2021年8月17日火曜日

2021年8月17日【インスタ映え】

 2021817日【インスタ映え】

東京五輪の開会式や閉会式を観て、改めて現代日本について考えることができた。

 

いろんな意味で「見かけ(見せかけ)第一主義」が浸透しているのだと思った。つまり、箱がどれだけ綺麗に見えるか(包装されているか)が重要で、中身はある意味ほとんど気にしていないというか、言い過ぎかもしれないけど「中身に意味はない」ということなのだと思う。

 

「インスタ映え」が最重要で、その食べ物や飲み物の味やフレーバー、深み、などどうでも良いのであろう。

 

どの大学に入るか、どの大学を卒業するか、どういう会社に就職するか、どういう会社の社員か、社内でどういう位にあるか、どこに住んでいるか、どこで働いているか、身につけているものがインスタ映えするか、行動や言動がどれくらい#されるか・どれだけリツイートされるか・どれだけ再生されるか、そういうことが重要なのだろう。

 

何のための人生なのか、何のために今自分を磨く必要があるのか、自分は何を目指しているのか、昨日の自分と明日の自分はどれだけ内面が磨かれたか(深まったか)、自分の意義は何か、こういったことはどうでも良いことなのだろう。

 

研究でも、どうやって論文をどこに出すか、どうやって研究費やフェローシップを獲得するか、どうやって研究職や教授職を得るか、どうやって学内や学会内での地位を確立するか、どうやって自分の評価を高めるか、こういうことが重要なのだろう。

 

これらが、「何のためなのか」「本当に意味のあることなのか」「それで自分は深まるのか」、こういったことは無意味というか、ある意味考えたことすらないのかもしれない。

 

もしかすると、日本は大昔からこうだったのかもしれない、、、。あるいは、何かが何処かで狂ってしまってこうなってしまったのかも知れない、、、。

 

どちらにしろ、僕自身は、インスタ映えには興味ないし、中身ありきの(そして中身と調和した)見かけが重要だと思っているし、それは貫きたい。