2020年12月21日【AIパンデミック】
AIパンデミックに関してコラムを書きました:
https://karydo-tx.com/2020/12/21/ai201221/
2020年11月14日【不謹慎な話】
世の中コロナで大変な時期に不謹慎だけど、コロナ時代になったおかげで「個人的に」助かっていること:
1. 出張が皆無になったこと
これまで、何かあると物理的に移動しないといけないことがほとんどだったけど、コロナ時代になってからは、全てがオンライン。今年の3月以降、出張は皆無。そのおかげで、出張経費がゼロになったし、出張の移動に使っていた時間をもっと研究やその他意味のあることに使えるようになった。
2. 会議が全てオンラインになったこと
これまでは、ちょっとした会議でもF2Fだったけど、全てオンラインになったので、時間が有効に使えるようになった。会議もオンラインだと、無駄口がほとんどないので、超効率的に短時間で完了できる。また、会議がオンラインだと、本当にやるべき会議のみ開催するという傾向に僕の周りではなっているので、無駄な会議を開催しなくて良くなっている。
3. フードデリバリーサービスが日々多様化・充実・拡充していること
コロナで外食が激減したおかげで、各種フードデリバリーが日々多様化・充実・拡充している。UberEatsも、日々登録店が激増しているし、Woltとか新しいデリバーリーサービスも出てきたりしているし。なので、日々、手軽に・気軽に、世界中のいろんな食べ物が日々エンジョイできる。僕は、大阪市内に住んでいるので、UberEatsを頻用しているけど(Woltはまだ大阪には進出していない)、毎日のように新しいお店が登録されているので、こんなお店あったんだ、みたいなところの食べ物が簡単に試せる。これまでは、実際にお店に行かないと食べられなかったようなのが、簡単にオンラインでオーダーして家で食べれる。
もちろん、上の1、2、3も、別の角度から見れば、実はデメリットもあるのだけど、本日はとりあえず、メリットの部分のみ記載アップ。
2020年10月30日【5分の1】
21世紀ももう2ヶ月で、その5分の1が完了しようとしている。人生100歳だと、一人の人間が1世紀生きることになるので、「100年に一度」なんて言葉が陳腐に感じ始める。1000年でもたったの10世代なので、たかだか知れている気がしてきている。1億年でようやく100世代になるので、何かが起こっても不思議でない。
そう考えると、人間が考える「時間」はちっぽけだと思う。宇宙というか、自然界というか、そういうところにある時間は、人間をはるかに超えているし、まぁ、人間がいなくても時間は経過する。
どちらにしろ、僕に測れる時間は、自分の時間なので、自分の時間に従って、日々を送る、という小ちゃな時空間の中での話。
僕ぐらいの年齢になると、場合によっては退職までの年数数えて日々送っている人たちも結構いるし、第二の人生を策略してる人たちもいるし、すでに第二の人生を歩んでる人たちもいる。人それぞれ。
で、僕はというと、変わらず研究100%の生活。思えば、小学校に上がるか上がらない頃には、すでに家で実験(研究)してたので、そういう意味では50年以上研究していることになる。人生100歳だと、人生の半分以上をすでに研究中心に過ごしてきてることになる。
ということで、これからも変わらない人生。
2020年9月28日【隔離】
COVID-19で、世界的なStay-Homeキャンペーンで、ウイルス感染者のみではなく、健常者もある意味「隔離」状態。子供も、学生も、前コロナ時代のように、在宅で授業とかなので、ある意味、「隔離」と同じ。仕事も、リモートが増えて「隔離」と同じ。リアルワールドでの物理的行動範囲も非常に限られているので、村、町、市、区、県、国、もある意味、全てが「隔離」状態。一方、バーチャルでは、全てが繋がっている。
すでにある意味そうだけど、今後は、ポストコロナ時代も、リアルワールドとバーチャルワールドの関係性がどうなるか、学術的にも興味を持っていて考察の材料。リアルワールドとバーチャルワールドか一体化する世界・社会がうまく構築されてくるのか、あるいは、今のように、リアルとバーチャルが分離したちぐはぐ状態が続くのか、これからどうなるのか。
リアルとバーチャルは、人間が作った世界観で、人間の意識下にしか今の所ないと思われるので、地球とか宇宙という概念(これらは物理的に現存するものやことの概念)とは異なるかもしれないし、実は、どこかで繋がっているかもしれない。
どちらにしろ、人間は、自分らの視点からしか計測・認識はできないので、ある意味、この世の真の成り立ちは、誰にもわからないのだけど、でも興味深い。
2020年8月12日【幻の安心感】
大多数の人たちは、「これこれはこうなんだよ」って教えてもらうと「安心する」。
「これこれは、まだわからないんだよね」なんて言われると、「不安になる」。
だから、ある程度、誇張や嘘が入っていてもいいから、とりあえず、分かったようなことを言って欲しい、そして安心したい。
「安心」は、日常的には重要で必要なんだけど、この調子で科学を一般の人たちに伝えると誤解が生まれる。そして、その誤解が誤解だと明らかになった時、不安が一気に押し寄せてきて、怒りに変わる。
今の、サイエンスの成果を一般の人たちに伝える類の発信のほとんどが、「これこれはこうなんだよ」ってものがほとんど。そして、これらのほとんどが、誇張や嘘が入っていて、不正確で、一般の人たちをペテンにかけて、「幻の安心感」をもたらしている。
この世の中(自然界)は謎だらけで、そんなに簡単に、人間がその謎を解けるほど甘くはない。
まぁ、幻でも安心したい、という方々は結構いるので、それなら幻と思って、いつかはそれが幻だとわかる時がくる、という一時的な安心だと思って欲しい(そうすると、安心できないかとは思うけど、、、)。
2020年7月25日【太く脈々と流れる時間】
この4連休は、比較的自由度が豊富なので、がっつり学術の本(論文ではなく本)をしっかり読んでるのだけど、学術本の場合、自問しながら、かつ「うそ〜」とか「ホンマか」とか考えながら読んで、その度に他の本や原著をネットで調べながら読むので、めちゃくちゃ時間かかる。丸一日かかって1ページとかある、、、。
それでも、僕が学生だった40年くらい前は、ネット検索なんてないから、図書館に「住んで」その度に原著や本を物理的に探して複写して、時には複写依頼して取り寄せて、なんて時代だったから、その頃に比べると格段に便利にはなった。
とはいえ、あの頃の「太くて脈々と流れる時間」が懐かしくはある。