朝日新聞Webronza(2013年3月22日)に掲載された僕の論考です。すでに時効なので、朝日新聞の許可を得て、以下にコピーします。
高校生の科学研究から見える日米の大きすぎる差
高校生による科学研究コンテストとして米国が世界最高峰と誇りにしている「インテル・サイエンス・タレントサーチ(Intel Science Talent Search: Intel STS)」の2013年の最終結果がこのほど発表された。STSは、1942年にウエスティングハウス(Westinghouse)がスポンサーとなって始まり、1998年からは、現在のインテルがスポンサーになった。優勝者には賞金$100,000(約950万円)が奨学金として授与される。また、約70年の歴史の中で、このコンテストの入賞者から、ノーベル賞受賞者7人、数学のノーベル賞といわれているフィールズ賞受賞者2人のほか、世界の各分野の天才たちに与えられるマッカーサー財団フェローシップ受賞者(11人)や米国科学アカデミーメンバー(30人)も輩出している。まさに、世界最高峰の「科学者の卵」発掘コンテストに恥じない実績である。
日本国内でも、高校生科学技術チャレンジ(Japan Science & Engineering Challenge:JSEC)が2003年から行われている。朝日新聞社の主催で始まり、2011年からテレビ朝日も主催者に加わった。JSECは、上記のSTSの国際版である「インテル国際学生科学フェア(The Intel International Science and Engineering Fair: ISEF)」の国内予選をも兼ねている。
筆者は、米国で研究・教育を行っていた25年あまりの間に、数名の高校生にSTSにエントリーするための研究指導をした。また、日本に来てからの3年間あまりで、JSECへ向けての研究指導を数名の高校生におこなってきた。両方の経験ならびにSTS(2013年)とJSEC(2012年)の入賞研究を比較すると、日米のあまりに大きな違いが見えてくる。
まず、STS(2013年)入賞研究で、筆者の専門分野である生命科学・医科学に関連するものの一部を紹介する。
・ 「持続可能なエネルギー源としての藻類バイオ燃料の効率化:脂質合成増強種の人工的選択」(優勝)
・ 「バイオインフォマティクスによるヒト疾患に関わる内在的異常タンパク質の同定と解析」(2位)
・ 「グローバル神経ネットワーククラウドサービスを用いた乳がん診断」(8位)
・ 「ガン治療新規ターゲットとしてのKLF6ガン抑制因子の翻訳後調節部位の同定」(入賞)
なお、テーマ名は英語原文を筆者が意訳した。
一方、JSEC(2012年)では以下のようなテーマが入賞した。
・ 「ゾウミジンコの走性に関する研究」(科学技術政策担当大臣賞)
・ 「闘蟋(とうしつ):コウロギの闘争行動解析」(花王賞)
・ 「オヤニラミの闘争行動を引き起こす刺激」(テレビ朝日特別奨励賞)
・ 「サンショウウオの飼育下での繁殖方法の確立を目指して」(審査委員奨励賞)
これらの入賞研究テーマを比べるだけでも、その差は明らかだが、以下に筆者の経験を踏まえた考察を述べよう。
【2人以上のグループ研究(日本)vs. 単独個人研究(米国)】
それぞれの入賞研究をおこなった高校生を調べると、日本のJSEC(2012年)は、すべてが2人以上の高校生によるグループ研究である。一方、米国のSTS(2013年)入賞研究の全てが、ひとりの高校生による個人研究である。この違いは特筆すべき点である。
筆者が米国で指導した高校生全員が、個人研究であった。グループ研究はひとつもなかった。一方、日本で指導を引き受けたJSECやその他の研究コンテストへのエントリーを目指した高校生の研究のほとんどがグループ研究である。
また、米国の場合、高校生が自分で、筆者のような大学などの研究者に直接、「研究をさせてくれ」とコンタクトをとってくる。しかし、日本では、すべての場合、学校を通じて、高校生の研究指導のお願いがくる。米国では、高校生は、いわば准大人とみなされ、少しずつ自己責任を身につけさせ始められる時期である。つまり、徐々に大人になるようにしむけられる。しかし、日本では、高校生は、まだ子供であり、守って当然、守られて当然、という風潮がある。
日本では、大学(あるいは大学院)を卒業するまで「学生=子供」として「取り扱い注意」のレッテルが貼られる。しかし、就職と同時に“突然”大人として扱われ、大人であることが要求される。また、社会に出てからも、日本人はどうもひとりでの単独行動を、なかなか行わない、行えない、行うとまわりからとがめられる(協調性に欠けるなどの理由から)、という傾向がある。
これらの、日米間の違いが、高校生の研究を行う単位(つまり、グループ研究と個人研究)の傾向にも現れているのではないかと筆者は考える。
【身近にある題材(日本)vs.最先端の研究題材(米国)】
研究テーマのタイトルから歴然とみえるのは、日本のJSEC(2012年)入賞研究のほとんどが、生活の身近にあるものを題材としていることだ。一方、米国のSTS(2013年)入賞研究のほとんどが、そのまま科学専門誌の論文タイトルとして通用すると言う点である。この違いには、いろいろな要因があると考えられるが、一番の理由は、やはり、日本では、高校生は子供だ、とみなされ、子供らしい身近な題材を取り上げることが周り(つまり、指導、あるいは評価する側)から好まれるからだと、筆者は考える。一方、米国では、高校生は准大人であり、STS(2013年)へエントリーするような高校生は「科学者の卵」であるとみなされ、審査する側も、そういった目で評価するのだと、筆者は考える。
【不思議からはじまり、不思議におわる研究(日本)vs. 不思議からはじまり、社会への還元をめざす研究(米国)】
日本のJSEC(2012年)入賞研究は、好奇心を追求するのみに徹底しているように感じる。筆者の研究室で高校生たちを指導していても、日本の高校生の多くは、純粋に「不思議」という思いをそのまま素直に研究し、それで満足しているように思う。一方、米国で高校生を指導していて感じたのは、彼ら彼女らも最初は「不思議」といった好奇心から研究を始めるのだが、常に、その研究が最終的に社会へどのような形で還元されるのかを考えていることだ。また、周りも、高校生にそのように考えることを求めている。したがって、米国のSTS(2013年)では、バイオエネルギー、病気治療など、応用先が明白な研究テーマが多い。
この日米間の違いに関しては、賛否両論であると感じる。大発見は、かなり高い確率で、思わぬところから起こる。したがって、あまりにも応用を意識しすぎると、思わぬ大発見は起こりにくくなる。一方、大学や研究所での研究は、多くの場合、国民の税金でおこなわれるものであるから、それなりに、社会への還元が求められるのは当然である。
筆者は、両方のタイプの研究が必要だと思うが、高校生なら、少しでもよいので、それぞれの研究の社会への還元の可能性を、自分で説明できるようになることは必要だと考える。
以上、日米間には、それぞれの文化や精神的・社会的構造などの違いから、高校生による研究ひとつをとっても、大きな違いがあるとわかる。この違いを、「日本は日本だから」と維持したままでいいのだろうか。グローバル化した社会においては、ひとりひとりが大人として行動できることが、前提となっている。だから、日本も高校生ぐらいから少しずつ段階的に「責任感ある個人としての大人」へと成長できる社会構造に変わるべきではないかと筆者は考える。