2011年7月31日日曜日

2011年7月31日

今日はまだ昨日のトレーニングの疲れが残っている。

昼前からラボに行って、昨日の続きで高校生さんたちの研究指導をした。指導といっても、高校生さんたちの考えを聞いて、それに対する僕の意見、助言をいうだけで、あとは高校生さんたちが自由に研究をしている。

高校生さんたちを通年で預かりはじめて約2年になるが、僕自身とてもやりがいがあるし、楽しい。

これからもずっと続けていくつもりです。

2011年7月30日土曜日

2011年7月30日

「グローバルエリート」「グローバル化」というこどばが日本では安売りされている。もういい加減やめてほしい。

海外のトップエリートがいかにずば抜けた能力を持っているか、また彼等・彼女等と競争して、海外でトップレベルのポジションを勝ち取ることがいかに大変なことなのか、その辺のことが身を持ってわかっていない人達が「グローバルエリート」「グローバル化」といって、騒いでいる。

とても困る。身のない小手先だけの戦略、ポリシー、プログラムばかりつくってしまう。

今、海外で活躍しているトップエリートの中で日本人の占める割合は極端に少ない。アジアでいうと、中国、インド、韓国が突出している。これらのアジア出身のエリートたちは、海外でどんどん人数が増えていて、海外において大きな人脈ネットワークを形成している。したがって、真のエリートである先輩から若い後輩たちが真の情報や助言を貰える機会がずば抜けて多い。これは、その国の発展において大きな財産となる。

ところが、日本はどうだろう?このように海外で活躍するトップエリートが少ない上、例えいたとしても、「日本には日本のやり方がある」「外国が全ていい訳ではない」などと散々ほざかれて、海外でエリートとして勝ち残ってきた人達の情報・助言を積極的にとり入れる姿勢があまりない。

僕は、アメリカでもHarvard Medical SchoolUT Southwestern Medical SchoolCornell Medical Schoolといったトップの医学系大学院で助教授、教授として約20年勝ち残ってきた自信もあるし、それなりの経験もあるつもりである。

しかし、僕の職場では「グローバル化」「グローバルエリート教育」などに関して、積極的な意見を聞かれたことはほとんど無いし、例え聞かれたとしても、上記のように、多くの場合「まあ、日本は違うから」「日本には日本のやり方があるから」「日本では無理なんだよね」などと言われるだけである。

このような経験は僕だけではなく、東大、京大で僕の知っている海外でトップエリートとして活躍して現在日本にいる人達の多くがそのような経験を持っている。

このような扱いを受けると、「まあ、勝手にやってください」としか言いようがない。

残念である。

そこで、日本の大学の真のグローバル化を確立するための僕からの提言:
日本のトップ大学の教授になる条件のひとつとして、「海外のトップ大学あるいは研究所で最低5年助教授あるいは教授の経験とTenure を海外で獲得している。あるいは、海外のトップ企業でマネージャーレベルあるいは研究のトップポジション以上の経験が最低5年ある。」というのをつければいいと思う。

これにより、三つ良いことがある。
  1. 真の意味でグローバルエリートしか日本の大学では教授になれなくなる。

  1. 教授になりたければ、若い人達が海外で先ずは競争して勝ち残ろうと真剣に思いはじめる。
  2. 若い頃に、日本で教授の丁稚、番頭さんとして働かないで、自分の独立した研究プログラムを若い時に確立できる。つまり、無駄な下積みをしないですむ。

如何でしょうか? 無理かな? NAIST多くの教授が5年くらいで定年退職するので、これを機会にこのようなことできないかな。。。。。

2011年7月29日金曜日

2011年7月29日

先日「教授」について書いたが、問題のひとつは以下のように思う。

日本の大学では「助教」という職があり、一応Assistant Professor であり、研究・教育に専念しているはずだが、多くのラボでは、助教はラボマネージャーであり、ラボの運営を教授の指示にしたがって日々おこなっている。また、学生の教育も教授の指示にしたがって日々おこなっている。しかも、学生の研究指導というよりは、最近は学生のメンタルケアー係、酷い場合は学生の「小道具」となっている場合もあるらしい。したがって、自分の研究の時間はとても限られている。

つまり、教授の「番頭」「丁稚」である。

このような仕事を510年やって、ようやく教授になる人が多い(なれればラッキーなほうだという意見もある)。したがって、このような仕事をさせられている間に、本人も気づかないうちに、「研究者」ではなくなってしまい、頭の中もそれに合わせて不可逆的変化をとげ、「研究者・サイエンティスト」に戻れなくなってしまった教授がいるわけである。

知的財産の多大なる損失である。

もちろん、素晴らしい理解ある教授のもとで、助教が研究を自由にさせてもらっているケースもある。僕自身、そのようなラボをいくつか実際に知っている。

追伸
僕のラボにも助教はいますが、彼らは100%自分の研究に打ち込んでいる。僕のラボにはラボマネージャーがいるので、彼女がラボの運営をしきっている。

2011年7月27日水曜日

2011年7月27日

以前、ここにも書いたが、大学が「就職斡旋所」「就職トレーニング所」「就職のための技術専門学校」になっている。

大学がすでに「学問」「研究」をするところでなくなりつつある。僕は、「学問」を学んだ上で就職があることもあれば、無いこともある。「就職するための学問」では、本末転倒だと考える。

しかも、大学また教員がほんとに懇切丁寧に、手取り足取り、学生たちに就職指導している。本来、大学の教員は「学問」を教育し、研究をするべきである。

以前、ある大手製薬会社の研究所長とザックバランに話しをする機会があった。その時、その方は、「大学・大学院ではもっと本物の学問を真剣に教えて欲しい」と嘆いておられた。最近は、「就職のための小手先の知恵と技術ばかりを学んだ中身の無い薄っぺらな学生ばかりだ」と言っておられた。

ホントに仰る通りです。僕のラボでは、学生に真の学問と研究に集中してもらいます。就職のための偽り的な学問・技術は教えません。真の学問・研究をしながら、自分達で学び取ってください。

2011年7月26日火曜日

2011年7月26日

以前、ある方が「日本の大学では“教授”としての仕事は“研究者”としての仕事とはかなり違っていて、“教授”としての仕事のほうをエンジョイしていて、すでに“研究者”ではなくなった人がウジャウジャ沢山いる」と聞いたことがあります。

僕は日本に来て2年経ちましたが、「なるほど」と最近納得してます。僕は相変わらず、“研究者”としての仕事をエンジョイしてます。

僕は7才の頃にはすでに科学者になると決めてましたが、“研究者”になりたかったわけで、“教授”になりたいと思ったことは一度もありませんでした。というか、“教授”という職業をかなり軽蔑の目でみていました。子供ながらに“教授”にはなりたくないな、と思っていたのを覚えてます。

したがって、今でも職業欄に“教授”と書くのはあまりいい気はしません。まあ、日本に来た時は、“教授”という漢字が書けなかったので、そんなもんかなといった感じです。

2011年7月24日日曜日

2011年7月24日

この週末は北海道の札幌で過ごしてます。朝晩は、Tシャツ・半ズボンでは、肌寒いくらいです。

今日の朝は5時前におきて、山へ走りに行きました。山の中のトレールを3時間ほど走りました。足が棒のようになりましたが、山の匂いを嗅いで蘇ることが出来ました。トレールランは良いですね。普段ロードを走る時とは違う筋肉を使うので、トレーニングになります。また、通常のトレーニングからの気分転換にも最適です。

走った後は、シャワーを浴びて、午前10時過ぎに二条市場まで行って、朝ご飯と昼ご飯を兼ねて、うに丼と蟹汁をたらふく食べました。

その後、口直しにJR札幌駅のスタバに行って、ベンティ・ノンファットアイスラテを飲み、数時間そこで仕事をしました。その後ホテルに帰って、ホテルの別のカフェで仕事の続きをしました。Book Chapter の仕事を主にしました。Physical Biology の勉強もしました。

明日の朝は少し走って、大阪に帰ります。

2011年7月22日金曜日

2011年7月22日

今夜は僕の尊敬しているある方と、元町で夕食です。色々話すことがあります。この方は、僕に、とても的を得た指摘をして下さり、とても助かってます。僕くらいの年齢になると、僕自身が間違っていても、中々率直に指摘して貰える機会が少なくなるので、そういった意味でも、貴重なMentorです。また、なにより、この方と一緒に食事をしながら話しをするのがとても楽しいということが一番です。

明日から、週末にかけて二泊三日、北海道で過ごします。日曜日の朝は、涼しい中を2時間半ほど大自然の中を走る予定です。仕事も沢山します。そして、気分転換に二冊ほど本を読みます。

今年、7月、8月と週末を北海道で避暑するというのをやってみて上手く行くようだったら、来年以降も毎年続けようかな、と考えています。

2011年7月20日水曜日

2011年7月20日

アメリカにいた時、僕のまわりの多くの人達(教員、研究者、学生、事務員)は、自分は「選ばれた者」であり、したがって責任をもって仕事をし、良い仕事をすることにより社会に貢献し、また自分自身もそれによりさらに上を目指す、といった高い責任感と意識を持っていた。

オリンピックに日本代表として出場する選手たちも、この「選ばれた」という意識を持っていると思う。したがって、それなりの責任感、意識の高さを持って、試合に望む。

僕のまわりに、この「選ばれた」という意識の無いまま、勉強、研究、仕事をしている人達がいる。その結果、このような人達は、責任感また意識も低い。まあ、「選ばれていない」人達にそのようなことを要求しても、無駄なことではある。

逆に間違った「選ばれた」という、エリート意識も問題ではある。モラルの低いエリート意識も問題である。真のエリートとは、「選ばれた」という意識のもと、鋭い思考力と鋭い勘、強いリーダーシップ、強い責任感、高い向上心、高いモラル、自分に厳しく他人に寛容な態度、社会(人類)への還元意識、これらを持ち合わせた人物をいう。

それにしても、日本にはこのようなエリートを教育する機関が余りないような気がする。まあ、このようなエリートを教育できる教育者も少ない訳だから仕方がないと言えばそれまでなのだが。。。。

僕のラボでは、「選ばれた」学生、研究者、スタッフで、チームをつくり、真のエリートを教育して行きたいと思う。「ノアの方舟」の乗員も「選ばれた」生き物たちだったし。。。。

2011年7月19日火曜日

2011年7月19日

全ての大学のことを知っている訳ではないが、僕の知っている所に限っていえば、大学・大学院が「学問」をする所では無くなりつつある。そして、専門学校になりつつある。国の政策も、大学・大学院を専門学校化している要因のひとつだと思う(まだ、日本のことを良くはわかっていないので、はっきりとは言えないが。。。。)。

これ以上、大学・大学院が専門学校化する前に、僕は「ノアの方舟」(これ、ある方の名言をパクリました。すみません。)をつくって、新天地で生きる道を目指して航海に出ます。僕の「ノアの方舟」に乗りたい人達、この指とまれ。

2011年7月16日土曜日

2011年7月16日

昨日、学生の教育に関しての話し合いに参加した。「自分ではなにもできない、誰かから詳細な指示を貰わないとなにもできない」こんなダメ学生がウヨウヨいるが、これは教員にもかなりの責任があるということがわかった。世の中、子離れの出来ない親が沢山いる理由がよくわかった。これを変えるには一筋縄ではいかない。とても長い時間かかるかも知れない。

しかし、どこに根本的な問題があって、どのような方法で、どこから変えていけばよいか、かなり見えてきたので、少しづつ上手いことやって、変えていきます。

2011年7月15日金曜日

2011年7月15日

日本に来てから、朝、電車の中で時々、英字新聞を買って読んでいる。それで気づいたが、Japan Times やDaily Yomiuri の英語はかなり平易で、単語も初級から中級レベルのものしか使われていない。アメリカの新聞や雑誌の英語に比べるとかなり平易な英語で書かれている。したがって、僕にはかなり幼稚な文章で、読んでてもつまらない。

それらに比べると、International Herald Tribune は、アメリカの新聞・雑誌の英語と同レベルで書かれている。読み応えのある文章である。なので、最近はInternational Herald Tribuneを読んでいる。

僕は中学、高校の時、Japan Times を毎日読んでいて、スラスラ読めたので、自分は英語ができると思っていたが、今思うと、あれはかなりの勘違いで、恥ずかしい思いでいっぱいになる。
Japan Times レベルの英語力では、国際社会・ビジネスでは、全然話しにならない。

2011年7月14日木曜日

2011年7月14日

今、ある歴史書を暇な時に読んで、もう一度しっかり歴史の基礎を勉強している。
それを読みながら、やはり日本の、サイエンスの「学問としての歴史」は、無に等しいと思う。もちろん、サイエンスの「テクノロジーとしての歴史」は浅いがある。

1687年にヨーロッパではニュートンが万有引力の法則を導き出している。ガリレオが生まれたのが1564年であり、彼はその後、現代科学の基礎原理となる大発見を沢山見出した。その頃、日本はというと、1603年に徳川家康が江戸幕府を開き、鎖国に入る。サイエンスのほとんどが、西洋・中国の模写か、それらの国の書物を読んで少し応用をきかせた程度。

話しは違いますが、歴史って面白いですね。若い頃もっと勉強しておけばよかったと、大変後悔してます。

2011年7月13日水曜日

2011年7月13日

日本に来てから、いろいろな学生さんたち(主に大学院生と学部生)に会った。その中には、優秀な学生さんもいれば、全然駄目な学生さんもいる。そこで、「できる学生」と「できない学生」のどこが一番根本的に違うのかずっと考えていた。

それに関して最近答えが分ったように思う。

「できる学生」「優秀な学生」は大きな視点から、また様々な複雑な要因が絡み合っていることから、物事を考察し、解析し、簡潔なスッキリした結論、解決方法を導き出すことができる。

「できない学生」はこれが出来ない。あるいは、出来ていると勘違いしている。ひどい場合だと、これがどういうことかすら、全く理解できない。また、そういうことができるようになる努力すらしない(興味すらない)。

僕は、このような能力が養えるトレーニング・教育を、小学校、中学校、高校、大学でやってほしい。知識の詰め込みではなく。

僕はこれができるようになるトレーニング・教育方法を知っている。すごく大変なので、相当の覚悟がないと出来ないが、覚悟を決めて、10年辛抱して真剣にがんばる気がある学生さんには教えてあげます。

2011年7月12日火曜日

2011年7月12日

とうとう決心しました。
この7月、8月は、週末を北海道で過ごします。このジメジメした、暑いところを逃げ出し、涼しい北海道で、しっかりトレーニングして、しっかり仕事をしてきます。ついでに、美味しいモノも沢山食べて来ます。

金曜日の夜、関空を出て、札幌で二泊三日滞在し、日曜日に大阪に帰って来る。あるいは、土曜日に関空を出て、札幌で二泊三日滞在し、月曜日の朝、大阪に帰って来る。このパターンを7月、8月は何回か繰り返します。

2011年7月11日月曜日

2011年7月11日

3月11日以来はじめて東京に来ている。やはり、どこも節電。それにしても、相変わらず人が多い。僕は、やはり東京には住めない気がする。

マンハッタンも人は多いが、東京の人の多さは異常。

2011年7月9日土曜日

2011年7月9日

以前ここに、「知的環境」はトップレベルの教育・研究機関として、とても大切だと書いた。しかし、現実的には、いくら知的環境をつくって、それを維持していこうとしても、実際には、知的でない、また知的な環境に悪影響を与えるような分子が紛れ込む。これは、仕方がない。

そこで、僕は、知的でない分子が「肩身の狭い」「居辛くなる」そういった環境をつくって、維持していくべきだと思う。

そのためには、先ず、上の人たち(ラボであれば、そこの教授、その他の教員・スタッフ)が知的で、シャープな行動をとってお手本にならないといけない。

現在NAISTは、(僕の非常に個人的な偏見にみちた私見によると)、知的でない分子にとっても居心地の良い環境になっているように思える。他の大学のことは知らないが、もしかしたら、他の日本の多くの高等教育・研究機関でもそうなのかも知れない。

最近NAISTでは、大学トップの執行部のほうから、「研究の作法」の大切さなどが盛んに叫ばれているが、先ずは上記のようなことをしっかり認識して、そこを変えていくべきだと、僕は思う。

2011年7月8日金曜日

2011年7月8日

最近、色々あって、「知的活動」とは程遠いことばかりに時間をとられてしまい、かなりストレスがたまっている。

これからは、何事も、必ず「知的要素」を取り入れて行動しようと思う。そうしないと、「知力」が退化する。「知的でない活動」も、「知的要素をとり入れる」ことで、楽しんでできるような気がする。

何事も、「思考ゲーム」にしてしまえば、楽しいし、知的欲求が満たされる。

2011年7月7日木曜日

2011年7月7日

今日は七夕。なぜか、僕は七夕に関しては特別な感情がある。アメリカに住んでいた24年間も、七夕の日は毎年意識していた。8月6日ヒロシマ原爆記念日、7月7日七夕、この二つの日は僕にとって自分が日本人だと再認識できる日。特別な日。

ちなみに、11日正月は、僕の中ではこのカテゴリーに入っていない。

2011年7月6日水曜日

2011年7月6日

2年間NAISTのバイオサイエンスで教授をやって感じたことのひとつに、どうも学生を評価するのに、「論理的な思考能力」よりも、「どれだけ(つまり量と時間)沢山実験をしたか」、「どれだけ熱心に一生懸命実験したか」といったことに重きをおいているような気がする。

僕は、人生の半分以上をアメリカで過ごし、アメリカで高等教育を受けたわけだが、バイオ・医学系の多くのアメリカ人また、在米の多くのヨーロッパ人は、いかに論理的思考を駆使して、超越したアイデア、モデル、仮説、セオリーを組み立てられるか、といった高度な「思考ゲーム」に重きをおいているように感じる。実際、僕自身もそうである。

バイオ・医学系の研究の多くが実験科学なので、もちろんアイデア、モデル、仮説、セオリーを実験的に証明しないといけないわけだが、論理的な思考無しに、牛、豚みたいに、ブーブーいきがって長時間労働(つまり実験)ばかりしている学生はダメだと思う。

やはり、バイオ・医学系の研究もサイエンスなので、「知的要素」のないものは、僕は面白いと感じない。

2011年7月5日火曜日

2011年7月5日

以前書いたように、この春、三つの大きな研究費の申請をした。そのうち、二つから結果が届いた。ひとつは落選したが、二つめのは採択された。したがって、ここまで一勝一敗。三つ目は、先週提出したばかりなので、結果がわかるまでにしばらくかかるだろう。

やはり、佐藤ラボとして、毎年、直接経費は億単位のレベルが必要と考えているので、もっと頑張らないといけない。夏から秋にかけて、また幾つか研究費の申請をする予定。

2011年7月1日金曜日

2011年7月1日

最近とても暑いので、水分を沢山とるように心がけている。そのために、水をチコチョコ飲んだり、フルーツをいつもより多めにとるようにしている。僕ぐらいの歳で、運動を長年していると、適度の水分補給というのが、身体でわかる。歳をとってくると、体内での水分維持機能が悪くなるため、水分が蓄えられないですぐ外に出てしまう。そのため、体内の水分含有量は若い時より減少してくる。

したがって、いつもより多めに水分を補給しても、ほとんどが外に出てしまって、身体の冷却機構の効率がかなり悪くなる。このような理由から、何時もより多めに水分補給をおこなっていると、夜中に一回くらいトイレに目がさめてしまう。夜中に目が覚めると、78時間きっちり熟睡出来ないということになって、次の日の朝の体調がいまいちになってしまう。

僕は、ここ数日、午後10時くらいに寝ても、夜中の3時くらいに、きまってトイレに起きてしまう。それから、またすぐ寝れるのだが、午前5時くらいに目覚めた時の調子が、午後10時~午前5時まで一度も目を覚まさないで熟睡した時に比べて、少しばかり良くない。

しかも、僕は寝るときに冷房は完璧に切って寝るので、部屋が暑くなって、寝ている時に汗を沢山かく。したがって、朝起きた時は、少し脱水気味になっているので、身体がむくんでスッキリしない。

今いろいろと対策を考えているところ。