日本の大学は海外から寄付を集めるべし
東京大学の数物連携宇宙研究機構が米国のカブリ財団から5億7000万円の寄付を受けた。このニュースは、日本の国立大学が海外の財団から寄付を受けるのは初めてということもあり、国内のさまざまなメディアで報道された。
東京大学を含め日本の多くの大学では、国からの運営交付金や受託研究費が収入の半分以上を占める。このような国依存型の財政状況により、各大学は独自の特色を出し難くなっている。一方、大学の法人化以降、国からの運営交付金は年々減り続けている。このような閉塞状況を打破するためのひとつの対処策が、大学基金の充実である。
世界の大学では、寄付金などで大学基金を設立し、その基金総額が大学の競争力に直接反映されるようになっている。残念ながら日本の大学基金は、欧米の主要大学と比較すると、雲泥の差がある(表1)。日本のトップの東京大学や慶応義塾大学の基金(300~400億円)は、世界1位の米国ハーバード大学の約2.1兆円と比較して50分の1以下である。また、他の米英の主要大学と比較しても、7~25分の1以下である。
この歴然とした違いは、学生ひとりあたりに換算しても同様だ(表2)。ハーバード大学の約1億円に対して、東京大学ではたったの140万円である。大学教員ひとりあたりに換算すると、その違いはさらに広がる(表3)。ハーバード大学の10億円に対して、東京大学では1千万円にも満たない。
大学基金はおもに財団、個人からの寄付によってまかなわれる。米国ハーバード大学の場合、2011年だけで新たに約616億円、米国スタンフォード大学は約545億円の寄付金を集めた。一方、同年、東京大学は73億円、京都大学は49億円、慶応義塾大学は50億円、早稲田大学は21億円にとどまっている。
米国では、大学基金の運用による利回りは現在10%~15%といわれている。米国ハーバード大学の場合、基金の運用だけで毎年2,100~3,150億円の利子収入があることになる。これだけでも、現在の東大基金(あるいは慶応義塾大学基金)総額の5倍以上ある。
このような大学基金は様々な用途に使われる。筆者が米国で教授をやっていた時の例を説明してみよう。筆者は米国コーネル大学医科大学でJoseph C. Hinsey Professor という称号を与えられていた。この称号をもつことにより、Joseph C. Hinsey という方が、約1億円をコーネル大学医学部へ寄付しつくられた基金(英語でEndowmentという)から生じる利子を、筆者の研究室で研究費として自由に使うことができるようになる。つまり、毎年、約1000~1500万円が研究に使えることになる。
したがって、500億円の基金があれば、この規模の研究サポートを500人に対し、その生涯にわたって提供できることになる。あるいは500億円の年利回り50億円程度をつかって、若くて優秀な研究者を50人ほど新任教員として雇い、それぞれに約1億円を研究室立ち上げのための研究費として提供することもできる。
大学基金は、その大学の運営、発展、競争力の強化において中心的な役割を担うものだ。日本の大学が世界を舞台に競争力を高めていくには、大学基金を充実させることが必須である。
財団や個人が大学へ寄付をする主な理由として、1)個人がその大学の出身で、その大学の発展を切に願っている、2)財団・個人が、その大学の理念・イニシアチブなどに賛同する、3)寄付金をもとに大学が社会的に大きな成果・貢献をあげることができることが期待でき、それにより寄付した財団・個人の名声があがる、などがある。したがって、大学がこれらの状況をつくりだすことが、寄付金集め成功の必要条件となる。
しかし、現在の日本国内の経済状況や、2050年までには2.5人に1人が65才以上という超高齢社会に突入することなどを考慮すると、日本で寄付を集めるより、海外に狙いを定めて戦略を練ったほうが得策であると筆者は考える。そのことを前提に、以下の提言をしたい。
先ず、優秀な学生や若い教員・研究者が多くいる海外の新興国(例えば、シンガポール、マレーシア、インドなど)で、日本の大学が分校を開校する。そこで、優秀な学生、また若くて優秀な教員・研究者を集め、将来その国のリーダーとして活躍する人材を育てる。また、その分校と日本のキャンパス間での横断的な事業、プロジェクト、などを始める。これらは、世界からの注目度、また世界各国の財団・個人からみての投資価値は明らかに高く、寄付金を集めやすい。また、20年~50年後には、その分校を卒業した優秀な学生たちは、社会的にもそれなりの地位を確立し、母校へ寄付を通じて恩返しすると期待される。その頃には、それらの新興国は経済的に世界をリードするようになっている可能性が高いので、大きな寄付が期待できる。海外の分校も、日本国内の本校も、経営的にはひとつの傘下にあるので、これらの海外で集めた寄付を日本国内の本校へも運用できる。
実際、米国のいくつかの主要大学は海外分校を数年前から積極的に展開している。日本の大学も素早く海外市場を開拓しないと、手遅れとなってしまうと筆者は考える。このような海外分校の設置にともない、国内の本校と海外分校との円滑な連携が必須である、という理由で大学の秋入学を唱えるほうが自然ではないだろうか。