グラントのほうも予定通り進みました。木曜日に共同研究グループとSkype で1時間半くらいカンファレンスして、かなり煮詰まりました。数日中にはある程度の形に仕上げようと思います。
2011年4月25日月曜日
2011年4月24日
今週はトレーニングの調子がかなりよかったです。水泳のインターバルもかなりハードなペースが少し余裕でできるようになりました。また、土曜日のロングランも良いペースで走れました。今週の土曜日は約30kmを気持ちよく、余裕の2時間30分くらい(キロ5分)のペースで走れました。
2011年4月23日土曜日
2011年4月22日
前にも書きましたが、僕は日本、また日本人をとても愛してます。だから、アメリカのトップ大学医学部教授のポジションを捨ててまで日本に帰って来ました。しかし、僕の活躍の場は世界であって、「日本は世界の中のひとつの小さな国のひとつにしか過ぎない」と思っているし、その前提で僕は行動してます。
僕は、何の縁だか、この小さな国で生まれたし、僕は自分の生まれた国を愛してます。でも、僕は日本という狭い国・社会・「箱」を基準には物事を考えないし、考えられません。僕は、これからの若い人たちにはこの感覚を養って貰いたいと思います。
これから10年、20年後には世界の価値観はかなり変わります。そのときに、「日本は世界の中のひとつの小さな国のひとつにしか過ぎない」という感覚を身をもってわかってないと、あなたの活躍の場はないと思います。日本国内でも無いと思います。今の壮年・老年の世代の人たちの多くはこの感覚を持ち合わせてません(もちろん例外的に持っておられる方々もおられます。僕自身、何人か知ってます。)。口では、国際化、グローバリゼーション、とか吹聴している方々がおられますが、口だけです。身をもってわかる感覚は備えておられません。僕は、今、そのような人達にどのように語りかけるべきかを思案中です。
2011年4月22日金曜日
2011年4月21日
「最近の若い子たちは、自分から積極的になにもしない。常に、なにかを与えられるのを待っている。」
このようなことをよく耳にする。しかし、僕からすると、今、日本社会の中心になっている40才~65才くらいの多くの人達は、なにかをするとき、先ずだれかに(例えば国、大学、委員会、上司、など等)「箱」をつくってもらい、その「箱」に上手く収まるように、物事を作り上げ、進めて行く。「箱」からは絶対に出ないように気を使う。
また、既に「箱」がないと何もしない。「箱」がないとなにも起らないし、なにも変わらない。
多くの人達は、新しい「箱」を作ろうとはしない。新しい「箱」を作ろうとすると、それが「もっと大きな箱」に収まらない場合、協力は得られないし、作らせてもらえない。なんとか作っても、意地悪く壊される。
このような社会で育つ子供に積極性を要求しても無理だと僕は思う。子供たちは、大人を鋭く観察しているので、大人が変わらないと子供も変わらない。
だから、僕はこのような日本社会に「知性ある勇気」をもって対決して行く姿を、次の世代の若者に見せていこうと思う。正直いって、僕のバックには世界があるので、たとえ日本でメチャクチャに叩かれても、全く平気だ。
2011年4月21日木曜日
2011年4月20日
先々週末、ある方のバーベキューパーティ-に招かれた。そこで、NAISTの学長をはじめ、その他の役員クラスの方々と、かなりオープンに遠慮なく、色々と僕の胸の内を話す機会があった。多くの点で、僕の思っていることに関してはシェアできた気がする。ただ、それをどうやってNAISTという大学法人の経営に反映していくかということは、大変複雑で難しい問題であり、時間はかかるみたいだ。
ただ、多くの点の根本的な部分に関しては同意が得られたと思うので、それはそれなりに収穫だったと思う。基本的には、少々強引でも、僕が率先して成功例を示していくのが今のところベストであるという結論に達した。
したがって、これからは喧嘩を売られれば、僕は買って出ますので(もちろん「知性ある勇気」で)、その時は宜しく。
2011年4月20日水曜日
2011年4月19日
いろいろな人たちがアメリカンパンダを読んでいるらしい。何人かの読者の人たちから、「先生、結構過激な発言をされますね」と言われる。また、「先生、もっとこのようなことをドンドン発言していって下さい」と言われる人たちもいる。
実は、僕はこれでも言いたいことの3分の1くらいしか、ここで発言していない。やはり、こういうところ(つまり、だれでもアクセスして読めるところ)では、絶対に言ってはならないことも結構沢山ある。そのようなことは、かなりのカモフラージュをかけて書くか、ここでは書かない、といった2つの道を辿る。
書いたものは永遠に(僕が死んだ後も)残るので、慎重にならざる終えない。そういった意味では、メールの文章もそうである。全てのメールの文章も、いくら消去しても、僕が死んだ後まで永遠に残る。書き物とは、それだけ重要なものだと僕は認識している。
つまり、僕が書いたもの(アメリカンパンダも含めて)が永遠に(僕が死んだ後も)残るものであるという認識で、また残って欲しいと思って、僕はいつも文章を書いている。
2011年4月19日火曜日
2011年4月18日
結局、研究費の申請書、英語で書いてます。英語で6ページなので、日本語で4ページくらいに相当します。もし、ヒアリングまでいけば、ヒアリングも今回は英語でやる予定です。かなりの賭けですが、吉とでるか凶とでるか、やってみます。
やはり、英語のほうが僕の言いたいことが明確伝えられるし、僕らしい文章のリズムを生み出すことが出来ます。
正直いって、日本語で物事を考えたり、伝えたりしようとすると、伝えようとする内容が、曖昧で不明確になるように感じます。英語だと、伝えたい内容が明確に、しかも明快なリズムでバシッ、バシッ、と伝えられます。
現在、Outlineが完成し、図もほとんど完成しました。今週、共同研究者の方々とSkypeで打ち合わせをする予定になっています。
この研究費の申請が終わると、もうひとつ、大型の研究費申請があります。そちらは6月締め切りです。ラボの皆に好きなだけ研究して貰えるよう、僕は頑張ります。
2011年4月18日月曜日
2011年4月17日
サイエンスで成功するのには書く力はとても大切。論文は英語で書かなければならない。研究費の申請書も英語(国際的なグラント)あるいは日本語(日本のグラント)で書かなければならない。
巷でよく言われていることに、「日本人は、英語の読み書きはできるが、聞いたり喋るのが出来ない」と言われているが、これは間違い。多くの日本人の英語を読むスピードはとても遅い。また、多くの日本人の書く英語はとても下手くそで幼稚。僕のまわりの大学の先生たちの何人かは、論文の英語がきちんと書けないので、英語が母国語の人に頼んで(あるいは、Editingの会社にお金を払って)書き直してもらっている。英語を母国語としている研究者のなかでも、素晴らしい英語の文章を書ける人と、そうでない人とがいる。日本語でも同じことがいえる。
これから、サイエンスで身を立てていこうと考えている日本人の人たちは、英語と日本語の両方で、しっかりした論理展開で、読み手に分りやすい文章が、スラスラと書けるように、しっかり訓練をすることが大切だ。それには、良い英語(また日本語)の文章を沢山読んで、英語(また日本語)の文章を沢山書いて、文章の上手い人に添削して貰うとよい。
もちろん、僕も未だに書くことに関しては修行中で、毎日特訓してる。
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