2014年12月24日【余裕と科学】
一般的に、日本は資源に乏しい国だから「科学技術立国」として発展するしかない(すべき)、ということが言われている。僕は、これは無理だと思う。その理由を述べよう。
今の日本は、資源に乏しいだけではなく、いろいろな面で、すべての無駄を最小限(あるいは皆無)にして、最高の効率(そしてコストパーフォンマンス)で、何事も行わないとならないといった、とても「窮屈で余裕のない」国であるのは、おそらく誰もが認めざるおえない状況だと思う。
そもそも科学は余裕のある人たちの、いってみれば「道楽」から始まっている。世界の歴史を省みても、余裕のある時代に科学は大きく発展している。科学は、その過程で多くの間違いや失敗の基に成り立っている。なので、「すべての無駄を最小限(あるいは皆無)にして、最高の効率(そしてコストパーフォンマンス)で、何事も行わないとならない」というような状況で、科学は大きく発展しないのだ。
日本の現在のさまざまな問題は、この「余裕の無さ」に起因していることは明らかなので、資源やお金に乏しくとも、いろんな意味で余裕のある国づくりを行わないと、何もかわらないのではないだろうか。