2011年2月28日月曜日

2011年2月27日

ある人たちが、「日本人は英語の発音を気にし過ぎて、喋らない、下手な発音でもかまわないから、もっともっとドンドン喋るべきだ」と言っている。ヨーロッパの非英語圏の人たち、インドの人たちは、それぞれのアクセントに構わず、ドンドン英語で喋っている。だから、日本人も日本人のアクセントのままドンドン喋ればいい、ということらしい。内容さえ濃ければ、下手な英語でもヒトは話しを聞いてくれる、ということらしい。

しかし実際には、日本人の下手な発音で喋っている「擬英語」の多くは「英語」ではない。「カタカナ日本語」であって、英語ではない。「アクセントのある英語」とは違う。「Staff」と「Stuff」の違い(発音も意味も)使い分けられないのでは困る。

それに、インド人でも非英語圏のヨーロッパの人たちでも、知的階級の人たち、英語圏でトップにたって仕事をしている人たちは、それなりの立派な英語を使える。

これからの、日本の若い世代の人たちは、上記のようなひと昔前のオジサン、オバサンのいっている時代錯誤も甚だしい発言は無視して欲しい。これから10年後は、英会話ができる程度では、世界を相手に仕事は出来ない。世界を相手に仕事が出来ない人たちの職場でのニーズは、日本のような島国でも必要なくなる時代はもうすぐそこに来ている、ということを危機感をもって受け止めてもらいたいと僕は思う。

2011年2月26日土曜日

2011年2月25日

今日も研究費申請書つくりでした。かなりはかどりました。この週末も、勉強と研究費申請書つくり三昧の予定です。

2011年2月25日金曜日

2011年2月24日

日本のサイエンスを取り巻く問題点のひとつに、学生、研究者の流動性が低いという事が言われている。これは、50年以上前から言われているらしく、未だに変わらないらしい。僕が日本で学部生の頃(1980年初期)も言われていた。

僕の意見では、この問題の根本にあるひとつの原因は、日本では優れた人材の絶対数が少ないということにあるのではないかと思う。アメリカなどでは、世界中から優れた人材が多く集まるので、優れた人材の絶対数は常に高い。したがって、自分のところで育てた優秀な学生さんを外に出しても、他に優秀な研究者はウジャウジャいるので困らない。しかし、日本では、自分のところで育てた優秀な学生さんを手放してしまうと、中々ほかに優秀な研究者がいないので、中々手放せない。もちろん、これ以外の要因もいくつかあるが、このような現状が日本で学生、研究者の流動性を低くしている原因のひとつになっているのではないかと思う。

ちなみに、アメリカでも、ラボの「技術」「研究運営」レベル・継続性を維持していくために、優秀なラボマネージャーはどのラボも手放したくないので、ラボマネージャーの流動性はかなり低い。僕の印象だと、多くのトップラボでは優秀なラボマネージャーが2030年居続けるのは普通。

2011年2月24日木曜日

2011年2月23日

現在、また身を削って研究費の申請書を書いてます。真剣勝負が1ヶ月くらい続きます。

2011年2月23日水曜日

2011年2月22日

自分に対する教訓。
人間謙虚さが大切。
謙虚に毎日コツコツ積み上げていくことが大切。
以上。

2011年2月22日火曜日

2011年2月21日

僕のラボではこの春、計8人の学部1年生~3年生の学生さんたちが研究者の卵として修行に来ています。朝から晩まで研究者になるために必要な頭つくりをしてます。皆、3週間~4週間の滞在します。また、僕は一年中、地元の高校1年生4人、2年生1人を預かってます。彼らは(みんな男の子です)週末、自由研究プロジェクトを通じて、自分の頭でしっかり物事を論理的に考えられる訓練、また観察のための眼力を養う訓練をしてます。

大学院生さんたちのトレーニングだけで大変なのに、僕が、なぜ学部生さんたちや、高校生さんたちの訓練をしているのか不思議に思われる方々がいらっしゃると思いますが、その理由は、「僕が死んだ後もサイエンスを発展させてくれる人材を出来るだけ沢山育てたい」というひと言に尽きます。

だから、僕にとってはこれは当然のことで、全然苦ではなく、毎日ワクワクしながら指導してます。

2011年2月21日月曜日

2011年2月20日

「二つに一つ」「白黒つける」「是非」といった日本語がある。しかも頻繁に使われている。これが、日本社会が寛容性に欠けた社会になっている起因のひとつかもしれない。また、このような性質が日本人(特に日本の政治家)の交渉力が低い原因の一つになっているのかもしれない。「腹切り文化?」もこの辺に起因しているのかも知れない。

これはサイエンスにも通じている。どうも日本では「二つに一つ」「白黒つける」「是非」的なサイエンスが蔓延っているし、このようなアプローチがほとんどのように感じる。これでは、深いサイエンスは出来ないと僕は考える。

「二つに一つ」「白黒つける」「是非」的なサイエンスをしている人たちの多くは、間違ったサイエンスの認識をしている。これらの人たちは、サイエンスは「真実」を明かにするものと勘違いしている。しかし、それは間違い。

サイエンスはこの世の現象に対して、実験結果、論理の展開によって、最もつじつまのあう、また最も普遍性のある説明を見つけることである。したがって、「真実: absolute truth」とは違う。新しい実験結果 (new evidence, observation)、新しい見方 (examination from a new angle)、新しい論理 (new logics) の展開で、現在ある科学的説明は変化する。極端なことをいうと、生命の説明で“現在ある”セントラルドグマ (Central dogma) も200年後には全く違ったものに変わっている可能性がある。

2011年2月20日日曜日

2011年2月19日

今週は修士論文の発表会だった。僕が聞いた範囲での感想をここに手短に書いておく。

正直言って、修士論文の研究は「研究」ではない。「授業科目」のひとつとして捉えるのが妥当だと思う。修士で卒業する学生さんたちは、この辺を勘違いしないでもらいたい。

しかし、博士後期課程に進んでも、修士学生のように「研究でない研究授業科目」をただ単に長く続けているだけというケースも結構多くあるので、それはそれで大問題なのだけど。。。

あまり、こんなことを書いても、僕自身の「研究者」「教育者」としてのモーチベーションが下がるだけなので、この辺でやめておく。

2011年2月16日水曜日

2011年2月15日

最近は毎日が充実している。沢山自分の勉強がコンスタントに出来ている。邪念も無く、かなりストイックな生活を毎日送っている。これも、ラボの皆さんのおかげです。ありがとうございます。

追伸
2011年大阪マラソンにエントリーしました。抽選に当たれば、フルマラソンレース(1031日)出ます。はずれたら、仕事します。

2011年2月15日火曜日

2011年2月14日

今日はバレンタイデー。奈良では昼くらいから雪が降り始めて、夕方までには沢山雪が積もった。僕は、帰りに、滑って転んで、膝を少し擦りむいてしまった。明日の朝、泳ぐときに少し沁みるかも。大阪はほとんど積もってませんでした。

2011年2月14日月曜日

2011年2月13日

今週もしっかりトレーニング出来た。寒いので自転車に乗らないかわりに、筋トレと水泳を多くとり入れたトレーニングスケジュールを組んでいる。その甲斐あって、水泳の感覚がだいぶ以前のレベルに戻ってきた。今では、結構ハードなインターバルもルーチンにこなせるようになってきた。3月くらいから、徐々にまた長距離の自転車トレーニングを入れていこうと思っている。

2011年2月13日日曜日

2011年2月12日

先週はNAISTバイオサイエンスの博士論文発表会があった。僕はスケジュールの都合で一部の発表しか聞けなかったが、聞いた範囲で2つ思ったことがあるのでここに書き留めておく。

  先ず、研究の背景の説明、アプローチの選択、結果の考察、これらが全て「ひとりよがり」な研究が多い。自分の研究に都合のよい背景のみ紹介したり(ひどい場合だと、世界中の多くの研究を無視して、いかにも自分が始めてやったというような卑怯な発表もあった。。。)、結果の解釈も色々あるはずなのに、自分の仮説(もともと仮説のない研究も多くあったが。。。)に都合のよいように解釈する、など等どうしょうもないものが多かったように思う。
    
     前にも少し書いたが、教員からの学生への質問が、学生の能力を「試す(試験する)」といった感じのものが多い。学生を「自分と対等の研究者」という認識の上にたった質問・コメントはほとんどない。博士号を取ろうとするものであるから、基本的には「我々とサイエンスに関して同等の議論ができる」という事が前提にあると僕は思っているのだが、もちろん学生の多くにこの様な能力は無い。アメリカでも同じようなもの。アメリカのトップの大学院でも、「我々(教員)とサイエンスに関して同等の議論ができる」学生はそんなに多くない。しかし、日本(僕がよく知っているNAIST限定だが。。。)では、このような博士号候補の学生の数がアメリカよりもっと少ないように感じる。

来週は修士論文の発表会。その感想は来週末にでも書きます。

2011年2月11日金曜日

2011年2月10日

以前書いたように、今年は年収の1%程度を寄付します。今、寄付先を決定する為に、色々な情報を集めています。僕が寄付する事によって、すぐにでも役に立つようなところ(こと)を色々調べています。大した額ではないので、選択肢はそんなに多くありませんが、しっかり情報収集して決定しようと思います。

僕が通った広島学院中学・高校のモットーは「Men for others」です。当時はこの言葉を聞く耳を持っていませんでしたが、大人になってからは、僕にとって常に気になっている言葉のひとつになっています。人生わからないものです。人生とは不思議なものです。だから生きていて楽しいのだと思います。

2011年2月9日水曜日

2011年2月8日

ここ2ヵ月ほど朝のトレーニングがコンスタントに回っている。かなりストイックに毎日のトレーニングをこなしている。とても気持ちいい。今年はマラソンかトライアスロンのレースに久しぶりに出てみようかなと考えている。このまま夏までトレーニングをコンスタントに続けられればレースに出る可能性がかなり高くなる。問題は5月~7月にかけて国内外への出張が幾つかあるので、その辺が問題だが。。。。とにかく、今のルーチンを毎日着実にこなして行こうと思います。

2011年2月8日火曜日

2011年2月7日

この週末、アメリカではスーパーボールでした。アメリカ中がテレビにかじりついて、大騒ぎする日です。僕はアメフトを観るのは大好きです。スーパーボールWeekend の楽しみは、テレビのコマーシャルです。色々な業界から色んな創意工夫を凝らした新着テレビコマーシャルが流れます。僕は、毎年これらのコマーシャルを観ながら、ほんとにアメリカ人はエンターテインメントビジネスに長けてる国民だと思います。人の注意や興味をそそらせる術が素晴らしいです。

アメフトはアメリカ発のスポーツですが、かたや日本の相撲どうなって終うんでしょうか?僕の予想ですが、たとへ膿を全てだし、真っ白になって我々の前に蘇って来ても、世間があら探しばかり常にして、批判をし続けることでしょう。日本人は何事もあらや欠点を探しだし、とことんやっつけるのが大好きな国民です。人の良いところ、長所、素晴らしいところを見出すよりも、ひとの悪いところ、短所、欠陥を見つけだして、とことんやっつけることのほうが得意な国民だと思います。

極端なことをいうと、そのような国民だから、色々なところで「いじめ」が蔓延っているのだと思います。ひとの悪いところ、短所、欠陥、違っているところをひとつでも見つけだして、立ち直れなくなるまでとことんバッシングしないと気がすまない国民みたいです。

皆さんもっと「寛容」になりましょう。日本では「寛容 = 甘え」みたいに捉えられているみたいですが、僕は「寛容」は大人の証だと思ってます。寛容と甘えは違います。

2011年2月5日土曜日

2011年2月4日

NAISTは今年創立20周年でさまざまな記念行事が行われるそうです。

20周年の記念コンセプトは「世界とつながり、未来とつながる」だそうです。素晴らしいコンセプトだと思います。しかし、僕は「世界をリードし、未来を切り拓く」の方がベターだと思います。皆さんはどう思います?

それはさておき、「未来とつながる」と言いながら、記念講演がiPS細胞の山中先生だそうです。これじゃあ、「過去をふりかえり、過去にすがりつく」だと思います。

NAISTはなにかというと山中先生ですが、いい加減やめたらどうでしょう。最初にCELLにでたマウスのiPS細胞の論文も山中さんの所属は京大でNAISTなんかはいってません。しかも5年も前のことです。過去の出来事にしか頼れないないNAIST情けないです。

もっと、記念コンセプトにあるように、未来をもっと真剣に見つめたらどうでしょう。

2011年2月4日金曜日

2011年2月3日

2月~3月に私たちのラボに学部生(1年生~3年生まで)が計8人滞在して、勉強・研究します。とても楽しみ。将来有望な人材ばかりです。僕の責任重大です。ここに滞在中に沢山肥やしと水と光を与えておこうと思います。

2011年2月3日木曜日

2011年2月2日

中国での「ガンダム事件」など色々といわれているけど、日本もたいして変わらない。アメリカの物真似だらけ。ドラマのストーリー、映画のストーリー、TVコマーシャル、エンターテインメント、研究制度・研究テーマ、などなど。日本人は恥ずかしがり屋さんが多いから、アメリカのそれからは微妙に変えて、巧みな言い訳を付けるから、日本にしか住んだことのない大多数の人達にはすぐにはアメリカの真似だとは判らないけど、僕みたいにアメリカに長年住んだ人達には、すぐバレちゃいます。

まあ、中国も日本も、どっちもどっちです。

2011年2月2日水曜日

2011年2月1日

サイエンス、社会はとにかく興味をもったことひとつひとつ、とことん自分で納得行くまで本を読んで、調べあげた。それでもわからないことがあると、それがわかってそうな人に手紙を書いて聞いた。

例:
高校の時にある物理の現象に関していくら調べてもわからないし、学校の物理の先生に聞いてもわからないので、その分野を調べていて名前が頻繁に出て来ていた、アメリカのWashington Universityの教授に手紙で質問を書いて(もちろん英語)航空便で送ったことがある。ビックリしたことに、3週間くらいで、図入りで丁寧に僕の疑問に答えて説明してくれた便箋10枚くらいの手紙を受け取った。その手紙を受け取った時の感動は今でもリアルに覚えている。

このようにして、調べたこと、理解したこと、疑問に思ったことを全て細かくノートに自分で整理して書いて、時間があるとそのノートを何度も見直して、新たな疑問が生まれると、またそれに関して調べあげた。それをとにかく中学校、高校とずっとやった。

何回かに分けて、僕が中学・高校とどのように勉強していたかを書いたけど、若い人たちの参考になればと思います。

2011年2月1日火曜日

2011年1月31日

(昨日からの続き)
読み書きは好きなので沢山修行した。
例えば、中3~高1の2年間、毎週文章を書いて国語の先生(このM先生がまたかなり突っ張った気分屋の先生でしたが、僕はそういうところが逆に好きだった)に添削・批判をしてもらっていた。2年間毎週です。あるときはシリーズで毎週小説を書いたり、あるときはただ思うことを書いたり、読んだ本の感想・意見を書いたりしていた。

また、本は小説、論説、随筆、分野を問わず好きな本、興味をもった分野、なんでもとことん読んだ。中一の頃は太宰治にかなりこっていた。中二の頃は井伏鱒二、開高健にこっていた。また、古典落語を読んで幾つかを丸覚えしたりしていた。中三から高一の頃はドストエフスキーに完璧にはまっていた。僕は、いったん好きになると、そればっかり飽きるまでとことんその分野(あるいはその筆者)の本を読んでいた。

その後、日本語はアメリカにいた24年間ほとんど使ってなかったので、今はかなり衰えてしまった。今、猛勉強してます。

では、サイエンス・社会はどのようにしていたかというと(明日に続く。。。。)