2021年10月9日【#真鍋さん #ノーベル賞 #nobel】
今年のノーベル物理学賞に米国の真鍋さんが選ばれて、日本でも各所で色々と報道されている。僕は真鍋さんとは研究分野も違うし、真鍋さんは僕の父と同じ世代なので、僕とは価値観や日米の研究環境に関する感想や意見も違う。そして、僕の場合は米国に25年住んでも米国籍は取得しないという決心をして日本で今は研究している。
とはいえ、僕が2009年に日本へ研究拠点を移して、日本でなんとか自分の好きな研究を好き放題続けられているのは、いわゆる日本の王道的な研究キャリアパスからはかなり逸れた人生を送っているのと、「オオカミ」的な生態をキープすることを心がけて実践しているからかと、自分では思っている。
なので、確かに、日本で日本の王道的な研究キャリアを構築するためには、他との「日本的」協調が重要だし必須。これは、僕には出来ない。
真鍋さんも、日本では他との協調が必要だけど自分には出来ないし、好き放題研究に没頭したいから米国で研究している、とおっしゃられている。
ただ、米国でも(というか世界中どこでも)他との協調は必要。
僕は、「日本的協調」vs.「米国的協調」の違いだと思う。まぁ、真鍋さんの世代(つまり生きた時代)は、僕の世代とは違うので、真鍋さんには、真鍋さんの生きた時代での、僕の生きてきた時代とは異なる、様々な苦労があったのだとは思う。
しかし、90歳になられた今も、プリンストン大学で、研究に携わっておられる(もちろん、若い時のようながっつりというよりは周辺的な関わりではあると思うけど)のは素晴らしいし、それができる環境があるのは良いこと。
それにしても、昔吉野さんがノーベル賞取られた時もそうだけど、今回の真鍋さんも、夫婦のこととか日本のメディアは細かく取り上げるけど、あれはやめた方が良いと、僕は思う。こういうことを取り上げるのが、まさに日本が村社会であることを示している。困ったもんだ、、、。
そんなプライベートなこと、ノーベル賞とは関係ないし、研究とも関係ない。さらに、あの世代の夫婦関係と現代の夫婦関係は違うし、参考にすべきではない。夫が研究に没頭できるために奥さんが家のことから子育てまで全部やる、なんて僕の両親や真鍋さん世代の話であって、今はそういう世の中ではない。さらに、そういうことを報道することで、研究するためには、そういう夫婦関係が必要、なんて間違ったメッセージになりかねない。