2013年12月12日木曜日

2013年12月12日

日本の大学に比べて、なぜアメリカの大学(例えばコーネル大学)の事務が手際よくわかりやすいかと考えてみた。

アメリカだと、それぞれの事務の部署にその道のプロで専門のひとがいて、その人にある程度の裁量と決断が任されている。そのかわり、その人に大きな責任もかかってくる。一方、日本の大学だと、「だれも責任を取りたくない」ために、「誰にも裁量、決断などの権限がないし、よって誰にも責任がない」。したがって、ひとつのことを決めるのに、大勢の承諾がいる。「大勢が承諾したのだからいいだろう」といった論理。


困ったもんですね。