2011年8月3日水曜日

2011年8月3日

日本は人権、差別という観点からすると、未だに世界の後進国である。

例えば、年齢による差別。
未だに、履歴書に年齢(つまり生年月日)を書くことが普通に行われている。
大学でも、研究・教育がどれだけできるかといった実力より、年齢でいろいろなことが差別される。国立大学だと、給料の額はそのポジション(例えば教授)に何年携わっているか(つまり年齢と相関)ということで決まる(僕みたいに若い時からアメリカで長年教授をやっていたのに、日本で教授をやっていた年限はゼロなので不利になる)。また、実力に関わらず、定年がある。つまり、いくら仕事が出来ても、ある一定の年齢になると定年退職しなければならない。定年退職の5年前になると、まわりの教員たちが、後何年であの先生は定年退職と、年数を数え始める。

これらは全て年齢による差別であると僕は確信している。もし、これが変わらないのなら、一度友人の弁護士に話しを聞いて、訴えてやろうかとさえ思う。一度、このことが裁判沙汰になると、世論も動いて良い方向に変わるのではないかと思う。

年齢以外にも、日本ではいろいろな差別が暗黙のうちに行われている。酷い国である。僕は日本が大好きで、自分が日本人である事を誇りに思っているが、「差別」という点では、恥ずかしい限りだ。これも、日本という国がまだ子供で大人として成熟していないということの現れだと思う。