「グローバルエリート」「グローバル化」というこどばが日本では安売りされている。もういい加減やめてほしい。
海外のトップエリートがいかにずば抜けた能力を持っているか、また彼等・彼女等と競争して、海外でトップレベルのポジションを勝ち取ることがいかに大変なことなのか、その辺のことが身を持ってわかっていない人達が「グローバルエリート」「グローバル化」といって、騒いでいる。
とても困る。身のない小手先だけの戦略、ポリシー、プログラムばかりつくってしまう。
今、海外で活躍しているトップエリートの中で日本人の占める割合は極端に少ない。アジアでいうと、中国、インド、韓国が突出している。これらのアジア出身のエリートたちは、海外でどんどん人数が増えていて、海外において大きな人脈ネットワークを形成している。したがって、真のエリートである先輩から若い後輩たちが真の情報や助言を貰える機会がずば抜けて多い。これは、その国の発展において大きな財産となる。
ところが、日本はどうだろう?このように海外で活躍するトップエリートが少ない上、例えいたとしても、「日本には日本のやり方がある」「外国が全ていい訳ではない」などと散々ほざかれて、海外でエリートとして勝ち残ってきた人達の情報・助言を積極的にとり入れる姿勢があまりない。
僕は、アメリカでもHarvard Medical School、UT Southwestern Medical School、Cornell Medical Schoolといったトップの医学系大学院で助教授、教授として約20年勝ち残ってきた自信もあるし、それなりの経験もあるつもりである。
しかし、僕の職場では「グローバル化」「グローバルエリート教育」などに関して、積極的な意見を聞かれたことはほとんど無いし、例え聞かれたとしても、上記のように、多くの場合「まあ、日本は違うから」「日本には日本のやり方があるから」「日本では無理なんだよね」などと言われるだけである。
このような経験は僕だけではなく、東大、京大で僕の知っている海外でトップエリートとして活躍して現在日本にいる人達の多くがそのような経験を持っている。
このような扱いを受けると、「まあ、勝手にやってください」としか言いようがない。
残念である。
そこで、日本の大学の真のグローバル化を確立するための僕からの提言:
日本のトップ大学の教授になる条件のひとつとして、「海外のトップ大学あるいは研究所で最低5年助教授あるいは教授の経験とTenure を海外で獲得している。あるいは、海外のトップ企業でマネージャーレベルあるいは研究のトップポジション以上の経験が最低5年ある。」というのをつければいいと思う。
これにより、三つ良いことがある。
- 真の意味でグローバルエリートしか日本の大学では教授になれなくなる。
- 教授になりたければ、若い人達が海外で先ずは競争して勝ち残ろうと真剣に思いはじめる。
- 若い頃に、日本で教授の丁稚、番頭さんとして働かないで、自分の独立した研究プログラムを若い時に確立できる。つまり、無駄な下積みをしないですむ。
如何でしょうか? 無理かな? NAIST多くの教授が5年くらいで定年退職するので、これを機会にこのようなことできないかな。。。。。