2014年8月13日【データー眼力】
実験データーと長年付き合っていると、データーとどう向き合うか、どうみれば本質が見えるのかが、少しずつ分かってくる。未熟なころは、やはり自分のみたいようにしかデーターが見えなかったりすることが頻繁にあった。でも、いろいろな経験や間違い、指摘、自分より優れたサイエンティストのデーターの見方や解釈を学ぶことで、少しずつデーターの本質を見抜く見方を学んで来ている。今でも、まだまだデーターの見方や解釈を間違う(あるいは解釈不足)ことが多々あるが、30年前よりはましになっていると思う。
ひとつだけ、ここに、その極意を書くとしたら、それは、データーが訴えている言葉に、偏見なくオープンな気持で、すべての可能性を排除せず、しっかり耳を傾けるということ。データーの本質が見えたときは、本当に白黒がくっきりと見える。それが見えない時は、データーの解釈が間違っているか、不足かの状態。そこで妥協しないで、「くっきり白黒が見えるまで」データーと格闘するべし。ほとんどの人が、そこに辿り着く前に妥協してしまう。