2014年4月22日
以下、僕の2014年4月7日に掲載された、朝日新聞ウエブロンザの論考です。掲載から、2週間以上経ったので、時効ということで、朝日新聞の許可を得て、ここにコピーをオープンにします。
(2014年4月7日掲載、朝日新聞ウエブロンザ論考:佐藤匠徳)
実験ノートの基本:日付と生データは必須、実験室外持ち出し禁止
理化学研究所が4月1日に開いた記者会見で、STAP細胞論文の筆頭著者である小保方晴子氏の実験ノートのずさんさが明るみにでた。論文にあった写真の間違いが「悪意のある(意図的な)誤用」だったのか、「単なる勘違い」なのかが争いになっているが、より大きな問題は実験ノートにあると思う。生命科学研究者にとって、実験ノートは「命」であるはずだからだ。
筆者は、米国の大学院で博士号を修得する過程で、実験そのもの以上に研究倫理や実験ノートの重要性を強調、指摘される教育を受けてきた。その後20年ほど米国で研究室を運営したときは「佐藤ラボマニュアル」なるものを作成し、研究室メンバー全員に配布・説明することで、若い学生や研究者を指導して来た。5年ほど前に日本の大学に着任した後も、「佐藤ラボマニュアル」を研究室メンバー全員に配布・説明し、研究活動を指導している。
こうした経験から言わせていただくと、実験ノートがずさんな研究者や学生は、日米問わず存在する。残念だがこれは事実だ。筆者の日米でのこれまでの経験や観察によると、実験ノートをきちんと記録し管理できるか否かは、ある程度は指導できるが、ずさんな記録・管理しかできない人は、いくら指導しても中々きちんとできるようにはならない。
実験ノートの記録や管理といっても、一般の方々には馴染みが薄いと思われる。そこで、「佐藤ラボマニュアル」の「実験ノートの記録・管理の仕方」というセクションを引き合いに、研究者にとって実験ノートとはどういうものかを紹介したい。それは中高生にとってのノートとはまったく性質の異なるものである。
佐藤ラボマニュアル「実験ノートの記録・管理の仕方」の1行目には、「実験ノートは、研究を行う上で、最も大事な『命』である」と書いてある。その次に「実験ノートの基本的な考え方は、何時、何のための、何の実験を、誰が、どういう方法でおこない、どういう結果が出て、その結果をもとにどういった結論を導きだし、どういう考察をし、それをもとに次にどういう実験を行うことにしたか、ということが、実験をおこなった本人の説明無しに、実験ノートを関係者外の第三者が見れば、すべて明確に理解できることである」と明記されている。この目的を達成するために、以下の具体的な注意事項が記されている。
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ルーズリーフでなくハードバウンド
実験ノートは、佐藤研究室で用意する、ハードカバー・ハードバウンドの統一された一冊100頁のノートを、全員使用する。ルーズリーフや、簡単にページがすり替えられるようなものは使用しない。
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鉛筆でなく消せないボールペン
実験ノートは、ボールペンで記録する。消しゴムで消すことのできる鉛筆などは使用禁止だ。また、修正液や修正テープの使用も厳禁だ。もし、まちがった場合は、同じボールペンで線を引くことで修正する。したがって、何を修正したかも明瞭になる。こうすることで、不正を防ぐという目的もあるが、実験者の思考の変化も後で追うことができ、これは研究をする上でも有益だ。
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セロハンテープ使用禁止
データのプリントアウトや、別のものをノートに貼る必要がある時は、糊(のり)でべったりと、はがれないように貼る。セロハンテープの使用は禁止だ。セロハンテープだと、後で、はり替えることが可能だからだ。
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日付
各実験に、必ず日付をつける。同一の実験の記述・記録が、2頁以上にまたがる場合は、どの頁がどの頁につながっているのかを、誰が後でみても明確にわかるように印を必ずつける。
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実験を行う前に、その実験の目的、方法を、実験ノートに直接記述する
実際に実験を行う前に、実験ノートに、その実験の目的と実験方法を記述し、実験ノートを見ながら実験を行う。別の紙切れやノートパッドなどに手順を書いて、それを見ながら実験を行った場合は、その紙切れを糊で実験ノートにペッタリ貼る。実験を終了した後に、行われた実験手順などが書かれた紙切れから、実験ノートに書き写すことは禁止だ。書き写す際に、万が一、細かい数字や単位を写し間違えたりするのを防止するためだ。
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実験ノートには「生のデータ」を明確に記録する
実験データは、すべて「生データ」を記録する。データが、計測する機械からプリントアウトされたものであれば、そのプリントアウトされた紙を、実験ノートに糊で貼る。紙ではなく、別の種類のデータ(たとえば、フィルムのようなもの)で、ノートに貼れないものは、そのデータに消えないインク(マジックペンなど)でデータを同定する「しるし」(アイデンティファイヤー)をつけた後、ファイルフォルダーのようなものに綴じて保存する。実験ノートには、そのデータのしるし名と、それがどのファイルフォルダーの、どこに綴じてあるかを記録する。もし、データが、コンピューターに記録された電子データであれば、それぞれの電子データに特有のファイル名を付け、そのファイルがどの記録媒体のどこ(例えばフォルダー名)にどういったファイル名で記録されているかを記述する。
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実験ノートは実験をしたその日のうちに
その日行った実験は、終えたところまで、全て、その日のうちに実験ノートに記録してから帰宅する。実際に行った実験を、次の日や別の日に記録すると、間違いがおこる可能性が出てくる。また、万が一、帰宅途中に事故にあったりした場合、どういった実験がどういった状態で進行しているのか、別の者にわからなくなるので、その実験を他の者が引き継ぐことが困難になる。
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実験ノートの研究室外への持ち出し禁止
実験ノートの研究室外への持ち出しは、禁止だ。例えば、実験データを家にもって帰って見直そうと実験ノートを持ち出して、帰宅途中で電車やカフェに置き忘れたり、盗難や事故などにあったりした場合、その実験ノートに記録されているものが全て失われることになるからだ。
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英語で記録
研究の成果は、先ず、論文として世の中に公表される。論文は、基本的に全て英語で書かれる。海外の研究者と共同研究することも日常的だ。論文を発表すれば、実験手法やデータに関する問い合わせが世界中から来る。したがって、実験ノートは、英語で記録する。そうしていれば、海外からの問い合わせなどにも、実験ノートをそのままコピーするなどで対応出来るからだ。
以上が、佐藤ラボマニュアルの「実験ノートの記録・管理の仕方」というセクションに書かれてある事柄だ。佐藤研究室メンバーには、これら全てを徹底的に守ってもらっている。実験ノートの記録や管理の仕方には、組織や研究室によって少しずつ違いはあるが、基本的なところは同じであると、筆者は理解している。
これらは研究不正の防止という点から重要であるのはもちろんだが、知的財産権の保護という観点からも重要で、かつ必要になる。また、正確な実験を、効率的に実施するという点からも、有益だと考えられる。さらに、実験ノートに詳細な記録を自分の手を使って毎日書くという行為そのものが、研究目的を明確にし、実験データから結論を導き出し、それをもとに考察するための、自分の頭を使った思考エクササイズとして大変役に立つと筆者は確信している。
最近では、紙媒体の実験ノートに代わって、電子実験ノートも存在し、少しずつ広まりつつある。電子実験ノートのメリットは、大量なデータの保存が簡単になるだけでなく、個々の実験データをリンクさせたり、実験データを複数の研究者で共有したりすることが容易になる、などの点があげられる。電子実験ノートの場合は、紙媒体とは別のルールの設定が必要になると考えられるが、基本にあるのは、(前述の繰り返しになるが)「何時、何のための、何の実験を、誰が、どういう方法でおこない、どういう結果が出て、その結果をもとにどういった結論を導きだし、どういう考察をし、それをもとに次にどういう実験を行うことにしたか、ということが、実験をおこなった本人の説明無しに、実験ノートを関係者外の第三者が見れば、すべて明確に理解できる」であることは間違いない。
この論考を読んで頂くことで、われわれ研究者が、実験ノートの記録・管理という点に関して、具体的にどういった努力をしているかの一端を少しでも理解して頂ければ幸いだ。一般の方々が納めている税金のおかげで研究が出来ていることをしっかり理解し、高い倫理観と責任感をもって研究を行うのは、研究者として当然のことと筆者は考えている。