2010年12月31日金曜日

2010年12月30日

28日(火)から風邪をひいてしまった。熱も少しでた。インフルエンザではないと思ったけど、念のために大阪の家の近くの町医者にいって検査してもらった。インフルエンザではなくて、ホットした。しかし、「ただの風邪」なのに、7種類も薬を処方された。抗生物質2種類、抗炎症剤2種類、抗アレルギー剤2種類、胃薬1種類の計7種類。これって、「なんか分らんけど、これだけ処方しておけばどれかは効くだろう」という態度。信じられない。僕的には痛み止め(抗炎症剤)1つで十分。医者に行かなきゃよかったと後悔した(インフルエンザのテストも加えて3000円以上払わされたし)。日本人は薬が好きなのだろうか?

薬に関してもうひとこと。日本の健康ドリンクの異常な人気はおかしい。特に、一般に「オヤジドリンク」といわれている、オロナミンCRed Bull、アリナミンV、リポビタンD、ユンケル、ゼナといった、元気の出るドリンクの異常な数と人気。これらは、ただ単にカフェインが大量に入っていて、その他にタウリンが入っているだけで、とにかくカフェイン、タウリンでシャキッとさせるというだけのもの。徹夜で勉強したり、実験したりする時に、このようなものを飲んでいる学生さんたちがいるが、ただ単にカフェイン中毒になっているだけである。

サイエンスを志す者なら、その効用とかを科学的に理解してから使用したらどうだろう。

2010年12月25日土曜日

2010年12年24日

今日はクリスマスイブ。でも大学は通常通り。僕も26日までは気が抜けない。

20101225

今日はクリスマス。ひとつ思ったこと。
僕は新しいことをはじめるとき、先ずそれをやる事によって、「どのような良いことがもたらされるか」ということを考える。しかし、大学には、それをやる事によって、「どのような不都合、不具合が生じるか」ということを先ず考える人達がいる。後ろ向きの姿勢。可哀想な人達だと僕は思う。

20101226

今日、今年最後のプロジェクトが終わった。ベストは尽くした。あとは神のみぞ知るです。感じとしては、美味しい料理であることは認めて貰えたと思うけど、向こうは美味しいタイ料理が食べたかったのに、僕が出したのは美味しいインドネシア料理だったかもしれない。「まあ、インドネシアも美味しかったからいいか」といってもらえればいいのだけれど。

2010年12月24日金曜日

2010年12月23日

今日も朝のニュースで海外に留学する学生が激減しているといっていた。その統計をみたけど、僕がアメリカの大学院に行った1985年に比べるとまだ数倍多い。今、海外に留学といっても半分くらい(あるいはそれ以上)は語学留学と称して遊びにいってる学生だから、あまり意味のない統計かもしれない。

2010年12月22日水曜日

2010年12月21日

NAIST全体での今年の年末赤い羽根募金1万円弱しか集まらなかったらしい。信じられない。僕は、募金が始まってからずっと売店でのおつりをその度にほぼ全て募金箱にいれていたので、多分2000円近く募金したと思う。

この世の中どうなっちゃたんだろう。。。。

別の話しだが、小澤征爾が無事NYでの公演を終えたらしい。公演後のインタビューを見て、メチャ元気だなと思った。とてもバイタリティ-がある報道陣に対する応答、さすがだと思った。彼が、復帰一番を日本ではなく、アメリカでしかもNYでのJAPAN Week におこなった理由が僕にはとてもよくわかる。海外に長く住んだ人なら、きっとこの小澤さんの気持ちがとてもよくわかるはずだと思う。

2010年12月21日火曜日

2010年12月20日

今年最後のプロジェクトも大詰め。週末返上で仕事詰め。現在、精神的に全く余裕なし。今週いっぱいを乗りきれば、来週月曜から少しリラックスできる。それまで、200%で頑張るしかない。

2010年12月18日土曜日

2010年12月17日


昨日・今日と東京へ出張。相変わらず東京は人が多い。よくもこんなに多くの人々が同じところに住んでいられると思う。どこに行っても人、人、人。どの電車もどの時間帯も混んでいる。

出張中も、時間の許す限り今年最後の重要プロジェクトの仕事をしている。まだまだ改良の余地多いにあり。最後の最後まで粘ってベストのものを提供するつもり。

2010年12月17日金曜日

2010年12月16日

小澤征爾が復活した。復活第一弾をNew York のカーネギーホールで指揮したそうだ。僕のNew Yorkの家(7月に売ったので、もう僕の家ではないけど)から歩いて5分のところにあるカーネギーホール。もしNew York に今でも住んでいたらコンサートに絶対行っていたのに。とても残念。小澤さんの気持ちも全開だったろうにと思う。その気持ちをシェアしたかった。

大塚ホールディングが創業80年以上を経てついに東京株式市場に上場した。これは、食品、製薬分野にとってはビッグニュース。ジャイアント企業の市場への参入。僕は、大塚の企業体質、将来性をかなり有望視している。これからの動向がとても楽しみ。

2010年12月16日木曜日

2010年12月15日

大学院、特に博士後期課程(つまりドクター)に進む学生が激減している。その一つの理由にドクターまでいくに値する出口が見えないというのがあるらしい。つまり、ドクターをとった後の就職口がない(少ない)という現実があるらしい。どうも最近の学生さんたちは就職口は用意されているものだと思っているらしい。

ドクターを修得したということは、高度な専門知識・能力・技術を習得したというライセンスみたいなものであるから、出口は自分でつくるものだと僕は思う。基本的にドクターのレベルは用意されている出口を頂くのではなく、自分の持つハイレベルの専門知識・能力・技術を最大限利用して新しいジョブを自分でつくっていくくらいの意気込みで望むのがいいのではないかと僕は思う。少なくとも、僕はそのような意気込みでドクターをとった。

2010年12月14日火曜日

2010年12月13日

現在関わってる今年最後の最大のプロジェクトが中々のくせ者。まだ、どのように料理するのが一番美味しく出来上がるか思考錯誤している。美味しく食べて貰うにはもうひと工夫必要な気がする。スパイスをもうひと工夫する必要があるのだけど、入れ過ぎると不味くなるので、その辺の微妙な加減をパーフェクトにする必要がある。もうひとがんばり。

2010年12月12日日曜日

2010年12月11日

今日も当面のプロジェクトを片付けるべく午前中仕事をして、その後少し休憩し、夕方からまた仕事の続きをした。夜は夕食後、仕事関係のルーチンなことをやり、今から音楽を聞きながら少し仕事とは関係ない本を読んで寝る予定。

2010年12月11日土曜日

2010年12月10日

まだ少しコペンハーゲンへの出張からの疲れが残っているが、今はそれどころでは無いので、集中して仕事をこなしました。明日は土曜日。朝ジムで筋トレ、水泳をして、そのあとは一日中仕事の予定。明日と明後日の週末で今関わっているプロジェクトをある程度きりのいいところまでもって行きたい。

2010年12月10日金曜日

2010年12月9日

今年も残り一ヶ月をきった。今年の12月はとても忙しい月になりそう。研究関係でこれから年末にかけて真剣勝負。気合をいれて、全身全霊をこめて望みます。

2010年12月8日水曜日

2010年12月7日

デンマークのコペンハーゲンに仕事で一日滞在しました。今、帰りの飛行機を待つべくコペンハーゲン空港にいます。短い滞在でしたが、仕事という観点からすると有意義な一日を過ごしました。こちらは氷点下の気温で雪も10cmくらい積もってました。クリスマスが近いこともあり、飾り付けが町の至る所にあり、フェスティブな感じでよかったです。コペンハーゲンの建物はどれもシンプルですが、窓の大きいガラス張りの建物が多く、建物のなかはスペーシャスです。どの建物もシンプルですがとてもしっかりした造りのように見えました。コペンハーゲンの人口は70万人ということですから、アムステルダムの77万人とだいたい同じ規模ということになります。しかし、雰囲気はコペンハーゲンのほうが町全体が落ちついていてひっそりした感じがしました。今回は丸一日仕事だったので、次回はのんびりとバケーションで来てみようと思います。

2010年12月6日月曜日

2010年12月5日

研究費申請に関する話しに戻る。
 僕はアメリカにいた時、主にNIHNational Institute of Health) という国の機関から研究費を貰っていた。今は日本に来て科研費という研究費を国から頂いている。NIHの研究費申請書と科研費とでは申請書の長さ、形式など違うが、僕がアメリカで学んだ研究費の申請書の書き方に関する多くのレッスン、鉄則はとても役に経っている。

問題は僕は未だに研究のことを考えるときは頭の中が英語なので、研究費を書くときも英語で考えてしまう。したがって英語での文章はスイスイと出てくるが、科研費の申請書を書くときは日本語で書くので、英語で考えている微妙なニュワンスを日本語で伝えるのがとても難しい。

そもそも、英語的な考え方と日本語的な考え方はかなり違うので、英語で考えているサイエンスの微妙なニュワンスを日本語で伝えようとすること自体が難しいというか、不可能なのかもしれない。

そこで、最近は日本語で最初から考えて日本語で申請書を書くようにしているが、日本語で書いた文章は僕がイメージしていることがはっきりと明確に伝わっていないように感じる。ここのところを克服することが僕の今一番の課題だ。

ここに僕がアメリカで学んだ研究費申請に関してのもうひとつのレッスンを挙げておく。

·       書いた原稿を出来るだけ多くの違う分野の人たちに読んで貰って、締め切りの最後の最後まで諦めないで何回も納得いくまで書き直す。また、原稿は男と女の人たち両方に必ず読んで貰い意見を乞う。審査員には男も女もいる。だから当然原稿も両方の性別の研究者に各々読んで貰う。

今日はこれからコペンハーゲンに向かって出発。寒いだろうな。ヨーロッパは大寒波に見舞われているらしい。

2010年12月5日日曜日

2010年12月4日

また少し寄り道。

日本に来て未だに信じられないというか、飽きれるというか、よくわからないことが一つある。それは、会議中に寝る(あるいは寝ていないが目を瞑っている)人がいるということ。教授会、各種委員会、会社での会議、国会、あらゆるところでそうだ。

アメリカ、ヨーロッパでこれをやるとかなり失礼。会議では基本的に全員参加が基本。寝るなどもってのほか。会議で寝るくらいだったら、出席するべきでないと僕は思う。

僕のラボでは Lab Meeting(研究データーのプレゼン)を一ヶ月に一回やる。授業と違ってこれは強制ではないので、出席したい連中で集まってお互いの研究進展を聞いて、お互い意見を言い合って自分の研究に役立てる。という訳だから出席したくなければ出なくていい。だから、ラボのメンバーは出るならDiscussionに積極的に参加する。しないなら出席しないでその他のことを自分でやればいい。だからLab Meeting で寝るなどもってのほか。

僕は教授会、委員会に出るときは積極的に参加するために出るので、そうでなければ出席しない。だから、教授会も出席しないといけないから出席している訳ではない。出席して、僕の意見を積極的に発言する為に出席している。もし、そうでないなら、いくら強制されても僕は出席しない。

明日からデンマークのコペンハーゲンに出張。二泊なのでトンボ帰りの出張。向こうは0℃以下で雪が降っているらしい。寒さ対策をして行かないといけない。

2010年12月4日土曜日

2010年12月3日

ちょっと休憩。

今この世の中たくさんの問題がある。何が問題なのか僕なりに色々と考えてみた。僕は今の世の中「本気」が無くなったことが一番の問題じゃないかなと思う。

「本気で勉強する」「本気で愛する」「本気で喧嘩する」「本気で政治をする」「本気で議論する」など「ダサイから」「面倒くさい」という風潮がはびこっているように思う。「本気」とはどういうことかすらわからない人達が沢山。これが社会(特に日本)の問題なのではないかと思う。

「本気」で身体と身体のぶつかり合い、心と心のぶつかり合い、物事にのめりこむ、そのようなことを子供の頃からやらないと人間は駄目になっていくのではないかと思う。

こういうことを日本で言うと「体育系」とか「熱血」とかいってはやしたてられるのが常。こんなことを言われるのは世界中で日本だけです。その他の国に「体育系」とかいう用語はないです。。。。

2010年12月3日金曜日

2010年12月2日

ラボのバネージメントはもちろんのこと、研究費獲得でも僕はアメリカで最初の頃かなり苦労した。アメリカでの研究費申請、獲得(プラス多くの却下)から学んだ鉄則みたいなものをここに記しておく。

·         研究費申請書は却下されても挫けずしつこく何回でもだす。却下されればされるほど、それから多くのことを学び次回に生かす。これを多く繰り返すことによって、必ず申請書の書き方は上達する。

·         一つの研究費申請書につき伝えたいメッセージを一つにする。あれもこれも大事でやらなければいけないというようなことを書くと、焦点がぼけて読んでるほうは、申請者がいったい何をやりたいのか全く解らなくなる。これは、研究費申請に限らず、論文、講演、全てに通じる。論文一つにメッセージは一つ。講演一つにメッセージは一つに絞るべき。色々沢山のことをいいたいのはわかるが、多くを語ると焦点がボケるだけ。

·         研究費申請書は「見せる」もので読ませるものではない。申請書を読む側は読まない。申請書を見て評価する。

(続く)

2010年12月2日木曜日

2010年12月1日

ラボのマネージメントの続き。

絶対必要なのが有能な秘書(Administrative Assistant)。ラボのPI(この場合は僕)は基本的に研究プロジェクトの計画・遂行、ラボ運営のためのお金(すなわち研究費)をとってくること、このふたつに専念できるようにする。日々のラボの運営はラボマネージャー、それ以外は全て(スケジューリング、ラボの予算の管理、研究費申請書またその他の書類の作成、会議の設定・フォローアップ、研究以外のPIの仕事を実質的に行う、など)秘書さんに責任をもって遂行してもらう。アメリカのラボで、ある程度以上の大きさ(ラボ構成員10人以上)になると優秀なラボマネージャーと秘書がいるかどうかがラボの生命線になる。

日本ではこの辺が違う。多くのラボでは教授が助教をラボマネージャーや雑用係のように使っているし、秘書さんはいても簡単な書類を作ったり、コピーをしたりといったコマ使い的な仕事だけをして、責任のある仕事をさせてもらっていない。他のラボのことは他人事なので僕がとやかく言うことはないし、僕には関係のないことだ。

NAISTでも僕はアメリカにいた時と同じやり方でラボを運営している。優秀なラボマネージャーと秘書さんにキャリアジョブとして責任を持ってやりがいのある仕事をして貰い、僕は研究プロジェクトの計画・遂行、研究費をとってくること、このふたつに専念すると割り切って仕事をしている。唯一アメリカと違うのは、自分のラボの学生さんたちの教育にアメリカにいた時よりはかなり多くの時間と労力をかけている。これは僕が将来トップレベルの日本人サイエンティストを僕の日本のラボから多く輩出したいという願望(夢)があるからだ。また、アメリカのラボではポスドク研究者がほとんどで各ラボの大学院生の数は数人なので自然と大学院生の教育に費やす時間と労力は少なくなる。

(明日に続く)

2010年12月1日水曜日

2010年11月30日

僕はポスドクを終えたあと、1991年1月から独立しPIとしてラボの運営をおこなっている。当時28才になったばっかりだ。最初は僕とテクニシャン2人でラボを始めた。以来20年ほどラボを運営している。その間で一番苦労したのが、ラボのマネージメントと研究費獲得だ。研究能力はあって当然なのでそんなに苦労はしなかった。しかし、ラボをどのように効率良く運営するかに関してはとても苦労した。今でも苦労している。

アメリカでは多くの場合ラボ全体が円滑に回るよう日々の運営をラボマネージャーに任せる。それでも大変だ。特にヒトのマネージメントが大変。ラボ構成員の人数が増えてくると、色々なヒトが研究室に入ってくるわけで、ヒトとヒトとの関係が円滑に回るようにラボを運営するのは大変な工夫と努力が必要になる。

その過程で僕が学んだことのひとつは、“ヒトをコントロールしようとしてはいけない”ということだ。これは当然のことなのだが、実際はとても難しい。学生、研究員、スタッフのことを真剣に思えば思うほど相手のことをついついコントロールしたくなる。夫婦、恋人、親子関係でも全く同じことがおこる。相手のことを思いつつ、相手をコントロールするのではなく、“かげで見守る”ことをしないといけない。この微妙なバランスがとても難しい。これがうまくいかないとお互いの関係もうまくいかなくなる。夫婦、恋人、親子関係でも同様のことがおこる。

(明日に続く。。。。)