2011年8月20日土曜日

2011年8月20日

日本ではロジックでバッサリきられることよりも、「ロジックでは説明できない神秘的なもの」がロジックで説明できるものより崇高だという考えが古代からある。日本の多くの科学者も、ロジックより、「自然の神秘を感じる」ことに重きをおく。

サイエンスはアリストテレス(あるいはもっと前)から現代にいたるまで、ロジックの学問なので、「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」ことを崇拝する日本の文化は、残念ながらサイエンスには適さない。

サイエンスは最終的にロジックで説明できないと、駄目な学問である。それが不得意な日本人はサイエンスをやるのにかなりのハンデがある。

もちろん、日本人が西洋ではじまったサイエンスとは別の、「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」というものを「日本的サイエンス」とよぶなら、それは日本人の得意とするところである。欧米の人達に「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」ことはほぼ不可能である。

もし、日本が西洋ではじまったサイエンスを推進していきたいなら、子供たちにロジックを教えないといけない。現段階では、欧米の子供たちに比べて、日本の子供たちはロジックにかなり弱い。

もし、日本が西洋ではじまったサイエンスではなく、「ロジックでは説明できない自然の神秘を感じる」というものを「擬似サイエンス」といった学問として日本で成り立てることを目的としているなら、ロジックは邪魔になる。

この辺を、結構混同している日本人が多いように僕は思う。