どうも日本は中途半端にアメリカの真似をしてることが沢山ある。アメリカの真似をしたくない心情があるのだけれど、色々どうやるかを話し合うと、どうしてもアメリカの真似になるらしい。でも、完璧には真似をしたく無いらしい。真似するのなら、中途半端に真似するよりも、完璧に真似すればいいと思う。僕は個人的には、そんな中途半端なことをするよりは、まったく違うやりかたをする方がいいと思う。所詮、アメリカの真似をしても、アメリカ合衆国の第51州になるのが落ち。でも、考えるひとたちの多くが小さいときからアメリカ的価値観を植えつけられてるわけだから、自然とそうなってしまうのかも。残念。
僕は、同じように優秀で良くできる賢い人々ばかりの集まっている単一的集団より、アホなヒト、変なヒト、優秀な賢いヒト、わけの分からないヒト、突拍子も無いヒト、等色んなヒトが寛容に受けいれられてる集団が好き。だから僕はボストンよりもニューヨークが好きなんだと思う。
一ヶ月くらい前にある尊敬している方から、正規分布の話を聞いた。ミツバチのはたらきバチの集団の中にもやはり怠け者がいるらしい。おもしろいことに、この怠け物のはたらきバチたちを取り除いてやると、全部のはたらきバチが一生懸命働くことになるかというと、そうでは無く、やはりいくらかの割合で怠け者が出てくるらしい。この例えは、いくら優秀なひとたちを選りすぐって集団を形成しても必ず正規分布して、そのうちいくらかの割合はダメ男になるということに使われるということである。僕はこのことをこの一ヶ月くらい考えていて、今日ふと走りながら思った。では、この怠け物の働きバチだけで集団をつくると正規分布して少数の優秀なリーダーシップをとるハチ、平均的なまじめなハチが出現して来るのだろうか?もし、そうだとしたらこの原理をつかって、この世の中の価値観で不幸にもダメ男のレッテル貼られた人々を集めて独立集団を作らせれば、そのうち少数は優秀なリーダー、平均的な真面目な賢いヒトが出てくるのだろうか?そうだとしたら、これを利用して何とかヒトを育てることに利用できないかと考える。
昨夜、妻とナルニアのなんたらかんたらという映画をDVDで見た。その映画を見て思った。やはり、若いときに責任を持たせて育てることが、勇敢で、賢い、リーダーシップをとれる人間を育てる上でとても大切な事だと思う。若いヒトたちをあまりいじくりまわして育てるより、色々と自分の責任を持たせ、厳しい環境の中で色々と思考錯誤させながら(でも、影で暖かく見守ってあげながら)育てるのがいいと思う。そういう意味では若いときに自分の価値観の通じない、言葉も分からないところに自分の責任でしばらく暮らしてみるのもいいかも知れない。個人的な経験からだと、僕が小学校6年生のときに友達と二人で九州一周旅行したのを思い出す。今思えば、これは11歳の僕には良い経験になった。子供二人だけの旅行を通じて、他人の大人を親の目を通してでは無く、自分の目を通して観察でき、接することもできた。また、責任ということに関しても多くのことを学んだ。今思えば、11歳の僕にこの旅行を許してくれた両親に感謝である。