2021年9月9日木曜日

2021年9月9日【サイエンス報道】

 202199日【サイエンス報道】

サイエンスのもとには、先ずは、実験やその他の方法で集められたデータ(「生データ」とよばれる)があって、それを科学的手法で解析する。そして、その解析結果を科学者が解釈し、論文として発表する。

 

なので、同じデータでも、解析方法によって出てくるものは違うし(違う可能性もあるし)、同じ解析結果でも、科学者によって解釈が違ってくる。

 

しかし、サイエンスが報道される時は、主に、この最後のステップの科学者の(つまり論文責任著者の)「解釈」をもとにさらに着色されて一般市民・社会に発信される。

 

もちろん、報道されるときには、そのデータ、解析方法、結果の詳細もあわせて報道されることはよくあるのだけど、それらを科学的な目で精査することは、一般市民のほとんどの人たちにはできない。科学者でも、分野が違うと、困難な場合が多い。

 

なので、多くの場合、科学者の(つまり論文責任著者の)「解釈」をもとにさらに着色されて一般市民・社会に発信が、その後一人歩きしてしまい、広まる。

 

とても怖いことだ。

 

一般市民のサイエンスリテラシーを高める、とか言われているけど、現実的には難しい。たとえ、それができても、科学者間でも、その能力の格差はかなりあるし、分野が違うだけで、生データから解釈することは難しい場合が多いし、解析方法の妥当性だって、分野が違うと評価できない。

 

唯一できることは、このような事実があるから、サイエンスの報道は、常に疑いの目・耳をもって見る・聞くように、とするしかない。

 

それだけ、サイエンスの報道は怖いものだということ、これだけは一般市民に理解してもらいたいし、報道する側も、この怖さの責任をうけとめて報道してほしい。