えてもらった、地元の人達しかいかない、隠れ家的寿司屋に行った。おまかせで、たらふく食べて5000円はメチャ最高。しかも、今まで食べたことのないネタが満載。「タコの卵」は最高に美味しかった。とても甘く、口のなかでとろける感じ。「吉善」というお店です。

来年の夏も北海道で避暑をするつもりなので、小樽まで何回か足をのばしてみようと思う。札幌から小樽まではエアポート快速電車で約40分なので、気軽に行けると思う。

小樽市民には失礼だが、是非、小樽はこのまま、「ノスタルジックに寂れた町」のままでいて欲しい。「ロシア人の亡霊たち」にこのまま、小樽の町をウロウロとうろついていてもらうためにも。。。。

2011年9月3日土曜日

2011年9月3日

この夏、北海道に何回か行ってスープカレーにはまってしまった。

なんといっても、スープの種類、中にいれる具などを好きなように選べるのが最高。スープ自体はかなり油っぽいが、野菜はかなり豪快に丸ごと沢山入っているし、タンパク質源(肉や魚など)好きなものが好きなだけ入れられるのがいい。朝に沢山運動して、昼ご飯とかに食べると最高に上手いし、お腹いっぱいになる。沢山運動した後なので、罪悪感も皆無。

北海道に以前住んでいた友人に教えてもらった、PICANTEというスープカレー屋さんは特にお勧め。札幌市内にいくつかある。

まだ、試したことない方は、是非トライすべし。

2011年9月2日金曜日

2011年9月2日

多くの日本人は、他人(特にまわりの人達)が何を考えているかが分らないと、とても不安になるらしい。他人が何を考えているかが分ると、とても安心するらしい。

例えば、職場で、同僚や上司が何を考えているか読めないと、なにも言わない、自分の意見を言わない。しかし、同僚や上司が何を考えているか分ると、それにあわせて発言する。

同僚や上司が何を考えているかを探るために、一緒に飲みにいったりする。これを定期的にやることによって、お互いの「平和」を保つ。

会議などでも、他人が何を考えているか分るまでは、誰も何も言わない。他人が何を考えているかが分っても、自分の意見というよりは、「(平)和」を保つための発言がほとんど。だから、僕なんかは、会議に出席しても、拍子抜けする場合がほとんど。

なんと言っていいやら。。。。。

2011年9月1日木曜日

2011年9月1日

小澤征爾がドクターストップで指揮者を降板したというニュースを読んだ。残念無念。

一方、指揮が出来なくなるまで指揮をすることが出来た、小澤さん、とても羨ましい。小澤さんは、心底から指揮が好きなのだと思う。

僕も、最後の最後まで研究をやっていきたいと思っている。しかし、日本では“強制的”な定年退職があるから無理かもしれない。やはり、海外に戻るしかないのかも。。。。。

これに関して、驚くことに多くの日本の教授の先生たちは、6070才くらいになるとあっさり定年退職される方々が多い。それらの先生方に話しを聞くと、「もう教授はいい、やりたくない」といわれる方々が多い。僕にとってはビックリ。

僕の個人的な想像によると、日本の多くの大学教授の先生方は、若い頃から研究以外のことを長年やり続けて、60才過ぎくらいになると、「教授」という職業に疲れ果ててしまっているのかもしれない。

このような先生たちを若い子供たちがみて、サイエンスに興味をもつようになるはずがないと僕は思う。大学の若い教授から老齢の教授までが生き生きとサイエンスを楽しんでないと、子供たち、また若い学生たちが、サイエンティストを職業として選ぶはずがないと思う。

僕は身体が動かなくなるまで、「生き生き」とサイエンスを楽しみたいので、なんとかしてサイエンティストとしてずっと生き延びるつもり。

ピース。